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2-28.神か魔物か

『魂を滅ぼす禁術か、無茶な事を』

『精霊王様! ほんとに死んじゃうの! 早くなの!』

『分かっておる。そう急かすな』


 六枚羽の精霊に促された精霊王様は、わたしたちに手を翳す。降り注ぐのは、暖かくて心地のよい虹色の光。その光粒はわたし達の体に触れると泡のようにパチンと弾けて沈んでいく。それをぼんやりと目で追いかけていると、体に力が戻ってくるのが分かった。

 霞んでいた視界もはっきり見えるようになっている。わたしを抱くヴィルヘルム様の温もりが感じられるようになっていく。


 ヴィルヘルム様を見ると、穏やかで優しいいつもの笑みで、わたしを見つめてくれていた。顔色も戻っていて、いつもと変わりない。きっとわたしもそうなのだろう。ヴィルヘルム様が安心したように息をついた。


「感謝する、精霊王」

『礼ならその精霊の子に言うと良い。我はただ呼ばれただけよ』

「それでもだ」


 ヴィルヘルム様は精霊に目を向けると、手を伸ばして緑の髪をそっと撫でた。


「ありがとう」

「わたしからもお礼を。本当にありがとう」

『どういたしましてなの!』


 得意気に胸を張るその様子が可愛らしくて、笑みが零れた。


『ヴィルヘルム、その愛し子が魔力を貸さねば、全能者を滅ぼす前にお前の命は尽きていた』

「……分かっている」

『愛し子が手を貸しても、結局は二人で死ぬところだったがな。……魂を滅ぼすというのは、それだけの代償があるという事を、努々忘れぬようにな』


 胸の前で両腕を組む精霊王様の顔はとても険しい。

 そうだ、命を奪うのと魂を滅ぼすのとでは意味合いが大きく異なる。滅ぼされた魂はもう存在せず、もちろん生まれ変わる事もない。その全てが消えてしまうのだ。


 そういえば、ヴィルヘルム様は術士様に術をかける前に、白蛇も滅している。それで余計に魔力を失ったのだろうけれど……あの白蛇は堕ち神だと言っていた。ヴィルヘルム様は神ではなく魔物だと言ったけれど、どうなるのだろうか。

 神殺しは大罪だと、それはわたしにも分かっている。


「エルザ、何も心配はいらない」


 相変わらずわたしの心を読むのが上手なヴィルヘルム様は、わたしの頭をぽんぽんと撫でて宥めてくれる。


「精霊王。欲にまみれて闇に堕ちた神は、もう魔物という括りで構わないな?」

『お前は……』


 呆れたように精霊王様が溜息をつく。わたしはどうにも落ち着かずに、ヴィルヘルム様と精霊王様を交互に見る事を繰り返していた。

 ここで精霊王様が否と言ったらどうなるのだろう。大罪を犯した咎を背負うなら、わたしも一緒に。ヴィルヘルム様がそんな咎を負うことになるのなら、元はといえばわたしが原因なのだから。


