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「えー、もうしばらくしましたら、中間テストがやってきます。皆さん普段から怠らず、学業にいそしんでいることは充分わかっておりますが、その結果がしっかりと成績に反映されるであろうことを望んでおります。そして、中間テストが終わったとしてもうかれることなく、引き続き油断せず、慢心せず、学生の本分たる勉学に勤めることを期待しております。われわれ教師陣も」

 ……校長の話が長い、というのは日本全国共通の常識だろう。

 北は北海道から南は沖縄まで、全国に何人いるかもわからないが、校長という肩書きをもつ人の話は必ずといっていいほど長いらしい。そして、その話を聞く生徒たちがうんざりしながら聞いているという光景も、また全国共通のものだろう。いつだったか、生徒たちに人気のある校長の条件が「話が短い」というただそれだけの理由だった、という話を聞いたことがある。そんな話があるほどなのだから、校長の話が長いというのは、もはや疑うべくもない周知の事実なのだ。

 俺の通っている学校の校長も例に及ばず、先ほどから毒にも薬にもならない話を、体育館のステージの上で延々と語り続けている。……毒になるか薬になるかは聞き手次第だという意見もあるが、少なくとも俺を含めた、体育館にずらりと並んでいる、目に光の宿っていない生徒たちに校長の言葉が届いていないのは間違いなさそうだ。

 校長の話を聞いている時間は苦痛である……というのが、一般的な学生の意見だろう。なにせ一切興味のない話を、一方的に聞かされるのだ。心を許した友人が話しているとしても辛いだろうに、それを何をしているのかよくわからない、尊敬もしていない校長先生に聞かされるのだ、そりゃあ苦痛にもなるだろう。

 だが俺は、校長が長々と話し続けている時間をあまり苦痛に思わない、おそらくは稀有な存在だった。

 なぜ苦痛じゃないかといわれれば、校長の話は聞く必要がないからだ。聴覚に気を遣わなくていいため、校長が話している間、俺は自由に頭を動かし、思考に耽ることができる。

 これは授業中などにはほんの少しだけ躊躇われることで、先日俺が現国教諭にされたように、教師たちは授業を聞いていたかどうかを時たま確認してくるのだ。もちろん聞いていなかったと答えればそれで終わりだが、あまりにやりすぎると教師にマークされるようになってしまう。そうなれば授業中に他所事を考えるのはかなり難しくなる。何事も程度が肝心なのだ。

 その点、校長の話は聞く必要が一切ないという点ですばらしい。眠ったりしないかぎり教師たちは何も言ってこない。俺が頭の中で何を考えていようと、教師たちにはわかるはずもない。深く考え事をするのにはもってこいの時間なのだ。

 ただ、難点を挙げるとするならば足が疲れるということだろうか。いまどき珍しく、俺の学校では校長の話を立ったまま聞くことになっている。座って良い、の一言だけで校長の生徒人気はうなぎのぼりになると予想しているのだが……どうやら生徒たちから人気を取るつもりはまったくないようだ。誰かが疲れて倒れでもしないかぎり、きっと方針を変えることはないのだろう。

 俺は体をほんの少し揺らし、左足にかけていた体重を右足にかける。適度に重心を移動し、少しずつ疲れを癒しておかなければ、さすがに長時間立ち続けるのはつらい。

 ……そういえば、俺が校長の話を聞き流しながら考えていたことも、まさにそれと似た内容だった。

 俺と十和田と霧洲が、ダンジョンの入り口を見つけてから数日が経つ。

 俺のパーティには、ひとつの問題が浮上していた。



「……回復が足りん!」

 始まりの町にある酒場で、飲み干したジョッキを机に叩きおろしながら俺は叫んでいた。

「ちょっと、そんな大きな音たてないでよ。他のお客さんがびっくりするし、何より机もジョッキも店のものなのよ。大切に扱いなさいよ」

 そりゃ悪うございました。しかし、どでかいテーブルも大きいサイズのジョッキも、どちらも丈夫そうな木製だ。俺がほんの少し強く叩きつけたところで壊れるとは思えない。

 ちなみに酒場ではあるが、飲み干した液体にアルコールは含まれていない。この異世界じゃアルコールの摂取に年齢制限がないらしく、せっかくだから飲んでみようとしたのだが、

「この世界がどうであっても、あなたはまだ未成年でしょ!」

 という十和田の言により、アルコールの含まれるメニューをオーダーすることは禁止されていた。そのため、ジョッキに注がれているのは三人揃ってミルクである。

「それで? 何が足りないのよ?」

「だから、回復だよ。回復手段だ。いったいいつまで、店で薬草を買い続けなきゃならないんだ?」

 町の近くにある森を探索し、奥地に待ち受けていたゴーレムを倒し、そこで手に入れたキーアイテムを使ってダンジョンを見つけ出した俺と十和田と霧洲の三人は、休む間もなくダンジョンへと乗り込んだ。ゴーレムを軽く倒したこと、そしてダンジョンという新しい探索場所を見つけたことでテンションが上がっていたのだ。

 そんな油断しきった三人に、ダンジョンの洗礼が襲い掛かった。

「まさか、こんなにも難易度が上がるとはねぇ。正直想像してなかったよ」

 あまり困っていなさそうな笑顔で、霧洲が言う。その緊迫感のなさに俺はイラッとしたが、言っていることはまさにそのとおりだ。

 現在、ダンジョン攻略は詰まってしまっていた。

「まず敵の強さが、森に出てきたのとは大違いだね。……いや、違うか。受けるダメージ量とかは大幅に増えたりはしていないから」

「そうね。攻撃を受ける頻度が増えた、って感じかな」

 ダンジョンの探索に入り、この異世界での冒険はいよいよロールプレイングゲーム感が薄れてきたように思う。

 個々の敵の強さは、霧洲が言うように大して変わっていない。モンスターの体力が大きく増えたわけでも、攻撃力が馬鹿みたいに上がったわけでも、特殊な耐性を持っているわけでもない。ダンジョンに出現するモンスターは、森に出てきたモンスターよりもほんの少し強い程度だ。

 では何が変わったのかと言えば、それは戦闘の難易度だ。

 ダンジョンの中は、非常に薄暗かった。まったく光がないわけではなく、通路には不思議な力で光る水晶の添えられた照明が、一定感覚で設置してはあるのだが、その光はなんとも頼りない。よーく目を凝らさないと先まで見通せないし、照明のない通路では足元すら見えないほどだった。

 そのうえ、長く続く通路はお世辞にも広いとは言えなかった。そんな狭苦しい、薄暗い通路を進んでいると、どこから敵が現れるかまったく予想ができないのだ。ふいに通路の角から現れて慌てて戦闘に移行したり、いつの間にか後ろから近づかれて不意討ちをされたり……そうして、小さなダメージがどんどんと蓄積されていくのだ。

 ロールプレイングゲームじゃ、戦闘場所の暗さなんてのはあまり考慮されない。それはアクションゲームの領域だ。つまり、アクション要素の高さによって、戦闘の難易度が上がってしまっているのだ。

「……たしかに、森で戦っていたときよりも圧倒的に、回復アイテムを使う機会が増えたわね。消費頻度が多いから、そのたび町に帰ってきて補充しないといけないし……。ダンジョン攻略がなかなか進まないのは考え物だわ……」

「そういうことだ。森での探索の際は余るくらいだと思っていたが、このペースで薬草を買い続けていたら、いくらお金があっても足りないぞ。加えて、霧洲の分のアイテムも買わなきゃいけなくなってるんだからな」

「いやぁ、悪いね」

 俺と十和田、二人で冒険していたときは、回復アイテムは薬草だけで事足りていた。

 しかし、新しい戦力である霧洲のメイン攻撃手段は、魔法である。魔法は使うのにMP――この世界では精神力と呼んでいるようだが――という、体力とは違うパラメータを消費する。そして、その精神力を回復するアイテムは当然、体力を回復する薬草とは別のものを使う。まぁ、ロープレじゃ当然の設定だな。

「リンくんのおかげで戦闘は確実に楽になっているんだから、謝る必要はないわよ」

「そう言ってもらえるとありがたいけど。でも現実問題、僕の分の回復アイテムが、財布を軽くしているのは事実だろう?」

 MP回復アイテムは、HP回復アイテムより高い……大抵のゲームはそうなっている。そして、この異世界でも例に及ばず、精神力回復用のアイテムは割高で売られていた。

 アイテムを揃えてダンジョンに突入しても、難易度の上がった戦闘によってすぐにアイテムが底をつく。アイテムの無い状態で長く探索などできるはずもなく、ほどほどに進んで町へと戻り、アイテムを補充する。再びダンジョンへと戻っても、やはり激しい消耗は収まらない……そんなわけでここ数日、ダンジョンを少し進んでは戻り、また進んでは戻りといった日々が続いていた。

「戦闘が大変なのももちろんだけど、マップの複雑さも困ったものだね。リョーマくん、どの程度把握してる?」

「……正直な話、入り口から少し進んだところくらいまでしか覚えていないな。マッピングをすればいいんだろうが……」

 俺は方向音痴ではない。だが、特別方向感覚が優れているわけでもない。

 森の中の道は、今思うと非常にわかりやすく作られていた。分かれ道があっても左右どちらかにしか分かれていなかったし、道中には目立つ目印のようなものもいくつかあったりしたものだ。

