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2-31.最終通告

「わたしの夫も軍人です。戦争となれば傷を負って帰ってくるかもしれない。もしかしたら死んでしまうかもしれない。戦争とはそれだけ恐ろしいものなのですよ。あなたの不用意な発言で、あなたの国の兵士や国民がそんな思いをするかもしれないのです」


 アイシャ王女殿下はわたしの言葉を鼻で笑い飛ばした。胸の前で両腕を組み、嘲るような視線を向けている。爪に飾られた宝石が光を受けて煌めいた。


「あなたは元帥様が傍にいるから強気にいられるだけよ。あなたなんて何も持っていないじゃない」


 お茶会の時のような事を、まだ言うのか。

 周囲の機嫌が悪くなって、その表情も鋭くなっていく事にアイシャ王女は気付いていないらしい。背後のカーシャ王太子(兄上様)は浮かぶ汗を何度もハンカチで拭っているが、妹君を止める様子はない。


「では、アイシャ王女殿下から王族の立場が無くなったら、一体何が残るのでしょうか」

「……は?」

「同じことです。わたしから元帥の妻という肩書きを取ると何も残らないと言うのなら、殿下から王女という肩書きを取ると何が残るのでしょう」


 怪訝そうにこちらを見るアイシャ王女を、わたしも真っ直ぐに見つめた。


「美貌の人でしょうか。でも、美しいだけの人など数多にいらっしゃいます」


 王女の顔が険しくなっていくけれど、わたしは素知らぬ顔で言葉を続けた。微笑みながら首に角度を持たせて。苛立たせると分かっていたけれど、正直、わたしだって苛ついている。


「あなたは人を貶めるばかりで、何もかもを人のせいになさる。そんなあなたが王女でなくなった時には、どれだけの人がついてくるのでしょうね」

「……っ、この……疫病神のくせに!」


 悲鳴にも似た叫びをあげて、アイシャ王女がわたしに掴みかかってきた。背後でヴィルへルム様が動くのを感じたけれど、わたしは彼女の腕を掴んでいた。そのまま捻って両手で地面に投げ飛ばす。

 わたしの侍女であるアリスに教えてもらっていた護身術だ。加減をしたつもりだけど、実践するのは初めてだったから、アイシャ王女殿下の背中を思いきり叩きつけてしまったらしい。

 わたしの背後で笑い声を噛み殺した人達がいる。ヴィルへルム様とオーティスさんだ。わたしは肩越しに振り返って、それを目で制した。


「ア、アイシャ……大丈夫か?」


 カーシャ王太子殿下はおろおろと狼狽えるばかりで、妹君に手をあげたわたしを咎める事も忘れているらしい。


「あなたはもう少し、ご自身の発言がどれだけ影響を及ぼすのか考えた方が宜しいですね。そのままでいれば、ラテイロスの二の舞になりますよ」


 手首に鈍い痛みが走った。

 投げ飛ばした時に痛めてしまったらしい。わたしはその手首をそっと押さえながら、アイシャ王女から距離を取った。

 王女は恨めしそうにわたしを睨み付け、カーシャ王太子の手を借りて立ち上がる。


「無礼者が! たかが元帥の妻ってだけで、偉そうに! その首を切り落としてやるわ!」

「そういうところだと申し上げているのですが……。それにわたしは元帥の妻だからこそ、その立場に恥じ入らないよう精進して参ろうと思っております」

「うるさいうるさいうるさい! あんたのせいで巻き込まれて!」

「巻き込んだ形にはなってしまうのかもしれませんが、助けとなる精霊を呼んだのもわたしですよ」

「うるさい! 偉そうにしないで!」


 幼いこどものように癇癪を起こしているアイシャ王女の姿に、わたしも呆れてしまった。周囲からの冷たい視線にも、彼女は気付かない。



 わたしが溜息をついた時、ヴィルへルム様がわたしの隣に来て肩を抱いてくれた。触れる場所から伝わるのは、わたしよりも高い温度。それがどれだけかけがえのないものなのか、実感するばかり。


「カーシャ王太子殿下、王女殿下に責任を果たさせろ。そうでなければヒルトブランドはデゼリックとの国交を断絶する用意もある」


 ヴィルへルム様の声は冷ややかなものだった。紡がれた最終通告にデゼリックの王族二人は固まった。ヴィルヘルム様の声に宿る本気を理解したのだろう。

 そこでようやく、アイシャ王女が周囲を見回した。囲んでいるわたし達やカタリナ様達から向けられる視線の意味に気付いたようだった。


「それは……待ってくれ、ヴィルへルム殿」


 先程までよりもカーシャ王太子の顔色が悪い。思案するように片手を額に当てて天を仰いでいる。


「王女殿下はヒルトブランドにおける空軍の重要性と、その空軍を統べる元帥が寵愛する妻という意味を分かっていないらしい。そしてその妻が此度の救出にどれだけ尽力したかという事も」

「なによ、それ……ただの妻じゃない」

「ただの妻が、空軍元帥である俺を支えられると思うか? 貴殿では到底無理な話で、理解が出来ないかもしれませんが」


 ヴィルへルム様の言葉も、いささか乱暴になってきている。それでもその威圧感に、咎める事など誰も出来ないでいた。


「本国と通信する手段くらい持っているだろう? 今晩中に処分を決定しろ。そうしなければ国交は断絶し、この俺が直々に抗議に向かう」


 ヴィルへルム様はそう言い切ると、顎で主艦を示した。圧倒的な存在感を放つ黒艦がそこにはある。


「リーヴェスとしても、今後のデゼリックとの国交は考えた方がいいと、陛下に進言した方が良さそうだな。私の妻も抗議だなんだと侮辱されている」


 アルノルト王太子殿下の声も、酷く冷ややかだ。その瞳には強い嫌悪感が表れている。


「わ、わかった。すぐにでも父と話し合う」

「お兄様!?」

「お前はそれだけの事をしたんだ、アイシャ。……ミロレオナード夫人、妹が大変失礼な事をして申し訳ない。それからカタリナ妃殿下、あなたにも謝罪を。申し訳なかった。……すまないが先に失礼させて頂く」

「待ってお兄様! どうしてわたくしが!」


 未だ納得のいっていないアイシャ王女の腕を取り、カーシャ王太子は足早に去っていく。早口に半ば引きずるようなその退場の仕方に思わず苦笑いが漏れた。


「……きっとだめね、あの方はずっと変わらないと思うわ」


 カタリナ様の溜息混じりの声に、わたしは頷いていた。

 自分の事を省みる事の出来ないあの人が、これからどうなってしまうのかわたしには分からない。


「それにしてもエルザさん。あの方を投げ飛ばした技、お見事だったわ」

「ありがとうございます」

「もう胸がすっとしてしまって。いけないと思ったのだけど、笑うのを堪えるのが大変だったの。でも別に堪える事もなかったのよね、思いきり笑い飛ばしてやればよかった」


 そう言うとカタリナ様は悪戯に片目を閉じて見せた。隣ではアルノルト王太子殿下が苦笑いをしている。

 わたしとカタリナ様は顔を見合わせて、笑ってしまった。


 見上げればすっかり黒雲も晴れている。強い光を放つ春月が空を支配していた。



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