「すごい顔をしているぞ」


 そんな事を考えていたら、ヴィルヘルム様がわたしの鼻を指で摘まんで笑いだした。すぐに解放されるけれど、わたしの不安は晴れないままだ。


「そうだろう、精霊王。人を導き、人を救う事を放棄して神の座を追われたものは、魔物以外になんと呼ぶ?」

『……そうだな、お前の言う通りであろう。ここには神などいなかった。居たのは一匹の魔物だけだ』


 大袈裟にまた溜息をついた精霊王様が、苦笑しながら頷いた。その言葉に安心したわたしは力が抜けてしまう。どうやら知らぬ間に体が強張っていたらしい。


「心配いらないと言っただろう」

「もう、ヴィルヘルム様は無茶をしすぎなんです」

「お前に言われたくはないが」

「わたしはいいんです」


 可笑しそうに笑うヴィルヘルム様が立ち上がる。手を借りてわたしも立ち上がった。瓦礫の向こうに見える空はすっかりと夕間暮れの色に染まってきていた。


『ではさらばだ、愛し子らよ。今後はこのような無茶をしないようにな』

「ああ」

「ありがとうございます、精霊王様」


 ヴィルヘルム様は手を挙げて応えるけれど、わたしにはそれは難しい。膝を折ってカーテシーで見送らせて頂いた。

 虹色の光が収束する。その光が視界いっぱいに溢れたと思うと、次の瞬間にはぱっと消えて精霊王様の姿はなくなってしまった。



「あなたはどうする?」


 わたしはぱたぱたと六枚羽を震わせる精霊に問うてみた。この精霊も帰ってしまうのだろうか。


『エルザについていくの。エルザの側は気持ちがいいの』

「ありがとう。ではこれからどうぞよろしくね。ええと……あなたのお名前は?」

『イリアンソス。アンって呼ぶの』

「よろしくね、アン」

イリアンソス(向日葵)か。お前は向日葵の精霊だったんだな」

『そうなの。お庭に向日葵をいっぱい咲かせるの』


 アンはまさに向日葵のように明るく笑って見せた。つられるようにこちらまで笑ってしまうほど、朗らかな笑顔だった。



「ヴィル!」


 響いたのは焦りを含んだ声だった。

 足音にそちらを見ると、顔色を悪くしたジギワルドさんと部下の方々が駆け寄ってくるのが見えた。


「ジギワルド、制圧できたか」

「それは問題ねぇ……っていうか、死にかけてんじゃねぇよ!」

「生きている」

「どうやって生き延びたかわかんねぇけど、お前瀕死だったじゃねぇか! そこの嫁もだ! 勝手に死にかけてんじゃねぇよ!」


 ジギワルドさんはきっと、ヴィルヘルム様の魔力が消えていくのを感じ取っていたのだろう。それがどんなに恐ろしい事なのか、わたしには分かるような気がする。

 ヴィルヘルム様の肩に拳をぶつけたジギワルドさんは、その拳に額をあてて俯いた。高く結った長い髪が顔にかかってその表情は窺えない。


「……すまなかった。心配をかけたな」

「心配じゃねぇ、腹立ててんだよ」


 そう言いながらも、心配していたというのは誰の目にも明らかだ。ジギワルドさんと一緒に駆けつけた方々の中には泣いている人もいる。

 ああ、生きていて本当に良かった。一緒に死を迎えようとしたけれど、やはりヴィルヘルム様を喪うわけにはいかなかったのだ。


「……で? 決着はついたんだろうな?」

「ああ、アルマハトの魂を滅ぼした。奴はもう存在しない」

「くくっ、やってくれるぜ。さすが我らの元帥様だ」


 ジギワルドさんは俯いたまま、目元を手荒に拭ったようだった。顔を上げた時には目尻が僅かに赤くなっているだけ。


「無事で良かったな」


 わたしに向けられる笑みも優しい。わたしは応えるように笑みを浮かべて大きく頷いた。


「戻るとしよう。リーヴェスに王太子夫妻を送り届けねばならん。ジギワルド、お前はそこで凍っているグローマンを連れてこい。革命軍は全て捕らえてあるな?」

「ああ、もちろん。……運ぶ時に手足が取れても構わないだろ? こんなの無事に運べってのが無理だぜ」

「生きていればいい。それから陛下に連絡をしてくれるか」

「はいよ。革命軍のあらましか?」

「いや。デゼリック(砂漠の国)の王女が俺の妻を侮辱し、俺は大変遺憾に思っていると。それから嫁候補はいなかったから自分で探せと伝えておけ」

「はいはい」


 その言葉に驚いてヴィルヘルム様を見れば、怒りを思い出したのか瞳孔が開いている。ジギワルドさんは簡単に頷いているけれど、わたしは寒さに腕を擦った。わたしの肩で休んでいるアンも震えて、向日葵のような黄色の瞳を潤ませながら『ヴィルヘルム、怖いの』と呟いている。全面的に同意する。


「ヴィルヘルム様、陛下のお耳に入れる事ではないかと……」

「何故だ? デゼリック王女の愚かな振る舞いのつけはどこかで払ってもらわなければならないだろう。俺がこのまま直接行ってもいいんだが……ジギワルド、それも合わせて陛下に伺ってくれ」

「はいよ」

「ジギワルドさんも断ってください!」

「上官命令なもんでね。さーてお前ら、適当にこいつを運んでくれや」

「はっ!」


 わたしの抗議もどこ吹く風だ。

 元気よく返事をした方々は数人がかりでグローマンを抱えている。瓦礫の狭間から外に出る刹那、早速ぶつけて右腕が取れていたようだけど……見ない振りをした、わたしも。


「行こうか、エルザ」

「……はい」


 わたしの腰を抱くヴィルヘルム様に促され、わたしは足を進める。途中背後を振り返っても、もちろん術士様のいた痕跡はひとつも残っていなかった。

 哀しいわけでも寂しいわけでもない。ただ、さよならと小さく告げた。


 視線を感じてヴィルヘルム様を見上げると、気遣うような表情をしていた。わたしは大丈夫だと笑って見せる。

 ヴィルヘルム様の灰色の髪が、夕焼けに染まって輝いていた。初めて会った時と同じように。


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