幕間.初デート③
購入した本をお屋敷に届けて貰う手配をして、わたしとヴィルヘルム様はまた手を繋いで歩き出した。
通りを歩く人は多く、皆、楽しそうに表情を綻ばせている。それを見て、わたしまで何だか嬉しくなった。
それからのわたし達は雑貨屋さんに入ったり、文房具を取り扱っているお店に入ったり、全てがわたしにとっては初めての経験だった。それがヴィルヘルム様と一緒なのだから楽しくないわけが無い。
「機嫌がいいな」
手芸用品を扱っているお店に、ふらりと入った時だった。
女性ばかりの店内に、ヴィルヘルム様の長身がとても目立つ。そしてその美貌も勿論注目を集めている。
「そうですね、楽しいですから」
「お前が楽しいと、俺も楽しい」
「ふふ、でも刺繍糸を見ても、ヴィルヘルム様は楽しくないでしょう?」
わたしは色鮮やかな刺繍糸が並べられている一角で足を止めていた。バザーに出す時の刺繍糸はアリスに用意して貰っているから、こうして実際にお店で糸を眺めるのは初めてだった。
色合いが美しく映える様、計算されて並んでいるのだろう。そんな中でもわたしがやはり手に取ってしまうのは青みがかった緑色。
「いや、そんな事は無い。俺の為に刺繍をしてくれるか」
「ヴィルヘルム様の持ち物にですか?」
「そうだ。お前の作った物が欲しい」
「ではハンカチーフに刺繍でも入れましょうか」
「それもいいんだが、軍服にも入れてもらうか」
あの立派な軍服に、わたしの刺繍を?
いやいや、大体軍服にはもう金糸で素敵な刺繍が施されているではないですか。
「……ハンカチーフでお願いします」
気後れしてしまうのも仕方が無いだろう。
ヴィルヘルム様は全てを見透かしているように微笑むと、わたしの頭をぽんぽんと撫でた。
「小さなものでいいんだ。俺の名でも、紋章でもいい」
ヴィルヘルム様は引いてくれない。
これは、本当に刺繍をして欲しがっているんだと、幾ら鈍感なわたしでも分かる。それに旦那様が願う事を、わたしが否定できるわけも無い。この人の願いなら、何でも叶えてあげたいと、そう思ってしまうのだから。
わたしが小さく頷くと、ヴィルヘルム様は嬉しそうに笑う。
「糸は、この瑠璃色がいい。お前の瞳と同じ色だ」
「分かりました。下手でも笑わないで下さいね」
「お前の刺繍の腕は知っているから、心配はしていないが」
そう言って下さるのは、素直に嬉しい。これは張り切って意匠を考えないといけない。
わたしはその他に、青緑や明るい赤、銀色などの刺繍色を買って貰ったのである。
「出掛けるのもいいが、少し難点もあるな」
手芸店を出てすぐだった。
ヴィルヘルム様は深刻そうな様子で溜息を落とす。一体どうしたというのだろう。先程までは一緒に楽しんでいたというのに。わたしが何かしてしまったのだろうか。
「ああ、違うぞ。お前がどうこうというわけでは……いや、お前が要因か」
「……わたしが何かしてしまったのでしょうか」
「可愛過ぎる」
「……かわいすぎる」
この方は往来で何を言っているのだろう。
「お前が可愛すぎて、お前を見ている男達の目を潰してしまいたい」
なんて不穏な発言だろう。
「お前が可愛い事を言う度に、あの路地裏に連れ込んでその体を奪ってしまいたいとも思う」
本当にこの人は、ここが街中だという事を忘れているんだろうか。すれ違い様にヴィルヘルム様に熱い視線を送っていた女性が、その発言にぎょっとしたように目を逸らす。
恐ろしい事に、ヴィルヘルム様は本気で言っているのだろう。その瞳の奥に情欲が見え隠れしているのだから。
「こんなにも可愛いエルザを見せびらかしたい気持ちもあるが。やはり駄目だな。屋敷の奥に閉じ込めて、俺だけを見ていられるようにしてしまいたい」
熱の篭った低音に、周囲の喧騒が消えてしまったかのように錯覚する。
わたしだって、そうなのに。わたしだって、ヴィルヘルム様をわたしだけのものにしたいのだ。
「……わたしだって嫉妬していますよ。街に出た時から、ずっと」
落とした言葉は、自分でも驚く程に掠れていた。ヴィルヘルム様を求めているのが、簡単に分かってしまうくらいに。
そんな声を耳にした旦那様は、わたしの腕を強く引いて店同士の間にある細い通路にわたしを連れ込んでしまう。壁に片腕を突かれて離れる事も出来ない。
ヴィルヘルム様はわたしの顎を掴むと噛み付くように口付けてきた。呼吸さえ奪われる口付けの中、わたしが出来た事といえば、その広い背中に両腕を回して抱きつくだけだった。




