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9.穏やかな時間①

 わたしが目を覚ましたのは、お昼になる頃だった。

 ゆっくり体を起こしてみるも、毎日のように走っていた古傷の痛みは無い。一晩中傍にいてくれた温もりがないと何故か心細く感じてしまう。閣下が眠っていた場所にはシーツの乱れた跡だけがあった。


 昨晩から今朝の事を思うと、顔に熱が集うのが分かる。無表情はどこにいった。顔色だって変わる事はなかったと思うのに。

 興味本位なのは分かっているけれど、元帥閣下はわたしに酷いことをしなかった。その指先も唇も舌も、余りに優しくて心の奥が震えるようだった。

 言うとおりに痛いことは何もなかったけれど、だめだ……思い返すのはやめよう。


 ベッドから出てシュミーズを着たところで、体が清められている事に気付いた。その優しさと気遣いに思いを馳せそうになって、首を横に振る。



 ――トントントン


 ノックの音にはい、と返事をするも自分は下着姿だ。慌てて寝台から上掛けを剥がすとそれに包まった。


「失礼します。よく眠れましたか?」


 入室してきたのは、お仕着せを纏ったメイドさんだった。伯爵家で義母が雇っていたメイドよりも所作が美しい。にっこり笑ってくれるその表情に、嘲りはない。


「はい、すっかり寝過ごしてしまって……。すみません」

「いいんですよ。元帥閣下もお昼過ぎまでは起きないだろうから、休ませてやってくれって言ってましたもの」

「……そうなんですか……」


 よくよく考えると、この部屋は閣下が使っている部屋なんだろう。そこにわたしのような不審者が昼まで寝ていていいんだろうか。しかも上掛けの下はシュミーズ姿だ。

 娼婦だと思われている? ……それなら合点もいく。後腐れのない夜伽相手か。それにしてもこんな色気のない小娘を相手にしたと知られたら、趣味を疑われるんじゃないだろうか。


「お支度をしましょうね。こちらのワンピースなどいかがですか?」


 メイドさんが持ってきてくれたのは、瑠璃色の可愛らしいワンピースだった。パフスリーブに膝下丈。四角く開いたデコルテ周りと裾にはレースが縫いつけられている。


「とても素敵です」

「お気に召してよかったです」


 微笑むメイドさんに手伝って貰って着替えを済ませる。大きさもぴったりの低いヒールの靴も履いた。

 鏡台の前で髪を丁寧に梳かして貰う。柔らかな癖毛は絡まっているようで、メイドさんの手を煩わせるのが申し訳なくて身を縮めてしまった。


「お手入れをしたら、ここまで絡まらなくなりますよ」


 知らなかった。でもそういえば……幼い頃、まだ自分にも侍女がついていた時はここまで髪に苦労しなかったかもしれない。当時仕えてくれていた彼女達は、元気にしているだろうか。


 髪を纏めて高い位置で結い上げて貰うと、花の髪飾りをつけてもらう。

 それからお化粧。鏡に映る自分の姿に傷は一つも無い。薄くしますね、なんて言っていたけれど、メイドさんの手によって仕上がったわたしは、昨日までのみずぼらしい少女でなくなっていた。

 肉の落ちた頬は薔薇色に色付き、目元には煌く粉がはたかれている。唇には淡い色の紅が引かれていた。

 小さな耳飾りと、揃いの首飾りをつけて貰って支度はおしまい。


「……ありがとうございます……」


 お化粧をしたのも、装飾品を身につけたのも久し振りだった。父の葬儀以来、六年ぶりのこと。そういえば母の形見の装飾品はどこにいってしまったんだろう。それを思うと少し悲しくなった。


「とてもお綺麗ですよ。でもエルザ様はもっとお肉をつけなければなりませんね」


 そう笑ったメイドさんは、わたしをテーブルへと促した。

 昨日のように長椅子に座ると、テーブルには食事が並べられている。


 小さなパンと、オムレツ、サラダにフレッシュジュース。全て少なく盛り付けてあって安心した。この量なら完食できそうだが……贅沢過ぎないだろうか。


 窺うようにメイドさんを見ると、食べるように笑顔で促された。おずおずとパンに手を伸ばすと、今朝焼いたとわかる程にふわふわで、とても美味しかった。

 食べ始めるとあっという間にお皿を綺麗にしてしまった。マナーに気をつけてはいたけれど、見苦しくなかっただろうか。

 メイドさんは不快な様子を見せていないから、きっと大丈夫だろうと思う。

 食事をしている間に寝台のシーツを換えて整えてくれていた。気恥ずかしさがあるけれど、見ないことにする。



 食事を片付けて紅茶を淹れてくれると、メイドさんはテーブルに本を数冊置いてくれた。


 本。


 わたしは実は本を読むのが大好きだった。伯爵家の図書館には本がたくさんあった事を思い出す。ずっと読めていなかった本が目の前にある。嬉しくて仕方が無いのに、わたしの表情筋は仕事の仕方を忘れたままだ。


「こちらで流行っているものを何冊かご用意しました。本はお好きですか?」

「大好きです。あの、凄く嬉しいです……ありがとうございます」

「それなら良かったです。何かありましたら、いつでもお声を掛けて下さいね」

「ご親切にありがとうございます」


 顔には出ないだろうけれど、精一杯の感謝を言葉に載せる。メイドさんはにっこり笑って応えると、礼をして部屋を後にした。

 その時見えた廊下に、見張りの姿は無い。探っても誰かがいる気配は無い。……わたしは不法入国者で不審者で、間者かもしれないのに。


 逃げるつもりはないのだけれど。


 わたしはいそいそと、積まれた中で一番上にあった本を手に取る。冒険活劇だろうか。

 久し振りの本の手触り。紙の匂い。

 幸福感に包まれながら、わたしは本の世界に落ちていった。


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