機械人形の破壊者
アルピナ魔法学院。武力に劣るアルピナがなぜ独立国としてやっていけるかはこの学院の力によるもの、といえる。
メインは潜在魔力性能のより効率の良い引き出し方、有用な使用法の開発ではあるが、それだけではなく様々な属性を付与された武具の製造、ミスリル製品の加工効率化のなど多岐に渡る。
この魔法学院に異色の教授がいた。
魔族の女性、フィオドラ。
ヴァーデンとアルピナの国境にある森に捨てられていたところをアルピナの森林警備隊に発見され保護されたために正確なことはわからない。ただその発見箇所から最も近くの魔族居住地域がヴァーデンのスリーヴァ村であり、おそらくはそこの出身だろうということになっている。
魔族にとって子は宝ではあるものの、保守的な魔族は多胎児は忌み子が付いてきたと考える。そのため王城から離れた地域ほど一番大きな一人を残しあとの子はすべて森へ捨て、大地に返すことで忌みを回避するという処置をすることが多い。フィオドラもおそらくそういった子だったのだろう。
篤志家の先々代パシュフ家当主ヴィチェラフ・パシュフ伯爵がその子を引き取りフィオドラと名付けて育てた。
フィオドラ・パシュヴァは高い潜在魔力性能と知性でアルピナ魔法学院へ進学し、そのまま学院に残って研究を続けた。22歳で助教、26歳で准教授となったのは彼女が優秀であったからだ。
28歳のときの彼女の興味はゴーレムにあった。現在の簡単な命令をこなすゴーレムをさらに一段進化させある程度の自律行動が取れるゴーレムの試作に成功。ただ、ここで教授会の反対にあい計画は頓挫してしまった。
これ以上、人ではないものが知性を持つことに反対。
様々な理由をつけてはいたものの、端的に言うならばこうだ。
フィオドラはその反対に従い、研究を停止した。
この日から彼女はゴーレムへの興味を失い、学院では魔力付与の研究を熱心に行っていった。
彼女の手によって生み出された属性付与武装は高品質であり、さらにその製法を一般化したものは価格を抑えつつ品質もよいため、アルピナの軍事力の底支えともなっていく。この魔力付与の功績により30歳で教授の座に就く。
教授に就任したフィオドラは自分の新しい研究所を建設する。個人の研究所としてはかなり広大なのだが、彼女は自ら鍛冶を行い武具を製造するスタイルであったため資材や機材が多く広大な土地が必要だったのだ。
だが、これは彼女の遠大な計画の開始点だった。フィオドラはゴーレムに興味を失ってなどおらず、新しいゴーレムを作るための研究施設としてこの研究所を設計したのだ。研究所が出来上がった後、彼女は自ら潜在魔力性能を使用し、地下施設を勝手に増築した。
この新たなゴーレム製造計画はフィオドラ自身がディング計画と名付けた。ディングとは話者の失われたかつての魔術帝国ザースの言葉で自律を意味する。
フィオドラの計画ではまずは人間サイズのディング=トゥを作り、その後人が乗り込むサイズのディング=アルマを作る。トゥもアルマもザース語で、トゥは息子を、アルマは戦士を意味する。
アルマを作ることでアルピナの軍事力は増強され、勝手に研究を進めていたことに関してもお咎めはないだろう、というのがフィオドラの目論見だった。
まず試作としてトゥの骨組をミスリルで組み上げた。表面には魔力加工した豚の革を使った。これで傍目には人に見える素体ができた。問題はエネルギーを自ら得るための方法だった。これが完成すればほぼ人間といっていいゴーレムが完成する。
現状は従来のゴーレムと同じ手法――使用者と魔術接合を行い、使用者の潜在魔力性能を分け与えることで動作する。これでは接合が切れるとあっという間にエネルギー切れを起こして止まってしまう。フィオドラはこの問題の解決に心血を注いでいた。
研究9年目に魔力充填機を発明できたのは大きかった。問題は人型のサイズでは小さすぎ、仮に満タンだったとしても接合切れの後の活動時間が1日程度であるということ。やはりなんらかの方法で魔力を生み出す必要がある。
