2-23.結界と口付けと
「諦めたらどうだい。僕を殺す事は出来ないと分かっているだろう? もう魔封じだって出来ない」
「諦める? ふざけた事を。俺がお前を滅ぼす為に、何もしていないとでも思ったか」
挑発するような術士様の声に、ヴィルヘルム様が不敵に応える。わたしを抱く腕もそのままに、逆手でしっかりと白銀の杖を構えている。わたしも両手に杖を握りしめ、その先端を術士様に向けた。
大丈夫、わたしだって……あれから今まで、何もしてこなかったわけではないのだ。
術士様が黒杖を軽く振ると、その目前にゆらりと炎が現れた。人の体躯ほどもあるその炎は、まるで意思を持つかのようにわたし達に飛びかかってきた。
わたしは杖を両手で振る。その瞬間、わたしとヴィルヘルム様の前には光が結界となって立ち塞がった。結界に弾かれて炎は霧散する。
わたしは安堵に深く息をついた。気付けば手が震えている。
「よくやったな、エルザ。何ものをも防ぐ、いい結界だ」
「ありがとうございます」
ヴィルヘルム様が褒めてくれる。
そう、わたしは防御の魔法をずっと練習してきたのだ。わたしが自分を、周りの人を守れたら、傍にいるヴィルヘルム様は攻めることに集中が出来るから。わたしは、わたしの出来る事をする。それがヴィルヘルム様の為になると信じて。
【美味そうな魂だな、あの女。お前たちが取り合うのも頷けるぜ】
「だめだよ、あの子は君にも渡せない」
【分かってるっての。でも魔力を喰うくらいは、構わないだろ?】
「少しだけにしておいてよ」
白蛇が舌なめずりをする。その刹那、飛びかかってきた蛇はわたしの結界に阻まれる――けれど、そのままわたしの結界に噛みついた。
「エルザ、結界を解け」
白蛇はバリバリと高い音を響かせて、わたしの作った結界を飲み込んでしまう。ヴィルヘルム様に言われても、わたしは結界を解けないでいた。解いたらあの白蛇が襲いかかってくる気がして、恐ろしかったのだ。わたしは杖に魔力を流して結界を強固にしようとするけれど、白蛇はものともしない。
太い尾で一撃されたわたしの結界は、まるで硝子のように崩れてしまった。
ヴィルヘルム様が杖を一振りすると、先端から雷撃が放たれる。それを俊敏に避けた白蛇は術士様の側でとぐろを巻き、鎌首をもたげた。
ぐらりと眩暈がする。傍らのヴィルヘルム様にもたれ掛かると、額に温もりを感じた。見れば穏やかな緑の光がわたしにあてられている。
「魔力を一気に喰われたな。大丈夫か?」
「……すみません、ヴィルヘルム様が結界を解くよう言ってくださったのに」
「謝ることじゃない。いいか、無理はするなよ。お前は一人で戦うわけじゃない」
「はい。……ヴィルヘルム様と肩を並べられるのが嬉しくて、少し浮かれていたのかもしれません」
額に触れてくれる指先から、ヴィルヘルム様の魔力が流れ込んでくる。それが気持ちよくて、つい本音を口にしてしまう。
そう、わたしはこんな状態だけれど、浮かれていたのだと思う。いつも守られてばかり、背に隠されてばかりのわたしだけど、ヴィルヘルム様の隣に居られるのが嬉しくて。
眉を下げて笑うと、不意に温もりが離れた。
回復も終わったと思った瞬間、美貌が目の前に近付いて――唇が重なっていた。二人の時に交わされるような、深いもの。体の全て、もっと深いところまで奪われるような口付けに、わたしはヴィルヘルム様に縋りつくしか出来ない。
軍服の布地を指に握ると、胸元の勲章にぶつかった。
こんな時だというのに、水音以外なにも聞こえなくなっていく。ぼうっと熱に浮かされる感覚に身を委ねたくなる。
――ドォン……!
衝撃音に我に返る。
ゆっくりと離れたヴィルヘルム様は、唇の端を指先で拭って低く笑った。
「こんな時だというのに、いけない妻だな」
「な、っ……ヴィルヘルム様が……!」
「煽るお前が悪い」
口付けで魔力を渡されたお陰ですっかり回復しているけれど、我に返ると羞恥心に泣きたくなる。
――ドン! ドン!
再度連続して聞こえる衝撃音。
慌ててそちらに視線をやれば、私達の前にはヴィルヘルム様の張った結界がある。それは術士様の放つ黒い炎から守ってくれていた。
最初の衝撃音もきっとそう。
「もう大丈夫そうだな。魔力が一気に欠乏すると、次には生命力を奪われる。お前の魔力量は非常に高いが、油断はするなよ」
「はい、分かりました」
わたしは両手でしっかりと白銀の杖を握り直し、術士様に向き直る。
術士様の杖は昏く揺らめく焔に包まれていた。鴬色の瞳に乗る感情は、怒り。
「……ヘスリヒ、お仕置きされる覚悟はいいかい?」
「わたしの名はヘスリヒではありません。わたしの名はルクレツィア・ミロレオナード。ヒルトブランド空軍元帥であるヴィルヘルム・ミロレオナードの妻です。……あなたを恐れるだけだった、幼い子どもではないのです」
術士様が顔を歪める。その感情に呼応したように、黒杖が纏う焔がその形を大きくしていった。
「……君が何と言おうと、教育し直さなければいけないようだね。その男を殺して、今日こそ君を僕のものにするだけだ」
「そんな事、させません」
「俺も簡単に死んでやるつもりはないな」
わたしの隣から力強い声がする。
視線を向けると、穏やかで優しい孔雀緑の瞳と視線が重なる。わたし達は笑みを交わして、二人で術士様に向かい合った。
「勇ましいのはいいけど、どうやって僕を殺すつもりなんだか」
「手はある」
揶揄うような術士様に、ヴィルヘルム様も軽い調子で応える。その言葉に術士様が眉を寄せた。
「俺が禁術を使うのは、前回で身に沁みているだろう?」
ヴィルヘルム様の足元に、孔雀緑の魔法陣が浮かび上がる。美しいその陣から巻き上がる優しい風がわたしの髪を乱していく。
呼応するようにヴィルヘルム様の杖の瑠璃石が、わたしの杖の孔雀緑の花が輝きを増していくようだった。




