1.戦場で祈る
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強制転移で飛ばされたと気付いたのは、胃が捻れるような吐き気が酷いのと目の前が霞んでふらついたからだった。
痛む頭を指先で押さえ、周囲を見回すと、そこは戦地だった。
壁は崩れ、焼け落ちた跡もある。
血溜まりもあるが、そこにあるはずの死体はない。それになんだか安堵した。
遠くで爆撃の音が聞こえる。
わたしが空を見上げると、今までに見たこともない程に大きな軍艦が悠々と空を渡っていくところだった。轟音の響く空は青く美しい。そんな空に軍艦はなぜかとてもよく似合っていた。
とりあえずと足を踏み出す。
ここがどこか分からないし、行く当てもないけれど、もう家には帰れない。そう思うとほっとする。もうあの場所には帰りたくない。父と母との優しい思い出もあるけれど、それよりも苦い思い出ばかりだから。
それにしても歩きにくい。
わたしは似合わないドレスの裾を摘むと、その両足にかけられた足枷と鎖に溜息をついた。自分には似合わないこの大きなドレスも、ぶかぶかして歩きづらい靴も嫌い。
転移する間際に義妹の古いドレスに着替えさせられた。売られるのかと思ったけれど、戦場に飛ばされたという事は行方不明にしたいらしい。義母が自分で奴隷に落としたら流石に外聞が悪いどころか、伯爵家の相続権が消えてしまうからだろう。
そのくせ、足枷と鎖を外し忘れるんだから、間が抜けているにも程がある。
わたしの名はヘスリヒ。
本当の名前は別にあるのだけど、義母に奪われて封じられた今では、自分でもそれを思い出すことが出来ない。
真名を知らないわたしは魔法を使うことが出来ない。精霊の力を借りるには自分の名前が必要だから。魔法が使えたなら、わたしを取り巻く現状も変えられたのだろうか。全てを失う事などなかったのだろうか。いや、全てではないか……わたしはまだ生きているのだから。
わたしの誇りは誰にも奪わせない。
歩いた先に教会を見つけた。
これからどうなるか分からないけれど、祈りを捧げたい。信心深いのは母の教え。
でもわたしは神様がいるかは信じていない。それでも祈りを捧げるのは、単に自分が落ち着くからだ。
教会に足を踏み入れると、戦場だというにも関わらず被害がなかった。並べられた木のベンチも、祭壇も、神を讃えるステンドグラスも美しいまま残っている。
ただ人の気配だけがなかった。
人がいなくてもいい。
ここがいま、爆撃で壊れてしまってもいい。
わたしはまっすぐに祭壇へと向かい、その場に両膝をつく。足枷と鎖がジャラ……と音を立てる。枷の鉄がわたしの足首と擦れて少し痛む。当たらない場所を探るよう足を動かして、落ち着く場所を見つけた。
両手を組み、ただただ祈りを捧げる。
どうかわたしの誇りを奪わないで。
どうかわたしの心を黒く染めないで。
憎みたくない。蔑みたくない。
どうか。どうか。どうか。
わたしをひとのまま終わらせてほしい。
わたしの祈りはいつも同じ。
自分のことだけ無遠慮に願う。それは祈りとはいえないのかもしれないけれど。
誰も助けてくれないから、壊れたくなければ自分で守るしかない。
わたしがわたしである為に、わたしを失わない為に。
ステンドグラスから差し込む光が、少しずつ角度を変えていくのも気付かなかった。夢中で祈りを捧げていたわたしが夕方だと気付いたのは、背後の扉が音を立てて大きく開いたからだった。