フィオドラは魔力充填機を開発したときに、空間に何らかのエネルギーのようなものがあることに気がついた。これを彼女は魔素と名付けた。魔素は潜在魔力性能を使用することで一時的に減り、やがたまた増加するので潜在魔力性能と何らかの関係があると考えたのだ。
次のアプローチとして世界の周囲にある魔素の利用を検討しだした。魔素はその挙動から潜在魔力性能発動を助けるものと仮定した。ならばディングのエネルギー源である潜在魔力性能の代用になるのではないか、とも考えたのだ。
ここでフィオドラは一つの研究を開始する。戦場で潜在魔力性能が発動しないのは魔素を使い尽くしてしまうのではないか、と。ならばその魔素を蓄え、空間に放出してやることで戦場で潜在魔力性能を使えるようになるのではないか。
こういった地道な研究が彼女の地位を押し上げ、最終的にはディング計画にプラスに働く。そういう打算もあった。
だがこのアプローチは結果としては間違いだった。逆に人の活発な活動で魔素が発生し、その濃度が一定を超えると潜在魔力性能が発動しなくなることを突き止めた。
この結果には落胆したものの、逆に魔素は人間がいれば発生することが確定したのでこれを取り込めれば魔人形は永久に動く。フィオドラはその可能性に賭け、研究を続けていた。
ある寝苦しい夜のことだった。ゴロゴロと寝返りをうち、半覚醒状態でいたフィオドラはそのままベッドから落ちてしまう。その瞬間にフィオドラは天啓を受ける。
「そうだ、逆なのだ!」
魔素と潜在魔力性能は対となるもので、無から潜在魔力性能と同量の魔素が生まれる。潜在魔力性能は人の中に貯まり、魔素は空間に放出される。この二つが出会った瞬間にもとの無に戻る。潜在魔力性能を行使すると空間に魔素が残ることになるが、魔素は様々な生物の誕生や活動で消費される。
人間は潜在魔力性能を大量に取り込めるが、自らの活動で消費する魔素は少なく、結果空間に魔素が溜まりやすくなる。戦場のような人間が多数集まる箇所で潜在魔力性能がうまく働かないのもそのためだ。
この理論と測定結果はよく合致した。動物や植物が多くなるほど空間の魔素は減る。都市部で潜在魔力性能が発動しにくく感じるのもそういう理由だったのだ。
魔素を取り込むのは若干生物の活動や発生に問題は出るかもしれないが、それでも人がいれば勝手に発生するものなのでさほど影響はないだろう。
フィオドラは魔素を蓄える新しい構造の魔素充填機を開発した。空間に漂う魔素を勝手に吸い込み、エネルギーとして放出する。これを組み込んだ最初のディング=トゥはよく動いた。ただ魔素充填機の耐久性に問題があり、1年ほどで劣化してしまいまともに動かなくなった。
劣化の原因は魔素を取り込むために内部構造を大気開放していたせいだった。密閉しても魔素の取り込みの効率が多少低下する程度だったため、完全密閉で設計し直した。小さな魔素充填機で短時間の満タン→空を繰り返したところ、おおよそ10万回ほどで性能が70%程度まで劣化することがわかった。トゥのサイズで作る場合、おおよそ100年ほど持つ計算になった。
またこの魔素充填機から大量のエネルギーを簡単に取り出せるというのは自律行動の計算を行う上で非常に有利に働いた。教授会で反対された初期の簡素な自律型ゴーレムと比べるとずっと人間のような行動を取るようになった。
あとは人間らしく仕上げ、食事を摂ることができるタンクを備え付けて終わり、だ。タンクにある程度食事を貯めてからどこかでこっそり捨てれば体重を除けば人のように見えるだろう。
研究を開始して30年、フィオドラが60歳になったときについにディング=トゥが完成した。完成した段階でフィオドラはディング計画をアルマ計画と変更し、ディングトゥに関する情報をすべて丁寧に破棄した。
その後彼女は魔力付与の素材集めと称して1年休みを取り、旅に出た。夜中にこっそりとディングトゥは街を抜け出し、フィオドラと合流した。旅のさなか山奥の村でディングトゥと出会い、結婚したというストーリーを作り、戻った。
驚いたのはパシュフ家現当主のヴォルト・パシュフである。男っ気のないフィオドラが電撃結婚してきた冴えない風貌のディングトゥ。先々代の養子とはいえフィオドラはパシュフ家に連なるものであり、何処の馬の骨ともしれぬ者をその一族に入れることにかなりの抵抗があったのだ。
