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30.星空の下

 丸い月が夜空に浮かんでいる。満ちたその天体のみを光源に、わたしとヴィルヘルム様はわたしの部屋の長椅子に座っていた。

 浮かぶ月とその傍らの一等星の様に寄り添って。


「辛いところはないか? 魔力の道がいきなり開いたんだ、反動があってもおかしくない」

「大丈夫です。ヴィルヘルム様こそ大丈夫ですか? 凄い魔法をいくつも使っていたので……」

「俺の魔力は無尽蔵でな。あの程度では何てことは無い」


 さらりとおっしゃっているけれど、詠唱破棄の最上級魔法に古代魔法を二発。その他にもずっと結界を張り続けていたのだから魔力の消費は半端なかったと思う。

 術士様だけでなくて、ジギワルドさんもオーティスさんもとんでもないって言うのがよく分かる。


「あの、ヴィルヘルム様……術士様が言っていた、魔王の器とは……?」

「気になるか」


 気になるかと言われたら、それは気になる。だけれど話したくないことなら忘れようとも思っている。

 そんなわたしの内心を読んだヴィルヘルム様は、低く笑うとわたしの髪を優しく撫でた。


「俺には魔族の血が入っている」

「魔族、ですか」


 魔族。

 それは魔王を頂点として、魔物をも従えるだけの魔力をもつ種族。その魔力は人のそれとは比べ物にならない。長寿であり、ハイエルフ族や精霊族とも並ぶだけの魔力や知識量を持つ。最果ての孤島を領地としていて、魔王が認めた国とのみ国交を樹立している。


「先祖に魔族の女性を嫁に迎えた者がいるらしい。その子も強い魔力を持っていたようだが、俺は先祖返りで魔族の血が色濃く出ている」

「先祖返り。……天候を操るのも、怒ると瞳孔が割れるのも?」

「そうだ。俺は純粋な魔族ではないが、魔力量などがいまの魔族の中でも上位に入るらしくてな。魔王の器というのはその事だろう」

「いま、魔王様というのはいらっしゃるんですよね?」

「ああ、いる。もう三百年は生きているらしいな。魔王なんて肩書きはあるが気のいいじいさんでな、ヒルトブランドと国交を開いたのもそのじいさんだ」


 魔王様をじいさん呼ばわり。


「ヴィルヘルム様もお会いした事があるのですか?」

「時々遊びに来るんだ。魔族領にも、陛下のお供で行ったことがある。美しい島だから、今度はお前も連れて行こう」

「ご一緒できるなら、ぜひ」


 ヴィルヘルム様と一緒に行けるなら、どこにでも行きたい。それが例え、地の果てでも。

 嬉しそうに笑うと、ヴィルヘルム様も表情を更に和らげてわたしの肩を抱いてくれる。髪に頬を摺り寄せてくるけれど、擽ったくないのだろうか。


「その前にまず、リーヴェスだな」

「そうですね、伯爵家を王家にお返ししなくては」

「明後日にリーヴェスに行くぞ。俺がいるから心配しなくても良い」

「明後日ですか?」


 それはまた急な話だ。

 わたしの心を読むのが上手なヴィルヘルム様は、くつくつと笑って、わたしの頭を胸元に引き寄せる。湯浴みも済ませてガウン姿のヴィルヘルム様は色気が漏れすぎていて危険だと思う。


「早く片を付けてしまいたいんだ。そろそろ俺の我慢も限界でな。……初めてお前と会ってからもう二ヶ月か。最後の一線を越えないでいる、俺の忍耐力は自画自賛してもいいんじゃないか」

「……で、でも、爵位と領地をお返しするのに、わたしはどうしたらいいのでしょう」


 艶めいた声で切なげに言われると、わたしの理性がもたない。

 わざとらしいのは自覚しているが、無理に話を変えさせて貰った。ヴィルヘルム様は苦笑いをするだけで咎める事はない。


「心配するな。もうリーヴェス王家と話はついている」

「え?」

「すべての手筈は整っている。屋敷にいるお前の義母と義妹を捕らえれば終わりだ。当日はリーヴェスからも警邏隊が派遣される」

「……いつの間に」

「俺に抜かりは無い」


 不遜に言い切るヴィルヘルム様が余りにも格好良くて、わたしは思わずその首に両腕を回して抱きついていた。


「ありがとうございます。わたし、何から何までお世話になりっぱなしで……」

「愛する者の為だ、気にするな」

「……恥ずかしいです」

「恥ずかしがることは無い。本当の事だろう」


 ヴィルヘルム様がとびきり甘い声で囁くものだから、わたしの顔には熱が集うばかりだ。鼓動がうるさい。今にも口から心臓が出てきそうな程に。

 わたしはヴィルヘルム様の膝の上に横抱きで座らされた。初めて会った日から、この人はわたしを膝に乗せるのを好む。恥ずかしい気持ちは今も変わらないけれど、それよりも心地よさが勝るようになった。


「エルザ、これを」


 パチンとヴィルヘルム様が指を鳴らすと、わたしの胸元に一つの箱が下りてきた。それを両手で受け取ると、不思議そうにヴィルヘルム様を見る。

 ヴィルヘルム様はどこか悪戯げに笑うと、箱に結ばれたリボンを指で示す。促されるままにリボンを解いて箱を開けると、そこには鮮やかなパライバトルマリンの指輪があった。金の台座に美しくカットされた緑の宝石。周りを飾るダイヤモンド。

 その美しさに感嘆の息をついていると、ヴィルヘルム様はその指輪を箱から出して、わたしの左手薬指にはめてくれた。サイズがぴったりのそれは……。


 またヴィルヘルム様がパチンと指を鳴らす。

 部屋に差し込んでいた月明かりが消え、真っ暗闇の中に落ちる。触れ合う温もりがあるから不安は無いけれど、一体どうしたというのだろう。

 くすりとヴィルヘルム様が笑った気配がした。すると、真っ暗闇の中に、一筋の光が流れた。流れ星?

 わたしが星だと気付くと、部屋中に星が溢れる。瞬くものもあれば、流れるものもある。その幻想的な風景にわたしが見惚れていると、顎に指を掛けられてヴィルヘルム様のほうへ顔を向けさせられた。


「エルザ、愛している。……俺と結婚してほしい。誰にもお前を傷付けさせない。お前の何も奪わせない。俺がお前の盾となり剣となろう。お前の全てが欲しい」


 低くて甘い声。わたしの心に直接届く、美しい声。


「……愛しています、ヴィルヘルム様。ずっとお傍に置いてください」


 わたしも誠実に答える。それ以上の言葉なんて出てこなかった。

 星明りに照らされたヴィルヘルム様は息を呑むほどに美しい。熱で色深くなる瞳にわたしだけが映っている。ああ、愛おしい。


 ヴィルヘルム様がわたしの背に片手を回し、体を支えて長椅子へと横たわらせる。覆い被さるヴィルヘルム様の向こうで、またひとつ、星が流れた。


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