おかると倶楽部 弐
あるはずのない怪異を目の辺りにしたせいで、足がすくんでしまった。
本当に記事で見た通りだ。
未だに信じられない。
実際播野も目にしている。驚いた反応を見ると僕が幻覚を見ている訳ではないのが分かる。
とりあえず木々を押し倒し進むその生物をカメラで撮影することにした。
どうやらただただどこかを目指しているようだ。進むこと以外しようとしない。
進む早さも人間の歩くスピードと同じくらいだ。
興味本意で少し耳栓を外すと、かなりの音量が流れてくる。ヘッドホンで最大音量にしたときより大きい気がする。
思いっきり叫んでも自分の声が聞こえない。
さすがに体に悪そうなので耳栓を着けなおした。
しかし音が聞こえたときはそこまで大きな音はしなかったし、そこまで遠くから聞いていたわけでもない。
少し違和感がある。なにか、ここと先程までいた場所は違う空間である感じがする。あくまで直感なのだが。
今見ている光景がそうさせているだけなのだろうか。
一旦化け物から離れて会話をしたいので、目印となるように自分のバッグとを足元に置いて化け物の進行方向と逆方向へ播野を引っ張っていく。
化け物から500m程離れたところで耳栓を外してみる。とりあえず話はできそうなので播野にジェスチャーで耳栓を外すように伝えた。
播野が耳栓を外したので、早速これからどうするか、考えていたことを言う。
「播野先輩は僕がバッグを置いた場所に居て部長達を呼んで下さい!」
「山辺君はどうするの?!」
「化け物が来た方向へ探索しに行きます!」
「分かったわ!無理しないでね!」
物分かりのいい人でよかった。
化け物が来た道を辿るのに理由は実はあまりない。
これも直感である。でもなにかがある気がしたのだ。
化け物の巣とかではなく、またなにか別のものが。
踏み潰された木の上を用心深く進む。とても歩きにくい。
カメラの紐を首にかけて歩いているために時々体に当たるカメラも鬱陶しい。
終わりは見えない。
しかし不思議と足を止める気にはならなかった。まるで何かに操られているかののような感覚だ。
ポケットからスマホを取り出して時間を確認する。まだ11時であった。
まだ昼前であることに少し驚きながらも、また進み始めた。
───
あれからどれだけの時間進んだだろうか。
もうさすがに腹が減ったし喉も乾いた。だがバッグも持っていないのし近くを川が流れているわけでも無いので飲食など出来る筈もない。
足も疲れた。あれからずっと休みなしで動き続けている。
スマホを見ると時刻は3時。ということは4時間は進み続けているらしい。おそらくこんなに運動したのは初めてだ。
そんなにこの森は広かっただろうか。ふとそんな疑問を感じてスマホで現在地を確認しようとアプリを開く。が、圏外だった。
先程から見える景色が変わらないためかずっと同じ場所を進んでいるようにも感じる。朝には美しく見えた光景も飽き、魅力が感じられないまでになった。
これはいつ終わるのだろうか。播野たちは今頃どうしているのだろうか。僕を探しているのか、はたまた警察でも呼んでいるのか。
どちらにせよ僕が見つけられていない事実は覆らないか。
放心状態になりつつも進んでいると、突然足を踏み外した。
4時間も進んでいたのに初めてだ。
そこまで段差があったわけでもないのに頭から転げ落ちた。
頭が痛い。体も動かない。
意識が朦朧としてきた。
僕は、これからどうなるのだろうか。
...そのまま意識は途絶えていった。
───
目が覚めて一番に目に映ったのは白い天井だった。
が、辺りを見渡すと、この部屋は病室といえるものではなかった。
窓はなく、机にはペットボトルに入った水のみ。カーテンもないしなにより狭い。
それに僕が寝ているのはベッドではなく布団だ。
確か自分は森のなかで記憶を失った筈なのである。なのに何故かこんな部屋の中にいる。
病室なら分かる。ただこんな部屋は見たことも聞いたこともない。
とりあえず布団から出て水に飲む。
普通の味だ。取り敢えずそれだけで少し安心した。結局そのまま半分程飲んだ。
そういえば、というか何故今まで気づかなかったのか理解できない位なのだが、
この部屋には扉が存在しない。
ステルスかなにかだろうかと思い壁のいろんな箇所を触ってみるも、何も起こることはなかった。
やはりあの化け物となにか関係があるのだろうか。というかそもそもここは現実なのかさえ確証がない。ただ夢にしてはあまりにもリアルだった。
「.......!?」
突如として目の前に鏡が現れた。そして映っているのは自らの姿ではなく、会ったこともない中年男性であった。
その男はこちらを見て少し喜んでいた。
「君が、山辺亮くんだね?」
「....はい。そうですけど。貴方は何なんですか」
「残念ながら僕は名乗れない。いや、名乗らない方がいいという方が正しいかな。」
「....ここはどこですか?」
「それも答えられない。というより僕も適切な表現が出来ないな。ただ1つ言えるのはお互いが直接干渉出来ないということだけだ。」
「何故僕はここに?」
「..ちょうどいい。本題に入るよ。君は特別な力を持っている可能性があるんだ。」
なんだそれは?特別な力?