フィオドラはディングトゥについて「世界でおそらく一番強い男です」と言い切った。自らが設計した息子の能力についてなんら疑問に思うことはなかったし、実際にアルピナ軍のエリートとの模擬戦をまるで赤子の手をひねるかのように撃破してみせた。
ディングトゥは軍属となり、フィオドラ専属の護衛として任命された。今までもフィオドラには重要人物として護衛が何人かついていたのだが、結婚するのであるならばそのまま専属護衛として任命してしまうほうが色々と都合が良いと軍部も考えたのだ。
フィオドラはディングトゥと結婚するにあたり貴族籍を離れ庶民となることを最終的に選んだ。これは育ててもらったパシュフ家に迷惑をかけないための選択だった。
そして実力主義の魔法学院において貴族籍があるかどうかは問題にならず、そのまま魔法学院に残り研究を続けることになった。
ヴィチェラフの墓に貴族籍からの離脱、すなわちヴィチェラフとの関係が切れることを報告していたフィオドラの表情を見て、そっと寄り添うディングトゥ。人の心の痛みを感じ取る魔人形。
フィオドラはすでに研究所に住んでいたのでそのままディングトゥも研究所に住むことになった。
まずフィオドラはディングトゥのために武具を鍛えた。巨大なミスリルハンマーに両手剣、ミスリル製の全身鎧など。彼女の持つ技術の全てを注ぎ込み、魔力を付与し鍛え上げた。
ディングトゥはその間にひたすら彼女の書き上げていたアルマ建設計画書を読み、計算し、細かなパーツや資材集めに奔走した。
アルマ建設はまだ始まったばかりだ。出来上がるまであと3年はかかるだろうとフィオドラは計算している。だがフィオドラにしろディングトゥにしろ時間は敵にならない。彼女たちのタイムスケールは人族とは違う。いずれアルマは完成し、アルピナに栄光をもたらすはずだ。
このときはフィオドラはそう信じていた。
建設開始から5年。ディングトゥが生まれて6年、フィオドラ66歳のときにアルマが完成する。
当初の見積もりより2年遅れたのはディングトゥが一時期落ち込むようになったからだった。
自我を持つ自律型のディングトゥは自らの存在について疑問を持ち、悩んだ。
さらに周囲は結婚したのだから子はまだか子はまだか、とせっつく。これもディングトゥが落ち込む原因の一つになった。
フィオドラが「私が魔族なので子は生まれにくいのです」と頭を下げるとバツの悪そうな顔をして皆引き下がっていった。2年もすればもうそんなことを言う人間もいなくなったというのもディングトゥの精神状態の安定の助けになった。
結局最終的に吹っ切れたのは創造主であるフィオドラへの愛情、だった。尊敬とは違う心の動きを自ら認め、受け入れることで立ち直った。
フィオドラも当初はディングトゥを物として扱っていたのだがその人間臭さから愛情を抱くようになったのも大きかった。
とはいえ人間どころか生物ですらないディングトゥとフィオドラでは愛の生活というものがだいぶ異なる。ちょっとした会話、あるいはただ見ているだけで満足するというような、そんな愛のかたち。当人たちはそんな柔らかな心のやり取りで充分満足し、アルマの建設を精力的に続け、ついに成し遂げた。
アルピナ魔法学院の教授会で見せたいものがあると宣言し、戻ってきたフィオドラは珍しくディングトゥに抱きついた。困惑しつつもそっと抱きしめるディングトゥ。ディングトゥの両頬をそっと両手で包み込み、優しくキスをする。
戸惑うディングトゥの複雑な表情をみて微笑むフィオドラ。もう一度キスをする前に「目は閉じるのよ」とディングトゥに囁く。
翌日、アルマのお披露目会。フィオドラは自らアルマに乗り込み、起動する。
巨大な人型のアルマはゆっくりと立ち上がる。魔素は予め充填した状態だったため起動は順調だった。
緩やかに歩き、ターンし、地面に置かれた箱を掴んで持ち上げ、また下ろす。アルマはその性能を次第に発揮し始める。
