7.癒やしの光
「その下にも傷があるだろう」
シュミーズから見える手足はすっかり綺麗になっていた。傷のない肌を見るのは久し振りで、思わずその滑らかな腕に指を滑らせてしまう。十本の指も難なく動く。それが嬉しくて、掛けられた声の意味に気付くのに遅れてしまった。
「……おっしゃる通り、ですが……閣下のご気分が悪くなるだけですので……。ここまでして頂いただけで充分です。暫くすれば治るものばかりですので……」
見えないところを痛めつけるのは、義母達の好むところだった。背中にはいまも炎撃を当てられた火傷の痕や、毎日打たれた鞭傷もある。お腹の切り傷は自然治癒に任せたから肉が盛り上がって固まっているし、殴られた痕は治り掛けて青と黄色の混ざった醜い色になっていた。
そんなのを見せたら、流石に元帥閣下も気分を悪くしてしまうだろう。親切にしてくれているのに、不快な気分にさせてしまうのは避けたい。
そんな事を思っていたのに、元帥閣下は首を小さく横に振るばかり。どこか冷酷な光を持つ眼差しに息が詰まる。
「脱げ」
短い言葉だけれど有無を言わせない響きがある。
わたしは立ち上がってシュミーズを落とすも、さすがに閣下を見る事も出来ずに足元に視線を縫い付けていた。
「……これは……」
わたしの腹部にある古傷に指先が触れる。すでに痛みはないけれど、ひきつれたその場所に閣下の美しい指先は酷く不似合いだった。
閣下は舌打ちをするとまた、両の手に淡い緑の光を集めだす。それをわたしの胸元から腹部、太腿へと順番に滑らせていく。腹部の切り傷の辺りは少し時間がかかったけれど、わたしの体は傷のない綺麗な肌になっていった。
「すごい……ありがとうございます」
「まだだ。次は背中を……」
元帥閣下の声は堅い。
言われるままに背を向けると、背後の閣下が息を呑む音が聞こえた。
なんとなくシュミーズを引き寄せて胸に当てる。
背中の火傷痕や鞭傷はきっと酷く醜いのだろう。
背中から腰に温もりを感じる。見えないけれど、きっとあの優しい緑光があてられているのだと思った。
「この傷は……何されたんだ」
「鞭と、炎撃を当てられた痕です」
「……っ、鞭はよく振るわれたのか」
「わたしが至らないものですから、仕方ありません」
「炎撃は……」
「ロベアダ様のお姿を映すお鏡に、曇りが残っていた時の仕置きだったと思います」
「義母があてたのか」
「いえ、ロベアダ様の懇意にされている術士様です」
「男妾か」
「…………」
是だけれども、言いにくい。お屋敷の中で、愛妾だというのは皆が認識している事実だったけれどそれを口にすることは誰も出来なかったからだ。
閣下はわたしの無言を肯定と捉えたようで小さく溜息をつくと、不意にわたしを抱き上げた。シュミーズを胸に押し当て体を隠しつつ、目の前にある閣下を見るとその表情には怒りが浮かんでいた。
孔雀緑の美しいその瞳にも怒りが燃え、瞳孔が縦に割れている。そんな瞳を他の誰にも見たことはないけれど、怖くは無かった。
「お前は……こんな酷い目にあっても、自分が至らないせいだと思うのか」
「……元帥閣下、わたしはそうして、この六年間を過ごしてきたのです」
「憎くはないのか。お前から屋敷も真名も尊厳も全てを奪って、体だけではなく心も痛めつけて服従させる。そんな女が憎くないのか」
「わたしは憎みません。心が堕ちれば、わたしはわたしで無くなってしまいます。どれだけ辛い目に遭ったとしても、憎んではわたしが苦しくなってしまう」
「……そう、か」
ふ、と瞳で揺らめいていた怒りが消えた。
それでも閣下は離してくれる様子が無い。
「傷は全部消えたぞ。痛みは残っていないか?」
「はい、ありがとうございます。こんなに綺麗な肌になったのは六年ぶりです」
傷が消えたのは本当に嬉しい。治った古傷もひきつれて痛かったし、寒い夜には特に痛みが激しくなったからだ。一応わたしも女の端くれだし、肌は綺麗なほうが嬉しいのも事実。いくら痩せぎすで色気の欠片も無かったとしても。
「六年……長かったな」
「今朝までは、ずっとそれが続くと思っていました」
本当だ。今朝、こんな転移をさせられるまでは下働きの日々が続くと思っていたし、転移した先がヒルトブランドでなければ保護して傷を癒して貰うこともなかった。
感謝が胸に込みあがってくるけれど、どうしてわたしは寝台に寝かされているのだろうか。
「……元帥閣下?」
「痛いことはしない」
そういう意味ではないんだけれど。
わたしは栄養失調寸前の痩せすぎで、胸も薄くてお尻だって骨ばっている。色気なんて欠片どころか砂粒ほどもない。
そんなわたしをこの人は抱こうというのか。
「エルザ」
わたしの名前を呼ぶ声はひどく甘い。
その瞳には熱が篭って孔雀緑が色濃くなっている。
ずるい。
そんな瞳で見詰められたら、そんな声音で呼ばれたら、そんなに優しく触れられたら。拒めるわけがないじゃない。
元帥閣下がわたしの首筋に唇を寄せる。聞いたことのない自分の声に戸惑いながら、わたしは身を委ねるしかなかった。