「言っても分からないと思うから早速試してもらいたい。いいかな?」
「全く話が分からないのですが」
「やってみれば分かるはずさ。じゃあまず左手の親指で顎を、人差し指で左目の外側を、小指で右目の眉を同時に触ってくれ。」
「ここから出たいのですが」
「出たいなら従いなさい。」
どうやらこいつの仕業のようだ。恐らく無駄な反抗は意味を成さないだろう。
僕はよく分からないまま言われた通りの動作をやった。
「よし、じゃあそのまま右手の親指で左足の、小指で右足の足の裏を同時に触ってくれ」
正直ふざけたことを言っているようにしか聞こえないが、男の表情はいたって真剣だった。
そのまま言われた通りの動作をやった。
「よし、体勢を戻していいよ。」
何が分かったのだろうか。僕の身には特に何も変化は無いが。
男は懐からメモ帳とペンを持ち出してメモをとったあと、
「右手と左手の、それぞれ小指と親指を組んでくれ。」
「その表現だと何通りもやり方があるんじゃないですか?」
「本能に従いなさい」
僕は右手の小指と左手の小指、右手の親指と左手の親指を組んだ。
その瞬間、男の動きが止まった。メモをとっている状態で硬直している。
しばらくすると自分の体も動かせないことに気付いた。視線も動かせないし、声も出せない。
ただ指だけは動かせた。それも親指と小指だけ、だ。
僕はそっと組んでいた指を外した。
その瞬間男は動きだし、視線も動かせるようになった。
たった30秒ほどの出来事だったが、気分が悪くなり思わずそばにあった水を飲んだ。
─嘘ではなかった。確かに非現実的な事が発生したのだ。
「その様子だと出来たようだね。」
極めて落ち着いた様子で男が話し始める。
「タネ明かしをしよう。僕は君に様々な動作を声で指示したね?」
「はい」
「あの指示で行う動作によってその人の能力が分かるんだ。だから詳しい説明も出来なかった。分かったかな?」
「分かりました。で、僕の能力は時間を止めて気分が悪くなるだけのものなんですか?」
「慣れれば気分が悪くなることは無いと思うよ。便利じゃないか。テスト勉強に活用したり出来る。」
成績はむしろ良い方なので正直あまり要らない。というか指しか動かせないのは相当不便だ。
「君はまたここに来るかもしれない。ただ僕は君の敵ではないから全力で君のサポートをする。君は僕、いや僕たちにとって重要な存在だからね。」
「あの、僕はこれからどうなるんですか」
「元の世界に戻ってもらう。」
「そういえば能力って誰でも持っているものなんですか」
「違うね。君の世界では恐らく君だけだ。」
「僕がここに来る前に現れた怪物は?」
「あれは僕が君を誘導させるために発生させたものだ。大丈夫。あいつはもう消えたし誰の記憶からもすぐに消えるさ。」
「....あなたは異世界の人間なんですか?ならなぜ僕のことを知っていて、わざわざこんなことを」
「僕の世界では君が重要な役割を果たすことになる。だからさ。」
意味が分からない。というより分からせないような言い方をされている気がする。
「もう質問はないかな?」
「....」
質問がないというより、状況があまり飲み込めていなかったため聞くことが整理できなかった。
「そろそろ君には帰ってもらう。君の幸運を願っているよ。山辺亮くん。」
最後にそう言って男は鏡ごと消えた。
「....」
また水をがぶ飲みした。頭が痛い。もう疲れた。
あんまり考え事をしたくなかったので布団に入った。
..僕は布団ごと沈んでいた。周りには真っ白な世界がただ存在するだけだ。
なんというか、孤独だった。
ハハ、僕は幻覚でも見ているのだろうか。
そうして僕はそのまま寝てしまった。
───
目が覚めると、周りを木々で囲まれていた。
「....?あれ?ここは..」