徐々に駆動が速くなる。魔素充填機から大量のエネルギーがアルマへ流れ込む。次第にフィオドラの制御を離れ、勝手に動き始める。自律システムが大量のエネルギーを要求し、魔素充填機はその要求に応じる。巨大な魔素充填機が仇になった。自律システムは大量の演算から自我を形成した後自らの存在を否定。一気に自我は崩壊へ進む。
参加していた教授陣は一斉に研究所から逃げ出す。護衛の兵士も逃げた。暴れまわるアルマに人間では太刀打ちができるはずもない。
アルマの外がそのようなパニック状態のとき、搭乗席のフィオドラもまた試練に見舞われていた。
大規模魔素充填機が周囲から吸い込む魔素がフィオドラの体に降り注いでいた。体を大量の魔素が通り抜けるとき、体内の潜在魔力性能と魔素が反応することをこのとき初めて知った。
フィオドラの体中で反応が起き、あちこちで爆ぜる感覚に呻く。
フィオドラの声を聞いたディングトゥは飛び上がり、搭乗席のカバーにしがみつく。そのまま搭乗席のカバーを手にしたミスリルハンマーで滅多打ちにし破壊。ハンマーを投げ捨て、中からフィオドラを引きずり出す。フィオドラは全身が赤く染まっていた。
フィオドラは弱々しくディングトゥの顔に手を伸ばし、頬に触れる。ディングトゥの頬に書かれる赤い化粧。フィオドラは「アルマを、止めて」と小さく呟く。その後手はだらりと垂れ下がった。
ディングトゥは言葉にならぬ叫び声を上げ、搭乗席からフィオドラを抱えて飛び降りる。離れたところにフィオドラを置き、投げ捨てたハンマーを持ってアルマへまた乗り込む。
魔素で動くディングトゥにとって体内を通過する魔素はエネルギー源でもある。だが大型の魔素充填機がかき集めた魔素は空間に濃密に存在し、結果過給が発生、各システムへの負荷がかかる。各種センサーからフィードバックされ生存システムが警告を発する。ディングトゥは生存システムをカットし更に各種リミッターを解除。過給状態の魔素をすべて駆動システムに回し、アルマ内部を破壊していく。悲鳴を上げる駆動システムとアルマ。警告レポートが次々と自我領域に送り込まれるがこれを無視しアルマを止めるための行動を続けるディングトゥ。
搭乗席の下におかれた大規模魔素充填機の層まで到達。その封を破壊し内部に溜められていた魔素を大気開放。この最後の魔素開放の負荷打撃でディングトゥの左肩と肘のシステムが破損。ミスリルハンマーを咥え、左腕がだらりと下がった状態で搭乗席までなんとか戻ってアルマから飛び降り、フィオドラの元に駆け寄る。
右手を握ると弱く握り返すフィオドラ。か弱く動く口。ディングトゥは耳を近づけて聞き取ろうとするが、そのままフィオドラは動かなくなった。
ディングトゥは叫ぶ。彼は泣くことができない。その心の絶望のまま叫び続ける。
彼の自我に関係なく自己修復システムが働く。左腕と肩は限界を超えた破損のため修復システムでも元に戻らず、可動域と精密性を失うだろう。回復までには1ヶ月を要する、というシステムレポートが自我に上がってきた。
ディングトゥは叫ぶことをやめ、フィオドラの傍らに跪き、右手を握って静かに妻を見ていた。
フィオドラの葬儀は簡素なものだった。事故の原因はフィオドラにあったためだ。だが彼女の遺体はヴィチェラフの遺言により隣の墓に埋葬された。墓碑には「フィオドラ・パシュヴァ――世界に愛され、世界を変えるために生まれてきた女性」と刻まれた。
埋葬翌日、ディングトゥはヴァーデン駐留の司令という辞令を受け取る。赴任は1ヶ月後。無表情に辞令を受け、二人が暮らした部屋をすべて片付け、機密を処分し、地下室への通路を封印し、隠蔽する。
休み無く働き続けるディングトゥ。片付けるのは二週間で終わった。
ディングトゥはなにもない部屋の真ん中に二週間座って過ごす。
ヴァーデンに向かう日、馬車が研究所に横付けされる。呼び出しの兵士が部屋まで来て、何もない部屋の真ん中に座るディングトゥを見て気の毒そうな表情を浮かべる。
部屋を出て馬車が横付けされている門へ向かう。
馬車に乗る前に最後に振り返り、研究施設に残されたアルマの残骸をしばらく見上げる。
ディングトゥは小さく首を振ると、待たせていたヴァーデンへ向かう馬車へ乗り込んだ。