2-33.お茶会は二人だけで
あの後、結局朝食の時間近くまで、ヴィルへルム様から離れる事が出来なかった。再度回復魔法を掛けて貰ったけれど、とにかく眠い。出来るなら朝食を頂いた後は、惰眠を貪りたかったのだけど……わたしはいま、カタリナ様とお茶を楽しんでいる。
「昨日はよく休めたかしら?」
「はい、おかげさまで。ありがとうございます」
休めなかったとは言えない。
「カタリナ様は休めましたか?」
「ええ、やっぱり疲れていたのかしら。寝台に上がってすぐにね」
昨日も可愛らしかったけれど、今日は一層肌艶が良い気がする。それを言うのも野暮で藪蛇にしかならない気がして、わたしはただ笑みを浮かべて頷いた。
用意された紅茶に蜂蜜を少し垂らす。よくかき混ぜるとふわりと花の香りがした。
「……アイシャ様の婚姻が整ったそうよ」
カタリナ様の言葉に、口元に寄せていたカップを揺らしてしまう。溢す事はなかったけれど、動揺が出てしまったのは恥ずかしい。
わたしは自分を落ち着かせる為にも、一口紅茶を頂いて喉を潤してから口を開いた。ソーサーにカップを戻す時には動揺は身を潜めていた。
「それはまた随分と急なお話ですね。昨日の件が関わっているのでしょうか」
「ええ。デゼリック王とアイシャ様、カーシャ様で話し合って決まったそうよ。その場にはあなたのところの、ほら、あの小柄で黒髪の副官の方も居たそうだから、半端な処分というわけにはいかなかったみたいね」
ジギワルドさんだ。
その話し合い次第では、国交断絶になる。ジギワルドさんはそれを見届ける為にその場に居たのだろう。
カタリナ様はティータワーから可愛らしい小さなタルトを、わたしの前に取り分けてくれる。それから自分の前のお皿にも同じものを載せた。
この部屋の中にはわたし達しかいない。給仕してくれる侍女もカタリナ様が下がらせたのだ。
「婚姻が責任を果たす事になるのかって話なんだけど、その結婚相手というのが……ちょっと、難有りの方みたいで」
「難有り、ですか」
カタリナ様はタルトに飾られたイチゴをフォークに載せ、それを口に運んでから頷いた。わたしもフォークを手に、タルトを頂く事にした。カスタードが艶めいてとても美味しそう。
「デゼリックよりもずっと遠い、海を渡った先にあるストロク王国に嫁ぐ事になったそうよ。しかも王妃ではなく、側室の一人として嫁ぐそうなの。離宮にはすでに側室が数十人いるし、デゼリックは里帰りを許さないそうだから、アイシャ様にとっては辛い結婚になるかもしれないわね。しかも国王は側室の一人に入れ込んで、正妃さえも冷遇しているそうだから……」
「それは、何と言っていいのか……」
人を貶めて見下していたアイシャ王女には辛い生活になってしまうだろう。それでも同情するのは違う気がした。
わたしはタルトをフォークで切り分け、口に運ぶ。さっくりとした生地が口の中でほどけてクリームと絡み合う。美味しい。
「自業自得でしょ。デゼリックとしても国益どころか国の危機を招くような娘とは、関わりを持っていられないでしょうし」
肩を竦めたカタリナ様がきっぱりと言い切って、それから悪戯に笑った。
「それに……案外、あの強気な性格で後宮を牛耳ってしまったりしてね?」
「否定できない自分に驚いています」
わたし達は顔を見合わせ、それから笑った。一応口に手は当てていたけれど、声をあげて笑うそれは淑女ではなかったかもしれない。
でも、無きにしもあらずというか……アイシャ王女なら本当にそれを成してしまいそうで。
わたしは紅茶を口にして落ち着きを取り戻そうとした。ほどよく冷めた紅茶は飲みやすく、先程よりも花の香りが強くなった気がする。
――コンコンコン
ノックが響く。「どうぞ」とカタリナ様が応えると、音も立てずに扉が開いた。そこにいたのは、お仕着せを纏ったユマだった。金髪はきっちりと纏め上げられて、両手を腹部で揃えて美しい一礼を見せる。
「失礼致します」
「エルザさんの侍女、よね? あら、わたし……あなたに似た人を昨日……あら?」
わたしの後ろに歩を進めたユマを見て、カタリナ様が眉を寄せる。訝しんでいるというよりは、記憶を探っているようだ。
「さぁ、どうでしょうか」
「エルザさん、この人って昨日いらっしゃった副官の方よね? 女性には見えなかったけれど、どちらが本当なの?」
「わたしからは何とも……」
