2-5.諍いの火種
用意された一室はとても豪華なお部屋だった。
わたしとヴィルヘルム様が使うこのお部屋の隣には、ジギワルドさんとユマの部屋。その隣には空軍から警備にあたる軍人さんが数人入る部屋があるそうだ。借りた部屋は全部で三つ。これは他国に比べてとても少ないようで、リーヴェスの文官の方にとても驚かれた。他国の方々は一体どれだけの人数で来ているのだろうと気になってしまう。
王城の敷地内にある幾つかの離宮に、貴賓方、従者や護衛の部屋があてがわれている。しかしそれなりの距離を空けて準備されているようで、わたしは他国の方々と顔を会わせる事は無かった。
わたしの侍女として離宮内を歩くユマに依れば、離宮内でも小さな諍いが起きているそうだ。女性が集まるとそれも仕方のない事だと思う。
「リーヴェスより、侍女を付けると言われましたがお断り致しました。私一人居れば充分ですもの」
「そうね、ユマがいれば問題ないから構わないわ」
部屋の中にはわたしとユマが二人きり。しかしどこで話を聞かれているかは分からないし、この部屋に何らかの仕掛けが無いとも限らない。二人きりとはいえ、ユマをオーティスさんと呼ぶわけにはいかないので芝居は続けなければならない。
ヴィルへルム様とジギワルドさんは王太子殿下との謁見に赴いている。わたしは大人しく留守番だ。案内をしてくれたリーヴェス兵が散歩を勧めてくれたけれど、わたしはお部屋で引きこもると決めている。
わたしはソファーの背凭れに深く体を預け、両手を天に大きく伸びをした。その様子にユマがくすくす笑うものだから、恥ずかしくなってわたしも笑った。
「お疲れですか?」
「そういうわけではないのだけれど……緊張しているのかも」
「明日の夜会が心配ですか? エルザ様なら大丈夫ですよ」
「ありがとう。でもわたし、夜会に出た経験が無いんだもの。ヴィルへルム様に恥ずかしい思いをさせないといいんだけれど」
「ダンスの練習はなさいました?」
「ええ、ヴィルヘルム様に付いて貰って」
「それなら大丈夫ですよ。明日はとびきり美しく飾りましょうね」
ユマはテーブルの上に、紅茶とクッキーを用意してくれた。リーヴェス特産の紅茶だと気付いたのは、それが懐かしい香りだったからだ。
母が健在だった頃、よく好んで飲んでいた紅茶の銘柄。ちらりとティーワゴンに目を向けると、やはりその紅茶缶だった。
「ありがとう」
ユマはにこりと笑うのみ。わたしは有り難くお茶を頂くことにした。
柔らかなピンクのカーテンが掛けられた窓。その向こうに見える青空は綺麗だけどなんだか色が薄く感じる。もっと空に近い場所を飛んできたから、そう思うのかもしれない。
部屋に視線を巡らせる。全体的に優しいピンクと金飾りで纏められた広い部屋。わたしが腰を落ち着ける応接セットの他、白く大きな暖炉や書き物机、飾り棚には美しい硝子の白鳥が光を反射し羽を休めている。
寝室に繋がる扉と、浴室へと繋がる扉。そのどちらも曲線が優美な金の装飾がされている。豪華だが派手すぎず、品のあるお部屋だった。
ヴィルヘルム様が戻るまで、まだ時間がかかりそうだ。それまでの時間潰しに、ユマが用意してくれた小説を開こうか。それとも途中だったレース編みをしようか。どちらにしようか悩んでいた時だった。
――コンコンコン!
ノックにしては鋭い音。思わずユマに視線を向けると彼女はその美しい眉を寄せている。身ぶりだけでわたしに動かないよう指示をすると、苛立ちなんて微塵も感じさせない優雅な足取りで扉へと向かう。その立ち姿に、ユマがオーティスさんだという事を本当に忘れそうになる程だった。
「どなたでしょう」
扉を薄く開いたユマが応対する。廊下には数人がいるようだが、わたしの耳にははっきりとした言葉として届かない。何か騒いでいるようだが、ユマが扉を開くことはしない。
「奥様はお休みになっております。どうぞお引き取りください」
ソファーで寛ぐわたしの姿が、あの扉の隙間から見えないか心配ではある。しかしユマの声が余りにも固いから、わたしは身動きも出来ずにただ大人しくしているしかない。
「お引き取りください」
ユマが繰り返す。廊下の喧騒が大きくなった気がするが、わたしには届かない。これはもしかしたら、ユマが何か魔法を使っているかもしれない。わたしの耳に、廊下の声が届かないように。音としてしか認識出来ないのだ。
「無礼で構いません。失礼致します」
有無を言わせぬ声でユマが扉を閉めてしまう。ガチャンと響く鍵の音がどこかわざとらしくさえある。
まだ扉向こうに人の気配はあるけれど、ユマは肩を竦めてわたしの座るソファーへ近付いてくる。
「お客様?」
「いえ、お部屋を間違えたのではないでしょうか」
素知らぬ顔でしらと嘘をつくものだから、思わずわたしは笑ってしまった。口元を両手で押さえるけれど声が今にも漏れてしまいそうだった。
ユマは肩を揺らすと、綺麗に色づいた爪先が印象的な人差し指をくるりと回す。その瞬間、わたしとユマの周りから音が消えた。
「どこかの国のお姫様ですって。どこだったかしら……余りにも小さい国で忘れちゃったわ」
ユマではなく、オーティスさんに戻っている。盗聴防止に音を遮断する魔法を使ったようだ。
「すみません、オーティスさんに不快な思いをさせてしまったのでは?」
「全然気にしなくていいわよ。ぴーちくぱーちく五月蝿い子ねぇって思ってただけだから」
「そのお姫様は、一体何の用だったのでしょう」
「リーヴェスからヒルトブラントに嫁いだエルザちゃんに会ってみたいって。ただの興味か、そうじゃなかったら悪意の塊みたいなもんだから、会わない方がいいわ」
「ありがとうございます。でもどうしてわたしに? ヒルトブラントへ嫁いだ人なんて珍しくはないと思いますが……」
オーティスさんはわたしの向かいのソファーに腰を下ろすと、前髪を指先で直した。無造作な指先にオーティスさんが自然体だと分かる。
「エルザちゃんが嫁いだのは女嫌いの元帥閣下だもの。興味を引くのも仕方ないかもしれないけど……変な興味でエルザちゃんに近付いて欲しくないのよ、あたしは」
「まぁ……そういう意味で近付いてきたのなら、値踏みされてしまいそうですね」
「逆に値踏みしてやればいいのよ」
わたし達は顔を見合わせて笑った。
それにしても……引きこもっていれば妙な諍いに巻き込まれないかと思ったけれど。まさか火種が向こうから飛び込んできてしまうとは。これはこの先も何があるか分からないと少し溜息をつきたくなってしまうのも本当で。
「大丈夫よ、エルザちゃん。ヴィルが側にいない時は必ずあたしが守るから。任せてちょうだい」
「ふふ、頼りにしていますね」
わたしの憂鬱を感じ取ったオーティスさんがにっこり笑う。初めて会った時から変わらない優しい微笑みに、わたしはつられるように笑うばかりだった。




