2-25.《ルクレツィア》
『咎追』
ヴィルヘルム様の紡ぐ、ただひとつの言葉。
それに応じて、孔雀緑の魔法陣から魔力が風となって溢れ出す。先程、白蛇に向けられたもの以上に強い魔力。
烈風が孔雀の形を成すのが分かった。大きく翼を広げた孔雀が震えて伸びをしたかと思うと、風に乗って術士様に襲いかかる。
『黒翼殻盾』
術士様の背に巨大で、複雑な魔法陣が現れる。
ヴィルヘルム様の孔雀が攻撃をやめて、天井付近をゆっくり旋回しはじめた。
古代文字で作られた術士様の魔法陣はゆっくりと回転し、詠唱に応えて術士様の前に黒い翼が浮かび上がった。翼を開いた先にいたのは――わたし?
「……わたし?」
そう、黒い翼を背負い、ふんわりとしたドレスを纏ったわたしの姿だった。
「趣味が悪いな。恋い焦がれすぎてエルザを具現させたか」
「攻撃できるかい?」
「躊躇う理由がない。本物はここにいるのだからな」
黒翼を羽ばたかせるわたしはにっこりとヴィルヘルム様に微笑みかけている。術士様の魔力を介して具現しているからか、全体的に薄黒い色彩をしていた。
「あれは一体……」
「あれはアルマハトの想いが作り上げた、ルクレツィアだ」
「わたし……?」
「お前の形をしているが、お前ではない。本来は死者の魂を呼び戻す禁術だが、もちろんお前の魂が入っているわけではなく……あれは、誰かの亡骸にアルマハトの魔力を込めた事で、アルマハトの願う姿で思うままに動くようになった、ただの屍だ」
「……亡骸に。なんてことを……」
《ルクレツィア》の色彩が薄暗い事を除けば、見事なまでにわたしと瓜二つだった。それが亡骸を使って作られたものだなんて、なんて悲しい事をするんだろう。
「エルザ、目を閉じていろ」
「大丈夫です。あれはわたしではないのですから」
ヴィルヘルム様の気遣いに、何でもないと笑って見せる。
きっとあの《ルクレツィア》が攻撃を受けるところを、見せたくないと慮ってくれたのだろう。
「そうか。では、終わらせようか」
ヴィルヘルム様も笑ってくれる。
でもその顔色が、段々と悪くなっている事に気付いてしまった。
「心配するな。なにも問題はない」
こんな時でもヴィルヘルム様は、わたしの心を読むのが上手だ。そう言われるとわたしは何も言えなくなってしまう。
「行け」
ヴィルヘルム様が杖の先を、《ルクレツィア》とその向こうにいる術士様に向ける。高く鳴いた美しい孔雀は、黒翼を背負った《ルクレツィア》に向かって飛んでいった。
【ヴィルヘルム様はわたしを殺すのですか】
《ルクレツィア》から紡がれる不明瞭な声。はっきりとは聞こえないけれど、それはやっぱり、わたしの声によく似ていた。
《ルクレツィア》が哀しげに表情を曇らせる。まるで鏡を見ているかのようだった。存在しないはずの、自分と瓜二つのひとが目の前にいる、何とも言えない薄気味の悪さに背筋が震えた。
「お前はエルザじゃない」
ヴィルヘルム様の声に、迷いはなかった。
その声に後押しされるように、孔雀の嘴が《ルクレツィア》の胸に突き刺さる。その瞬間、黒翼を大きく羽ばたかせた《ルクレツィア》が放つ、術士様の魔力に孔雀は飛ばされてしまう。すぐに体勢を整えた孔雀が威嚇するよう高く鳴いた。
「……ヴィルヘルム様、あの《ルクレツィア》はわたしにお任せください」
「エルザ?」
「ヴィルヘルム様の魔力は、術士様と対峙する為のもの。あの亡骸に使ってしまっては、本当に危険な状態になってしまいますもの」
「だが……」
「あなたの妻を信じてくださいな」
わたしヴィルヘルム様の前に、一歩進み出た。《ルクレツィア》と向かい合い、白銀の杖を構える。
不敵に唇を歪めて笑った《ルクレツィア》の胸には、先程孔雀に開けられた穴があるけれど、そこから血が流れる事もなかった。
《ルクレツィア》の全身から、黒い靄が立ち上る――術士様の魔力だ。きっと彼女を具現させるにも、相当な魔力を消費するのだろう。
「あなたを、安寧の眠りへ返してあげます」
【あなたを殺せば、わたしが本物になれる?】
「なれません。わたし以外、誰もわたしで在る事はできない。あなたも本来のあなたに戻って、眠りましょう」
【ルクレツィアになるの、わたし。わたしがわたしになればあの方もわたしを愛してくれる。みんなみんなわたしの事を愛してくれる】
水中で話しているようなくぐもった声。成立しない会話に溜息を漏らすと、黒翼を使ってふわりと《ルクレツィア》が浮かび上がる。そして――彼女の周りに無数の黒刃が現れた。
【あなたなんて死んじゃえばいい】
笑みを浮かべて紡がれる、死を願う言葉。でもそれは、わたしの心を傷付ける事はない。ただ、哀しい。
わたしは杖に魔力を流し、防御の結界を発動させる。光の盾に突き刺さる黒刃は、数はあるけれど先程術士様の攻撃を受けた時ほどの重みはない。
光の盾に魔力を更に流し、強度を高める。そして、それを黒刃ごと彼女に向かって放った。正面から光の盾を受けた《ルクレツィア》は衝撃に小さな悲鳴をあげて、その場に膝をつく。表情が嫌悪と怨念に歪んでいった。
次いでわたしが杖から光を生み出すと、光は大きな矢の形に変化していく。振り下ろした杖に応えて、その矢は《ルクレツィア》に向かって真っ直ぐに突き進んだ。風を切る音が聞こえるほど、力強く。
視界の端で、ヴィルヘルム様の孔雀が術士様に飛びかかり、黒い結界に阻まれるのが見えた。厚みのあるその結界を、孔雀は嘴でこじ開けようとしている。
時間がない。
大切な人を失わない為に、いまわたしが出来る全てをやらなければならない。そう、心に誓った。




