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2-22.術士と白蛇

 まずカタリナ様を支えて、王太子殿下が崩れた瓦礫から外に脱出した。その次に、アイシャ王女を抱えた兄上様が。

 それからわたしとヴィルヘルム様が足を踏み出した時、ぐん、と背後に引っ張られる感覚がした。違和感に振り返った瞬間、足が宙に浮いた。そのまま一気にヴィルヘルム様と引き離されてしまう。


 一体何があったのかと混乱する中で、ぞくりと怖気が立った。わたしの腹部に腕を回し、逆手で顎を撫でてくる人、それは――術士様だった。


「離してください!」

「僕から離れてどこに行くつもりだい? 言っただろう、君は僕のものだと」

「わたしは――」

「エルザに触れるな」


 身を捩る中、間近でヴィルヘルム様の声がした。一瞬で距離を詰めてきていたヴィルヘルム様はいつのまにか抜いていた剣で、わたしを抱く術士様の腕を切り落とす。前のめりに倒れそうになるわたしの体を片手で支えたヴィルヘルム様は、剣から銃に武器を持ち変えて術士様の膝を撃ち抜いた。

 その場に崩れる術士様はゆっくりと顔を上げる。恐ろしいことに術士様は、笑っていた。


「その銃で僕の頭を、心臓を撃ち抜けばよかったのに。出来ないのは……僕が転魂するからだろう。この肉体のままで僕を殺すことが出来なければ、いつまでも僕の影に怯える事になってしまうからね。ああ、でもそれもいいかもしれない」


 しゅるり……しゅるり、と独特の音が聞こえる。

 その音の元を辿れば、術士様の影から現れた白蛇が床を這っているのが見えた。思わず後ずさるとヴィルヘルム様がしっかりと抱き留めてくれる。

 白蛇は床に落ちた術士様の血を舐めると笑うように目を細める。その顔のまま術士様の体を這い上がって、今度は切り落とされた腕から滴る鮮血を飲んでいるようだった。


「その蛇がお前の力の源だな」

「ご名答。でも君にだってこの蛇を殺す事は出来ないよ」

「そうだろうな、その蛇は堕ち神だ」


 堕ち神。

 知らないけれど不穏な言葉に、何だか恐怖が増していく。ヴィルヘルム様を窺うと、にこりとその美貌を綻ばせてくれる。それがわたしを安心させる為のものだと分かっていた。


「堕ち神とはその名の通りだ。堕落した、かつて神だったもの。神の座を追放されてもその力は健在なのだから厄介なものだな。堕ち神は人を(そそのか)し、人に寄生してその身を宿り木とする。その木が枯れれば、また次の宿り木たる人を探す」

「さすがは元帥閣下、博識だね」

「お前は余程その堕ち神と相性が良かったようだな。宿り木どころか……そうか、既に魂自体が融合し、同化しているんだな」


 にこやかだった術士様の顔から、表情が消える。初めて見たその表情は今までにない程、恐ろしかった。

 また、しゅるり……と蛇の這う音がする。蛇はその大きさを増していって術士様の肩にその鎌首を乗せた。


【面白いな、その男。魔王の器とは知ってたが……こうも簡単に本質を見抜くとはな】


 くぐもった、不明瞭な声が響く。それが白蛇のものだと、何故か理解できる。


「……無駄口はいいから早く治しなよ」

【はいはい】


 機嫌の悪そうな術士様に対して、軽い調子の白蛇の声。

 ヴィルヘルム様が構えていた銃の引き金を引いた。狙いを定めていたようには見えないのに、銃弾は真っ直ぐに白蛇に向かい、その眉間に風穴を開ける――はずだった。

 どれだけ固いのか、高い音が響いたかと思うと弾丸は白蛇の鱗に弾かれてしまう。金属製の弾丸が床に跳ねて、転がっていった。


【くくっ、本当に面白いな。この状況でよく俺を狙えるものだ】


 白蛇が楽しげに笑う。ちろりと赤い舌が揺れる。

 気が付けば術士様の切り落とされた腕は元通りになっている。床に尚も腕が転がっているということは……生えたのだろう。身震いがした。

 わたしの感情に敏いヴィルヘルム様がわたしを背に隠そうとする。有難いけれど、隣に立っていたくて、わたしはヴィルヘルム様に寄り添った。

 旦那様はわたしの意を汲み、わたしの腰に手を回して抱き直してくれる。触れる温もりに、伝わる鼓動に体が震えた。



【おい、男。お前……魂を見る眼を持つな?】


 魂を見る眼。

 一体何を言っているのかとヴィルヘルム様を窺うも、わたしの旦那様は平然としている。その表情に揺らぎの欠片も見当たらない。


【そりゃあ、俺とこいつの関係性も簡単に分かるわけだ。魂の本質を見極められるなんて……本当に人間かよ】

「……お喋りな蛇だね。そんなのはどうでもいいんだ。あの男を殺せるかい?」

【俺がこうして具現しているんだ。出来ないとでも?】

「心強い言葉だね」

【前回だって俺を喚んでいればあんな敗けを喫する事なんて無かったのにな】

「……うるさい。これが終わればその舌を切り落としてやろうか」


 術士様の機嫌は下がっていくばかり。反比例するように魔力は高まり、黒い靄が術士様と白蛇を包み込んでいる。


 戦わなければ。

 そう思った瞬間、わたしの手にはすっかり馴染むようになった白銀の杖が握られていた。飾られている孔雀緑の花が力強く煌めいている。見ればいつの間にかヴィルヘルム様の手にも白銀の杖がある。


「大丈夫だ、エルザ。お前は誰にも渡さない」


 決意の滲む、ヴィルヘルム様の声。何も畏れないその勇ましい声に、幾度も励まされてきた。

 

ヘスリヒ(醜い者)は返してもらう」

「その名でエルザを呼ぶなと、言ったはずだ」


 ヴィルヘルム様の苛立ちに応えたように、杖に飾られた瑠璃の魔石から魔力が凝縮される。それは美しい程に冴える尖った氷の塊となって、術士様に襲いかかった。

 術士様が手にしていた黒杖を振る。それだけだった。

 その動作だけで氷の塊は蒸発し、霧となって消えてしまう。


 霧の向こうで、白蛇の赤い舌が揺れているのが見えた。まるで笑っているように。

 

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