34.断罪②
「決着はついたようだな」
不意に響いた声は威厳に満ちている。
わたしを含むその場にいる全員は振り返り、その場に跪いて頭を下げた。
その場にお出になったのは、従者を連れたこのリーヴェス王国の王太子殿下だったからだ。まだ年若いのに既に貫禄を醸し出して、その場の主導権を一気に奪ったようだった。
「顔を上げて、体を楽にしていい」
言われるままに顔を上げると、王太子殿下と目が合ってしまった。微笑みかけられてもどうしていいか分からない。
「ミロレオナード元帥、此度は我が国の者が迷惑をかけたな。ルクレツィア嬢の保護も感謝する」
「いえ、これだけ早く舞台を整えて下さって感謝しています」
「それは貴殿が全て取り計らってくれたからよ。それにしても……ふむ、ルクレツィア嬢の魔力は凄いな。真名封じをされていなければ、私にも気付けただろうに。これだけの魔力なら王妃たる資格もあるが……今更それを口にしても詮無いことか」
「殿下は噂に違わぬご聡明さであられる。彼女は私と婚約を交わしております故に」
「父上から聞いた。我が国の発展の為には惜しいが、これも全てそこの女狐どもに代償を払って貰うしかあるまいよ」
交わされる言葉は友好的な筈なのに、その温度は酷く冷ややかだ。ちらりとジギワルドさんを伺うと、関わるのはごめんとばかりに素知らぬ顔でそっぽを向いていた。
「ルクレツィア嬢、婚約おめでとう。このままヒルトブランドに渡ると聞いている。貴君の幸せをこの国の王太子としても願っているよ」
「ありがとうございます」
カーテシーで頭を下げる。ヴィルヘルム様の執事さん達にも褒められる程に練習をしたから、見苦しくはないと思う。殿下は穏やかに笑うと踵を返し、従者を連れてその場を後にしてしまった。
その姿が見えなくなると、わたしも警邏隊の人々もふぅと深く息を吐く。王族の方にお目通りが出来る事など滅多にない。緊張するのもしかたないものだと思うけれど、ヴィルヘルム様とジギワルドさんは平然としている。
「片がつくのを見届けに来て、ついでにお前を見定めに来たのだろう」
ヴィルヘルム様の声が固い。不満そうに眉間に皺を寄せるとわたしを腕檻に閉じ込めてしまう。
「わたしを、ですか?」
「自分の妻になってもおかしくなかった娘だ、気になるのも仕方ない。しかもお前はこんなにも美しいのだから。艦を呼ばずに済んで良かったな」
それは、王太子様がわたしを望んだら戦争になったという事だろうか。
「俺にはその権利が与えられている。必要なら皇帝の許可を得る前に開戦出来る」
またわたしの心を読むヴィルヘルム様は、怖いことを口になさる。わたしを理由に開戦するのは、皇帝様も流石にお認めにはならないでしょうに。
「……んで……なんでなんでなんで! なんでヘスリヒが! そんないい目をみているのよ! なんであんたが……そんないいドレスを着て、宝石をつけて……どうしてヘスリヒごときがっ!」
叫ぶ声はタニア様のものだった。
ロベアダ様とタニア様は、警邏隊の方に魔導鎖で縛りあげられている。その手には鉄錠が鈍く光を反射していた。
「ねぇ、元帥閣下! わたくしの方がそんな娘よりあなたに相応しいですわ! わたくしをどうぞお側に置いてくださいませ!」
「そうよ、その通りだわ……。ヘスリヒ! 何をやっているの! この伯爵領で起きた不祥事は全てお前がやったことでしょう。わたくし達に罪をきせようとしているのね! さっさと誤解をといて、タニアをその方のお隣に……」
「黙れ」
錯乱している二人の言葉を遮ったのは、冷え冷えとしたヴィルヘルム様の声だった。
晴れていた空に黒雲が近付いて、稲光が走った。遅れて音がする。この場の空気も冷え込む一方で、ジギワルドさんが肩を竦めているのが視界の端に見えた。
「お前たちは私の婚約者を尚も貶めるのか」
「……婚約者、ですって……!? ヘスリヒ、お前が婚約なんて……」
タニア様の顔が歪む。わたしの左手薬指で煌く緑の宝石に気付いたようで、その視線には憎悪の炎が揺らめいている。
「心優しい私のルクレツィアは、お前達に直接の復讐をしないようだが……生憎と私はそれを良しとしない。同じだけの傷をつけて、同じだけの待遇に落としてやりたいと思っている」
お屋敷の庭に雷が落ちた。雷雲に覆われた空は陽光を通さず、気温は下がる一方だ。
ヴィルヘルム様は脅しているわけじゃない。本気だとわたしには分かった。
「彼女の六年間を奪った罪は、お前たちが考えているよりも重い。死すら生温いと思えるくらいにな。……リーヴェス王からは私がお前達に罰を下す許可を得ている」
「な、っ……! そんな、わたくし達には裁判を受ける権利が……」
「幼い少女から全てを一方的に奪ったお前達が、権利などと全うな事を主張するとはお笑い種だな」
ヴィルヘルム様は凍て付くような笑みを口端に乗せた。笑っているのに、笑っていない。屋敷の中で証拠品を押収する警邏隊の声と、使用人を捕縛する怒声がどこか遠くで聞こえるようだった。
思わずヴィルヘルム様の腕に縋ると、その腕でわたしの腰を抱き直し体を寄せてきた。これだけの冷え込む空気の中で、触れ合う場所だけ熱を持っているようだ。
「東海の孤島にあるダンブルマギア監獄は知っているな」
ダンブルマギア監獄。
その言葉を聞いた、その場にいるすべての人間の動きが止まった。わたしも、ジギワルドさんも。
それは東の海に浮かぶ孤島。その島自体が巨大な監獄。
重罪人を収監する為に各国が共同で運営するその監獄から抜け出る事は絶対的に不可能で、運よく島から出ても周囲は渦潮が酷く、簡単な船など簡単に沈んでしまう。
体罰は当たり前。食事すらままならない。この世の地獄。
一度入ればその生が終わるまで出る事は出来ない、非情の牢獄。
「お前達にはそこに入って貰う」
「いやぁっ! そんな……ちょっと、すこし虐めただけじゃない!」
「ええ、ええ! そんな地獄に落とされる程の非道な事までしていないわ!」
タニア様が顔を青白くさせて悲鳴をあげる。その場から逃れようとするも、魔導鎖で繋がれていて、その場で派手に転んでしまった。
ロベアダ様の顔色も酷く悪く、ガタガタと音がなりそうな程に震えている。
「猿轡を。収監する前に死なれたら困る」
淡々と指示を出すヴィルヘルム様に誰も逆らえるわけがなく、警邏隊の隊員さんが二人の口に布を噛ませた。
きっとわたしの顔も青褪めていたと思う。呼吸が震える。
「レーバブリューム伯爵も殺害している。ゲオルグ・アルフレドが実行したとはいえ、お前達とて共犯だ。彼女から全てを奪い、貶めて、その体と心に傷を負わせる事が少しの虐めだというのなら……俺がお前達を監獄に入れるのも少し虐めただけと同じだろう?」
氷の美貌が微笑む姿に、誰も言葉を口にする事は出来なかった。
警邏隊の隊長さんがはっと我に返ったように、つれていけと隊員さんに指示をする。引きずられるようにして連れて行かれるロベアダ様達はわたしの事を見なかった。
わたしの事などもう気にもしていられないのだろう。これからの自分達の未来を想像して恐怖に震えているに違いなかった。




