2-16.不快な既視感
すすり泣く声が聞こえる。
それを宥める優しい声にも憔悴の色が混ざっている。
意識が浮上してくると感じる、頬にあたる石の感触。動く度にざりざりと擦れる感覚が痛くて、覚醒を促してくれる。
目を開くと霞む視界の中に、うすぼんやりと白色と緑色が見えた。それが二重になって焦点が合わなかったけれど、少しずつ輪郭が重なっていって、泣いているアイシャ王女と宥めるカタリナ様だと認識が出来た。
体を起こすと頭が痛む。
こめかみを指で揉んでそれを和らげようとすると、カタリナ様がわたしに歩み寄って背中を支えてくれた。
「エルザさん、大丈夫?」
「ええ、ありがとうございます。……強制転移でしょうか」
胃が捻れるような吐き気の残滓が体に残っている。この頭痛も、霞む視界も覚えがある。術士様にリーヴェスから飛ばされたあの時と一緒だ。
「そうらしいわね。こんなにも体に負担が来るものだとは知らなかったわ。……ラウラ様は一体何をなさろうとしているのかしら」
ラウラ王妃。
最後に見たあの鶯色は術士様と同じ色だった。しかし術士様はヒルトブランドの最奥にて封じられているはずだ。ヴィルヘルム様と精霊王様の掛けた魔封輪は外れないし、もし万が一にでも魔封じに異変があれば、それがヴィルヘルム様に伝わらないわけがない。
「何を……何をそんなに落ち着いているの! わたくし達は拐われてしまったのよ! これからどんな酷い目に遭わされるか……!」
アイシャ王女の叫びは、石壁に吸い込まれていく。
泣き腫らしていたのか目元が腫れてしまっている。
「落ち着いて、アイシャ様。何が目的か分からないからこそ、いまは状況を把握しなければならないわ」
「あなた達は強い魔法が使えるんでしょう!? 早くここから出すか、助けを呼びなさいよ!」
感情的になるアイシャ王女に、お手上げとばかりにカタリナ様は肩を竦めた。そのままわたしの耳元で苦笑混じりに呟きを落としていく。
「……彼女は、あまり魔力が強くないの。それに劣等感を抱いていたみたいで。だから余計にエルザさんに絡んでいたのかもしれないわね」
気持ちが分からなくもないけれど、それで絡まれてもどうしていいものやら。ちらりとそちらを窺うと片隅に踞って何やらぶつぶつと嘆いているのが聞こえた。いまはそっとしておくのが良さそうだ。
わたしは周囲を見回した。三方の壁、天井、床も全て石造りだ
出入口は前方の鉄格子のみだが、とても太くて丈夫そうだ。格子の間隔も細く、隙間を通れそうにもない。
鉄格子に触れてみた――刹那、バチッと強い音を立ててわたしの指先が炎に焼かれた。慌てて離すけれど、爪の先が煤で黒くなっている。じんじんとした痛みに、顔が歪んだ。
「エルザさん!」
「大丈夫です。大した事は……」
心配そうなカタリナ様の声に何でもないと返すけれど、カタリナ様はわたしの指先を両手で包んでいる。そして紡がれる詠唱――回復魔法だ。
しかし、詠唱に基づいて展開されるはずだった魔法式は霧散する。カタリナ様は何度か同じことを繰り返すけれど、やがて諦めたように溜息をついた。
「だめだわ……魔法を封じられているみたい」
「いえ、ありがとうございます」
心配して、癒そうとしてくれるだけで嬉しいのだ。温もりが胸から全身に広がっていくようで、わたしは笑みを浮かべていた。
「それにしても魔封じとなると……救援も、わたし達の居所を探れないということですね」
「そうね、何とかしてここから脱出しないと」
わたしは目を閉じて、両手を重ねて胸元にあてる。
魔力を探ると、潤沢にいつものように体を巡っているのがわかる。魔力が失われたわけではない。
転移の魔法を展開させようと試みる――が、先程のカタリナ様と同じように魔法式が霧散してしまった。今度は念話――やはりだめだ。
体を確認するけれど、何かを付けられている様子はない。魔封を刻まれているのも見受けられない。
この石牢に魔封じが施されているとして間違いないだろう。それなら、何とかしてここを抜け出す事が出来れば……。
ふと視線を感じてそちらを窺うと、カタリナ様とアイシャ王女がわたしを見ていた。その眼差しが不安と恐怖で揺れている。
「……大丈夫ですよ。カタリナ様とアイシャ王女殿下の御身に何かあれば、戦争に発展してもおかしくはありません。ラテイロスとてそれは避けたい事でしょう。お二人はラテイロスの情勢など、何かご存知の事はありませんか?」
正直わたしも不安なのだが、ここで不安を煽っても仕方がない。少しでも安心材料を並べて、気を確かに持って貰うのがいいだろう。その判断が功を奏したのか、カタリナ様もアイシャ王女も少し強張りが解けたようだった。
「そういえば……ラテイロスは財政が危機に陥っているんじゃなかったかしら。昔は金の採掘で栄えたけれど、最近では採掘量も減ってきているとか」
「……財政苦難の状況は採掘量の問題だけじゃなくてよ。金脈はまだ幾つもあるけれど、それを全て王族が自分達の為に使っている。愚王を打ち倒そうとする革命軍が結成されたなんて話もあるわ」
カタリナ様の言葉に次いで、アイシャ王女も口を開く。まだ顔色は悪いけれど、少し落ち着きを取り戻したようだ。
「革命軍は水面下で、他国にも協力を願い出ているらしいわね。きっとそれは、うちだけでなく、リーヴェスにもヒルトブランドにも」
ああ、そういう事だったのか。
きっとヴィルヘルム様が受けていたお仕事も、そういう事だったのだろう。夜会に参加する南の王族、もしくは……紛れているかもしれない革命軍に関する任務。
「それならわたし達が連れ去られたというのも、合点がいきますね。革命軍に協力しないよう要請するか、革命軍を排除する協力を求めるか……人質にされているのでしょう」
わたしの言葉に、二人とも納得したように頷いてくれる。
人質になったのは不本意すぎる結果だけれど、人質というからには危害を加えられる事もないはずだ。わたしは王族ではないけれど、わたしに何かあればヴィルヘルム様が平静で無くなるということは知っているだろう。
しかしここでのんびり助けを待つわけにもいかない。あの鶯色がどうにも気にかかるのだ。
「なんとかして脱出したいですね」
「で、でも……! わたくし達に何かあれば、国の協力を得ることが出来なくなるのでしょう。それなら、ここでじっとしていた方が……」
アイシャ王女が戸惑いの声をあげる。カタリナ様は何か思案しているようで、その桜色の爪先で唇を弾いている。
「待っているのは、どうにも性に合わなくて。でも、そうですね……お二人を危険に晒すのも……」
不意に足音が聞こえた。複数――二人の男女の靴音。一人はヒールを履いている。そしてもう一人の気配は……!
わたしは二人の手を引いて、鉄格子から距離を取った。二人を背に、背面の石壁に体を寄せる。
心臓が早鐘を打つ。忘れられない、この感覚。全身が危険を訴えている。刻み込まれた恐怖が蘇って、体が細かく震える。息が出来ない。視界がぐらりと歪んでいくような錯覚さえ感じるほどに。
鉄格子の前に現れたのはラウラ王妃。
それから――鶯の瞳を愉悦に歪めた、術士様だった。
「久しぶりだね、僕のヘスリヒ」
いつも読んでくださって本当にありがとうございます!




