2-10.旋律に溺れる
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軽やかなワルツの調べが、ホールの中に響き渡る。
心までも弾むような美しい旋律に合わせるよう、王太子殿下と妃殿下が手を取り合ってステップを踏む。見つめ合い、くるりと回り、何かを囁きあって二人でくすくす笑う。仲睦まじげなその様子に、周囲からは感嘆の吐息が漏れる程。それはもちろん、わたしからも。
「素敵ですね」
「この後は俺達も踊ろう。心の準備は?」
「ヴィルヘルム様こそ、足を踏まれるお覚悟は?」
身を屈めてくれるヴィルへルム様と、軽口を叩き合って笑った。正直緊張もしているのだけど、それよりも期待の方が上回っているようだ。
「練習でも足を踏まれた事はないぞ」
「それはヴィルへルム様の避け方がお上手だからですよ」
「くく、緊張はしていないようだな」
ヴィルヘルム様が腰に回した手に力を込めて、わたしを引き寄せる。されるがままに寄り添うのはいつもよりも豪奢な軍服姿だから、なんだかドキドキしてしまうのも仕方がない。
「……ドキドキはしています」
「それは、俺にか?」
「分かっているでしょう」
「エルザ、煽るな。ダンスに参加させてやれなくなるだろうが」
「煽ってません」
降ってくるのは溜息混じりの言葉だ。ヴィルヘルム様の指が、わたしの腰のラインをたどる。漏れそうになる吐息を飲み込み、ぐっとヴィルヘルム様を睨んでも、わたしの愛しい旦那様は涼しい顔だ。
わっと一際大きな歓声があがる。
楽団の演奏もささやかなものに変わっている。意識をそちらに戻すと王太子殿下と妃殿下のダンスが終わり、二人が美しい所作で一礼するところだった。拍手がホール内に響いて温かな雰囲気が満ちている。
王太子殿下が、片手を楽団に向けた。それを合図にまた別の曲が流れる。始まりを告げるその旋律に誘われるよう、人々が広間の中央に集まっていく。
ヴィルヘルム様が手を差し出してくれる。シャンデリアの灯りを映した孔雀緑が深く煌めいてとても綺麗。
「さぁ、行こうか」
低音に鼓動が跳ねる。わたしはにっこりと笑みを浮かべて、ヴィルヘルム様の手を取った。
エスコートされるままに広間の中央に足を進める。たくさんの男女が手を取り合って、ワルツの始まりを待っている。ちらりと周りを窺うと、みな一様に表情を綻ばせていた。
一団の中に砂漠の王女の赤いドレスも見つけた。やはり背中は大きく開いていて、綺麗な褐色の肌が覗いている。向かい合うのは王女ととても良く似た、長身の男性。同じ褐色の肌に銀色の髪をしているから、あの男性も王族なのかもしれない。
柔らかな音が始まりを告げる。優雅なその音楽に合わせて、ゆっくりとダンスが始まった。
ヴィルヘルム様がわたしを見つめている。優しくて愛おしむような眼差しなのに、その奥に見え隠れする情欲に気付かない振りも出来ない。
ヴィルヘルム様のリードに合わせてステップを踏む。上手にくるりと回される。それがなんだか楽しくて笑みを零すと、ヴィルヘルム様も笑ってくれた。
「上手だ」
「ヴィルヘルム様のおかげです」
囁く声に気持ちも上がって、わたしの頬は緩むばかり。
「それにしても本当に綺麗だな」
ヴィルヘルム様の声が一際甘く、低くなる。それだけで体の奥の、もっと奥が疼くのだから、どれだけわたしの体はヴィルヘルム様に支配されているのか。
それが嫌ではなく、心地よいと思うのだから相当だ。
「お前が一番綺麗だ。他の誰よりも」
「ヴィルヘルム様の視線を、わたしだけが独り占めですか?」
「そうだ。伝わっているだろう? 俺の熱も欲も、お前が愛しいというこの気持ちも」
「……ええ。充分に、と言いたいところですが……もっともっと、わたしに刻み込んで下さいませ。わたしは、ヴィルヘルム様だけのものなのだと」
「言ったな? 回復はしてやるから安心しろ」
自分でも煽った自覚はあるけれど、今夜は眠れないかもしれない。起き上がる事が出来ない心配はしなくて良さそうだけど……それもヴィルヘルム様の回復任せになりそう。
でも、元はと言えばヴィルヘルム様があんな事を言うのが悪いのだ。最初に煽ったのはヴィルヘルム様なのだから。
「お慕いしています、ヴィルヘルム様」
溢れ出す想いを言葉にすれば、ヴィルヘルム様が目を瞠る。珍しいその様子に肩を揺らすと、ぐいと強く引き寄せられる。ステップが乱れてしまうと焦ったのも一瞬で、わたしいはヴィルヘルム様の胸に抱き留められていた。刹那、盛り上がりの余韻を残してワルツが終わる。
「……もう、ダンスを台無しにしてしまうかと思いました」
「俺がそんな失敗をするとでも?」
「ヴィルヘルム様は失敗しなくても、わたしが」
「今のは俺が乱しただろう。もしお前がミスをしたとしても、俺が必ずカバーをするが」
「ふふ、信じています」
今度は先程よりも明るい音楽が奏でられた。この曲も大丈夫、練習済みだ。
わたしが曲を理解したと気付いた旦那様はもう一曲付き合ってくれるらしい。それが嬉しくて、触れる手を一度ぎゅっと握った。
「ありがとうございます」
「折角だからな。お前がダンスをしたいなら、屋敷でも付き合うぞ」
「そうやって甘やかすんですから」
「お前は自分に厳しいからな、俺が甘やかすくらいでいいんだ」
会話をしながらでも、ヴィルヘルム様のステップが乱れる事はない。わたしはリードに身を預けるだけ。その孔雀緑の瞳が色を濃くしていく様を見つめながら。
夜が深まる。大きな窓の向こうで月が煌めく。
わたし達がダンスを終えて広間を後にする頃も、楽団が軽やかな音楽を奏でていた。まだダンスは終わらないらしい。
壇上の王太子殿下と妃殿下も、和やかな雰囲気でワインを楽しんでいるのが見えた。
快活な人々の声が、王城中に響いていた。




