1粒目『aardvark(ツチブタ)』ツチブタマンの哀愁
『aardvark』
―ツチブタ。アフリカで生まれた夜行性の珍獣。主食は白アリで夜に行動する。アリクイを大きくして、鼻から先を長くしたような、そんな生き物。
語源はアフリカの言葉、aarde varkenから。訳すと大地の豚となる。―
朝方の海岡屋は豚骨の臭いが濃く感じられる。あがったばかりの陽が関係しているのかもしれない。
いや、単純に24時間営業の夜勤アルバイトが寸胴にくべるバーナーの火加減を間違っているのか。
夜光性でもない限りこの時間はきつい。意識ももうろうとするだろう。もちろん意識の高いバイトはそんなへまはしない。しかし人間とはミスをする生き物だ。では俺はどちらなのだろう。人間とは……。ツチブタとは……。
と、哲学的な問いに想いをはせながら、荒田春九は丼のラーメンをすくいあげ、ふうふうと息を吹きかけた。
「で、聞いてるんですか。荒田さん」
「俺は聞いていない。食事とは感謝の時間なのだ。さらに哲学的命題にも思いをはせている」
「返事してるじゃないですか。とにかくお願いします。白アリ団の総統討伐作戦。決行が今日なんです。荒田さんの力が必要なんですっ!!!」
テーブルの対面から語気を強める青年の口から餃子の刻みにらが飛んで、荒田の丼の1㎝前に落ちた。
麺をすすったまま、荒田は目だけで青年をにらんだ。危ないだろう。丼に入ったら俺の内なるイノブタが荒ぶるぞ。手がつけられないんだぞ。眠いと暴れるんだぞ。そりゃあ、国家の一大事なのは分かる。白アリ団は末端は一般家庭から、幹部クラスは国家の中枢に入り込み、食い物にする。俺がやつらの天敵であるイノブタマンじゃなければ、絶対に相手にしたくない集団だ。
「……そんなに震えなくてもいい」
「震えてません。武者震いです。あと、ニラを飛ばしてすいません」
「餃子美味いだろう」
「はい。ぷりぷりしていて」
「俺もそう思う。だが人前では食えん。大抵の餃子には豚肉が使われているからな。俺は無宗教だが、共食いと思う奴もいる。子連れの母親なんか特にそうだ。イノブタマンが豚肉を食ってる。教育に悪いとかなんとか。現役の時は、さんざんクレームが来たぜ」
「そうですか……」
しゅんとする青年は新進気鋭のヒーローである。変身時のかけ声とポーズがクールでキャッチ―極まりないため、お茶の間でも大人気だ。
どうせ、人気をかさにきた尊大な青二才だ、と思っていた自身を、荒田は少しだけ恥じた。中々の好青年である。荒田は駆け出しのころを思い出し、みぞおちのあたりがこそばゆくなった。
笑みを隠すように、麺をひとすすり。蓮華でスープもすすう。
「まあ、いいぜ。協力してやる。で、決行は何時なんだ?」
「ありがとうございます!!! 12時です!!!!」
店内にとどろき渡るその声。衆目が集まる。荒田はそれよりも、17時という時間帯にその太い眉をひそめた。
「本気で言ってんのか? 俺は夜行性だぞ?」
「すいません。でも放送の都合で」
「放送なんか生でする必要もないだろう。録画を編集して後日じゃダメなのか?」
「スポンサーが生にこだわっていて。あと、政治の問題もあるみたいです。内戦を止めるために、国民の理解が必要らしくて……。白アリ団に味方する集団もいますから。大きな声で言えませんが、自衛……」
「いや。全部言わなくてもいい。分かった。俺は夜行性だが何とか起きてみる。目覚ましもセットしておく」
「起こしに行きますか?」
青年の申し出に、荒田は口角を少しだけあげて、それから首を横に振った。
「いや、いい。内戦を止めるってことは、かなり忙しいんだろう。俺は自力で起きるから、自分の仕事に集中してくれ」
荒田の言葉に青年の瞳がうるんだ。激しく感動したのだ。
その晩。荒田は目を覚まして、スマホの時間表示に絶句した。20時30分。決行の時間を8時間30分過ぎている。つまり、荒田は寝坊した。おう年のヒーロー、イノブタマンは夜行性だった。