2-15.不穏なお茶会③
「ミロレオナード夫人、あなたがご主人から愛されているのは分かるけれど、それだけではいけない時もあるのではなくて?」
アイシャ王女は優しい声で言葉を紡ぐ。まるで幼子に言い聞かせるような、優しい物言い。不愉快だけれどそれを顔に出せば負けた気がして、淑女の笑みを貼り付けた。
「どういう意味でしょう」
「後ろ楯や財産、夫を支えるのに必要になるものなんて沢山ありますわ。あなたには何かあって? ご主人を想うのなら、身を引くこともひとつの愛情なのではないかしら」
「確かにわたくしには、アイシャ王女殿下の思うような後ろ楯も、頼れる親族も、財産などもございません。ですが実力主義のヒルトブランドでは主人にそういったものは必要ないのです。あの人は自らの力で今の地位を手にいれております故に。なればわたくしは、わたくしの全てで主人を愛し、守り、その心を支えるだけです」
想いのままに言葉を紡いで、それが自分の中でぴたりと嵌まったようだった。胸の奥に灯火が宿るような、温かな気持ちが体を駆け巡る。
そうだ。わたしには何もないけれど、あの人の心を支える事が出来る。それを言葉にして自分でも改めて納得出来た、そんな不思議な感覚。
ヴィルヘルム様は欲しいものなら何でも己の力で手に入れるのだから。そんなヴィルヘルム様が、わたしをお傍に置いてくれる。それが幸せと言わずに何と言えるだろう。
「エルザさんにそれだけ想われているミロレオナード元帥は幸せね」
「ありがとうございます、カタリナ様」
「でもそれは力がある者だから出来る事。アイシャ王女はあなたが何も持たないように言っているけれど……あなたは実際はそんな事ないのよね」
お茶を楽しんでいたラウラ王妃が、ティーカップを静かに戻す。紅が引かれた口元に美しい弧を描いて。
「あなたには膨大な魔力がある、あなた一人で、数十人の魔導師と渡り合えるだけの魔力。それはひとつの才能だわ。あなたが魔導師の道を選んだら、あなた一人で軍となる程の強さを持つでしょうに」
アイシャ王女が怪訝そうにわたしを一瞥したのが分かった。魔力を放出してはいないのだけど、ラウラ王妃は何かを感じる事が出来るのだろうか。
「そうね。エルザ様の魔力はとても強いけれど、穏やかな波のように気持ちがいい。ラウラ様もお分かりになるのですね」
魔法国家の王女であったカタリナ様は、魔力の流れが分かるのかもしれない。満面の笑みでそんな事を言われるものだから、何だか気恥ずかしくなってくる。
「精霊王を呼べるだけの魔力持ちなんてそうそういないもの。それだけあなたの魔力量が多くて、純度も高い美しいものという事でしょう。誇っていいと思うわ」
ラウラ王妃の言葉にわたしは思わず固まってしまった。
どうしてその事を、ラウラ王妃が知っているのか。結婚式に精霊王様が現れた事を言っている? でもどうしてそれを?
「……ラウラ王妃殿下は、どうしてそれを?」
声が掠れた。
わたしの問いに、ラウラ王妃はただにっこりと笑うばかり。纏う雰囲気が何だか異質なものに変化しているような、危険が迫っているような、そんな予感がする。
全身が、この場所を離れるように訴えている。
「エルザさん、大丈夫? 顔色が悪いわ。お部屋で休んだ方がいいいかしら」
「申し訳ありません、カタリナ様。そうさせて頂いても――」
「――ラテイロスの窮状を皆様ご存じでしょう」
わたしの声を遮ったのは、ラウラ王妃の声だった。唐突な語り口に、皆一様に驚きを隠せないでいる。視界の端、侍女達が控えるパラソルの下でユマが警戒しているのが見えた。
「ラテイロスは王族が欲に溺れているの。国民は搾取されるだけ。水害で飢饉が起きても助けてくれない。流行り病が起きた時には何があったと思う? 病に掛かった人達全てが、生きたまま焼き殺されたのよ。それは羅患した人だけじゃない、その家族も、近しい人も全て」
ラウラ王妃は口元に笑みを貼り付けている。だけど全く笑っていないように思えるほど、黒瞳の色が昏い。深淵を覗いたらきっとあんな色。
王族を非難するような言葉に強い違和感がある。だって、ラウラ王妃も……。
「あなた達は恵まれているわ。何不自由ない暮らしをして、嫉妬にまみれて人を攻撃するなんて余裕のある人じゃないと出来ないもの。あなた達だけじゃない、あなた達の国民も幸せね。秀でた統治者の元で健やかに暮らすことが出来るのだから」
「……ラウラ様?」
カタリナ様が怪訝そうに声を掛ける。わたしの隣で、アイシャ王女が息を飲む音が聞こえた。
「ラテイロスの為に、あなた達の――あなた達を愛する人の力を貸してくれるかしら」
ラウラ王妃の声が歪に変化していく。高くなって、低くなる。
魔力が急速に高まっていくのを感じたわたしは、アイシャ王女とカタリナ様の手を掴んで立ち上がった。その場を離れようと身を翻すと、異変を察知したユマが走ってくるのが見えた。
遅れて、従者や護衛も駆け出している。
合流しようとする足は、結界によって阻まれた。壁の如く分厚い結界が、ユマ達とわたし達を遮っている。
「もう遅い。君達には人質になって貰う」
低音に振り返るとラウラ王妃の片目が鶯色に輝いていた。不気味に光るその色は――術士様の色。
それに気付いた時には、わたし達に光の奔流が襲いかかっていた。視界が真っ白に染まっていく中、音も声も聞こえない。
周りの気配も、掴んでいた二人の手さえ分からなくなって、わたしは意識を失っていった。




