11.お屋敷にて
元帥閣下に連れられて、帝都の屋敷に来てからもう一ヶ月になる。
初めて乗った軍艦では見事に船酔いをして、折角の空だというのに楽しむことが出来なかった。残念がるわたしに気付いた閣下は、また艦に乗せてくれると約束してくれたので、わたしはそれを楽しみにしている。あの人は約束を破らないと思う。
閣下の屋敷は帝都の中心部にあって、とても広い。わたしが過ごした伯爵家とは比べ物にならないくらいの大きさで、使用人の格も高い。
わたしは客人という扱いで屋敷に滞在しているので、使用人も皆親切にしてくれているけれど、下働きで過ごした日々が長いわたしとしては居た堪れない。
お掃除でもお洗濯でも何でも手伝うつもりでいたのだが、やんわりと断られてしまった。わたしがしている事といえば、閣下の夜伽相手と、刺繍をする事。
実は刺繍は、義母達にも褒められる程の腕前なのだ。
義母たちに命じられ、夜も眠らずにドレスに刺繍針を刺していたのを思い出す。
今日も今日とて、教会のバザーに出す用のハンカチに刺繍をしていた。これに飽きたらレース編みをしよう。それもバザーに出して貰える。
それにしても集中してやりすぎたようで、肩と背中が凝り固まっている。立ち上がって両手を伸ばすと少し体が楽になった。
「休憩なさったらいかがですか? お茶の用意が整いましたよ」
「いただきます」
わたしに付いてくれている侍女-アリス-が声をかけてくれる。刺繍セットを軽く片付けると窓辺に設えられた作業机から離れ、猫脚が優雅なテーブルセットのソファーに腰を下ろした。
テーブルにはハーブが香り立つアイスティーと生クリームがふんだんに使われたケーキが用意されていた。このお屋敷の料理人さんが作るお菓子はどれも美味しいけれど、ケーキはまた特別。惜しげもなく生クリームが使われている贅沢品に手を付けるのは、未だに心が落ち着かなくなる。
華奢な持ち手のガラスカップを手にして、アイスティーを飲む。自分で思っていたよりも喉が渇いていたようだ。とても美味しい。
「ケーキのお代わりもありますからね。どんどん召し上がって下さいな」
「ふふ、ありがとうございます」
このお屋敷の人達は痩せぎすだったわたしに同情的で、何かに付けわたしに食べさせようとしてくるのだ。そのお陰で顔は丸みを帯びてきたし、手足にもお肉がついてきたと思う。胸やお尻もささやかながらそれなりに……と、思いたい。
環境が一転すると驚く事に背も伸びた。沢山食べて、適度に体を動かして、良く眠る。それがやはり大事なのだと思う。
まだ一ヶ月しか経っていないのに、伯爵家の事を思い出しても何も感じなくなっている自分に内心で溜息をついた。
「俺に同じものを貰えるか」
「……ヴィルヘルム様」
物思いに耽っている間に、元帥閣下が部屋に入ってきていた。何も気付かなかったので凄く驚いているのだけど、それは表情に出ていないのだろう。
ちなみに『元帥閣下』と呼ぶのは禁止をされた。名前で呼ぶよう言われたので、それに従っている。
ヴィルヘルム様はわたしの隣に座ると、さりげなく腰に手を回す。この人はいつもこうだ。最近は膝に乗せないだけ、まだましなのかもしれないけれど。……そういえばこの人は少女趣味なのではなかったのか。成長してきたわたしに、まだ食指は伸びるのだろうか。
「何か失礼なことを考えていないか」
「……いえ、何も」
表情筋は未だに仕事を放棄している筈なのに、この人はわたしの心を読むのが上手い。
アリスがヴィルヘルム様の前に同じアイスティーを用意して、わたしの前にもお代わりを用意する。それを待って、ヴィルヘルム様はアリスを部屋から下がらせてしまった。
未婚の男女が他人の目のない同室にいることは良くないけれど、わたしの事は皆、夜伽相手だと知っているのだろう。気にしないで二人にしてしまう。
「それで、何を考えていた?」
先程の話はまだ終わっていないようだ。
「……最近、成長してきたと思いまして」
「ああ、そうだな。だがまだ太ってもいい。あまり華奢だと心配になる」
「ですが……ヴィルヘルム様は…その、小さい方が宜しいのでは?」
「……やはり変な事を考えていたな」
ヴィルヘルム様は溜息をついて、ガラスカップを口に寄せる。アイスティーを飲むと喉が動く、その様子にさえ熱を自覚してしまうくらいだから、わたしの体はすっかりとこの人に慣らされてしまったのだろう。
「別に俺は少女趣味があるわけじゃない」
「……そこまではっきり申し上げてはおりませんが」
「でもそう思っただろう?」
否定は出来ない。
「試してみるか」
そう言うとヴィルヘルム様はガラスカップをテーブルに戻し、わたしに向き直る。待って、わたし、まだケーキを頂いていないんだけれど。
「エルザ」
その低音に熱が帯びる。腰に回していたはずの手は、背中のくるみボタンを外していたようで着ていたワンピースが肩から落ちてきた。
ヴィルヘルム様の瞳を見ると、孔雀緑の瞳は色を濃くして熱を孕んでいる。
「……っ、まだ……お昼間、です……」
「俺は気にしない」
「わたしが、気にするんです……」
「そんな余裕、無くせばいい」
首筋に唇を押し当てられ、濡れた感覚に吐息が漏れる。零れたそれに満足そうに笑うと、ヴィルヘルム様はわたしの体をソファーに押し倒してしまった。