澄まし顔でとぼけて見せるユマは、わたし達に新しい紅茶を用意してくれる。カタリナ様は追求をわたしに向けてくるけれど、ユマが何も言わない以上はわたしからも言える言葉はない。カタリナ様には申し訳ないけれど、笑ってお茶を濁した。
「もう! わたし達、お友達でしょ!」
「ええ、お友達です」
「じゃあ教えてくれてもいいでしょう。魔術で姿を変えているわけではなさそうだし、昨日と今日とどちらが本当の姿なのかしら」
わざとらしく頬を膨らませるカタリナ様が可愛らしくて、笑みが深まる。ユマも口元を綻ばせながら、わたし達に紅茶を出してくれた。果物の香りがふわりと舞う。見ればガラスポットが用意されて、そこには桃や林檎がざく切りになって沈んでいた。
ヴィルへルム様とのデート以来、わたしがよく飲んでいるフルーツティーだ。
「女にはいくつも秘密があるものなのです」
ガラスのティーポットを手ににっこりと笑うユマは、見惚れるくらいに美しかった。美しいけれど、ますますオーティスさんの事が分からなくなった気がする。
「もう、誤魔化すんだから。……あら、このお茶すごく美味しい」
「わたしの好きなお茶なんですが、カタリナ様のお口にあって良かったです」
「あとで淹れ方を私の侍女に教えてくれる? アルノルト様と一緒に飲みたいから」
「かしこまりました」
カタリナ様が気に入ってくれたのが嬉しくて、弾む心のままにわたしもお茶を頂いた。果物の甘味が紅茶に移っているようで、とても美味しい。
ユマはそのままテーブルの横に、綺麗な立ち姿で残っている。わたしとカタリナ様、交互に目をやってから穏やかな声で話し始めた。
「わたくしは旦那様の遣いで参りました。この度の事件について処遇が決まりましたので、お知らせ致します」
それを聞いたわたしは何となく居住まいを正した。ドレスの皺を伸ばし、そこで手を揃える。
「グローマンと、革命軍の幹部にあたる五名は誘拐事件の主犯として国際裁判にて裁かれますが恐らく死罪になると思われます。他の革命軍に従事した者もしかるべき処罰を受けますが、事情を鑑みてそれ相応の罰になるとおっしゃっていました」
「ラウラ王妃をエスコートしていた国務長官や、従官は革命軍が扮していたの?」
「国務長官も従官も、本物でした。そして革命軍でもあった。その二人は革命軍の幹部として今回の誘拐事件に深く関わっています」
カタリナ様の問いにユマが淀みなく答える。
「では政務の中枢にあった人物も革命軍に参加するほど、ラテイロスの現状は酷いものなの?」
わたしも問いかけていた。国務長官までが革命に荷担するなんて、到底信じられるものではなかったからだ。
「左様にございます。ヒルトブランド皇帝陛下と、リーヴェス国王陛下、アルノルト王太子殿下が昨晩に会談を行われ、ラテイロスへの介入を決断されました。具体的には現国王には退位願って、然るべき方を選定し、国を治めて頂く事になるかと思います」
ユマの言葉に、わたしとカタリナ様は小さな頷きを繰り返していた。
これでラテイロスの国民が健やかに暮らしていけるなら、きっとその方がいいのだと思う。グローマン達に対して憐憫などを感じる事はないけれど、立ち上がらざるを得ない状況まで追い込まれ、それを決断するのは勇気の要る事だっただろう。
他に方法が無かったのかとも思うのは、わたしが平和な国で暮らしているからなのかもしれない。
それよりもグローマンの氷は溶けたのだろうか。
そんな事を問おうとしたら扉が開いた。開いた先に居たのはアルノルト王太子殿下とヴィルへルム様だった。
「あら、時間のようね。エルザさん、あなたはわたしの大切なお友達。いつでも遊びにいらしてね。それから何か困った事があったら、いつでも声を掛けて」
「ありがとうございます、カタリナ様。わたしでお力になれる事があれば、何でも言って下さいね。……庇って下さって、本当に嬉しかったです」
わたし達は立ち上がり、どちらからともなく抱き合った。離れた時にはカタリナ様の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいたけれど、きっとそれはわたしもだったと思う。
かけがえのない、わたしの初めての友人。この縁をずっと大切にしたいと思いながらわたしは王城を後にした。
明日の更新が最終話となります!




