2-9.幸せな二人
「この度はおめでとうございます」
「ありがとう」
王太子殿下と妃殿下の前に進んだわたし達は、にこやかな二人に迎えられた。
妃殿下は美しい濡れ羽色の髪に、繊細な細工の冠を戴いている。きらきらと輝く桃色の瞳が印象的な、可愛らしい人だった。
「ミロレオナード夫人も息災のようで何よりだ」
「ありがとうございます」
「たまにはレーバブリュームにも顔を出すといい。領民も喜ぶだろう」
「現在の領地の様子はいかがですか」
レーバブリューム。わたしが生まれた伯爵家が治めていた領地。
王家にお返ししたあとは、然るべき方が領主となっていると聞いている。領地はどうなっているのだろう、とわたしの思いを汲み取ったのか、ヴィルヘルム様が穏やかに問うてくれた。
「少しずつ暮らしも改善しているようだ。王家としても支援は惜しまん」
「それを伺って私も妻も安心致しました。殿下のご助力に感謝を申し上げます」
美しかったあの領地が、優しかった領民が、健やかに暮らせるようにわたしは心で祈るばかりだ。恨まれても仕方ないのに、あの領民達はわたしを最後まで慮っていたようだとヴィルヘルム様が教えてくれたから。
「あ、あの!」
「どうした、カタリナ」
豪奢な椅子から前のめりになるように、妃殿下が声をあげる。その様子さえ王太子殿下は愛しくて仕方ないようで、甘い眼差しを送っている。
「ミロレオナード夫人、良かったらわたくしのお茶会にいらっしゃいませんか?」
まさかのお誘いに、瞬きを繰り返してしまった。
「お茶会でございますか?」
「はいっ! あの、明日の午前にお茶会を開くので、もし良かったら……」
妃殿下は魔法国家の王女と聞いていたけれど、不遜な様子が全く見受けられない。どこか緊張しているようなその様子に、思わず表情が緩んでしまう。
お茶会は気になるが、明日は帰る予定でもある。そう思ってヴィルヘルム様を伺うと、構わないと言うようにゆっくりと頷いてくれた。
「ありがとうございます、カタリナ妃殿下。喜んで参加させて頂きます」
「よかった。では明日の朝にでも遣いを送りますね」
「ええ、お待ちしております」
どこかほっとしたように、妃殿下が笑う。つられるようにわたしも笑ってしまうような、明るい笑顔だった。
礼をしてその場を失礼したわたし達は、壁側へと下がった。ユマが気配もなく近づいてきて、白ワインで満たされたグラスを渡してくれる。ステムには硝子で出来た白鳥があしらわれていて、とても綺麗。
「お疲れさまでございました」
「ありがとう、ユマ」
「妃殿下はいいかがでしたか」
「とっても可愛らしい人だったわ。明日の午前にお茶会に誘って下さったの。支度をお願いできるかしら」
「もちろんでございます。お任せ下さいませ」
急なお願いだけれど、ユマはにっこりと笑って了承してくれる。侍女の有能さに、本当はオーティスさんだという事を忘れてしまいそうになるくらい。
「疲れていないか?」
「大丈夫です」
グラスを呷って一気にワインを飲み干したヴィルヘルム様が、わたしの腰に手を回す。温もりが肌に馴染んで、吐息が漏れる。それを誤魔化すようにグラスを口元に寄せて、一口味わった。淡い黄色のワインに反射する光がとても綺麗。溌剌とした酸味が舌に残った。
「ヴィルヘルム様、すみません。明日の予定を変えてしまって」
「構わない。茶会の席にはユマを連れていくように」
「ありがとうございます」
「折角だからな、楽しんでくるといい」
優しくて甘やかな声。わたしを見下ろす孔雀緑の瞳が優しくて、わたしはヴィルヘルム様に寄り添った。
「……旦那様、ラテイロス王国の王妃です」
ユマが低い声で囁く。表情はにっこりと変わらずに、口が動いた様子も分からなかった。ヴィルヘルム様がちらりと広間に目を向ける。きっとこれは、ヴィルヘルム様達が受けている本当の任務なのだろう。そう思ったわたしは、邪魔をしてはいけないと平然を装って広間を眺めていた。
ユマが言った南の国の王妃とは、あの人だろう。
すらりと背の高い、紫色のドレスを纏った美しい女性だ。顔回りに揺れる薄茶の髪で隠れてはいるけれど、なんだか窶れているようにも見える。ほっそりとした顎の側で、羽根飾りが美しい扇を揺らしていた。
「ジギワルドにも確認させろ」
「かしこまりました」
「エルザ、少し付き合ってくれるか」
「はい、もちろん」
ユマに指示をするヴィルヘルム様も、それに答えるユマも、口が動いたのが相変わらず分からなかった。魔法の気配がするわけでもないから、これはひとつの技能なんだろうと思う。ふたりとも穏やかな表情は変わらない。
わたしは差し出された腕に手を掛けて、先程までよりも、ほんの少し、気持ちばかり体を密着させるようにして広間へと出た。ヴィルヘルム様へ熱い視線を送る方々への牽制のつもりで。
わたしの心を読むのが上手な旦那様は、低く笑った。
広間に出たわたし達は、掛けられる声に足を止めて軽い会話を楽しんだりしていた。それでもヴィルヘルム様の意識が、ずっと南の王妃に向けられているのは分かっていた。他の人には分からないだろうけれど。
そして、その時が来た。
「あら、ヒルトブランドの元帥閣下かしら」
掛けられた涼やかな声。
ヴィルヘルム様が、さも気付いたばかりというように振り返る。次いでわたしも。
「ラテイロス王国ラウラ王妃殿下であらせられますね。私はヒルトブランド皇国にて空軍を預かりますミロレオナードと申します。これは妻のルクレツィアです」
「お目にかかれて光栄です、王妃殿下」
わたしは膝を折ってカーテシーで挨拶をした。それに応えるよう王妃殿下がにっこりと目を細める。
「可愛らしい奥様ね」
「ありがとうございます。王妃殿下もご健勝で何よりです」
「あら、そう見える? ……元帥閣下ともなれば、我が国の現状を知っているでしょう?」
扇の向こうの口元に、自嘲の色が乗るのが分かった。ヴィルヘルム様は何も言わずに笑みを浮かべているだけ。それが対外的な貼り付けた笑みだと、わたしは知っている。
「情けない話だわ。色々水面下で動いている人達もいるようだけど……国のため、国民の為に尽くすのが王家の使命ですもの。国王もきっと分かって下さるわ」
「国王陛下は、いらしていないのですか」
「ええ、わたくしが名代として参加する事にしたの。皇帝陛下にもどうぞ宜しくお伝えになって」
「ありがとうございます」
にこりと笑った王妃殿下は、従者を連れて人の波に紛れていった。
正直、わたしには何の事か分からないけれど、ヴィルヘルム様の任務に収穫はあったのだろうか。そう思って顔をあげると、こちらを窺う優しい瞳と視線が重なった。
賑やかな会場のなか、二人きりと錯覚してしまいそうな程に甘さを含んだ眼差しに迷い込んでしまいそう。
楽団が一際大きな演奏を始める。――ダンスの時間だ。
その音にはっと我に返ったわたしを見て、旦那様が肩を揺らす。気恥ずかしさを誤魔化すように睨んでみるけれど、頬が熱い自覚はあるから効果はないかもしれない。
壇上から王太子殿下と、エスコートを受ける妃殿下が降りてくる。幸せそうな二人の姿に、笑みが零れた。