 しかし、現在挑んでいるダンジョンの中は、かなり構造の把握が難しかった。おそらくものすごく複雑というわけではない。通路はほとんどまっすぐに作られているし、六方向や八方向に分かれているような道だって無い。ただ……石で作られた通路はどこを進んでも見た目がほとんど同じであり、目印のようなものがまったく見当たらない。曲がり角の多さも、森とは比較できないほど多い。

 そのため、町へと帰ってくるのにもずいぶんと苦労するのだ。今のところなんとか迷わず帰ってこられてはいるが、戦闘のいざこざで方向感覚がおかしくなったりしようものなら、帰ってくることすら難しくなるかもしれない。マッピングを進めることは、このダンジョン攻略には急務と言えた。

「……リョーマくん、ゲームでマッピングしたことあるの?」

「いや、ないな……。いまどきのゲームは大抵自動マッピングだし、そもそも最初からマップが用意されている作品も多い。自分で紙に書いてマッピングした経験なんて一度もない。まぁ、やってやれないことはないだろうが……」

 便利な時代というのも困り者だ。昔のゲーマーなら当たり前にできたと言われているマッピング作業を、俺は今までやったことがなかった。

「ねえ、マッピングってなに?」

 十和田の質問に霧洲が答えている間、俺は現在の問題点を頭の中でまとめる。

 回復手段の確保と、ダンジョンのマッピング。この二つさえ解決すれば、おそらくダンジョン攻略は進めることができる。

 マッピングはとにかく、やってみるしかない。下手くそでも大体の把握さえできるようになれば、今よりは大幅にダンジョン攻略が楽になるはずだ。

 回復手段に関しては……正直戦闘をうまく進めるくらいしか方法がなかった。

「……お前が回復魔法を覚えればいいんだがな」

「どうもそういう系統の魔法は覚えないみたいだね」

 俺は女神から譲渡された、三人のパラメータ詳細が書かれた書類を取り出し、机の上に広げる。巻物状の書類の端には、今後覚えるスキルが書かれているのだが、俺と十和田はもちろん、魔法使いである霧洲の書類にも、回復魔法らしいスキル名は書かれていなかった。……どうやら、霧洲は某幻想ゲームにおける、黒魔術師のようなタイプらしい。

「うーん……こうなると、本当に戦闘を頑張るしかないかなぁ……」

「そんなすぐに、回復手段がいらなくなるくらい上手くなるなんてできる? 暗い中で戦うなんて、難しいに決まってるじゃない」

 悔しいが、十和田の言うとおりだった。画面の暗さで難易度を調節しているゲームだってあるくらいなのだ。

 戦闘の上達は全うな攻略手段と言えるだろうが、全うであるがゆえにその攻略には長い時間がかかるだろう。プレイヤースキルの上達は、本来長い時間をかけて培われるものだ。

「となると……ここは諦めて、別の所を冒険しに行こうか?」

 霧洲が、悪気のない笑顔でそう言った。俺の表情が曇る。

 初めてダンジョンに潜り、へとへとになって撤退してきたその日も、霧洲は同じことを言っていた。ここは今の自分たちには難易度が高いかもしれないから、他所でレベルを上げてから再挑戦したほうがいいんじゃないか……と。

 寄り道の先に見つけた場所の攻略推奨レベルが、現在のレベルより高いなんてのはよくあることだ。世の中には、序盤に行ける場所に終盤のレベルじゃないと攻略できないようなダンジョンを用意してあるゲームだってある。だから、霧洲の意見は間違っていないのだが……。

「……でも、せっかく見つけたのに……。それに、ものすごく敵が強いわけでもないのよね……」

 十和田の言った二つの理由が、俺にダンジョン攻略を諦めさせてくれない。

 理不尽な難易度というわけではない。何か条件が整えば、攻略の糸口が見えるかもしれない。……そう思うと、きっぱりと攻略を諦めて他の場所へ行こうという気分には、どうにもなれなかった。

 俺と十和田が渋い顔のまま黙りこくっていると、霧洲は微笑を浮かべながら肩を竦めた。

「……まぁ、確かにね。とりあえず、今日はここまでにしようよ。どれだけ頭をひねらせても、出ないときは出ないのがアイディアってものさ。また明日ってことで」

 それはそうかもしれない。ゲーム攻略に数時間詰まって、その日は結局解決できなくても、翌日電源を入れたらあっさり解決手段が見つかった……なんて経験は幾度となくある。考えることは大事だが、考え続けることが解決への早道というわけではない。一度頭を切り替えることで、何かが見えてくるかもしれないな。なかなか良いことを言うじゃないか。

「それに、もうすぐ中間テストだからね。あんまりこっちにばかり頭を悩ませてちゃダメだよ」

 俺の中で上がった霧洲への評価が、再び急激に下落した。……こっちの世界で現実世界の話をするなと、何度言ったらわかるんだ。

「そうね……二年生になって最初のテストだし、少し気合を入れないと。冴梨、あなたもだからね? こっちの世界のことばっかり考えて、赤点を取っちゃいました……なんて許さないから」

 余計なお世話だ。そもそも、お前が許さないからなんだってんだ。

 相変わらず感じる二人との温度差に、俺はさらに頭を悩ませた……。



 突然、列の前のほうで大きな音が響き、俺は潜り込んでいた思考の海から浮かび上がった。

「…………?」

 校長のしゃべる声以外、なんの音も聞こえない静謐な空間だった体育館が、たちまちざわめきに包まれる。軍隊……とまでは行かないまでも、しっかりと整列していた生徒たちの列がにわかに乱れる。

「静かに、静かに」

 教師たちがざわつく生徒たちを注意するが、その声もどことなく困惑気味だ。

 一人の教師が、生徒たちの列に割り込んできた。うちのクラスの担任だ。名前は……えー、なんだったかな。まぁともかく、担任の教師がまっすぐに進んで行った先は当然、うちのクラスの列……俺が突っ立って並んでいる場所よりも少し前の位置だった。

 俺は体を傾けて、前のほうの様子を伺う。

「大丈夫か? ……ほら、こっちへ」

 見ると、なんとまあ、女子生徒がひとり床に倒れこんでいる。担任が床へとかがみこみ、倒れた生徒に対して小声で何事か話しかけている。倒れこんでいた女子生徒はふらりと立ち上がると、担任に肩を借りながら列から離れ、そのまま体育館からも出て行った。

 ……ふむ、誰か倒れでもしないかと思ってはいたが、まさか本当にいるとは……。さて、そうなると、今まで頑なに生徒たちを立たせたまま自分の演説を聴かせていた校長も、ついに折れるときが来たのではないだろうか?

「……えー、すなわち、今の話でわたしが何を伝えたかったかと申しますと、それは生徒諸君にも充分伝わっておると思いますが……」

 ……人ひとり倒れたというのに動揺することなく話し続けるとは、なかなかの根性だ。

 いつかPTAあたりに吊るし上げられるといい。



 時刻は進み、その日の夜。……展開が速すぎるって? 学校でのことなんて、話したところで何も面白いことなんかないんだから、別に飛ばしてもいいだろう? 校長が話し終わったあとは教室に帰り、つまらない授業をすべて聞き流し、家へと直帰しただけさ。

 結局、ダンジョン攻略に関するアイディアは何も浮かばなかった。校長の話の間に考えようと思っていたのだが、うちのクラスの女子生徒が倒れたときの轟音によって俺の思考は雲散霧消し、もう一度かき集めようともがいても、まるで集中できなかった。世のトップアスリートたちは、いつでも集中することができる方法というのを持っているそうだが、ただの学生である俺がそんなものを用意しているはずもない。一度切れた集中は、そう簡単には取り戻せないのだ。

 で、家に帰ったあとは時間をつぶし、メシを食べ、風呂に入り、さっさと布団に入って部屋の電気を消したわけだが、

「はぁい、皆さんお久しぶりです……。女神ですよー」

 眠りについた俺が降り立ったのは異世界ではなく、またしても女神の空間だった。十和田と霧洲も一緒にいる。

「……なんだってそんなにテンションが低いんだ」

 どこから用意したのか、けだるそうに椅子に座っている女神は、やはりけだるそうに答える。

「いやぁ、だって、ねぇ? 本来であれば、皆さんがレベルアップするたびに、こちらにお呼びしてその検討を讃えるのがわたしの仕事だったわけじゃないですか。それなのに、リョーマ様がわたしのスクロールを奪ったおかげで、わたしやることがありません。存在感がないです。女神なのに。女神なのに」

 うっとうしいやつだ。そもそもお前がしっかりとしていないからこんなことになったんだろう。

「まさかとは思うが、それでいじけてここへ呼び出したんじゃないだろうな。俺はお前にかまってられるほどヒマじゃないぞ」

「あー、ひどい! 女神に対してその態度はなんですか!」

「ずっとこんな態度だろ……」

 涙目になりながら手足をじたばたさせる女神に、十和田がおそるおそる話しかける。

「えーと、女神様? それで、いったいどのような用件で?」

「いいことを聞いてくれました、ツキヨ様。ふふん、わたしのもうひとつの仕事を覚えていらっしゃいますか?」

「……新しい勇者を探すこと、だよね」

 霧洲がいつもどおりの如才無い笑顔で答える。女神はとたんににっこり顔になった。

「そうです! そして、ここに皆さんを呼び出したということは、もうお分かりですね?」

「……また一人、勇者を見つけたってか」

 俺はため息をつく。霧洲がパーティに加わってから、せいぜい1週間とちょっとしか経っていないはずだ。それだというのに、さらに一人追加だって? このペースで増え続けたら、いったい何人の勇者が生まれてしまうんだ。選ばれし勇者って話はどこへ行った?

