2-12.元帥の憂鬱
結局、エルザを寝かせてやれたのは、朝朗けの時分だった。空が薄明るくなり、月が白く消えていく。
傍らで眠るエルザの顔に掛かる金糸を指で避けてやると、擽ったいのか眉根を寄せる。起きている時にはあまり見せないその表情に、笑みが漏れた。丸みのある後頭部の形をなぞるように頭を撫でると、その表情は一転して穏やかな寝顔に変わる。
無理をさせた自覚はある。
しかし抑える事が出来なかったのだが、それも何度目になるだろう。エルザに関する事だと己を律する事が出来なくて、自嘲に溜息をついた。
夜会の間中、エルザに向けられる不埒な視線。見定めて、煽られて、エルザの柔肌を夢想するような視線。そんな目でエルザが見られる度に、目を穿ってやりたい衝動に駆られてしまう。
女共もそうだ。俺に向けるねっとりと絡みつくような視線、エルザに向けられる値踏みした不躾な視線。夜会に参加するのではなかったと、何度後悔したことか。それでもエルザが楽しんでいた事だけが僥倖だった。
エルザの頭の下に腕を差し込み、胸に抱き寄せる。甘えた様子で擦り寄ってきて、俺の背に腕を回すエルザは、無意識下でもやっぱり可愛い。
昂る熱を抑えながら、少しでも眠ろうと目を閉じた。花のようなエルザの香りに包まれながら。
朝食を済ませた俺は、居室にてジギワルドと向かい合って座っていた。テーブルにはジギワルドが集めた情報を、纏めた資料が並べられている。
エルザは寝室でユマに支度をして貰っている。
「グローマンらしき人物はいないか」
「ああ。変装してるのも考えたんだがな……それらしき男は見つからねぇ。南の国での革命も夜会で噂にはなってるが……大した収穫はなかったな」
ジギワルドは夜会の間、王城内でグローマンを探していた。南の国での革命について情報を集めてもいたのだが、成果は芳しくなかったようだ。
「南の王妃は本物か?」
「写画を見る限りはな。招待状にも偽造された形跡は無かった」
「王妃の従者は?」
「身元ははっきりしてる。王妃をエスコートしていたのは国務長官だったが、その身元も確認済みだ。写画だが本人と相違ねぇ」
俺はソファーに深く凭れると大きく息をついた。
革命を成功させたいなら、グローマンは必ずこの夜会に訪れるはずだ。各国の王族要人が集まるこの場でパイプを繋げておきたいはず。革命がどうなるか注視している国も多い中で、この夜会は絶好の機会だっただろうに。
まさか、既に他国とのパイプが出来ている? 最近何か変化の起きた国があれば、陛下直属の暗部がその情報を掴まないはずがないのだが。
だが俺には確信があった。根拠も証拠もないが――
「グローマンは必ずこの王城にいる」
「お前の勘は外れねぇから嫌なんだよ。ざっと浚っても常時魔力展開してるやつはいなかったんだけどな、俺の探知に引っ掛からない奴が居たって事か」
姿形を変える魔法を使っている者はいなかった。しかし、それを掻い潜るような高度な魔法だとしたら?
魔導具を使うにしても使っている間は魔力を流し続けなければならない。しかし、もしかしたら俺達の知らない高位魔導具が開発されているかもしれない。
「王族要人が帰路につく前に、全員を浚い直せ。細かい魔力反応があるかもしれん」
「へいへい。簡単に言ってくれるけどな、手当てに上乗せして貰いたいくらいだぜ」
「それは陛下に直訴するんだな」
「おい、上司だろ」
「お前に全て任せるとは言ってないだろう? 今回は俺も見よう」
他国の要人に成り代わっているようなら、その国を洗い直さなければならない。それは暗部の仕事だが、このままだと駆り出される事になりそうだ。
俺が溜息を落とした瞬間、寝室の扉が静かに開いた。エルザだ。
今朝のエルザは薄桃色のドレスを選んだようだ。裾に向かうにつれて色濃くなるそのデザインは、まるで花そのものを纏っているようにさえ見える。
顔周りの髪を結い上げ、残りは背中に流している。結い上げた部分に緑の宝石があしらわれた髪飾り。立て襟部分と長袖の手首周りには、優美な揃いのフリルがあしらわれている。
ああ、今日も俺のエルザは可愛い。
俺は立ち上がってエルザの元に歩み寄る。歩幅が大きくなったのも仕方がない。
「綺麗だ、エルザ。よく似合っている」
「ありがとうございます」
照れたようにエルザが笑うと、耳元でイヤリングが揺らめいた。ここにも緑の宝石が使われていて、薄桃のドレスと相俟って花の化身のようだ。
丁寧に紅が引かれた唇に口付けるのも憚られ、俺は頬に唇を押し当てた。ここも煌めく粉で仄かに色付いている。
「ユマ、今日の茶会の参加者は?」
「カタリナ妃殿下、アイシャ王女、それから奥様でございます」
流暢なユマの返事に俺は眉を寄せた。嫌悪感が表れていたのか、エルザが宥めるように腕を撫でてくる。
「砂漠の王女もいるのか。それにしても随分少ないな」
「大丈夫ですよ、ヴィルヘルム様。ユマも着いてきてくれますもの。ねぇ、ユマ?」
「もちろんでございます」
それでも面白くない。あの王女はエルザに敵意を抱いているのだから。どうにかして参加を取り止めて、いや、俺も参加できないものか。
「……ヴィルヘルム様。わたしは庇護されるだけの、か弱い女じゃありませんよ」
俺の心情を読み取ったのか、苦笑いでエルザが言葉を紡ぐ。その瞳は強い意思を持って煌めいている。
「お前をか弱いと思った事はないぞ。初めて会った時からずっと」
「では信じてくださいませ。わたしは大丈夫だと」
弱いだなんて思った事がないのは事実だ。エルザは虐待を、暴力を受けてもずっと気高くあった。俺の傍で、俺を受け入れ、俺を支えていてくれている。そんな彼女が弱いわけはない。しかし――
「過保護なんだよ、うちの元帥様は」
「奥様を見くびっているわけではないんですよ。心配性が過ぎるだけで」
ジギワルドとユマが、溜息まじりに言葉を投げてくる。眉間に皺が寄りそうになるが、エルザがあまりにも嬉しそうに笑うものだから、副官達を咎める言葉も出てこない。
俺はエルザの華奢な体をそっと抱き寄せた。本当ならきつく抱き締めて、髪も化粧も崩れるほどに口付けを降らせたいところだが。
「過保護なのも心配性なのも否定はしない。それも、お前に対してだけだ」
「ヴィルヘルム様……」
「折角の機会だ、楽しんでくるといい」
「ふふ、ありがとうございます」
名残惜しげに抱き締める腕をほどくと、エルザは嬉しそうに笑う。その笑顔があまりにも眩しくて、つられるように俺も笑った。




