2-11.長い夜を願う
お部屋に戻ると、広間の声は全く聞こえなくなっていた。静寂が何だか物寂しく感じるのは、あの広間の空気感に触れていたからだと思う。まだ気分が高揚しているし、先程から漏れる呟きは楽しかったとそればかりで、自分でも笑ってしまうほど。
あとは盛装を解いて……と思ったのに、ヴィルヘルム様はユマを部屋に下がらせてしまう。綺麗な一礼で下がっていくユマと、手を振って部屋を出ていくジギワルドさん。たしかに二人ともお疲れだとは思うから、早く休んでは貰いたいんだけど……盛装が……。
わたしの動揺が顔に表れていたのだろう、ヴィルヘルム様が可笑しそうに肩を揺らした。
「心配はいらない」
「でも……」
二人きりになった部屋で、ヴィルヘルム様がわたしの腰を抱く。逆手で軍服の首元を緩めるその仕草が本当に素敵で見惚れてしまうほど。
「俺がすべて脱がせてやる」
……旦那様は、いま何とおっしゃったのだろうか。
脱がすと、それは……ユマがしてくれるようになのか。それとも、いや……。孔雀緑の瞳が悪戯に煌めいている。それだけでわたしの胸が打ち震えるのは、内心のどこかで期待していたのかもしれない。
「俺の事はお前が脱がせてくれるだろう?」
「わ、たしが……」
「そう。随分とこの正装が気に入ったようだからな。お前の手で、お前の口で脱がしてほしい」
響く低音に宿る熱に、気が付かないわけもない。胸の奥が疼く。切ないのに愛しさで満ちる、不思議な感覚。
わたしの手を取り寝室に向かうヴィルヘルム様は、逆手ではまだわたしの腰を抱いたままだ。密着する姿勢に、わたしの鼓動の高鳴りがきっと聞こえているだろうと思う。
アクセサリーも髪飾りもそのままに、寝台に倒される。覆い被さるヴィルヘルム様がドレスの裾をたくしあげる。
「ずっとこうしたかった。夜会の間中、ずっとだ」
「でも、夜会を楽しんでらしたでしょう?」
「夜会じゃない。楽しむお前を見て、楽しんでいた」
「それは楽しめるものなんでしょうか……」
「楽しいさ。お前の心が弾むと、俺は嬉しいんだ」
優しい声なのに、その奥に潜むのは熱の昂り。美しい瞳の奥には昏い情欲の炎がちらついている。
素肌に触れられ、それだけで吐息が漏れる。期待に体が震える。わたしの心情を読むのが上手な旦那様は低く笑って、わたしの唇を乱暴に奪ったーー
「お仕事は……んんっ……もう終わったんですか?」
「仕事?」
情事の後の倦怠感に微睡みたくなるけれど、気持ちがまだ高揚しているようで眠りたくない。掠れた声に、小さな咳をしてから問いかけた。
ヴィルヘルム様は用意されていた水差しからゴブレットにお水を注いで、わたしに差し出してくれる。ありがたくそれを受け取ったわたしは、一気にお水を飲み干してしまった。カラカラだった喉が潤う感覚が気持ちいい。
「えぇと、南の王妃様と接触するのが本当のお仕事なのかと……」
「ああ、そういうことか。あながち間違いでもないが、まぁ大半は終わっている。あとはジギワルドがうまくやるだろう」
ヴィルヘルム様は床に散らばっていたわたしのドレスや、自分の軍服をまとめてソファーの上に置く。汚してはいないと思うけれど、明日、ユマが見る前に確認しなければ。
それにしても起き上がれそうにない。まだ月が空を支配する時間。朝は遠いから、このまま休めば良くなるとは思うのだけど。
「大丈夫か? 無理をさせてしまったな」
「大丈夫ではないんですが……ヴィルヘルム様こそ大丈夫ですか? なんだかいつもより、その……余裕が無さそう、というか」
「余裕なんてものはいつでもないぞ、お前を前にしては」
くつくつと低く笑ったヴィルヘルム様が、わたしの隣に横たわる。乱れた髪を手櫛で後ろに撫で付ける、その仕草まで素敵だと思うのだから、わたしはどれだけ溺れているのだろう。
「お前の事を、どれだけの男達が見ていたか知っているか」
「わたしを?」
「そのどれもが邪な視線だ。そいつらの記憶からお前の事を消し去ってやりたい」
「やきもち、ですか?」
「そうだ。俺が狭量な男だと知っているだろう。お前を屋敷に閉じ込めて、鍵を掛けて俺だけが触れられるようにしたいという気持ちに変わりはないぞ」
その独占欲は知っている。そしてわたしはそれが心地いいと思っている。
「知っているでしょう? それを欲しているのはわたしだと。それに……ヴィルヘルム様だって、どれだけの視線を集めていたのか自覚はないんですか? わたしが、やきもちを妬いていることも」
「妬いてくれるのは嬉しいが、他の女の視線なんて俺には届かないぞ。俺はお前だけを見ているのだからな」
「それはわたしも一緒です。わたし達の視線が重なっているって、分かっているでしょう」
何度繰り返したかもわからないやり取りに、思わず二人で笑ってしまう。
ヴィルヘルム様の指先が、わたしの口元のほくろを撫でる。その優しい仕草が擽ったくてもっと笑った。
ふと腰の辺りに暖かさを感じた。目線をそちらにやると、見覚えのある緑色の優しい光。それがわたしの腰に消えていくと、あれだけ辛かった倦怠感が無くなっていた。ーー回復された。
それの意味する事をわたしはよく知っている。
「お前が可愛いのが悪い」
「もう、またそういう事をおっしゃるんだから。……後でお風呂に入りたいです」
「分かった、任せろ」
覆い被さるヴィルヘルム様の首に両腕を絡ませる。うなじから髪を撫であげると、ヴィルヘルム様の肩が跳ねた。
「茶会には寝不足で行って貰うことになりそうだ」
真面目な声でそんな事を言うものだから、笑みが零れた。それがすぐに嬌声に変わってしまうのは、わたしの体が慣らされているから。
触れ合う熱が解け合う快楽を知っているから。この旦那様が、この時間が、愛しくて愛しくて堪らないから。
ああ、この夜が少しでも長くありますように。意識の端でそんな事を思った。




