2-20.銃弾
どれほどの時間が経ったのだろう。
あの精霊は無事に、ヴィルヘルム様のところに辿り着けたのだろうか。
わたしとカタリナ様は並んで、壁に背を預けて床に座っている。冷たいしお尻も痛くなってしまうけれど、立ち続けているのも辛いから仕方がない。この後に脱出の機会が訪れるかもしれないのだから、体力は温存しておかなければならない。
離れた場所で座っているアイシャ王女にも、一緒にお話でも……と誘ってみたのだけれど、恐ろしいものを見る目でわたしを睨んだ後に腕に顔を埋めてしまった。どうやら本当に嫌われているらしい。
隣で俯くカタリナ様に視線を向ける。
先程まではガイノルドやヒルトブランドの事を話して楽しく過ごしていたのだけど……やはり不安なのか、疲れているのか、押し黙ってしまった。
かくいうわたしも、不安なのだ。
術士様から逃れられるのか。今回は逃れる事が出来たとしても、その次は? ヴィルヘルム様と精霊王様が魔封をしても、それでも破られてしまったのだ。
零れそうになる溜息を飲み込んだ。
そんな時だった。
静寂の中に響く、轟音。
わたしだけでなく、カタリナ様もアイシャ皇女も気付いたようで、皆一様にして天井を見ている。
わたしはこの音を知っている。石造りの天井に阻まれているにも関わらず、青い空を悠々と進むその姿が思い浮かぶ。
「……ヴィルヘルム様の主艦」
「え、それじゃあ……」
「はい、助けが来たのだと……」
カタリナ様の声にも喜色が広がる。わたし達は思わず手を取り合って、立ち上がっていた。
あの精霊はヴィルヘルム様の元に飛んでくれたのだ。そしてここまで彼を導いてくれた。わたしの祈りに応えてくれたあの精霊に感謝の念しか浮かばなかった。
しかしグローマン達にも軍艦が近付いている事は、分かっているだろう。恐らくもう視認出来る場所まで来ているだろうから。
「……救出の前に、グローマンはわたし達を移送しようとするかもしれません」
「そうね、人質のわたくし達がいなければ、各国が革命に協力する事はないだろうから。それどころか今回の件で、革命軍自体が危機に陥るかもしれない」
「牢が開いた時に逃げられるといいのですが。恐らくこの場所も空軍に包囲はされていると思いますが、術士様がいる以上、何が起こるか……」
主艦が堂々と姿を現す以上、革命軍が警戒するのも当然の事だろう。ヴィルヘルム様がそれを理解していないはずがない。もしかしたら、ヴィルヘルム様は……既に入り込んでいるのではないだろうか。
そんな事を考えていたら、わたしの目前にぱっと光が現れた。
手を差し出すと、周囲をふわりと飛び回ってからそこに落ち着いてくれる。六枚羽の精霊が手の平に羽を休めていた。
『ヴィルヘルム! 連れてきたの!』
「ありがとう、あなたのお陰で助かりそうよ」
『ヴィルヘルム怖かったの。すっごくすっごく怒ってたの! 寒かったの! 雷、ごろごろーって!』
その様子が容易に想像できて、こんな時だと言うのに思わず苦笑いをしてしまった。
精霊はわたしの手から腕を駆け上がり、肩に座りこんだ。不思議と重みを感じない。ただそこに居るという温もりだけがある。
精霊の温もりと救出が来たという安心感に、わたし達が少し気を緩めていたら、どこか焦りを含んだ足音が数組、近づいてくるのがわかった。
アイシャ王女が小さく悲鳴をあげて、わたし達に駆け寄ってくる。
足音の主は、グローマンと革命軍の兵士らしき男が三人。
グローマンは先程までのように、笑みを口元に貼り付けているけれど、なんとなく余裕がないように見えた。
「君のご主人はどうやってここを探り当てたんだか……。まだ人質を失うわけにはいかないんでね、私達と一緒に来てもらうよ」
相手は四人。そのうちの三人は銃を持っている。
この牢を離れたら魔法を使えるようになるだろうか。
わたしはドレスの布地をぎゅっと握りしめていた。足元をちらりと確認する。わたしのヒールは低いから走る分に問題はない。カタリナ様も大丈夫そうだけれど、アイシャ王女には靴を脱いでもらった方が良さそうだ。
心臓が早鐘を打つ。
連れ出されたら、魔法で四人の足を止める。足と銃を凍りつかせれば逃げる事も出来るだろう。ゆっくりと深呼吸を繰り返す。焦ってはいけない。
グローマンが鉄格子に手を翳す。その掌に魔力が集まっていく。
その時だった。複数人の足音が近付いてくる。
グローマンを守るよう、三人の兵士がその前に立って銃を構える。腰を低く落として現れるであろう誰かに対して照準を定めているようだ。
このままだと、この場所に辿り着いた人達は銃弾に倒れてしまう。
「……だめ、だめですっ! 銃を持った兵士がいます!」
気が付けば叫んでいた。
こちらを振り返った兵士が、わたしに向かって銃弾を放つ。凄まじい音が反響する中、わたしは背後の二人を床に押し倒していた。
「何をしている! 人質に傷をつけるつもりか!」
「し、しかし……っ!」
鉄格子の隙間を抜けた銃弾が、背後の壁に沈んでいる。それはわたしが今まで立っていた場所だった。あのままだと頭を撃ち抜かれていただろう。
心臓がばくばくと喧しい。命の危機を感じて体が震えた。
「誰だ、俺の妻に銃を向けた奴は」
緊迫する空気の中、怒気を孕んだ低い声が聞こえる。
兵士達がまた銃を構え直した。見ればグローマンも銃を手にしている。
足音が更に近付き、牢に向かって歩いてきたのは――三人。
魔導ランプに照らされた孔雀緑の瞳が、殺気を帯びて凍てつく氷の煌めきを放っていた。
恐ろしいのに、呼吸さえ忘れてしまいそうな程の美貌だった。




