2-1.千年を生きるもの
第二部のはじまりです。
またどうぞ宜しくお願いします!
元は貴人牢だったこの場所で、視界を閉ざされた僕の脳裏によぎるのは愛しいあの子の姿ばかり。
初めてルクレツィアに会ったのは、彼女が五歳の時だった。
魔導師団にいた僕は祭典の警護にあたっていて、何が起こるでもない場所でつまらない仕事をこなしていた。賑やかに騒ぐ市民たち。何がそんなに楽しいのか。その笑顔を絶望にまみれさせ、この広場全てを鮮血で染めてやりたくなる。
時々、無性に全てを壊したくなるのは、僕が千年を生きる全能者だからか。千年前もいまも人は変わらない。無意味で無様で生きる価値なんてない。
不意に花の香りがした。
強い魔力が発する甘い香り。その香りに導かれるように視線を向けると、パレードを見る群衆の中に一組の家族を見つけた。髭を蓄えた裕福そうな紳士と、寄り添う美しい妻。そして幼くも完璧な美貌を持つ娘。
その魔力は幼いその娘から放たれていた。稀有で清らかな魂が見える。穢れを知らない純粋無垢な魂。
鼓動が跳ねた。
あの子がほしい。あの子を僕のものにしたい。
あの子を奪っていたぶって、その身も心も屈服させたい。そして完全に心を折ったなら――純潔を散らして僕のものに。
彼女になら千年の命をあげたっていい。あの子さえ僕のものになるなら、こんな世界壊してしまっても構わない。
時間をかけて、あの魂にまで僕の全てを刻み込みたい。
久し振りに心が騒いだ。気持ちまで上向いて、気付けば僕は機嫌よく口笛を吹いていた。
あの子の名前はルクレツィア。隣国リーヴェスの伯爵令嬢だった。
初めて彼女と出会ってから三年間。ずっと彼女を見守ってきた。
癖のない金髪は陽光を受けて煌めいて、瑠璃色の瞳はいつも愉しげに光を放つ。少女特有の甘やかさと華奢ながら女の片鱗を見せる肢体がアンバランスながらも、圧倒的な美しさ。
その頃の僕は副師団長に昇進した。
彼女へ向ける事の出来ない衝動を、戦争で敵兵にぶつけた。無惨な死体にやりすぎだと咎められる事が多くなった。
だから――拐った。彼女と同じ年頃の少女を。
同年代といっても、ルクレツィアの代わりには到底ならない。
それでも同年代で金髪青目なら何でもよかった。思うままにいたぶって、これはルクレツィアだと自分に言い聞かせて、絶望に染まる青い瞳に自分を映した。
それでも満たされる事なんてなかった。
どれだけ奪ってもなぶっても辱しめても、焦がれるばかり。彼女の代わりは誰にも出来ないのだと思い知らされるばかりだった。
そんな時、関係を持っていた女から『夫を殺したい』と相談された。性格も根性も悪くて、見ている分には飽きない女だった。
でもそれは、僕にとってもチャンスだと思った。
女は夫を殺してもっと上位の貴族に嫁ぎたい。僕はルクレツィアを手に入れたい。
だから殺した。
まずは女の夫を馬車の事故に見せかけて。それからルクレツィアの母親を呪い殺した。元々体の弱かった母親を呪うのに、大した手間もかからなかった。
そして――気落ちした伯爵に魅了を纏わせた女を引き合わせた。妻を愛していた伯爵は抵抗したけれど僕の魅了に敵うわけもなく。女は程無くして、伯爵の後妻におさまった。
その頃だった。
少女を誘拐して殺していた事が露見したのは。見付からないようにしていたわけじゃない。別に罪が暴かれたって構わなかった。
外道と、屑と非難されてもどうでもいい。処刑だって喜んで受け入れた。――この肉体を捨てて、新しい肉体で生きる為に。
処刑を見ていた下級兵士に目をつけて、転魂をした。
僕が千年を生きる理由――転魂。僕は魔力抵抗の低い人間に己の魂を移す事ができる。魂が体に馴染むにつれ、その体は僕の魂に引き摺られて、元々の僕の容貌に変わってしまうのが難点だけれど。
そしてリーヴェスに渡った。
ああ、楽しかった――。
伯爵を殺して、愛妾として屋敷に滞在するようになってからは。
ルクレツィアの真名を奪って僕だけのものにした。
そして――なぶった。感情のままに、欲情のままに、痛め付ける事のなんて甘美だった事か。あげる悲鳴も、耐えるように引き結ばれた唇も可愛らしくて仕方がなかった。
僕に怯えて屈服して、すがってくれたらよかったのに、僕だけを見つめて、僕がいなければ生きられないようになれば良かったのに。
彼女の魂は気高すぎた。
ふぅと息をつく。
思った以上に過去に没頭していたようだ。瑠璃色の瞳を思い出して昂る熱を抑え込む。
目元の魔封輪に触れてみると、バチッと雷撃が指に走った。その痛みが心地よくて思わず笑みが浮かぶ。今度は首に掛けられた魔封輪に触れる。やっぱり指先を雷撃が焼く。耐えられずに低く笑った。
【愉しそうだな】
聞こえた声は、水中で喋っているように不明瞭だ。
「遅いよ。退屈でどうにかなりそうだった」
【無茶を言うな。この魔封じを越えてくるのは骨が折れたんだぞ】
「折れる骨なんてないでしょ、蛇なんだから」
【蛇の背骨の数を聞いてビビんなよ】
僕の影から、独特の動きで姿を現す真っ白な蛇。
魔力を帯びた鱗が怪しく煌めいているのは、視界を奪われた僕にも分かる。
「そんな事はどうでもいいよ。じゃあ、行こうか」
蛇が僕の体に絡み付く。ひんやりとした鱗が僕は結構嫌いではなかった。
「おい、何を……へ、蛇……っ!?」
見張りの魔導師が様子を見に近付いてきた。
ぼくは笑うのを我慢できなかった。蛇が牙を剥き出しに、ひとつ鳴いた。
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