「……お前、適当に選んでるんじゃないだろうな」

「なっ、失礼な! 前に言ったじゃないですか、適正がなければ異世界に行くことはできないんですよ! 適当に選んでるわけがないでしょう!」

 どうだか。そのわりにはうちの学校の生徒たちばかりじゃないか。しかも全員クラスメイトと来たもんだ、こいつの発言がどこまで正しいか、実に疑わしい。

「まぁいい、わかった。それじゃあ」

 俺は手のひらを広げて、女神の前に突き出す。

「? なんですか?」

「なんですかじゃないだろ。ほら、新しい勇者のステータス。はやく渡してくれ」

「う……。やっぱり、渡さなきゃだめですかぁ?」

 女神はしばらくの間しぶったが、ステータスのわからない状態がどれほどクソゲーであるかを懇々と説明してやると、やがて諦めて胸元から巻物を取り出し、俺の手へと渡してきた。

「冴梨……。前から思ってたけどあなた、神様に対してよくそんな態度が取れるわね……」

 こいつがほんの少しでも神様らしいところを見せてくれれば、改めることもあるかもしれないぞ。

 用済みになった女神はほうっておいて、俺は受け取った巻物をさっそく開く。そこには、新しくパーティメンバーに加わる勇者の情報が書かれている。……メンバーが増えることについては、もう文句はつけまい。どうせ既にパーティ登録済みなのだろうし。

「えーと、名前は……。小山内ころも、か」

「えっ?」「えっ?」

 十和田と霧洲が、同時に素っ頓狂な声を出した。

「……まさかとは思うが、知り合いじゃないだろうな」

 十和田と霧洲は顔を見合わせる。そして言いにくそうに、言った。

「知り合いっていうか……」

「……クラスメイトだよ、リョーマくん」

 俺は女神の座っている椅子の脚を引っつかみ、思い切りひっくり返した。

「あいたー!? いきなり何するんですか! ちょっと頭打っちゃいましたよ!」

「お前、やっぱり適当に選んでるだろう!」

 全員が同じ学校の生徒ならともかく、クラスメイトだと? 学校中から無作為に四人選んでも、こんなことにはならないだろ!

「ほ、本当に適当じゃないんですってば! たまたま、偶然、神の思し召しです!」

 それはつまり、お前の裁量で選んだと言っているも同然だと思うのだが、わかってて言っているんだろうか……。

 倒れた椅子に座ったまま、あお向けの状態で両手両足をバタバタさせて抗議の声を上げる女神を見ていると涙が出てきそうになったので、椅子の背を持って立ち上がらせてやる。

「……それで? この小山内ってのはどんなやつなんだ」

「あのねぇ……リンくんの時にも言ったけど、どうしてクラスメイトの顔を知らないのよ」

 話したことのない人間の顔を、どうやって覚えろというのか?

「まったくもう……。コロちゃんはね、背がちっちゃくて可愛らしい子。髪の毛をふたつにくくってるのが特徴的なんだけど……思い出した?」

「思い出すも何も、そもそも知らないんだよ」

「どれだけ貧弱な記憶力なのよ! ……そうそう、今日だって印象的なことがあったじゃない」

 印象的? 何かあっただろうか……学校で起こった出来事なんて、ほぼほぼ記憶に残していないからな……。

「ほら、体育館で校長先生のお話を聞いていたときに、倒れちゃった子がいたでしょ? あれがコロちゃんよ」

 ああ……俺の思考を邪魔したあの生徒か。まあ邪魔をされたと言っても、その後結局何もアイディアは出てこなかったのだから邪魔されたところで問題なかったわけだが……。

「へえ、そうか。仲がいいのか」

「まあ、そりゃね」

 誰とでも仲のいいやつだな……さすが生徒会長といったところだろうか。十和田と霧洲、ふたりを相手にしているだけでも俺は疲れてしまうというのに、どういう精神構造をしているんだろう。

「お前も小山内と仲がいいのか?」

 俺は飽きもせず柔和な笑みを浮かべている霧洲に問いかける。すると霧洲は、少しだけ困ったかのように眉を歪ませた。

「うーん、まあね。当たり前だよ」

 当たり前? 小山内ってのは女子だろう、女子と仲がいいのが当たり前とは……聞くやつが聞いたら憤怒の形相で迫られるであろう発言だぞ。

「いや、そういう意味じゃなくてさ……。僕とツキちゃんと小山内さんは、ただのクラスメイトじゃないんだよ」

「は? なんだ、まさかまた身内とか言うんじゃないだろうな」

「はは、さすがにそれはないけどね」

 霧洲は十和田の肩をぽんと叩く。

「ツキちゃんが、生徒会長ってことは知ってるよね?」

「一応な」

「じゃあ、副会長が誰か知ってるかな」

 副会長……それは知らないな。朝礼などで壇上に上がって喋っているのはいつも十和田だし、もしかしたら傍に立っていたのかもしれないが、そんなやつのことを俺が覚えているわけがない。……しかし、副会長が何か関係してくるのか?

 俺が疑問に思っていると、霧洲が自らを指差し、言った。

「僕、生徒会副会長」

「……なに?」

「そして、生徒会メンバーはもう一人、会計がいるんだ。ちなみに書記はツキちゃんが兼任してるんだけど……。その会計がつまり……」

 ……小山内ころも。新たに参戦する勇者ってか?

「生徒会メンバー、勢揃いね!」

 十和田がニコニコしながら言う。その嬉しそうな笑顔で、俺の中の何かが再び切れた。

「あわわわわわ、椅子を、いいいい椅子を揺らさないでくださいいいいいいい」

「やっぱり適当に選んだんだろ! 正直に言え!」

「ほほほほほ本当に適当じゃないんですってばばばばば!」

 椅子を揺らすのを止めてやると、目を回したようにくらくらしながら、女神が反論してくる。

「た、確かに皆さんの学校の生徒会メンバーが集まってしまったのは事実ですけど! だったらその中にリョーマ様がいる理由がわからないじゃないですか! 意図的な選出じゃないからこそ、リョーマ様も勇者に選ばれたんですよ!」

 む、確かに……。まさか俺自身の存在が証拠になってしまうとは……。

 女神の頬をむにむに引っ張りながら、この勇者の人選はいったい誰の意思によるものなのかを考えていると、

「まぁ、小山内さんはおとなしい子だから、リョーマくんとも気が合うんじゃないかな。少なくとも僕やツキちゃんよりはね」

 気が合わない自覚があったとは驚きだが、それを承知でこの男は、今まで気さくに話しかけてきていたのか……。気が合わないやつとは距離を置くのが、正しい対処法ではないのか?

「それで、小山内さんのステータスはどうなの? 僕たちのパーティにおいて、どんな役割を果たしそうなのかな」

 霧洲のその言葉で、まだ名前の項目しかステータスに目を通していないことを思い出す。そうだ、そもそもそのために女神からステータスの巻物を受け取ったんだ。こいつらの知り合いであるとか、どんな性格のやつだとか、そんなことは些細なこと……重要なのは、新しく入ってくる小山内ころもが、異世界攻略の役に立つやつであるかどうか、だ。

 俺は改めて、ステータスの巻物を広げてみた。十和田と霧洲も、隣から覗き込んでくる。

「……なんだか、リンくんのステータスと似てるわね。ってことは、コロちゃんも魔法使い?」

「かもね。確かに小山内さんは、前線に出て戦うタイプには見えないから」

 ただでさえMP回復アイテムが足りていないのに、魔法使いタイプが増えるのか……それはあまり喜ばしいことではない。しかし霧洲は、自分と小山内の役職が被っていることに関して何も思うことはないのだろうか。最初はただ前線で戦うだけだった俺と十和田も、最近ではステータスに偏りができたことで、俺が戦士タイプ、十和田がナイトタイプであるというふうに、役割に違いが出てきたのだが……。

「……ん?」

 俺はスキル欄を見た。そこに並んでいた文字列を、しっかりと読む。

「…………」

「……うわっ? ちょっと、なに気味の悪い笑い方してるのよ? 怖いからやめなさいってば」

 これが笑わずにいられるか。喜ばしいことじゃないだなんて思っていたさっきまでの自分を蹴り飛ばしたい気分だ。

「あっ、何するのよ。まだ見てるのに」

 俺は十和田と霧洲がまだ覗き込んできているのにもかまわず、書類をくるくると畳み巻物に戻し、女神の姿を探す。……椅子の上で脱力し、スライムのようになっている……なにやってんだか。

「よし、行くか。おい、早く異世界に送ってくれ」

「えっ、なんでいきなりやる気になってるのよ? ちょっと怖いんだけど……」

「ほらよ、スキルのところ見てみな」

 失礼なことを言っている十和田に、ステータスの巻物を投げて渡した。受け取った十和田は巻物を広げて目を通したが、わからなかったようだ。だが、横から覗き込んだ霧洲はすぐに理解したらしい。

「ああ、なるほどね……。これはリョーマ君の機嫌が良くなるのもわかる」

「だろう。そういうわけだ、ほら、早くいつもみたいに異世界に飛ばしてくれ」

 女神に声をかけるが、なぜか返事が返ってこない。ただの屍じゃあるまいし、どうしたんだ?

