「遅すぎる」苛められていた聖女ちゃんを慰めたのは、隣家に住む俺です。~大器晩成型聖女ちゃんはやる時はやる子です~
しくしくと泣いている声がする。
うちの家は壁が薄いから、隣の原っぱの、大きな樹の下で泣いている声まで聞こえてくるのだ。
あの樹は大きくて、日差しの強い日でもいい感じの日陰になるし、雨の日には雨宿りもできる。
この近所に住む人達はあの大樹と一緒に育ってきたといってもいいくらいだった。
その樹の下で、ずっと泣いている。
ごろりと横になっても、やっぱり気になる。
立ち上がって、外に出て、そろりそろりと近づく。
そこにいたのは、十歳くらいの女の子だった。
彼女はしゃがみこんで、両手で顔を覆って泣いている。
「どうしたんだ?」
そう聞くと、赤くなった目を向けて、しゃくりあげながら言った。
「わたし、わたし遅いって言われるの。一生懸命やっても、遅いって」
ぽりぽりと頭を掻く。
遅いってなにが遅いんだ。
その若い男が尋ねると、彼女は小さな声で、自らを恥じるように言った。
「魔法の……発動が……遅いの」
「……でも使えるんだろう、魔法」
「……使えるけど、でも。それじゃあだめだって、みんなが言うんだもん。遅すぎるって。もっと早くしないと、次の患者さんが来ちゃうって」
よく見ると、彼女は神殿に仕える神官のようで、真っ白いロープに身を包み、胸には銀色のメダルまで下げている。
「……お兄さんはね、魔法使いなんだけど」
「魔法使いなの?」
「そう。お兄さん、君の魔力を見てもいいかな」
魔法使いだというその若い男は、掌を彼女に向けて差し出した。
「手を置いてもらってもいい?」
「……はい」
おずおずと、彼女はその小さい手を男の掌の上に置いた。
そして、若い男は一瞬目を瞑り、それから目を開いた。
「君は、とても、そうとても魔力の量が多い。だから、きっとそれらを使うのに時間がかかるんだろうね」
体内の魔力を使う時には、よく例えられるのが蛇口だった。
小さな蛇口はすぐに回すことができて、魔力も即座に引き出せる。
だけど、大きな蛇口は固くて回すのは大変だ。魔力を引き出すのも時間がかかるのだ。
後者の場合、たいてい、魔力量が人よりも多い。
そして、この小さな神官の娘もそうなのだった。
「お兄さんの国にはね、“大器晩成”という言葉があるんだ」
神官の娘が見上げた、その若い男は、異国から来たような黒い髪に茶色の瞳をしていた。
彼の故郷の言葉なのだろう。
だが、聞いたこともない言葉だった。
「“大器晩成”はね、後からゆっくりと力がついてくる人のことを言うんだ。すぐじゃなくても、ちゃんと後になったら、力がついて立派になれる。君はそのタイプだと思うよ。俺の見たところ、魔力も十分にある。むしろ、ありすぎるくらいだ」
彼の手が、わしゃわしゃとフードの下の銀色の髪を撫でた。
「私は“大器晩成”やればできる子と言ってごらん」
「わたしは“たいきばんせい”やればできる子」
その娘が小さな声でだが、しっかりとそれを言ったことに、若い男は微笑んだ。
「そうそう、そう呟くんだ。きっと君は、強くなれるから」
それから、幼き神官の娘、ルーラは、来る日も来る日も、「わたしは“たいきばんせい”やればできる子」と呟き、神殿で癒しの術を使うようになった。
魔法使いの隣のお兄さんが言った言葉は、とても優しくて、彼女の胸の中に深く染み入っていた。
孤児だった彼女は、身体が小さいこともあって、昔から軽く見られがちだった。
魔力は多いようだが、使うまでに時間がかかると常に言われ続けていたのだが、彼女は負けなかった。
だってわたしは「“たいきばんせい”やればできる子」なのだから!!
時間はかかったが、彼女は癒しの術のエリアヒールを覚えた。これにより、一人の対象者の傷を治すことではなく、複数の……いや部屋いっぱいの患者の傷を癒すことが出来るようになった。
今ではもう、彼女を「遅い」「グズ」とののしる同僚もいない。むしろ、彼女は神殿の“聖女さま”と敬われることになった。
そして、彼女が口ずさむ不思議な呪文「わたしは“たいきばんせい”やればできる子」という言葉は、神殿の神官の間にも、呪文をスムーズに発動させる言葉の一つとして認識され、神官達も口ずさむようになった。
やがて市井にも広がり、市井の人々も「俺は“たいきばんせい”やればできる子」と呟くようになる。賭け事の前や、大事な任官試験の前、はたまた魔獣討伐の前、王の即位の際にも皆が口ずさむ。
「わたしは“たいきばんせい”やればできる子」
*
それを即位の式典の時に、若き王が口にしたことを耳にした俺は、あんぐりと口を開けた。
いや、隣の子が、立派な聖女になって、その式典の時にも耳にしたけどさ。
あん時は、俺は彼女の力になりたくて。本当に彼女は魔力も十分に備えていた人だったから、「やればできる子」だと思ったんだ。
そして、俺の故郷の世界では、「褒めて伸ばす」「褒めて育てる」指導方法が一時期ブームのように言われていたから。
あの子に自信を持ってほしかったんだ。
まさか立派になったあの子の口からスタートして、世界にまで広がるとは。
髭のじいさんとか、キラキラの王子さまがそれを口にするのって、なんかなんか……変?
「わたしは“たいきばんせい”やればできる子って、どんな意味なの?」
俺の隣にいる、真紅の髪に、ぶどう色の瞳の美しい娘が、小首を傾げて聞いてくる。
俺の相棒のアルディーだった。
「時間がかかっても、ちゃんと立派な人になれるということだよ。やればできる子はわかるだろ?」
俺がアルディーを見ると、彼女はこくりとうなずく。
「俺にとっては、アルディーは“やればできる子”だぜ」
そう言うと、アルディーはにこりと笑った。
「そうよ、私はあなたにとっての“やればできる子”で、必ずすべてを手に入れる女ですもの」
必ずすべてを手に入れる女!!
大きく出たな!!
だが、その大層な言葉を咎める気にもならなかった。
彼女は実際、望む全てを手に入れる女だったからだ。
アルディーは、そのぶどう色の瞳を細め、俺をじっと見つめてとてもとても、柔らかく微笑んだ。
「そしてあなたも手に入れたわ」
俺の頬に優しく口づけを落とした。
女勇者アルディーが魔王を下した後、彼女は“賢者の石”を探す旅に切り替え、長い長い旅路の果て、ようやく手に入れたその虹色の石により、彼女の傍らに常にいた魂は、ようやく人の姿をとることができた。
それは黒い髪に、茶色の瞳を持つ、ひょろりとした若い男で、人の形をとることができるようになった後、アルディーに抱きついたという。
それから二人は、世界を旅している。
傍らの男は、異世界から来たせいで、変なことばかり言っている(下劣なことも言う)。だが、たまにはいいことも言うのだ。
そんな男のことが、アルディーは大好きだった。