13.元帥閣下と皇帝陛下
「エルザが可愛すぎて辛い」
「お前は皇帝陛下の前だって事を自覚しろ」
溜息をつく俺を苦笑交じりに嗜めたのは、この国の皇帝陛下だった。
次の空軍の演習について報告をするよう呼ばれたのに、体のいい話し相手兼雑務係として時間を使わされている。
少し集中したい書類だったから、押し黙って考えを纏めていた筈なのに、エルザの事を想ってしまう。勿論書類に不備は無い。
それが口に出ていたようだ。
皇帝陛下-ゴダード・ヴィル・フォンゾ・ヒルトブランド-は「休憩だ」と笑うと従者にお茶の準備をいいつける。俺も倣って片付いた書類を脇に寄せると、疲れた首をぐるりと回した。
「リーヴェスから飛ばされてきた少女だな? 色気は出たか?」
「貴方といい、ジギワルドと言い、二言目には色気の話ですね」
「色気のない女などつまらんからな」
「健康になりましたよ。もう栄養失調には見えないでしょう」
従者が応接セットに紅茶を準備してくれたのを見て、陛下も俺も執務机を立つ。陛下はソファーに、俺は一人掛けの椅子に座って紅茶のカップを手にした。
「リーヴェスに戻すのか?」
「まさか。彼女も戻る気はないようですが、彼女の真名は取り戻さなければなりません」
「真名奪いが出来る術士とはな。そんな大罪を犯すとは、その術士は余程その義母とやらに熱を上げていると見える」
「どうですかね。義母というよりも伯爵家の金か、エルザを虐待する事が望みか」
エルザがされた事を思い返すと、それだけで苛立ちが募る。今すぐにでも向かって殺してやりたいとは、その話を聞いてからずっと思うこと。彼女が憎まないというなら、俺が憎む。俺が復讐をする。
「怖い顔をするな。部屋が寒くてかなわん」
皇帝陛下の苦笑に我に返ると、紅茶を一口飲んでからソーサーにカップを戻した。屋敷の紅茶も旨いが、さすがに格が違う。どこの茶葉なのか後で聞いてみよう。エルザに飲ませたらきっと喜ぶ。彼女には今までの分も、美味い物を口にさせてやりたい。
「その少女は術士にも虐待を受けていたと」
「背中に炎撃を当てるだとかね。殴っていたのもその術士でしょう。彼女はすれ違うだけで殴られていたようです」
「それは惨い。そういう趣味か」
陛下も顔を顰めている。まだ年若いこの国の皇帝は、案外情に脆いのだ。人の上に立つ者として非情な決断をするが、心根は優しい。それを知っているのは数人だけだろうが。
陛下は皇家の血統でもある空色の瞳に剣呑な色を乗せながら、此方を見てくる。何か悪戯をするのだろうか。昔からこういう表情の彼には困らされたものだ。
「その術士、うちの魔導師だったかもしれん」
「……本当ですか」
「嗜虐趣味が過ぎて少女を殺した男がいる。八年前に処刑されたと記録には残っているが、調べてみる価値があるのではないか」
「その男なら真名奪いも出来ると」
「それだけの力も持つであろうよ。当時の魔導師団で副団長まで務めた男だ」
「……情報を感謝します」
「女にそれだけの執着をするなどの、我が友の珍しい姿も見られたことだしな」
執着。その言葉を否定する事は出来ない。
出来る事なら屋敷の奥深くに閉じ込めて、朝も昼も夜も、時間を忘れるくらいに抱き潰してやりたいと思う。あの美しい瑠璃色の瞳に俺以外を映す事のないよう、その魂に俺だけを刻み込んでやりたいのだ。
「……酷い顔をしているぞ」
「醜かったですか?」
「逆だ。悪いことを考えていたな?」
陛下にはただ苦笑のみを返すだけにして、執務机に向かった。早くこの仕事を片付けて、魔導師団へ行かなければならない。処刑になったという記録も調べなければ。
魔導師団に行くと、当時の事を覚えている団員がまだ残っていたお陰で、その魔導師の事は簡単に分かった。
ゲオルグ・アルフレド。
優秀な魔導師で、入団してすぐに頭角を現し出世を重ねる。人当たりも良く慕う者も多かったが、戦場に出ると行き過ぎた攻撃をする事も多かったという。
副団長に昇進した頃、辺境の町で幼い少女が行方不明になる事件が多発。転移魔法で連れ去られている点から、当時の団長が主体となって捜査をした結果、ゲオルグが浮上。
踏み込んだ彼の屋敷には、まだ幼い少女達がメイドとして働いていた。その体には虐待の痕が残っていたという。
行方不明の数とメイドとして働いている少女の数が合わない事をゲオルグに問うと、『全員メイドとして働かせて、虐待していた。そのうちに死んだ少女は地下で骨も残らないほどの業火で燃やした』と悪びれなく供述したと記録が残っている。
その悪事により先代皇帝の名の下に斬首された。
処刑された記録もある。それを見ていた証言もある。
だがその処刑された魔導師は本当にゲオルグだったのだろうか。入れ替わって逃亡したのではないだろうか。
辛い事を思い出させるが、エルザに術士の容貌を尋ねなければならない。