「おい、どうした?」

「……あー、異世界ですね。わかりました、わかりましたよ。では」

 気だるげにそう答えた女神は、やはり気だるそうな動きで体を起き上がらせ、手を前にかざす。すると、十和田と霧洲が光の柱に包まれ、一際強い光を放ったかと思うと、一瞬のうちにその場から消え去った。異世界へと転送されたのだろう。

「……って、なんであの二人だけなんだよ」

 頭を掴んでかくかくと揺さぶると、あうあう呻きだしたが、やがて真剣な目になってこちらを見つめてきたので揺さぶるのをやめる。

「……リョーマ様、実は折り入ってご相談があるのです」

「……相談?」

 なんなんだ、いきなり。女神に相談されるほど、俺は人間できちゃいないぞ。そういうのは生徒会長とかやってるやつにでもしたほうがいいんじゃないか?

「いえ、リョーマ様じゃなければダメなんです!」

「わかったよ……とりあえず聞くだけ聞くから、早く言え」

 早く異世界に向かいたいので、俺は話を急かす。まぁ、聞くだけならタダだ。

 女神は胸に手を当て、大きく深呼吸をしてから、意を決したように言った。

「皆さんのステータスが書かれた巻物、やっぱり返してくれませんか!?」

「やだ」

 絶対に断る。

 そもそも、返さなければならない理由がないからな……。

「いやいや! あれはわたしの、女神用のアイテムですから! 返す理由なら、それで充分でしょう!」

「あのなぁ、前に説明しただろ。あのアイテムはお前が持ってたって宝の持ち腐れ、猫に小判、豚に真珠だって」

「あー! 前はそこまで酷くは言わなかったのに! お願いします、女神としての仕事が減らされたおかげで、暇で暇で仕方がないんです!」

「暇で仕方ないって……勇者を探し出すことがお前の仕事だろうが」

 というか神様ってのは、ほかにもいろいろやることがあるんじゃないのか?

 暇人女神は物憂げな様子で、はぁとため息をつく。

「もうしばらくの間は、勇者は見つかりませんよ……。ころも様を見つけて以降、新たな勇者の気配がぷっつりと途切れてしまいました……。立て続けに四人も見つけられたことが奇跡みたいなものだったんです」

 勇者の追加が無い、というのは嬉しい報告だが、女神にしがみつかれて身動きが取れない現状はまったく喜ばしくない。さっさと異世界に行ってダンジョン攻略の続きがしたいってのに……。

「だからって、俺にどうしろってんだ。仕事は自分で見つけろ」

「バイトの先輩みたいなこと言わないでくださいよ! だから巻物を返してって言ってるんじゃないですか! わたしから仕事を奪っておいて何言ってるんですか!」

「だからそれは嫌だって」

「じゃあ、何でもいいから出番……仕事をください! 皆さんを異世界に送るだけなんて、女神の役目じゃありません!」

「いや、結構重要な役目だと思うが……。何でもいいって、どんな役目がいいんだ」

「それはリョーマ様が考えてください」

 なんだそりゃ……。

 しかし、こいつをどうにかしなければ俺は異世界に行く事ができない。どうしたもんかと俺は頭をひねり……、

「……何か、電話みたいにすぐ連絡が取れるアイテムとかあるか?」

 俺が思いついたのは、ヘルプ機能だった。

 今まで、この女神の説明不足で苦労してきた物事は多い。戦闘方法だとか、残り体力の確認方法だとか、そういった基本的なことすら試行錯誤で身に着けた。

 基本的な操作方法すらわからずにゲームをやる馬鹿はそういない。古いゲームならばいざ知らず、最近のゲームであればゲーム内に基本的な操作法を教えるヘルプ機能くらいついているだろう。ならばこの女神にも、その機能を果たしてもらおうじゃないか。

「セーブ後くらいしか、確認を取る方法がなかったからな。疑問に思ったことをすぐに確認できれば便利だろう」

「えー、個人的な連絡先を交換するんですか? なんというか、それは恥ずかしいというかぁ……」

 鼻をつねってやろうと伸ばした俺の手をバックステップでするりと交わした女神は、胸元から小さなアクセサリーを取り出した。

「はい、これが伝心のイヤリングです。これを身につけ、わたしのことを思うことで、わたしと連絡をとることができるようになります」

 俺は女神の手からアイテムを受け取り、耳につける。イヤリングなんて生まれて初めて身に着けた……耳が痛くなるのではと思っていたが、想像していたより痛くは無かった。

「うふふ、うっかりわたしのことを思い、もとい想ってしまわないように気をつけてくださいね? その瞬間、わたしと連絡が繋がっちゃいますよ?」

 万に一つも、その可能性はないだろうよ。

 新たな役目を得て満足したのか、女神は満面の笑みを浮かべている。

「異世界に行った瞬間にはずすなんて無しですからね。ちゃんと使ってくださいよ!」

「ああ」

「わからないことがあったらすぐに連絡してください! どうせ暇してるので、即座に答えてみせます!」

「……ああ」

「『わからないことがあれば、な』とか……思ってませんよね?」

 ……なかなか察しがいいじゃないか。



「どうしたのよ? 冴梨だけなかなか来ないから心配したじゃない」

「なんでもない。それで、小山内ってのはもう来てるのか」

 女神の手によって異世界に来た俺はいつもどおり宿屋で目を覚ましたが、先に行っていたはずの十和田と霧洲の姿は無かった。テーブルの上にメモが置かれており、

『小山内さんを待たせても悪いから、先にはじまりの草原まで行ってるね 霧洲』

 と書かれていた。

 それならばとさっさと準備を済ませて、俺や霧洲、そしておそらく十和田も……が、最初に異世界に降り立った場所、はじまりの草原まで向かったところ、十和田と霧洲、二人の姿しか見えなかった。

「もう来てるよ」

 霧洲が柔和な笑みを浮かべてそんなことを言う。

 だが、どこをどう見回しても、新しい勇者の姿は見当たらない。

「どこにもいないじゃないか」

「いるのよ。……ほら、コロちゃん。大丈夫、こんな顔してるけど、悪いやつじゃないから」

 やかましい、と十和田を睨みつけると、その背中から小さな人影が現れる。

 現れた女子……小山内ころもは、おそるおそるといった様子で顔だけを覗かせた。……母親の背中に隠れる、恥ずかしがりやの子供のようだ。

 ちっちゃくて可愛い、十和田が言っていたが本当に小さい。まるで小学生だ。長めの髪をツインテールにしているのも、小学生っぽさを助長させている。本当に同い年か? ツインテールは、俺と同い年の女子がする髪形として正しいのか?

「……こんにちわ」

 小山内は発した声もまた、小さかった。

「ああ。俺の名前は……」

「……えと、知ってます。クラスメイトだし」

 ……そうか。俺はお前の姿かたちすら覚えていなかったんだけどな……。

「……まあ、自己紹介の手間が省けたのはいい。合流できたのなら、さっさと街へ戻ろう。お前の装備を整えたら、さっそくダンジョン攻略だ」

「ちょ、ちょっと!」

 十和田が慌てたように小山内の前に立ちふさがる。

「冴梨、あなた忘れたわけじゃないでしょうね? ここに来たばかりのコロちゃんはまだレベル5なのよ? それなのにあんな危ないところに連れて行くなんて……」

「問題ない。なにせ小山内は戦わないからな」

「はあ? どういうことよ? リンくんもあの巻物を見て以来、どうして何も言わないの?」

 なんだよ、説明してなかったのか。ちらりと霧洲のほうを見ると、肩をすくめた。

「いや、説明はしようと思ってたんだけど。リョーマ君がなかなか来なかったりで、つい忘れてたんだ。今から説明するよ」

 そう言うと、霧洲は十和田と小山内のほうへと向き直った。

「あのね、ツキちゃん。小山内さんは僕らと違って、少し特殊な役目を持っているんだよ」

「? どういうこと?」

「小山内さんのスキル欄に並んでた呪文、どれかひとつでも覚えてる?」

「……? まあ、一応。確か……」

『治癒<ヒール>』。

 小山内のスキル欄の、一番上に並んでいたスキルが、それだ。

「読んで字の如く、これはおそらく回復の魔法なんだ。ツキちゃんはステータスを見て、小山内さんが僕と同じ魔法使いタイプだというのは予想してたけど、覚える魔法の方向性は僕とは真逆だったのさ。僕は攻撃型の呪文を覚える魔法使い、小山内さんは回復とか補助の呪文を覚える魔法使い……神官とか、僧侶とか、白魔法使いと呼ばれるような役職なんだよ」

