幕間.初デート④
「危うく本当に抱くところだった」
「……もう、自重してください」
「お前が可愛い事を言うのが悪い」
まさか街中で、あんな口付けをしてしまうなんて。誰にも見られてはいないと思うけれど、羞恥に顔が熱くなる。
ヴィルヘルム様はわたしの様子に低く笑うと、耳元に唇を寄せてきた。
「次は我慢しない。大丈夫だ、結界を張れば他の誰にも、お前のあられもない姿を見せないで済む」
低音が耳を擽る。その声を聴いただけで、わたしの体は疼いてしまう。そしてそれをこの旦那様は理解したうえでしているのだろう。
「もう、ヴィルヘルム様!」
「くくっ、あまり俺を煽るな、エルザ」
煽っているわけではないというか、煽っているのはヴィルヘルム様なのだけど。それを指摘しても、言い負かされるのが目に見えているので、私には黙る以外の選択肢がなかった。
「エルザ、疲れていないか」
「大丈夫です。でも……少し、喉が渇きました」
「ではどこか入るか」
「あ、待ってください。あれは何ですか?」
わたしが指差したのは、飲み物の販売をしている露天。果物の絵が可愛らしく描かれた屋台は人目を惹いて、先程からお客さんが途切れないでいる。
「フルーツティーの販売をしているようだな。飲んでみるか?」
「是非!」
お屋敷で面倒を見て貰うようになって、わたしが好きになったのが紅茶だった。リーヴェスで下働きをしていた時は勿論飲むことはなかったし、紅茶を淹れるのはわたしの担当ではなかった。なので馴染みが無かったのだが、お屋敷で頂いてからその美味しさにすっかりと嵌っている。
わたしが紅茶を好むと知ってから、アリスを始めとして使用人の皆さんが美味しいものを選んでくれるのだ。その気遣いも有難かった。
わたし達は購入待ちの列に並ぶことにした。
やはり客層は女性が多い。男性が居ても、わたし達と同じように女性と一緒の人だけだ。男性は余り好まないのだろうか。それならばヴィルヘルム様を付き合わせてしまうのも、何だか申し訳なく思う。
「あの……ヴィルヘルム様……」
「楽しみだな。気に入れば屋敷でも飲もう」
わたしが言葉を紡ぐよりも早く、わたしの心を見透かすような旦那様はにっこりと笑う。この人は本当に優しい。そう言ってくれるのに、わたしが謝罪をするのもおかしくなってしまう。わたしは繋ぐ手に力を篭めて、はいと頷いた。
そう待つこともなく順番が来る。
並んでいる間もヴィルヘルム様には熱い視線が無数に向けられていたし、『元帥様じゃない?』なんて声も聞こえてくるほど。けれどわたしは先程までのように、嫉妬に焦がれたりはしなかった。こんなに素敵な旦那様が人の目を集めないわけがないんだもの。……それは先程の口付けで、嫉妬心が落ち着いたのかもしれない。ヴィルヘルム様には絶対に言えないけれど。
「ほう、果物は一種類だけじゃないんだな」
「そうですね、林檎にイチゴ、葡萄とオレンジ……この緑の果物は何ですか?」
「キウイだな。最近輸入されるようになった果物だ」
「初めて見ました。それにしても綺麗ですね」
色鮮やかな果物たちが、カップの中で踊っているようだ。その愛らしさに頬が緩む。
そっとカップに口を寄せて飲んでみると、甘い果実の風味が紅茶に混じり、とても美味しいものだった。
「美味しい……!」
「いけるな。アリスに言って淹れて貰え」
「そうします。ヴィルヘルム様もお気に召しました?」
「ああ、美味いと思う。これはオーティス辺りも好きそうだが、あいつの事だから既に飲んでいるかもな」
「明日聞いてみてくださいね」
「そうしよう」
近くの広場まで歩いてきていたわたし達は、空いていたベンチに腰を下ろす。そこでゆっくりこの美味しいお茶を楽しもうと思ったのに、不意にアルコールの香りが鼻をついた。
近くから香ったそれに顔を上げたわたしは、見知らぬ男の人に腕を掴まれていた。
「へぇ、上玉じゃねぇか。姉ちゃん、俺達と向こうで……」
男の人の言葉は最後まで紡ぐことを許されなかった。ヴィルヘルム様がその長い足で、男の人の腕を蹴り飛ばしたからだ。
衝撃で離れたわたしの体を簡単に抱き留めると、ヴィルヘルム様は冷たい瞳の中で怒りを揺らしているのが分かる。瞳孔が割れている。
快晴だった筈の空が、雷雲に覆われ始めていた。




