白髪の死神
「クソ!最悪だ!術式が解けちまったのか!」
先程の激痛で、魔術が解けてしまったため、洞窟の入り口を塞いでいた岩が消滅した。その結果、逃げ切れたと思っていた『怪物』が洞窟に足を踏み入れたというのは想像に難くない。
いま恭弥は少し開けた洞窟の行き止まりにおり、ここまで『怪物』が来たら身動きが取れず、何もできないまま死ぬ。
洞窟の壁をぶち開けれるほどの大火力の魔術を使えたら良いが、あいにくそんな魔術は使えない。そのため、この洞窟から抜け出すのに、恭弥が取れる手段は普通に入り口から出るしかないのだ。
そんな考えに至った恭弥はすぐさま入り口に駆け出す。
すると走り出してすぐに『怪物』が目に入った。
黒光りする大きな巨体はこの薄暗い洞窟の中でもしっかりと捉えることができた。
『怪物』は体を壁にぶつけながらも、お構いないしにこちらに向かって走ってくる。
恭弥と『怪物』、このままでは正面衝突してしまう。いや、恭弥の方が力が弱く体も小さい分ぺちゃんこになってしまうかもしれない。
どんな生き物も大抵、頭は弱点だ…目を潰して足元を潜り抜ける!
恭弥は死を回避する方法を考え出し、行動に移す。
「target、setting 」
叫ぶ。
恭弥は走りながら手前にあった小石を四、五個ほど拾う。
そして、
「ーーmaterial、transformation ………
ーーimage、transformation………
ーーexistence、transformation………
ーーexclude、target!」
詠唱を唱えると、恭弥は小石を走る『怪物』の頭部に投げ込む。
すると小石は炎を吹き上げ爆発する。
そのタイミングを狙って恭弥は『怪物』のガラ空きの股の下を走る勢いをそのままにスライディングで潜り抜ける。
よし!抜けた!!
命に関わる危険な橋を見事渡りきって恭弥は心の中でガッツポーズをする。
背後を見ると、爆炎の煙は晴れていたがすぐに追ってくる気配はない。『怪物』の自慢の大きな体はこの狭い洞窟の中では身動きが取れず、身を翻すことができないからだ。
『怪物』の巨体は通常時は大きなアドバンテージであったろうが、この狭い洞窟ではその良さを十分に活かすことはできない。
もし『怪物』を倒す見込みがあるとすれば、この洞窟の中であり、まさに絶好のチャンスだったのだが、恐怖でそんなところまで頭が回るはずもなく、恭弥は背を向けて逃げる。
もう少し、もう少しで外に出れる。
何メートルか先には洞窟の入り口が見えていた。特に太陽の光が差し込んでないのを見ると、外はもう夜になってことが伺えた。
「ドッ、ドッ、ドッ」
地面が揺れるような音背後から聞こえた。振り向くと後ろから『怪物』が追ってきていた。
そうだ、洞窟を出て終わりじゃない!奴を撒くか倒すかしないと、命の危険は変わらない!
いま奴が本気を出しきれない洞窟の中で、出来るだけ距離をとらないと。
恭弥はさらに走るスピードを上げる。
「おおおおおおーーーーー!!」
恭弥は知らず知らずに声を張り上げていた。
異世界に来て、『怪物』に遭遇してからは勝てるわけがないと最初から諦めて怯え、ただ逃げていたけれど、もう逃げない。
やってやる!!やってやるぞ!!
