8.元帥は想いを馳せる
エルザがされてきた虐待の数々を聞いて、今にもその義母達を殺してしまいたいと思った。
足枷をかけることも、栄養失調になる程に食事を与えない事も酷い事だ。だがその華奢な体に残された傷はそれ以上に惨いものだった。
手足や顔に残る傷なんて、まだ生易しいものだった。
腹部に残る傷跡は、切り傷が治療されないで治ったのだという事が見て分かった。肉が盛り上がってひきつれていた。打撲痕も多々あって、青黒いものから黄色く変色しているものなど、それが日常的にされていたのだと示していた。
背中も酷いものだった。鞭で切り裂かれた傷がその白い肌に残っていた。それよりも目を引くのは広範囲に残った火傷の痕。エルザはそれを炎撃が当てられたものだと簡単に言った。
少女の背にそんな惨い事をする人間がいるのか。
治せない程の損傷は無かった。さすがにそれ程の事をすれば目立つと自重したのだろう。それにしても許せるものではなかったが。
自分の腕の中で眠るエルザの金髪を撫でる。艶のない軋んだ手触りだが、手入れさえすればすぐに美しく輝くだろう。
その額に唇を落とすと、長い睫毛が震える。ゆっくり開いた瞼の奥には瑠璃色の瞳が未だ眠たそうに、とろんとしている。
その表情にまた熱が昂ぶるのを感じてエルザに覆い被さると、表情のない割りに雄弁な彼女の瞳に熱が灯った。
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オーティスとジギワルドを連れて、軍艦に乗り込む。今日使うのは己が指揮する主艦だった。
オーティスは右翼を率いる隊長、ジギワルドは左翼を率いる隊長で、二人とも副官として自分の補佐を良くやってくれている。
「エルザちゃんはまだ寝ているの? 疲れたんでしょうねぇ」
主艦の艦長室に誂えられた執務場所の中、応接セットのソファーに腰掛けたオーティスが気遣うような声を出す。思えばオーティスは最初からエルザに同情的だった。彼女がどんな扱いを受けたのかは分かっていたのだろうし、昨晩知り得た彼女の状況や古傷を教えると、その同情心は増すばかりだった。
「朝方まで寝かせてやれなかったからな」
それについては申し訳ないと思う。拒めなかったのだろうとは思うが、彼女を抱きたいという気持ちが抑えられなかったのは自分でも不思議なのだ。
「おいおい、まさか手ぇ出したんじゃねぇだろうな」
オーティスとテーブルを挟んで向かい合うソファーに座り、書類を片付けていたジギワルドが揶揄うような声を向けてくる。
ジギワルドは彼女に警戒をしている。それは勿論当然の事だし、元帥である自分の背を預ける事もある彼にとっては、突然現れたエルザを許容出来ることはないだろう。
「最後まではしていない」
戦後処理の書類に目を走らせながら答える。さっさと終わらせて帝都に帰りたい。皇帝陛下に報告もしなければならないし、帝都なら隣国の情報も集めやすいだろう。
「はぁぁぁぁぁ!?」
二人の声が揃った。正反対なように見えて、実のところふたりはよく似ている。
「あんた、エルザちゃんが弱ってるのをいいことに手を出したの!?」
「あんな色気のねぇガキによく勃ったな!?」
「だから最後まではしていないと言っているだろう」
騒ぐ二人の声が五月蝿い。仕事しろとばかりに、二人の手元にある書類を顎で示すも二人は仕事に戻る事は無かった。
「お前、すっげーお色気美女に媚薬盛られた時だって平気だったくせに」
「そういう事言ってる場合じゃないわよ、このおバカ。エルザちゃんが拒めないような状況に持っていったんじゃないでしょうね!」
オーティスはジギワルドの頭を書類の束で叩いてから、また俺に向き直る。その表情からはエルザを心配しているのがよく伝わってきた。
「別に興味だけで触れたわけじゃない。お前の心配しているような事にはしない」
「……信じてるわよ? 未婚の女の子に手を出してんだから、それ相応の責任だって考えてるんでしょうねぇ」
「責任も何も、あの女は修道院に入るんだろ?」
「ジギーはちょっと黙ってなさいな!」
「修道院には、いれない。まずはエルザの真名を取り戻してやらねばならない。帝都ならリーヴェスで今何が起きているのか、エルザの伯爵家の事だって調べがつくだろう。早くこの処理を終わらせて帝都に帰らねばならん。言いたいことは分かるな?」
「ほんっと、あの女が絡むと饒舌だな」
「はぁい、さっさとお仕事終わらせまぁす」
一睨みすると、二人は仕事に戻っていった。軽口が多いが二人は仕事が早い。粗方終わらせれば最後までこの地にいなくても、部下だけでどうにかなるだろう。
エルザは何をしているだろうか。
執務室の窓の向こう、青い空に彼女を想った。