26.庭園
わたしはヴィルヘルム様に連れられて、皇宮の中庭に来ていた。
皇帝陛下がおっしゃっていた通りに、薔薇が満開で芳しい香りが庭中に漂っている。他にも見目鮮やかな花々が風に揺れて、目を楽しませてくれている。
「綺麗……!」
思わず感嘆の声を零すと、わたしをエスコートしているヴィルヘルム様が肩を揺らした。オーティスさんとジギワルドさんは少し離れたところを歩いている。
周囲を警戒している筈なのに、そんな様子は欠片も見せない。
「気に入ったなら、屋敷にも薔薇を増やすか」
「お屋敷のお庭も素敵ですよ。今度、お庭でお茶をしましょう」
「それはいいな、楽しみだ」
不意に、背中の傷が疼いた気がする。もう傷は綺麗に治っていて、その痕さえ残っていないのに。思わず周囲を伺うと、守るようにヴィルヘルム様が腕の中に抱いてくれる。
「どうした」
「……背中が痛んだ気がして……」
気のせい? 術士様の気配はしない。
「おい、ここはいま立ち入り禁止だ」
ジギワルドさんの鋭い声に振り返ると、酷く顔色の悪い男の人が庭園に入ってくるところだった。軍服姿だけどその色は臙脂。陸軍の色だ。
何だかその顔に見覚えがあった。……そうだ、艦に乗せて貰った日。陸軍の元帥閣下と一緒にいた人。最後に目が合ったあの人。
「止まりなさい」
オーティスさんは険しい顔で銃を向けている。オーティスさんが武器を持つのを初めて見た。
それでも男の人は止まらない。その瞳は真直ぐにわたしに向けられていた。
「……おれの、ものに……だれも、しらないばしょで……ふたりで……」
感情の乗らない声。
それを耳にしたヴィルヘルム様は盛大に舌打ちをした。
「乗っ取られているな」
ヴィルヘルム様の声は固い。思わずその胸に縋り付くと、男の人が急に走り出した。一気に距離を詰めてこようとした瞬間、黒い霧が男の人の体から現れて、その姿を飲み込んでしまった。
「……なに、あれ……」
禍々しい黒い霧。
苦悶の呻きだけが聞こえる。危険だと、体の全てが訴えてくるようだった。
バキン、と鈍い音がして黒い霧が圧縮していく。
そしてその場に現れたのは、にやりと笑った術士様だった。
「……術士、様……」
「久し振りだね、ヘスリヒ。随分と元気そうになっちゃって……これはまた虐め甲斐があるな」
「その名前で彼女を呼ぶな」
明るい調子で話しかけてくる術士様は、いつもと変わらない様子だった。彼はいつだって笑いながら、明るい調子でわたしを嬲る。
傷は癒されても、体に染み付いた恐怖は消えない。背筋を震わせる私を守ったのは、ヴィルヘルム様の声だった。
「君がミロレオナード元帥閣下だね。うん……すごいね、その魔力。君って昔からそんなに魔力高かったっけ? そんな力があったら魔導師団で放っておかないと思うんだけど」
「お前、やはりゲオルグ・アルフレドだな」
「やだなぁ、そんな名前はとうに死んだよ」
潜んでいた空軍の兵士さん達も、皇宮の騎士さん達も集まってくる。その敵意を一心に受けながらも、術士様は笑っていた。
術士様の足元にふわりと風が起きる。
それはだんだんと術士様の体を浮かび上がらせて、彼は空中からそのすべてを見下ろしている。
「僕の名前はアルマハト。千年を生きる者だ」
術士様の言葉にヴィルヘルム様が固まる。それはオーティスさんもジギワルドさんもだった。
「転魂を繰り返す異端の魔導師。伝説かと思っていたが、まさか実在するとはな」
「へぇ、信じるんだ?」
「それなら処刑された筈のゲオルグ・アルフレドが生きていたと言われても納得がいく。いや、ゲオルグ・アルフレドは間違いなく死んだのだろう」
「それじゃあ僕には、君達が束になったって敵わないと分かるだろう? 理解したらヘスリヒを渡して貰おうか」
術士様に見下ろされると足が竦む。でもわたしはヴィルヘルム様に寄り添ったまま離れる事はなかった。ヴィルヘルム様もわたしを片腕に抱いたまま、離さないでいてくれる。
晴れていた空が厚い雲に覆われる。遠くで雷が鳴った。
「彼女をその名で呼ぶな。彼女は渡さない。真名も返して貰う」
殺意の滲んだ声。
ヴィルヘルム様が研ぎ澄まされた氷のような声で言葉を紡ぐと、黒雲から一筋の雷が術士様めがけて落ちてきたのだった。