 小山内のスキル欄を見て、俺が思わずにやけてしまったのも無理はない。なにせ、今もっとも必要としていた回復手段が、何もせずともやってきたのだから。

 パーティメンバーが増えてわずらわしいという気持ちは今でもある。だがしかし、打開策が見えない状態でダンジョンにもぐり続ける日々には、さすがにそろそろ終止符を打ちたかった。その鍵となるスキルを、小山内は持っている。不本意ではあるが、歓迎しようじゃないか。

「回復役は基本的に後ろにいて、斬ったり殴ったりしない。俺や十和田のように前に出て戦う役目よりは、格段に安全なはずだ。それに、万一敵の攻撃がこいつに向かったとしても、今はお前がかばってやれるだろう?」

 十和田を指差し、俺は言う。十和田が『かばう』のスキルを持っており、それを使えば即座に味方の防御に回ることができることもすでに試してある。

「人を指差さないの。……それは確かに、そうだけど」

「それだけじゃない、他にもすぐにダンジョンに向かっていい理由はある。だがそれは、実際にダンジョンに行けばすぐにわかることだ。だから今は、さっさと装備を整えるべきだ」

 俺がやたら自信満々に言うのと、霧洲も特に反論を行わないのもあって、十和田は渋い顔をしながらもダンジョンへ行くのを了承した。

「……え、えっと……え?」

 小山内が十和田と霧洲の顔を交互に見ながら、困惑の声を上げた。

 ……そういえば、小山内にはこの世界のことを何も教えていなかった。まぁそれは、十和田と霧洲がしてくれるだろ……。



 小山内の得意武器は、杖と槌。杖ってのはわかるが……ハンマー? 案外攻撃的なのだろうか。

 杖が街の武器屋に売っていないことは霧洲の件で知っていたので、ダンジョン内で見つけた宝箱に入っていた杖を持たせる。つくづく金のかからないやつだ。

 服については、十和田が選んでいた。あれこれと小山内に身につけさせ、着せ替え人形のようにしていたが、最終的にかわいいからという理由で神官の格好になった。かわいいからという理由はあまり感心できないが……まあ、役職的に間違っていないので文句は言うまい。

「さて、それじゃ行くか」

「待ちなさいってば」

 いざダンジョンを攻略せんと勇ましく歩き出した俺の襟元を、十和田が掴んで引き止める。だから首が絞まるからやめろって。

「まだ、レベルが低いコロちゃんでもダンジョンに入っていい理由を聞いてないわよ。勢いに飲まれてここまで来たけど、さすがにきちんと理由を聞くまでは実際に入らないからね」

「ゲホッ……ああそうかい。……十和田お前、このダンジョンはどうして難しいのか、以前酒場で話したが……覚えてるか?」

 十和田は少しだけムッとした顔をして答える。

「暗いからでしょ? 周りをよく見渡せないから、ふいにモンスターが襲ってきてダメージをもらうパターンが多いのが、なかなか進めない理由だったわね」

「そのとおりだ。それで回復アイテムが尽きて、いったん街に戻るというのを俺たちは繰り返してきた。しかし……」

 俺は十和田の隣に立っていた小山内に手を向ける。小山内が十和田の後ろにさっと隠れた。

「それらをすべて解決する手段を持っているのが、この小山内だ」

 十和田は目を丸くして小山内を見た。見つめられた小山内は、不安そうな目をしている。

「小山内が持っている呪文……『治癒<ヒール>』が回復魔法なのはもう言ったな。今までは回復アイテムの薬草が尽きた時点でダンジョンから撤退せざるを得なかったが、今は小山内の精神力が続く限り、回復手段も尽きない」

「へぇ……。……で、でもそれだけじゃ」

「さらに。それ以外にも、小山内はすでにもうひとつ呪文を覚えていた」

 その呪文は『光<ライト>』。

 光の名を持つ呪文の活用法など、そうは多くない。

「おそらくこれは、ダンジョン探索用の補助呪文だ。薄暗いダンジョンを光で明るく照らし、視界を確保するためのな」

「……ということは、コロちゃんさえいれば……」

「ダンジョン内での難しい戦闘が、一気に楽になる。少なくとも、モンスターから不意打ちをされる頻度は格段に減るはずだ、なんせダンジョンが明るくなるんだからな。回復が必要な場面自体が減り、そのうえ小山内さえ無事であれば、回復は小山内の精神力が尽きるまで無尽蔵に使用できる。レベルが低いうちは何度も使用することは難しいだろうが、レベルの高いダンジョンのモンスターを一緒に倒し続ければ、小山内のレベルだってすぐに上がるだろう。そうすれば……」

 このダンジョンをクリアする日は、そう遠くはないはずだ。

「コロちゃん! すごい!」

 十和田が感激したように小山内を抱きしめる。十和田の腕と胸に締め付けられた小山内は「むぎゅ」という鳴き声を上げたものの、特に抵抗はしなかった。

「まぁ、まだ上手くいくと決まったわけじゃないけどね。実際にそういう効果の魔法かどうかは、使ってみるまでわからないし」

 霧洲はそういうが、内心ではそう思っていないだろう。

 なにせこいつの使う『火球』が火の玉を飛ばす魔法で、『風刃』が風の刃を飛ばす魔法、『水圧』が水で押しつぶす魔法なのだ。この世界の魔法が、名前そのまんまの効果を持つことはすでにわかっている。それならば『光<ライト>』が辺りを光で照らす魔法でなくてなんだというのか。

「納得したか? それじゃあ、今度こそ行くぞ」

 俺と生徒会メンバーという構成の四人パーティは、もう何度目かも忘れてしまったが、再びダンジョンの入り口へと進む。

 入り口をくぐり中へと入ると、

「……やっぱり暗いわね」

 光る水晶の照明でぼんやりとだけ照らされている石造りのダンジョン内は、相も変わらず視界が悪い。今まで太陽に照らされた場所にいたということもあり、余計にそう感じるのだろう。

「え、えっと……どうすれば……?」

「頭の中でイメージするだけだよ。特に決まった方法はなくて、わりと大雑把なんだ。そうだな……杖の先から光が出てくるようなイメージを思い浮かべればいいんじゃないかな。魔法の名前は声に出しても、出さなくてもいい」

 先輩魔法使いである霧洲が、小山内に魔法の使い方を教える。くそ、俺もいつか魔法が使える日が来るのだろうか……。結局、俺の魔力値は一向に上がる気配を見せていない。

『光<ライト>』

 小山内が教えられたとおりに杖をかかげ、聞こえるか聞こえないかくらいのか細い声で呪文を唱える。すると、杖の先から溢れんばかりの白い光が放たれた。

 その光は杖の先を離れ、ものすごい勢いでダンジョンの通路を駆け巡る。薄暗く、先がまったく見通せなかったダンジョンが瞬く間に明るさにつつまれ、その全貌を露にした。今までは気にかける余裕すらなかった、壁に描かれた奇妙な模様や、天井に走ったヒビ、床の汚れすらもはっきり見える。

「……岩山トンネルみたいだな」

「なにそれ?」

 世界的人気のモンスターRPGも、うちの生徒会長様はやったことがないらしい。プレイしたことのある人間なら、まず間違いなく印象に残る場所なんだが……。

「ともかく! これで戦闘はもう楽勝ね!」

 暗がりのからの不意打ちや挟み撃ちなどがなくなれば、このダンジョンに出てくるモンスターの強さは森のモンスターたちに毛が生えた程度だ。十和田の言うとおり、今のパーティであれば問題なくこなせるだろう。

 十和田を先頭に、ダンジョン攻略がスタートした。



「おらッ」

 残り一匹となったゴブリンの体に、思い切り両手剣による斬撃を食らわせる。武器も何も持っていないゴブリンはなすすべも無く斬られ、「ギィ」とだけ悲鳴を上げて倒れた。そしてうっすらと消えていき、その場に硬貨が残される。

「うん、順調ね!」

 取り出していた細剣を腰へと戻しながら、十和田が言う。

 順調すぎるほど順調に、ダンジョン攻略は進んでいった。今までの苦労が嘘だったかのように、明るくなったダンジョンに出てくる敵たちはまるで脅威にならず、出てくる敵たちを余裕でなぎ倒しながら俺たちは進んでいった。

 複雑怪奇に思われたダンジョンの構造も、明るさが変わるだけでずいぶんと単純に感じられた。『光<ライト>』を使うまでは気づかなかった壁や床の傷、汚れなどで目印をつけることで、なんとなくだが方角を把握しやすくなっていた。これならば、マッピングの必要もなさそうだ。

「こうも順調だと、なんだか落とし穴がありそうな気がするねえ」

 不吉なことを言う霧洲は無視して、ダンジョン攻略を再開する。

 基本的に十和田が一番前、その後ろ……陣形としては真ん中に小山内が続く。これは別に打ち合わせして決めたわけではなく、小山内が十和田の後ろについて行きたがったからだ。そしてその後ろ……俺と小山内の心の距離を表しているような、だいぶ後方の位置に俺、最後尾は霧洲という列で、四人の勇者はダンジョンの通路を進んでいった。

 その後もいくつかの戦闘、いくつかの宝箱などに遭遇し、途中途中で個々がレベルアップしていることを確認しつつ、ダンジョンを奥へ奥へと進んでいくと、

「……なんだか、開けたところに出たけど」

 通路の先には、広い部屋があった。広いとはいうものの、それは先ほどまで進んでいた息ぐるしい通路と比べての話で、実際には学校の教室よりちょっと広いくらいだ。ただ、天井だけはずいぶんと高かった。