「あら、起きたのね」
播野が僕が起きたのに気付いた
「あー!あなた一人で探索に行ってからしばらく帰ってこないっていうから結構探したのよ~」
こっちは水野の声。
「そしたらこんなところで寝てたんですもんね。ほんと迷惑な奴なこった」
遥子もいる。
「まぁ、無事なだけよかったじゃないですか」
葵か。
彼女たちの声を聞いて少し安心した。ここは現実だし、意味の分からない話を聞かされることもない。
ゆっくりと体を起こす。
スマホをちらっと見る。まだ3時だ。
ということはあの白い部屋にいた時間は経過していない。
....まぁ、この際そんなものどうでもいい。
「それにしても、なかなか見つかんないわねあの化け物」
水野が愚痴をこぼす。
ん?播野は見たはずだ。なんで水野は見つかっていないなんてことを言うんだ?
「まぁ、いなかったで終わりでも良さそうだけど」
播野が皮肉を込めて返す。
ああ、この人たちは忘れているのか。あの化け物を。
僕もじきに忘れるんだろうな。多分。
そういえばビデオカメラを撮った筈だ、と思いカメラを確認したが
映像は森の中を撮していただけだった。
「ちょっとなんか買って食べたいのでコンビニにでも行ってきて良いですか?」
急に自分が空腹だったことを思い出したので聞いてみる。
「あ、私もお腹空きましたー!」
昼食を食べたはずの葵も同調してくる。こいつ大食い過ぎるだろ。
「もう結構探索したし、もう活動は終わりにする?」
という播野の提案を
「いや、でも──」
と反論しようとする水野を遮り
「「そうしましょう」」
僕と葵が賛同する。
「この倶楽部は民主主義だから決まりね~」
播野がにやけながら言う。
水野はしばらく睨み付けていたが、諦めたように溜め息をついた。
遥子は少し残念そうだったが、すぐに
「じゃあ近くのカフェでも行かない?」
なんてことを言い出す。
あまり人と交友関係がなかった僕には新鮮な環境だが、案外いいかもしれない。
今は余計なことは考えずに楽しもうではないか。
歩きながら見上げた空は、少し雲り始めていた。
───
もう、現実逃避は出来ない。
あの後カフェで昼食の代わりを摂り、家に帰ってきた。
今は完全に独りだ。
時計を見ながら「あの動作」をする。
時間が止まった。時計の針が完全に止まっているから分かる。
彼の言っていたことは嘘ではない。播野は化け物を見たことを忘れていたし、能力も使える。
考えれば考えるほど謎だ。
なぜ僕が特殊で、なぜ異世界の人間が僕を重要視しているのか。
あの部屋は何だったのか。
あまりにも情報が無さすぎる。
そういえば僕はあの化け物のことを忘れていない。もう3時間は経ったのに。
これは能力を持っている者の特権なのだろうか。
彼は能力者はこの世界で一人だと言っていた。
正直、嬉しくない。この問題を共有できる人間がいないのはかなり不安だからだ。
それにまだ僕には相談なんて出来る親も友人もいない。
──いや、いた。
そうして僕はスマホを手に取り、メールの下書きを書き始めた。
───
連絡をとった数日後の放課後、僕は公園のベンチに座って相談相手を待っていた。
丘の上にあるこの公園の端にあるこのベンチには、よく訪れて本を読んだりしたものだ。
あまり人は訪れないからかいつも静かで、なおかつ多彩な植物があるのでいつ見ても飽きないのだ。
久しぶりに会うからか緊張していた僕は、公園の入り口をチラチラ見ていた。
結局気持ちを落ち着かせるが為に持ってきた本を読みはじめてからすぐ、その人は来た。
整った顔にはもったいない坊主頭で、身長も180cmはあるだろうか。
彼はこちらを見た途端少し笑い、手を挙げて軽く会釈をしながら近づいてきた。
彼の名前は齊藤直泰。僕の知る限り一番ハイスペックな人間で、かつ中学時代一番親しかった人物だ。
