37.曙に染まる【第一部完】
一応、今夜は初夜になるのだろうか。
結婚式の後、披露宴と名前がついた無礼講の飲み会は夜が更けるまで続いた。わたしは早々と退散させて貰ったのだが、広間を出る時に見たヴィルヘルム様はジギワルドさんとオーティスさんにラム酒を飲まされているところだった。
盛装を解き、湯浴みを済ませる。嬉しそうなアリスは就寝前だというのにわたしの髪に香油を塗り、いつもより薄い寝着を準備して去ってしまった。
これは初夜だからなのだろうか。でも……初夜?
わたしとヴィルヘルム様はすでに閨を共にしている。最後まで致していないとはいえ、そういう行為はしているのだが……それでも初夜になるのだろうか。
だいたい、今夜、ヴィルヘルム様は戻ってこられるのだろうか。戻ってこられるとして、あの調子だともう酷く酔っているのでは……?
それでも夫であるヴィルヘルム様を待たずに、眠ってしまうわけにもいかない。読みかけの本でも……と、ソファーから立ち上がった時に、扉側の床に青緑の魔法陣が光を放って現れた。
「すまない、待たせたな」
現れたのは勿論ヴィルヘルム様で、彼はまだ正装の軍服姿だ。
凄い量を飲んでいたはずなのに、平素と変わらない普通の顔色をしている。
「いえ、大丈夫ですか? だいぶお飲みになっていたと思うのですが……」
「問題ない。全員潰してきた」
潰した。それはお酒でだろうか。
「人に飲ませるのだから、飲ませられる覚悟もしているだろうよ」
「そういうものですか?」
「ああ。奴らのことはどうでもいいんだ」
ヴィルヘルム様は軍帽をソファーに放り投げると、わたしを抱き上げてベッドへ向かう。そこで優しく下ろされたわたしは、仄かにお酒の香りを感じ取った。
「お酒の匂いがします」
「嫌いか?」
「いえ、ヴィルヘルム様だから平気です」
「お前はまたそういう……」
ヴィルヘルム様は瞬きを何度か繰り返すと、くつくつと喉奥で笑い出す。
「湯浴みはどうされます?」
「時間が惜しいからな、後でお前と入る」
惜しい?何か予定でもあるのだろうか。
わたしは不思議そうな顔をしていたのだろうと思う。わたしに覆い被さるヴィルヘルム様は、体を支えるのとは逆手で軍服の襟元を寛げている。
「湯浴みする時間すら待てないと、そういうことだ」
説明するように紡ぐ言葉は、既に熱を孕んでいる。孔雀緑の瞳も欲を映して色が濃い。きっとわたしの瞳も同じように欲に浮かされているのだろう。
重なる唇はお酒の味がする。応えたいのに息が出来ない。
掠れた声が自分のものじゃないくらいに、熱を帯びている。
心臓の音が煩いのは、口付けで酔ってしまったからか。それとも、この先への期待なのか。
「エルザ……」
わたしの名を呼ぶヴィルヘルム様の声も熱い。触れられる場所に熱が灯る。
ヴィルヘルム様の全てでわたしが満たされていくのを実感する。
わたしが眠りを許されたのは、もう空が白み始める頃になってからだった。
夢から意識が浮上する。体を撫でる手は、労わるようにひどく優しい。
霞む視界に映ったのは、愛おしそうにわたしを見つめる孔雀緑の瞳だった。
「……ヴィルヘルムさま……?」
「無理をさせたな、大丈夫か?」
「へいき、です……」
本音で言えば大丈夫ではない。起き上がる事など到底出来そうに無かった。今までは手加減でもされていたのだろうか。
「……機嫌が、よさそうです……」
「それはそうだろう。やっとお前の全てを俺のものに出来た」
上機嫌を示すように、ヴィルヘルム様はにこにこと笑っている。わたしの髪を指先に絡めては解く事を繰り返してから、口元のほくろを指で擽った。
「エルザ、愛している」
「……わたしもですよ、ヴィルヘルム様。愛しています」
何度となく繰り返したやりとりでも、慣れる事無く鼓動が跳ねる。ヴィルヘルム様が嬉しそうに笑った。
夜明けの光が部屋に差し込む。朱と金が入り混じった美しい暁の空。曙色がヴィルヘルム様の灰色の髪を染めていく。
初めて会った時も、夕陽に染まった髪だった。その時を思い出してまたわたしは笑った。
わたしはもう祈らないだろう。
祈らずとも、わたしはわたしで在り続けられる。もう何も奪われたりはしないのだから。
ここで第一部が終わります*°
幕間を挟んで第二部がありますので、続けてお楽しみ頂けたら嬉しいです!
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