「……なんか、不気味」

 小山内がぽつりとこぼす。部屋の壁には、何を現しているかは不明だが、彫刻があしらわれている。ぐにゃぐにゃとした文様が幾重にも重なり、見ているだけで心がざわつきそうだ。そして正面の壁には、

「これって……もしかして」

「魔物……いや、魔王かな」

 おどろおどろしい怪物の姿が俺たちを見下し、睨みつけるかのように描かれていた。霧洲がそれを、魔王だと予想したのもわかる。……その姿は、普通のモンスターと呼ぶにはいささか貫禄がありすぎた。

「でも……この部屋って、行き止まり?」

 十和田が四方の壁をきょろきょろと見回す。確かに見たところ、他の道に続く通路のようなものは見当たらない。

 だが、そんなはずは無い。こんな意味ありげな場所に、何もないなんてことはないはずだ。森の奥地にゴーレムが鎮座していたように、少なくともボスキャラのようなモンスター……もしくは、

「何かギミックがあるのかもしれないね。手分けして探してみようよ」

 霧洲の一言で、各々探索を開始する。

 突然モンスターが現れて襲われるとも限らないので、あまり離れないようにとの注意が十和田から発せられる。なんだかんだで、ゴーレムが突然現れたことは十和田にとってトラウマになっているらしい。

 霧洲は入り口付近を、十和田は部屋の奥……魔王の彫刻が描かれている壁を、恐れることなく調べている。小山内は……あまり十和田と離れたくないらしく、部屋の真ん中あたりで十和田のことを見守っていた。

 さて俺はといえば……左右の壁を調べてもいいが、もっと気になるのはやけに高い天井かな? 妙に高いからには、何か仕掛けがありそうだが……残念ながら、宙に浮く手段を俺は持っていない。壁には彫刻があるので、でっぱりに捕まって登っていくこともできるかもしれないが……。さすがに相応の装備がないと上まで登っていくのは厳しそうだ。

 天井が無理となると、次に見落としそうな場所は床だろうか。見れば、部屋の中央には大きな円形の文様が刻まれている。いかにも意味ありげ……だが、文様自体は壁に刻まれたものと大差ないように見える。じゃあ、本当にただの意匠だろうか……。

 ……というか、怪しいと思えばなんでも怪しく思えてしまうな……勘に頼ってもどうしようもないかもしれない。

 そうなれば、地道に調べるほかに方法がない。床に仕掛けがあるとすれば、やはりスイッチか。なんでもない文様のどこかに、踏めるポイントがあるかもしれない。俺はじっくり、ゆっくり歩きながら、おかしな床はないか目を凝らして探す。いきなり踏んでしまって、罠が発動するなんて冗談でもお断りだからな。

 そういえば、小山内も文様のある床に立っている。下手に動き回ってスイッチを踏んでしまったりしないだろうかと心配したが、ずっと同じ位置に突っ立ったまま十和田の様子を目で追っている。……まあ、あの分なら気を払う必要は無いか……。

「あれ?」

 ふいに、十和田が声を上げた。魔王の彫刻の、右足あたりを見て立ち止まっている。

「ツキちゃん、何か見つけたの?」

 霧洲が声をかけると、十和田は壁の一点を指差しながら言った。

「ここ、他の彫刻と違うわね。力を入れたら押せるみたい」

 なるほど、床ではなく壁のほうにスイッチがあったのか。ギミックにしろトラップにしろ、他に何も見つからないのであれば押してみるほかない。とりあえず、何が起こっても対処ができるよう、いったん全員集まってから……。

「じゃあ、押してみるわね」

「ツキちゃん!?」

「ちょっと待っ……!」

 俺と霧洲の静止は間に合わず、十和田は力を込めてスイッチを押し込んだ。

「えッ……!?」

「うおっ!」

 突然、足元の感覚がなくなる。

 床に刻まれた文様が消えている。……いや違う、床自体が跡形も無く消えている!

「…………!」

 アニメや漫画だと、高所から落ちるときは悲鳴を上げるのがお約束だが、実際に落ちてみると案外声が出ないもんだ。……なんてことを考えている場合じゃない! どれくらいの高さがある? そもそも落ちる先に終わりはあるのか? もしくは落ちても大丈夫な場所なのか? 下に針山があって串刺しになるなんて嫌だぞ、俺は!

 なんとか下が見れないかと首を振ると、一緒に落ちている小山内の姿が目に入った。すぐ近く、手を伸ばせば届くような距離。そういえば、こいつも文様のある床に立っていたんだった。恐怖のあまり動けないのか、身を縮こまらせて固まっている。

「…………ッ」

 俺の頭が回転した。……ああ、嫌だ。どうして俺がこんなことを。だが最小限の被害に抑えるなら、これが一番適切か……!

 さあ、これもアニメや漫画ではありがちな展開だ。実際にはできるのか? 頼むから可能であってくれよ……!

 俺は腕を伸ばし、小山内が着ている神官服を掴んだ。そのまま力を入れて、小山内をこちらへ引き寄せる。重力とか力学とか空気抵抗とか、詳しいことはわからない。だが俺は、なんとか小山内の小さな体を、かき抱くことに成功した。

 そのまま小山内を抱きしめたまま、俺は背中を下に向け息を止める。いつ地面に達するのか? 地面には何があるのか? 押さえ切れない恐怖を小山内とともに胸に抱きながら、俺は奈落へと落ちていく。そんな生きた心地のしない時間が、無限に続くかと思われたところで、

「がぁッ……!」

 全身に衝撃が走った。人間が感じ取れる痛覚全てを、同時に刺激されたかのような。全身から一斉に痛みの信号を送られ、脳がパンクしそうな感覚。俺の語彙では言い表せないような最悪の痛みが、俺の全身に襲い掛かってきた。

 なぜだか全身が熱い。いや、痛いのか? 激しい痛みのせいで、脳がおかしくなっているのかもしれない。それに、体のどこも動かせない。……骨の何本かは折れているかもな、クソッ。

 だが、良かった点もある。痛みを感じるってことは、生きてるっていうことだ。罠にはまり高所から落下して一発死なんて理不尽ゲーは、コンティニューがあるから許されるんだ。こちとら、命はひとつしかないんだ……。

「あ……え……え?」

 腕の中で小山内が困惑した声をあげる。どうやら、大きな怪我はしていないようだ……俺がわざわざ体を張った甲斐があるってもんだ。

「あ……あの、だいじょうぶですか」

「大丈……ぐっ」

 大丈夫なわけないだろ見てわからないのか早く俺の上から降りろと言いたかったが、声を発するだけで全身が痛む。とりあえず、小山内にはやることやってもらわなければ……。

「たのむ……回復を」

 ロールプレイングゲームでパーティ全体が壊滅の危機に陥ったとき、誰を優先して生き残らせるだろうか。……プレイヤーによってプレイ方針は違うだろうから一概には言えないだろうが、俺の場合は大抵、回復役を優先させる。

 なぜかと問われれば、回復役さえ生き残っていれば、いくらでも建て直しが利くからだ。

 蘇生呪文なんかを覚えていれば特に顕著だろう。回復役が健在である限り、例えは悪いがゾンビのように攻撃役は蘇り続け、戦闘を続行できる。敵の体力が不明の場合などは、とりあえず回復役を優先して生き残らせるのは、大抵のプレイヤーが行っているのではないだろうか?

 落下している最中に、俺の頭によぎったのはそのことだった。現在の小山内の体力は把握していないが、パーティの中で一番レベルが低いのは確かだ。さらに補助魔法使いのタイプであるため、戦士タイプの俺やナイトタイプの十和田と比べればおそらく体力の値も低い。大きなダメージを食らって一撃で命を落とすという可能性も、無くはないだろう。

 落下のダメージがどれほどのものかは分からなかったが……ダメージを食らって体力がゼロになる可能性が低いのは、俺のほうだろう。それならば、俺がかばうことで小山内のダメージを最小限に抑え、俺が受けたダメージを小山内が回復魔法で回復することによって、すぐに体制を整える……落とし穴のトラップにハマった今、これがもっとも有効な手段だと俺は考えたのだ。

『治癒<ヒール>』

 小山内は俺の体から降りて、魔法を唱える。杖の先から緑色の優しい光が溢れ、仰向けに寝転がった状態の俺の体に降り注いだ。少しずつだが、体の痛みが癒えていく。

 治癒魔法一回では、完全に痛みは抜けなかった。小山内は何度か魔法をかけ、三度目の魔法でようやく俺は起き上がることができた。腕を回したり、足を振ったりして体の調子を確かめるが、もうどこも痛みを感じない。便利なもんだ。

「……よし。なんとかなったな」

「あ、あの……」

 装備が壊れていたりしないかを確認していると、小山内がおずおずと声をかけてくる。

「……あ、あり、ありがとう……助けてくれて」

「……別にいい」

 結局俺は、俺が生き残るのに最適な方法を選んだだけだ。

 もし小山内も一緒に地面に叩きつけられ、命を落としていた場合、俺はこのダンジョンの底で大ダメージを受けた状態で、うめき続けることになっただろう。回復アイテムがあるにはあるが、初めて訪れたここから脱出するのに充分な量かはわからない。一時は吐きそうなほどの痛みに苦しんだものの、アイテム消費なしで体力を回復できた今の状態は上々といえる。