恭弥は洞窟を出ると、振り向きく。
そして、『反撃』の意思を声に乗せて精一杯に叫ぶ。
「来いや!『怪物』相手しーー」
しかし、最後まで続かない。それは左方から飛んできた強烈な拳によって遮られる。
「グッ、ゴホッ」
殴り飛ばされた恭弥は凄まじいスピードで飛んでいきボールのように跳ね、二転、三転すると木々にぶつかって止まった。
虚ろにまぶたを開く、そしてーー
「うッ、グッ、、ガッあああああゝあああゝあゝ!?」
怒涛の痛みに襲われ、絶叫する。
目一杯に開かれた瞳を脚部に向ける。そこには、骨がぐにゃぐにゃに曲がり、ありえない方向に向いた足があった。
それだけではない、折れた肋骨が肺に刺さり、肺に溶岩を直接流し込まれたように熱く、それとは逆に口からは止めどなく血が溢れ出てきて呼吸もままならない。
痛い痛い痛い痛い怖い怖い怖い怖い怖い痛い痛い痛い痛い痛い怖い怖い怖い怖い怖い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛怖い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い怖い怖いい怖い怖い痛い怖い痛い痛い怖い怖い怖い怖痛い痛い痛い痛い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い痛い痛い痛い痛い怖い怖い痛い怖い怖い痛い痛い痛い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い痛い怖い痛い怖い怖い。
頭の中は『痛い』と『怖い』が混ざりあった感情で完全に埋め尽くされる。
傷を負ったのは体だけではない、自分の体が一瞬で歪に醜悪に変わり果てたことに恐怖し慄き涙する。
先程までの『反撃』の意思は呆気なくぽっきりと折れてしまった。
もう嫌だ………クソ。
視線を『怪物』に向けると、さっき洞窟で上手く躱した奴と、いつのまにか合流していた。
………………痛いのも、怖いのも、嫌だ。
恭弥の懇願に対して、二体の『怪物』がのそのそと迫ってくる。
もう、やめてくれよ……痛いのは、嫌だ。
恭弥の目の前まで来ると、
「バア!!」
と『怪物』は殴ろうと構える。
それに、恭弥は
「ヒッ!」
と怯えた声を出す。
それを見て『怪物』たちは、
「ギギ、ギギギギギギギギ!!」
「ギギギッ、ギギッギギギ、ギギ!!」
と、おぞましく笑い出す。
恭弥は混乱したがそれも一瞬のこと、すぐに理解した。
弱者をおもちゃにし痛めつけ楽しんでいるのだ。恭弥はいまおもちゃにされ、遊ばれている。そのことに無性に腹が立つ。
『叛逆』の意思が灯ろうとするも直近で折られたばかり。
ひとしきり笑い終えると同時に恭弥を見る目が、おもちゃから食べ物に変わる。
そこからの行動は速く、すぐに怪物は腕を振り上げる。そして振り抜く。
一発目。
「グッ、ゴホッ、ガッ」
恭弥は呻き声を上げる。
一発のパンチがとんでも無く重い。体中に筋肉が敷き詰めらているのだから当たり前だった。
何か、魔術で………。
この状況を切り抜ける方法を考えるもまったく思いつかない。
二発目。
「ぐっ、うッうう」
恭弥は呻き声を上げる。
頭をフル回転させ切り抜ける方法を探そうとするが、恐怖で脳すらも麻痺していた。
そもそも魔力が切れてる。もう……無理だ。
諦めの言葉ばかりが思い浮かぶ。
三発目。
「ガッ、あゝ」
恭弥は呻き声を上げる。
思考することを諦め、ただ死を痛み共に待つのみ。
はや……く、しに‥たい………………でも。
灯り損ねた『反撃』の意思が消えるとは限らない。
四発目。
「ッ…………」
呻き声は上がらない。
思考停止し、生きることに恐怖を感じ、ただ死を求める。その思いが膨れ上がる一方で『怒り』が沸き上がる。
こ……の……ままで、い………い…のか?
ただ死を待つ自分自身に疑問を持つ。
五発目。
「…………」
呻き声は上がらない。
もう、次ので死ぬだろう。そう、直感的に感じとり、死を前にしても身を焦がし焼き尽くすような『怒り』は治らない。何か酷い頭痛が恭弥を襲う。
クソクソクソクソクソクソクソクソクソクソ!!
せめて最後はと、業火の『怒り』を込めて、
「いつか、惨たらしく死ね、カスども!!」
そう叫び、目を瞑る。
六発ーー。
目は訪れなかった。
恭弥は恐る恐る目を開くと、目の前で先程まで殴り殺そうとしていた『怪物』たちは惨たらしく死んでいた。
その死体を踏みつけ、月を背にし立つ女性がいた。
瞳は紅く、パールのように澄んだ綺麗な白髪を腰まで伸ばし、細長く華奢な体つきの女性。その手には似合わず大きな鎌を手にしていた。
「待ってください。すぐ治しますから」
その声を聞き恭弥の意識は途切れた。