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27.元帥の紡ぐ唄

 落とそうと思って落としたわけではないのだが、感情を抑えることができなかった。

 これくらいで傷を負わせる事が出来るとも思っていなかったが、防御魔法を使った気配もないのに無傷なのは正直腹が立つ。

 いや、腹が立つのは最初からだった。エルザを傷付けた張本人が目の前にいるのだ。殺してしまいたいくらいに腹立たしい。


「君、天候まで操るんだ? 凄いね。ああ……器なのか」

「器?」


 愉悦に顔を綻ばせる男に、俺のエルザは怯えている。それは仕方のない事だと思う。ずっとこの男に虐待されてきたのだ、その恐怖はもう体に染み付いているのだろう。

 震える彼女を片手で抱き寄せて、逆手に杖を呼び寄せる。手に馴染む白銀の杖は俺が呼べばいつだって、その手に現れる。そういえば杖に飾られた石は、エルザの瞳と同じ瑠璃色だと今更ながら思った。


「君、魔王に成り得る器だよ。面白いね。でもヘスリヒ(醜い者)を離さないなら、その器も壊させて貰う」

「……その名で彼女を呼ぶなと言っている!」


 魔王の器。

 そんなのどうでも良かった。俺が許せないのは、エルザのことをヘスリヒ(醜い者)と呼ぶこと。俺が声を荒げるのが珍しいのか、エルザだけでなく副官達や部下の兵士も目を瞠っている。


 俺は杖をアルマハトに向けると、魔力を凝縮させて氷の塊を生み出した。それは真直ぐに奴に向かい、その切っ先が触れる間際に氷を弾けさせる。無数の欠片が刃となって四方八方からアルマハトに降り注ぐ。


 だが奴には届かない。

 アルマハトの手にもいつしか漆黒の杖が握られていて、それが生み出す防御結界に氷の刃は阻まれていた。この程度で仕留められるとは勿論思っていない。


「おいおいおい、最上級魔法だろ、アレ」

「詠唱破棄とか勘弁して欲しいわ」


 後ろでジギワルドとオーティスが呟いている。


「本当に面白いね、君。次は僕の番かな」


 アルマハトはそう言うと、杖を振って巨大な炎を天に生み出す。黒雲まで焦がすようなその熱量。


「ジギワルド、オーティス。全力で結界を張れ」

「あいつも最上級魔法かよ! こっちも詠唱破棄とか、お前らほんっととんでもねぇな!」

「あいつはともかく、うちの元帥がとんでもないのは今更でしょ!」


 俺は腕の中のエルザをしっかり抱き寄せると、防御結界を幾重にも展開させた。オーティス達にも結界を張らせているが、あれに耐えうるだけの結界は俺も張らなければ間に合わない。

 皇宮には元々結界が張ってあるから心配はしていない。どこかで高みの見物をしているだろう皇帝陛下も心配しない。


「ヴィルヘルム様、わたしの魔力もお使いください」

「俺が負けると思うか」


 顔色を悪くさせながらも、エルザが俺を見上げる。俺の軍服の布地をきつく握り締めたその細い指が白くなっている。今日も俺のエルザは可愛い。

 宥めようとその額に唇を落とした瞬間、巨大な炎球が俺に向かって落ちてきた。


 結界が押し潰される感覚。

 何重にも重ねなければ消し炭になっていただろう。


「堅いねぇ」


 楽しげに笑うアルマハトの瞳に、嫉妬の色が浮かんでいるのが分かる。

 そうだ、この男もエルザに惹かれているのだ。この男にとって甚振る事は愛情表現だったのかもしれない。そんなの許容出来るわけもないが。


「彼女の真名を返して貰おうか」

「返して欲しければ、力ずくでやってみたら」

「そうか。では遠慮なく」


 俺は白銀の杖で地面を叩く。瑠璃色の魔石が呼応するように煌いた。

 口から紡ぐのは古代語。今は失われた古代魔術の詠唱だった。それを耳にしたアルマハトは一瞬驚愕に目を見開いたが、すぐに楽しげに笑い出す。


 詠唱を続けると幾重にも光の輪が生まれる。今はもう書き記す者もいない詠唱の古代語がその輪に刻まれている。唄うような詠唱。俺の紡いだ輪は一筋の太い光となって天へと上り、雷雲を打ち消していった。

 晴れ渡る青空。雲ひとつ無い。

 腕の中のエルザが、綺麗と呟いたのが分かった。その震えは収まっている。


「それだって禁術みたいなもんでしょ。君、ほんとにとんでもないね。本当に人間? 瞳孔割れてるし魔族でしょ」


 アルマハトの揶揄めいた声。

 人間? 魔族? そんなのどうでもいい。俺はエルザから何も奪わせない。


『在るべき場所へ』


 古代語で最後の詠唱を紡ぐ。ドン、と力強く、白銀の杖で大地を叩くと天へと上った光が大きな白い虎となってアルマハトに襲い掛かる。


「く、っ……!!」


 アルマハトは黒い杖を自分の前で横に持つと、端から見ても強固だと分かる黒い結界を展開させる。それで白虎の爪と牙を防ぐも、結界はパキパキと音を立てて罅割れてきている。


「まさか、これだけの……! 渡さない……ヘスリヒは、僕のものだ……っ!」


 まだ言うのか。

 苛立ちに眉を寄せるも、エルザが俺の腕に触れるのに気付いて視線を落とす。彼女はその美しい顔に戸惑いを載せていた。


「エルザ、真名が自分に戻るように願え」

「真名を……ですか?」

「奪った真名はあいつのものになっているが、その結びつきは強くない。今、あいつは俺の魔法を受けるだけで精一杯だ。今なら真名も本来の持ち主であるお前の声に呼応するだろうよ」


 白銀の杖をアルマハトに向かって振り下ろす。応えるように白虎がアルマハトに押しかかろうとするも、千年を生きるだけあって流石にしぶとい。

 罅割れても結界は割れないだろうが、他に意識を向けるだけの余裕もないだろう。

 最初から古代獣である白虎召喚で倒せるとも思っていない。まずはエルザの真名を取り戻すのが最優先なのだ。


 俺の言葉を受けたエルザは戸惑いながらも、両方の手を胸前で組む。目を伏せ祈りを捧げる姿も美しい。


 エルザの纏う魔導具が仄かに光る。淡黄色の光はエルザを包んだ後に収束し、柔らかくも力強い光は一本の矢となってアルマハトを貫いた。

 そう、あの強固な結界さえも越えて。


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