 それにしても許されざるのは十和田のやつだ。おのれ、不用意に壁のギミックを操作しおってからに。……そういえば、十和田は森でゴーレム出現の罠には遭遇しているが、こういうロープレにありがちなダンジョンギミックには触れたことがないのか。まあ俺も、霧洲の言葉通り本当に落とし穴があるとはさすがに想像していなかったけどな……。

 体に異常がないことを確認し終えた俺は、辺りを見渡す。

 壁や床の造りが似ているので、ダンジョンの別階層であることは間違いないだろう。だいぶ下まで落ちてきたはずだが、小山内が唱えた『光<ライト>』の効果はここにもしっかり現れているようで、薄暗さはない。初期呪文のわりにずいぶんと便利な魔法だ。

 天井を見上げると、俺と小山内が落ちてきた穴がぽっかりと開いている。だが、さっきまでいた部屋……今は十和田と霧洲の二人がいるであろう部屋の様子は見えない。上のほうの穴が閉じたのか、それとも上が見えないほどの高さから落ちたのか……それは把握しようがなかった。

 視線を上から元に戻すと、俺のことを見上げる小山内が視界に入ってきた。同い年のはずだが、こうして近くで見ると本当に小さいな。

 その小山内はといえば、ぼうっとした顔で俺のことを見ている。……まじまじと見て面白い顔でもないだろうに。もしくは、あれか。十和田たちと別れてしまって不安になっているのか。異世界に来てからこのダンジョンに来るまで、ずっと十和田にくっついていたからな。相当仲がいいのだろう。

 さて、これからどうするかだが。

 まあ、十和田たちと合流するのが第一だろう。つまり、元の部屋に戻らなければならないわけだが……天井の穴は、登っていくのはまず無理そうだ。となると、別のルートが用意されているはずだ。

 おあつらえ向きのように、部屋の一角は通路に続いていた。ほかに道が無いのであれば、ここを進んでいくしかないだろう。だが……、

「……地図も無いのにダンジョン探索か」

 ゲームであれば、この部屋にセーブポイントが用意されていて欲しいところだな……。

 この先がどのような構造であるかはまだわからないが、ダンジョンの奥深くである以上、迷ってしまうような構造になっている可能性も低くない。そうなれば精神的に疲れるし、迷ったすえに無駄な探索を繰り返して体力も消耗してしまう。あまり好ましくない状況だ。

 それに、入り口からダンジョンを探索するのとは違い、もし途中で消耗してしまった場合、街に戻って立て直すという行動が取れない。すなわち一発勝負の探索となるが……ほかに方法がないなら仕方がない。ここで突っ立っていても何も始まらないからな……。

「あ、あの……」

 思わずため息が漏れたところで、小山内が小声で話しかけてきた。

 視線をやると、杖を抱きしめるようにぎゅっと握り、顔を赤くしてうつむいてしまう。……なんなんだ、どうして声をかけてきたんだ。

「……どうした?」

 しばらく待っても一向に話し始めないので水を向けてやると、小山内はようやく口を開いた。

「あの……これ」

 これってどれだ、と問う前に、小山内が小声で魔法を唱える。

 突然目の前に浮かび上がったものを見て、俺は目を丸くする。小山内が持つ杖の先からまろび出た光が、細く伸びながら空中を泳ぎ、図形を描き出したのだ。

「これは……」

 それは明らかに、ダンジョンの地図だった。今まで通ってきた場所、現在いる場所……さらにご丁寧なことに、パーティメンバーの現在地までもが克明に描かれている。さすがにまだ行ったことのない場所は表示されていないが、おそらく足を向けることで更新されていくのだろう。まさにこれは、自動マッピング機能だ。

 俺は女神から預かった、ステータスの巻物を取り出し、小山内のものを広げる。12まで上がった小山内のステータス、そのスキル欄には新たな呪文が……あいかわらずそのままな名前のものが増えている。

『地図<マッピング>』

「……はは」

 おもわず、笑いが漏れる。

 一瞬のうちに不安要素が取り除かれてしまった。地図があるとないとでは、ダンジョン探索の難易度は大違いだ。一度行った場所では二度と迷わないというだけでもだいぶ違う。

 地図をさらによく見れば、俺と小山内だけではなく、十和田と霧洲の位置も表示されていた。どうやら上の部屋では、落とし穴が閉じると同時にダンジョンの奥へと続く新たな道ができたらしく、あちこちと歩き回っているようだ。おそらく俺たちを探しているのだろう。そしてそのたびに、地図はどんどんと更新されていく。

 十和田たちの位置がわかっているのならば、合流するのもまた容易いはずだ。

「お前、やるな」

 そう声をかけると、小山内は再び顔を赤くしてうつむいてしまった。



 二人きりでのダンジョン探索が始まる。単純に考えて、戦力が半分の状態での探索だ。

 とはいえ、それほどしんどい状況ではないだろうと、俺は考えていた。楽観視しているわけではないが、マップだってあるし、戦闘もおそらくは大丈夫だろう。俺は大胆に歩を進めていく。

「あ、あの……わたし、どうすれば……」

 対して、小山内はおっかなびっくりな様子で、俺の後ろについてくる。

 考えてみれば、こいつは今日始めて異世界に来たのだった。初日でダンジョンに潜り、初日でトラップに引っかかったと考えると、なかなかハードな体験をしたことになる。

 しかも、仲のいい十和田や霧洲とも離れ離れになってしまった。さっきまでは十和田たちがいたから、初日でダンジョンに挑むという状況でも安心できたかもしれないが、今現在一緒にいるのは俺だけだ。俺は愛想のいいほうじゃないし、クラスメイトとはいえ今日まで話したこともない男だ。不安な顔になるのも無理は無いか?

 だが、俺が小山内に対して求めることはそれほど多くない。

「とりあえず、ついて来てくればいい」

「えっ……」

「モンスターが現れたら、モンスターに攻撃されない程度の位置で自分の身を守っているんだ。もしかしたら後ろから不意打ちされるかもしれないから、背後への注意も怠るなよ。それでも襲われたら、大声で俺を呼べ。すぐにそっちに向かう」

「あ、あの……それじゃ戦うのは……」

「俺一人だ。それで充分だ」

 このダンジョンの敵レベルは最早、レベルの上がった俺や、一番最初に異世界に来た十和田からしてみればだいぶ下のランクのランクとなっている。ダンジョン攻略に苦労していたのは、ひとえに視界の悪さで戦闘難度が底上げされていたからに他ならない。

 その視界の悪さが小山内の魔法で解消された今、こちらの戦力が俺ひとりであろうと、多少敵が群れようと、決して脅威には値しない。そして万が一、大ダメージを受けてしまったとしても、

「俺の体力が減ってきたころを見計らって、回復魔法をかけてくれ。戦闘でお前がやることは、それだけでいい。敵は全部俺が引き受ける」

「…………!」

 多少の無理をしても、回復役のMPが尽きない限り戦い続けることができる。回復役がいる強みはこれだ。MP……精神力回復アイテムはまだ余裕があるし、使いきるほどにダメージを受けるつもりもない。全滅することは、まぁまずないだろう。

 それに、擬似的にとはいえようやく一人で戦闘をすることができるんだ。もともと一人きりで異世界生活を謳歌しようとしていたのに、十和田が先に来ていたおかげでチームプレイを行わざるを得ない状況だった。今なら、そんなに剣を振り回したら危ないでしょと叱られることもない。

 今のこの状況でも、小山内が敵に狙われないよう、多少気を配る必要はあるが、言ってしまえばそれだけだ。むしろ今のほうが、俺としてはやりやすい……願ったり叶ったりの展開だ。

 俺が戦闘をすべて行うと聞いて呆然としていた小山内だったが、戦わなくて済むと知って安心したのか、以降は黙って後ろをついてきた。まぁやることや考えることがが少ないほうが、初心者は安心できるだろう。

 ……しかし、後ろについてくるのはいいが、やけに距離が近いな……。まぁ戦闘になったら離れてくれればそれでいいが……。

 それから、幾度かの戦闘が繰り返された。俺が予想していたとおり、やはりそれほど苦労はしなかった。何度か攻撃を食らったり、小山内のほうへ敵の注意が向いたりして焦る場面はあったが、全滅の危機に陥るようなことは一切無かった。

 加えて、小山内は回復役として非常にセンスがよかった。そろそろ回復が欲しい、と思ったときには、すでに魔法が唱えられている。小山内のことに関して知っていることはほぼ無いので分からないが、十和田と違ってゲーム経験は意外と豊富なのかもしれない。……まあ、十和田ほどまったく知らないという人間のほうが珍しいのかもしれないが。

 実質オート回復状態の戦闘はそれはそれは楽しく、俺は初めて、異世界での冒険を心から楽しんでいた。ああ、やっぱり一人って気が楽だ……二人だけど。

「……ずっとこのままでもいいなぁ」

「えっ……」

 楽しい時間というのは、あっという間に過ぎるのが世の常だ。

 俺と小山内はとある部屋にたどり着く。一人での戦闘があまりにも楽しく、結局マップのほとんどをコンプリートしてしまっていた。マップが開放されていないのは残りひとつの部屋、その最後の部屋に辿り着いたのだが、