彼はそのハイスペックさ故に人が寄りつくのを嫌っているため、わざと周りの人間に常に蘊蓄を披露している。要は自ら好感度を落としているのだ。
彼の蘊蓄に興味があるのは僕くらいなためか、彼は僕以上に友人がいない。
まぁ、性格は別に悪くないのだ。何を考えているか分からないことが多いが。
「久しぶり。会うのは中学以来だね」
そういって彼は僕の隣に座って足を組む。
「ああ。そうだっけか。」
親がいないのが主な理由で公立高校に進学した僕と対照的に、彼は私立の進学校に進学したため、会う機会は無いに等しかった。
「で、珍しく相談事があるみたいじゃないか。」
「ああ、早速なんだが聞いてほしいんだ。」
そうして僕はこの前起きたことを全て話した。
「なんだ?新手の冗談かなにかみたいじゃないか」
「まぁそう考えるだろうと思って君に本を持って来てもらったんだ。」
「どうするつもりだ?」
「君はテキトーなページを一瞬だけ僕に向けて開いてくれればいい。僕がページ数と内容を答えて見せるから」
「ほう」
彼は一冊、本を取り出して僕の前に立ち、僕に向かって開いた。
僕は「あの動作」をした。が、すぐに止めた。
「分かった。条件が足りなかったな。『日本語で書かれた本』でお願いするよ」
「あれ、ラテン語くらいは読めるものだと思ってたんだけど」
にやけながら言う彼は明らかに確信犯だ。
大体ラテン語で書かれた本を持ち歩いてるのがおかしい。やはり何を考えているか分からん。
彼はもう一度本を取り出し、僕に向けて開いた。
もう一度「あの動作」をする。
ページ数は84,85と。
内容は..章と章との間だからか、84ページに一文書いてあるのみだ。
えーっと..
『お前は逃げられない。向き合わなければならないんだ。』
この一文だけだった。何の本なのか検討もつかないが、小説かなにかだろうか。
指を組むのをやめ、ページ数と文を言った僕に対して、彼は驚きの表情を見せた。
「お前、高校入学そうそうヤバイことが起きてるんだな。」
「なぁ、なんかこういう事例があったとか知らないか?」
「そんなもの聞いたこともないさ。それにその能力とやらは君しか持っていないんだろ?折角だし有効活用でもしたらどうだ。」
「でもなぁ....ちょっと怖くないか?」
「何が?」
彼はいつの間にか蟻を弄り始めていた。
そういえば彼はサイコパスでもあった。
「異世界がこっちの世界に干渉してくるなんて」
「まぁ確かにね。多分こっちとも倫理観とか違うだろうから、何してくるかなんて分かったもんじゃない。」
お前も十分倫理観がずれてる感じがするよ。
という言葉は飲み込んだ。
「まぁお前は大丈夫だろ。『重要な存在』なんだし。」
「ならいいんだけどなぁ。あ、そうだ」
「なんだい?」
バラバラになった蟻をこっちに投げてくる。
まぁ、避けるのも慣れたので大丈夫だ。
「なんかオカルトって感じの噂ない?部活で必要なんだけど」
「無いことはないな。後でメールで送っとくよ。」
「あんまりガチなのは送るなよ。なんなら嘘でもいい。というかそっちのほうがありがたい」
「了解でーす!じゃまたー!」
唐突に走り出して帰っていった。
いやもう話は終わったのでいいのだが。あいつ本当に大丈夫なんだろうか。就職とか。
─でもやっぱりなにかスッキリしない。
意味が分からないことに対する不安だろうか。
確かに今まで意味の分からないことに首を突っ込むことなんてしなかったかもしれない。
まぁ突っ込まされたのが現状なんだけれども。
少し空が赤みがかってきた。
いつもは美しく見える風景も、心の余裕がないからかなにも感じることはできず、
それが嫌でいたたまれなくなって僕は
無人の公園を無我夢中で駆け始めた。
不安から逃げるように。
参話に続く