2-27.命
術士様の体を貫いた孔雀は、口に何かをくわえている。
霞む視界の中でそれに目を凝らすと、鶯色をした丸い宝石だった。
「……アルマハトの核だ。あれが、奴の力の源。魂の……結晶」
「魂の結晶……ごほっ……!」
魔力を使いすぎて、視界が揺らぐ。既に生命力も使っていたのだろうか。込み上げる嘔吐感に咳をすると、血の塊が手を赤く濡らした。
「エルザ……無理をさせたな、すまない」
ヴィルヘルム様の声にも力がなく、掠れている。わたしは首を振って笑って見せた。
「わたしがしたい事をしただけです。それに、まだ……終わっていないのでしょう?」
「……ああ」
倒れ伏している術士様は、どこかぼんやりとした表情でわたしを見つめていた。鶯色の眼差しに敵意も悪意もなく、ただ――熱を帯びている。
ああ、この人は……本当にわたしを想っていたのか。
その想いが、衝動が、歪んでいたとはいえ……わたしへの想いは本物だったのかもしれない。
なんて哀しい人なんだろう。
「……満足、かい? ルクレツィア……」
術士様が口を開く度に、鮮血が口から溢れ出る。肺も破れているのか、独特の空気音が言葉に混ざった。
「どうでしょうか……。あなたの事は、許せません。わたしにした仕打ちも、それ以外の悪事も……わたしには許容出来ない事です。ただ、哀しい人だとは思います」
「くく、哀しい、か……。そうかもしれないね」
術士様の瞳から光が失われていく。
その瞳はもう何を見つめているのか、何も見つめていないのか、分からなかった。
「……君の勝ちだよ、ミロレオナード元帥閣下。まさかあんな禁術まで、用意しているとはね。君も瀕死だろうけど……それでもやっぱり、僕が消えるのが先だろう……。元帥閣下、君の死ぬところが、見られないのは残念だよ……」
「……最期まで減らず口だな」
術士様は可笑しそうに低く笑って、ゆっくり目を閉じていく。体に宿る命が終わりを迎え、そして――
ヴィルヘルム様が孔雀に魔力を-生命力-を流すのに合わせて、わたしも同じように流した。自分の体が冷たくなっていくのが分かる。これが、命が失われていく感覚なのか。
孔雀が、口にくわえていた結晶を噛み砕く。
澄んだ高い音がしたかと思うと、結晶が黒い靄となって消えていく。それに倣うように術士様の体も泥のように澱んで、消えていった。後には何も残らなかった。
ヴィルヘルム様とわたしの魔力が途切れ、美しい孔雀もその存在を維持できずに消えてしまった。もう体の感覚も無くなって、自分の呼吸音だけが随分と大きく響いている。
「……エルザ」
「……はい、なんでしょう」
ヴィルヘルム様がわたしを両手でしっかりと抱き寄せてくれた。いつもは温もりの伝わる距離なのに、今は何も伝わらない。それがひどく寂しかった。
「愛している」
「わたしもですよ。愛しています、ヴィルヘルム様」
もう暗く霞む視界には、ヴィルヘルム様の顔もはっきりと映らない。それでもきっと笑っているんだろうなと思った。わたしがそうしているように。
体に残る魔力や生命力を掌にかき集める。
これを渡したら、ヴィルヘルム様は生き永らえる事が出来るだろうか。一緒に逝かせない事を怒るだろうか。
死ぬ時も、その先の世界も、生まれ変わった先でも一緒に居たいと。そう告げたわたしの言葉を覆す事になるけれど……それでもやっぱり、この人に生きていて欲しいと思った。
この人は、ヒルトブランドにも必要な人。わたしが連れていってはいけない人。
でもどうか、わたし以外を愛さないでほしい。
わたしだけを生涯想い続けてほしい。
それが不幸だとしても、わたしの存在した事が、この生命を受け渡す事がヴィルヘルム様の枷になるとしても、そう願ってしまう。
でも同じくらいに、わたしを忘れてほしいとも思う。
わたしを忘れて幸せになってほしい。ああ、なんて醜い矛盾だろう。
わたしはヴィルヘルム様の胸元に手を当てた。
ヴィルヘルム様もその手に自分の手を重ねてくれて、わたし達は指を絡めて手を繋いだ。
生命力を流す。
さよならを、心で告げて。
バチッ――
流したはずの生命力が反発して、触れ合う手の間で雷が迸ったようだった。これはまさか、もしかして……。
「エルザ、お前……」
「……怒ってはだめですよ。ヴィルヘルム様もでしょう?」
そう、この愛しい人もわたしに生命力を受け渡そうとしたのだ。
二人で共に逝く事を了承しておいて、この人もわたしを生かそうとしていたのだ。お互いが生命力を流し込もうとして、見事に反発したということか。
わたし達は一緒になって笑ってしまった。
「生きていてほしいと思ったんだが……一緒に逝った方が良さそうだ」
「……もうだめですよ。わたしもしませんから、ヴィルヘルム様も、どうか一緒に」
「ああ」
ヴィルヘルム様がまたわたしを両腕で抱き締め直してくれる。
わたしはその体に身を預けるばかり。胸元に頬を擦り寄せると、ヴィルヘルム様が笑うのが伝わってくる。ふわりと薫る香水はアンバーだ。わたしの大好きな匂い。
体の感覚が無くなって、どこまでがわたしで、どこからがヴィルヘルム様なのか。その境界線も曖昧だ。
瞼が重い。もう抗えずにゆっくりと目を閉じる。
こうして命は終わっていくのか。
でも恐怖はなかった。ヴィルヘルム様と一緒だから。
『命の灯火が消えかけておるな』
『エルザ! ヴィルヘルム! 起きるの! 精霊王様連れてきたの!』
遠くで鈴の鳴るような声が聞こえる。
それに促されてゆっくりと目を開ける。ぼんやりとした視線に映ったのは、六枚羽をはばたかせ、わたしの頬を叩いてくる精霊だった。その背後には虹色にたなびく髪を持つ――精霊王様が、どこか呆れた様子で笑っていた。




