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29.わたしの名前は

「……精霊王、様……?」

『いかにも、我が精霊を統べる王である。そなたの魔力を注がれて力を揮える精霊は()しかいないでな、付き合え』


 髪と同じ、色を変える虹色の瞳で精霊王様が笑う。


「エルザ、体は辛くないか? 魔力をごっそり持って行かれるはずだが」

「あ、はい……大丈夫です。むしろ楽になったような……?」

『その娘の体には余る程の魔力が溜まっていた故、楽になったのであろう。魔力の道を閉ざされていたか。……惨い事をする。あれが続けば娘の体は篭る魔力に耐えられずに壊れていたであろうよ』


 心配そうなヴィルヘルム様に、何でもないとばかりに笑って見せる。体が楽になったのは本当なんだけれど、わたしの体は中々に危険だったらしい。ヴィルヘルム様に頼んで魔核を作るようになって少し楽にはなっていたけれど、それまで体の奥底で何かが溢れそうな感覚は時々あったから、それが危なかったのかもしれない。


『して、あの男を封ずれば良いのだな』

「そうだ。奴は千年を生きる異端の魔導師。殺してしまうと転魂をされるかもしれない」

『ふむ……人の身で大それた事をするものよ』


 精霊王様と対等に話しているヴィルヘルム様は本当に何者なのだろうと思う。術士様が言っていた『魔王の器』が関係している? ……でもヴィルヘルム様はヴィルヘルム様。きっと何も変わらないのだろう。

 思わずヴィルヘルム様に寄り添って、自分からもその背に片手を回すと応えるように腰を力強く抱いてくれた。


「精霊王が相手じゃ難しいかな。ここは引かせてもらう。ヘスリヒ、僕と来るんだ」

「行きません。わたしのすべてはヴィルヘルム様と共にあります」


 術士様が空から手を差し伸べてくる。それに手を伸ばせば、きっと囚われてしまうのだろう。そんなのはお断りだった。


「引かせるつもりもない」


 ヴィルヘルム様が短くそう言うと、庭を囲う壁から現れた光が集まって、ドーム状に空を覆った。光で作られた結界はひどく厚いようで、向こうの景色がぼやけて見えるほど。


「ヘスリヒ」

「わたしの名前はエルザです。ヘスリヒではありません」


 言い聞かせるように呼ばれるけれど、わたしはもうヘスリヒではないのだ。術士様に怯えていた子どもではない。


 術士様は盛大に舌打ちをすると漆黒の杖を構えて詠唱を始める。なんとなく先程のヴィルヘルム様の詠唱に似ているから、古代魔法なのかもしれない。


「逃がさん」


 ヴィルヘルム様はにやりと笑うと、白銀の杖を術士様に向けて詠唱を始める。これもきっと古代魔法。

 術士様が詠唱すると、古代文字が杖の周りに現れる。光を何も通さないような影よりも濃い黒い色。それがふわりふわりと浮かんで、ヴィルヘルム様の作った結界に張り付いていく。


 ヴィルヘルム様の詠唱はやっぱり唄うように美しい。歌に合わせて揺れる古代文字は鮮やかな孔雀緑。反応するようにわたしの杖の魔石まで光っている。これはわたしの魔力だけじゃなくて、ヴィルヘルム様の作った魔導具の魔石も入っているから、ヴィルヘルム様の魔力に反応するのは当然なのだろう。

 ヴィルヘルム様の紡ぐ古代文字はその姿を孔雀に模した。大きく翼を広げた美しい獣。

 精霊王様はその孔雀を見て低く笑うと、両手に集めた光で同じような孔雀を作ってみせる。こちらは光り輝く虹色の獣。どちらもひどく美しかった。


『破壊の調べを』


『唄え響け』


 空を覆う結界が、古代文字で黒く染まる。

 術士様が最後の詠唱を終え結界に罅が入るのと、ヴィルヘルム様が大地を白銀の杖で突くのとは同時だった。


 結界が割れると思った時には、二羽の孔雀は美しく飛び立ち術士様をその二対の翼で包み込む。


「ぐ、あ、あああああああっ!!」


 断末魔が響く。

 結界を壊そうとしていた黒の古代文字は霧散して、二羽の孔雀は術士様を包み込んで大地へと降り立った。


 倒れ伏した術士様の首には虹色の首輪がつけられている。瞳を覆い隠すように付けられた太い輪は孔雀緑。


『これで魔力は封じられた』

「協力に感謝する」

『呼ばれたから応えたまでのこと。……ふむ、お主は面白い魂をしているな。その力に困ることあれば余を呼ぶといい。助けになれるやもしれぬ』

「俺の魔力でも応えてくれるか」

『器になりうる男の願いならばな』


 精霊王にも臆する事のないヴィルヘルム様は、どこまでも普段通りだ。召喚したはずのわたしはすっかり気後れしているけれど。


『娘よ』

「は、はい!」


 急に話し掛けられて肩が跳ねる。可笑しそうに笑うヴィルヘルム様と精霊王様は何だか似ている。気恥ずかしさに眉を下げると、ヴィルヘルム様が背中を撫でてくれた。


『お前の魔力は心地よい。制御を覚えれば余だけでなく、他の精霊も力を貸すだろう。精進せよ』

「……ありがとうございます」

『では、さらばだ。人の子らよ』


 ふ、と笑った精霊王様は一瞬でその場から消えてしまった。余韻も何も残さず、その場にいたこともまるで幻かのように。


「……まさか精霊王を拝めるとはな」

「とんでもないわね、エルザちゃんも」


 ジギワルドさんとオーティスさんも近付いてくる。

 改めて周囲を見ると魔獣はすべて倒されていた。怪我をしている人はいるが、重傷ではないようでそれ以上の人もいないようだ。兵士さん達は命令だから気にしないかもしれないけれど、巻き込んでしまったわたしとしては安心する。


 兵士さんが数人集まると、気を失っている術士様を鎖で縛り始めた。仄明るく光っているからきっと魔導具なのだろう。

 術士様からは魔力が全く感じられない。首と目の拘束輪で封じられているようだ。数人がかりでどこかに運ばれていく。


「オーティスさんもジギワルドさんもご無事でよかったです。ありがとうございました」

「んもう、他人行儀ね。良かったわね、真名が戻って」

「真名が戻ったって事は、これからはルクレツィアって呼んだほうがいいのか?」


 ジギワルドさんの言葉に目を瞬く。そうだ、真名が戻ったのだからルクレツィアと名乗ってもいいんだけれど……。


「わたしの名前はエルザです」


 にっこり笑って答えると、ヴィルヘルム様に両腕で抱き締められた。不意のことで思わず持っていた杖を落とすも、それは地に落ちる前にわたしの影に消えたようだった。

 伝わる温もりに安心する。鼓動が心地よくて、わたしも両手を背に回すと耳元でヴィルヘルム様が笑った気配がした。


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