「……ボス部屋、か?」

 今までダンジョン内で訪れたどの部屋とも違う、おどろおどろしい雰囲気が、部屋には立ち込めている。その原因は……やはりアレだろう。

「……おっきな扉」

 俺の身長の三倍、いや四倍近くある巨大な扉が、そこにはあった。ここが地下であることを忘れるほどに大きなその扉には、恐ろしげなモンスターの彫刻がびっしりと刻まれている。この先に進めば地獄が待っている……そう主張しているかのようだ。

 この恐ろしい扉の向こうに、ボスがいなければ何がいるというのか。まず間違いなく、このダンジョンを支配するボスが、扉の向こうで手ぐすね引いて、舌なめずりをしながら待っている……。

 俺は改めてマップを確認する。すると、

「……ん。この部屋の隣に十和田たちがいる……?」

 マップでは、壁をはさんだ向こう側の部屋に二つの点が光っている。それぞれ色違いで赤と青、十和田と霧洲を表している。ちなみに俺は緑色で、小山内は淡い紫だ。

 十和田と霧洲も、別ルートでこの近くまで来たのだろう。二人が進んできた道も、小山内の地図魔法はしっかりとマッピングしてあった。

 しかし、部屋には巨大な扉がひとつあるのみで、十和田たちのいる部屋へと続く道はない。当然窓のようなものもない。じゃあ回り道があるのかと考えたが、一帯のマップは完全に網羅してしまっている。進むことの出来る道をすべて踏破し、探索に次ぐ探索の最後に訪れたのが、この部屋だ。

「となると……」

 やはり、何か仕掛けが施されているのだろう。軽く部屋の中を見渡すと、今度は分かりやすく、壁際の床に二つのスイッチが並んでいる。人が一人乗ることでようやく沈みそうな大きなスイッチ。これに二人で乗れ、ということか。

「……大丈夫かな?」

 小山内が心配そうな声をあげる。トラップに引っかかって落とし穴に落とされたのだから、警戒するのも当然か。

「一応注意はしておくか。また落とし穴ってことはないと思うが……壁から矢が飛んでくるくらいはするかもしれないしな」

 冗談めかしてそう言うと、小山内はぶるりと背筋を震わせた。……確かに、冗談になってないな。

「……まあ、他にギミックもなさそうだし、踏んでみるしかない。準備いいか?」

 声をかけると、小山内はコクリと頷き、じっとこっちを見つめてきた。

「あの……」

「ん?」

「……クラスメイトだからって、ちゃんと自己紹介してなかったから。わたし、小山内ころも、です」

 今までで一番長い台詞に、俺は少しだけ驚く。なんとなく、こいつは一言二言しか喋らないやつだと思っていたのだ。

 それにしても、なんだ唐突に。いまさら自己紹介して、何か意味があるのか?

「……そうか。俺は冴梨リョーマだ」

「……うん」

 一応名乗り返すと、小山内は一度うつむき、

「……よろしくね、冴梨くん」

 にっこりと笑い、大きな目を輝かせながらそう言った。

「…………っ?」

 なぜだか、背中に悪寒が走る。

 どうしてだろう、風邪でもひいたか。しかし体調はすこぶる調子がいい。

 じゃあ何か精神的なものか。……ボス部屋前で、武者震いのひとつでもしたのかもしれない。小山内を見て恐怖を感じたなんて、そんなことはありえないしな……。

 ……しかし、ボスか。

 ダンジョンに現れる雑魚は、もう片手で捻れるほどに楽勝になっているが、ボスはどうだろう。またゴーレムのように相性次第で難易度が変わるボスだろうか。だとしたら、物理攻撃しかダメージを与える術の無い俺には酷な相手だが……。

 だが、もしかしたら……という考えが頭をよぎる。

 魔法が使えなきゃ倒せないなんてボスは、そうそういるものじゃ無い……はずだ。今度のボスはさすがに、斬撃くらい通用するんじゃないか?

 ……今の俺は、ボス相手にどれほどやれるんだ?

 もしかすると……俺一人でも戦えるんじゃないか?

「……じゃ、せーので踏もうね」

 やけに楽しそうにそう言って、小山内がスイッチの前に立つ。考えごとでぼーっとしていた俺は、その小山内の声でハッと我に返り、慌ててもうひとつのスイッチの前に立った。

 スイッチを見る。四角く、床からわかりやすく出っ張っている。アクションゲームでよく見るタイプのスイッチ。

 ……このスイッチを押せば、おそらく十和田たちがいる部屋へと続く道が開くのだろう。

 隠し扉になっているのか、それとも壁そのものが壊れてなくなってしまうのか……どうなるのかはわからない。だが、ここで二つに分かれたパーティが合流し、一丸となってボスへと挑戦するというのが、このダンジョンのシナリオなのだろう。

 俺は再び十和田の小言を聞き、全員の動きに気を配りながら……窮屈な戦闘でボスに挑むことになるわけだ。

「…………」

 楽しい時間というのは、あっという間に過ぎるのが世の常だ。

 だが……。

「……せーのっ」

 小山内が、スイッチを押した。



「……? 冴梨くん?」

 小山内が俺の顔を覗き込んでくる。その表情には、若干の困惑が浮かんでいた。

「どうしたの? 二人一緒に乗らないと……」

 俺は、スイッチに乗らなかった。

 黙りこくる俺を見る小山内の表情に、だんだんと心配げな色が浮かんでくる。

 ……なんだ。どうしてこんなに口が開かないんだ。

 何をためらってるんだ俺は? スイッチに乗らなかった時点で、他に選択肢はないだろ……!

「……なあ。俺たちだけでボスに挑んでみないか」

「えっ」

 小山内は目をぱちくりさせて驚いている。そんな言葉が出てくるなんて、夢にも思わなかったのだろう。

「えっ、えっ……。でも……」

 小山内はちらりと、ボス部屋へ続く扉を見る。恐ろしげな彫刻の施された、巨大な扉を。

「……なんだか、危なそうだよ」

「わかってる。たぶんこの先はボス部屋だ。今までのモンスターとはぜんぜん違う、強力な敵が待ち受けてるだろう」

「だったら、トワちゃんたちと合流して……」

「トワちゃん? ……ああ、十和田のことか。いや、それは確かにそうなんだがな。あいつらと合流してボスと戦えば、おそらくなんなく倒せるだろう」

「じゃあ、どうして?」

 どうして……か。理由はいくつもある。

 では、ここで言うべき理由はなんだろうか……。俺は少しだけ、考えた。

「……落とし穴に落ちてから、俺とお前、二人で戦闘をこなしてきたが……。どうだった? 大変だったか?」

「え? ……ううん、平気だったよ。冴梨くんが、守ってくれたから……」

 嬉しそうにはにかむ小山内に、俺はほんの少し意識のズレを覚えた。だがまあ、そんなに必死にはやっていなかったとはいえ、敵から何度か守ってやったのは事実だ。俺は違和感を無視して言葉を続ける。

「そうか、実を言うと俺もそうだったんだ。お前が回復に徹してくれたおかげで、ずいぶん楽に戦闘を進めることができた。……正直なところを言うと、お前と二人で戦闘していたほうが、十和田たちとチームを組んでやるより楽しかったんだ」

 俺は素直な気持ちを口にすることにした。小山内と二人での戦闘が楽しかったこと、やりやすかったことは嘘じゃない。

 変に言葉をこねくり回すよりよっぽどいい……はずだ。

「だから、もう少しだけお前と二人でダンジョン攻略を進めたいんだ。……ボスに挑むのが怖いのはわかる。十和田たちと合流したほうが、確実にボスを倒せるというのもわかる。でも、ダンジョンに現れる敵たちはもう相手にならないほど弱いし、そんな雑魚ばかりのダンジョンなら、ボスも対して強くないんじゃないかと思う。俺とお前で、さっきまでと同じように戦えば……きっとボスだって倒せる」

 俺は小山内の判断を待つ。……ここで小山内に断られれば、俺は引き下がる以外に無い。

 小山内はしばらくぼーっとして俺の顔を見ていた。……なぜだか、ほんの少しだけ頬が赤い。風邪という状態異常ステータスは、この異世界には存在するのだろうか。

「……ボスとの戦いでも、ちゃんとわたしを守ってくれる?」

 小山内が問いかけてくる。回復役をキープするのは当然だ、場合によっては回復アイテムを全部くれてやってもいい。

 それに、ボスの攻撃が小山内に行く前に、俺が倒してしまえばいいだけの話だ……。

「……ああ、当然だ」

「……そっか」

 小山内は再び、にっこりと微笑む。

「だったら、いいよ。行こう」

 俺はほっと胸をなでおろす。……これでまだ、俺は一人で戦える。

「…………?」

 なぜだか、胸の中にもやもやしたものがある。自分のことなのに、その正体はまったくわからなかった。……いざボスに挑むという段階になって、緊張でもしているのだろうか。

 小山内と俺は、床のスイッチから離れた。そして、巨大な扉の前へと赴く。

「じゃあ」

「ああ。……行くぞ」

 俺は、扉を押し開けた。

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