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2.出逢い

 祈りを止めて立ち上がり、ゆっくりと振り返る。

 夕陽に照らされたその姿は、何かの絵画かというように美しかった。


 立っていたのは、美しい男の人。

 夕陽に染まる髪色はここからでは分からないけれど、孔雀緑の瞳が深い色に煌いた。長いコートは詰襟で前合わせ。きっちりと前は留められている。勲章が黒い布地に沢山留められていた。


 わたしはゆっくりと膝を折って淑女の礼をする。

 足枷の所為で余り足が引けないし、家庭教師がついていたのも十歳まで。その頃までに習ったマナーはもう錆付いている。見苦しいかもしれないけれど、これがいまのわたしに出来る精一杯だ。


 カツカツと軍靴の硬い音が響く。

 此方に近付いてくるのは分かったけれど、わたしは顔を上げずにずっとカーテシーを取り続けていた。


「顔を上げろ」


 響く声は低い。その声に蔑みの色はない。

 言われるままに顔を上げると、遠目で見るよりも遥かに美しい人がそこにいた。美しいけれど柔らかで儚げなものではない。精悍な顔立ちだった。


 灰色の髪が腰まで伸びている。艶めいているその輝きは、しっかりお手入れされている証だ。通った鼻筋も、薄い唇も、切れ長の瞳も、この人を形作る全てが美しかった。


「住人は全て避難させたと思ったが、悪いことをした」

「い、いえ……わたしは、転移で飛ばされてきたようで……」

「転移? この戦場にか?」


 目の前の美人は訝しげに片眉を上げる。そんな仕草さえ様になるのに対してわたしは、掠れた声で返事をするしかなかった。


「わたしにもよく分からないのです。あの……差し支えなければ、ここがどこか教えていただけますか?」

「それも知らぬのか。ここはヒルトブランド帝国、北の国境にある町だ。北の山に拠点を構える異教徒達が侵攻してきたのは知っているだろう?」


 ヒルトブランド帝国。

 眩暈がしたけれど倒れなかったのは自分を褒めたい。


 わたしが生まれ育った伯爵家があるのは、リーヴェス王国だ。

 その北側に位置するのがヒルトブランド帝国という巨大軍事国家。資源も豊富ながら魔法を軍事に転用する技術が高く、周辺国から狙われている……が、手を出すといつも返り討ちに合う。

 十歳までついていた家庭教師は、そうやって地理を教えてくれた。


 まさかリーヴェスからも出ているだなんて。

 義母にとって、わたしが帰ることは相当にまずいらしい。わたしとしても帰りたくはないけれど。

 そんなことよりも、このままではわたしは不法入国者だ。処罰されるのはわたしを転移させた、義母の愛人つばめである術士なのか。いや、どう考えてもわたしだろう。飛ばされてきたなんて証拠もないし、信じられるわけもない。


「どうした?」

「……わたしはリーヴェスに居ました。信じて頂けるかは分かりませんが、不法に国を越えるつもりはなかったのです……」


 声が震えるのも仕方がない。

 目の前の美人は位の高い軍人なのだろう。わたしを処罰する事なんて容易だ。

 終わった。


 そう思ったのだけれど、美人はわたしの頭から爪先までを眺めると、短い思案のあとに小さく息をつくだけだった。斬り捨てられないのだろうか。


「お前の名は?」

「ヘスリヒと呼ばれていました」

「ヘスリヒ?」


 美人の眉間に皺が寄る。何をしても美人だけど。

 ヘスリヒの名前が気に入らないのか。それはまぁ……『醜い者』なんて名前は聞こえがいいわけもなく。


「そんな呼び名じゃない。お前の名前だ」

「申し訳ありません。分からないのです」


 美人の眉間に寄る皺が深くなる。怒っている? 纏う空気が冷え込んだ気がした。


「……昔、真名を奪われ封じられてしまったのです。それからわたしは自分の名前がわかりません。与えられたのはヘスリヒ(醜い者)という呼び名でした」

「……真名を奪うのは重罪だぞ。それはリーヴェスでも変わらないだろうが」

「そう、ですね……きっと」


 美人の迫力に思わず後ずさる。足元で鎖がジャラ、となった。それを耳で拾った美人は目を瞠るとわたしとの距離を一気に詰めて、不躾にもわたしのドレスの裾を引っ張った。

 慌てて裾を下ろそうとするも、美人の力は強く、視線に晒された足をわたしは隠すことが出来ない。こんなのを見たら、もっと気分が悪くなるだろうに。溜息しか出なかった。


「……これも、真名を奪われたのと関係があるのだな」

「お見苦しいでしょう。どうぞお離しください」


 誤魔化すように落とした言葉は意外にも美人に届いたようで、彼はドレスの裾を離してくれた。長さも合っていないドレスの裾は床に触れる。


 美人の表情を伺うと、彼はわたしを見ていた。

 その表情に憐憫の色はなかったけれど、その瞳の奥で何かがゆらめく気がする。そんな眼差しは今までに見た事がない。

 言葉を交わすこともなく、ただ視線を重ねていたわたし達を遮ったのは、背後の扉から伸びる二つの影だった。


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