2
ロールプレイングゲームの醍醐味は、寄り道にあると俺は思う。
もちろん、大筋のストーリー・シナリオを進めることは大事だ。何せそれをしなきゃ、ゲームは一生終わらない。ロールプレイングゲームのゲームクリア条件は何かと問われれば、大半の人は当然のように「ストーリー上の最終ボスを倒し、エンディングを迎えること」と答えるだろう。どんなゲームも、最終目標はゲームクリアで十中八九間違いないだろうし、俺だってそう考えている。
しかし逆に言えば、そこは最終的には誰もが必ず通る道だと言えるってことだ。
水族館とか美術館に、進行ルートってあるだろう? あれを想像してもらえると助かる。ロールプレイングゲームのシナリオは、進行ルートを示す看板みたいなものだと、俺は考えている。
で、だ。ちょっと気になるんだが、水族館や美術館を、進行ルートどおりにきっちり進む人間って、どれくらいいるんだろうな? もっと言うと、音声ガイドとかあるだろう。あの音声に従って、ガイドの時間通りに進む人間っていうのは、水族館や美術館に訪れる人間全体でどれだけの割合なんだろうな。
少なくとも、俺は音声ガイドってのはあまり利用しない。進行ルートも、思い切り逆走することはさすがにないが、混み合ってるから少し飛ばしたり、面白そうなところはじっくりと見たりする。みんなもそんな感じじゃないか?
音声ガイドにしたがって水族館なり美術館を進むのは、きっと正しい楽しみ方だ。でも、思い出に残るかどうかと言われると、たぶん違うんじゃないかと思う。事実、俺が小学生の遠足のときに行った水族館の思い出で覚えているのは、飼育員の人がクラスにつきっきりで丁寧に解説してくれた内容じゃない。巨大な水槽の中でゆったりと泳ぐサメの群れを、飽きることなくじーっと見ていたことだ。……あと、あまりにもサメに没頭しすぎたおかげでクラスのやつらに置いていかれて、教師に大目玉を食らったこともか。
ロールプレイングゲームでも、そういうことないか? メインのシナリオを追いかけるよりも、サブシナリオに夢中になってしまったり。目的地に向かう途中に気になるマップを見つけて、シナリオそっちのけで向かってしまったり……。そこにはまるでご褒美のように、アイテムが隠されていたり、変わったグラフィックのマップが存在していたりして。そして案外、そういうことのほうがゲームが終わったあとに思い返すと記憶に残っていたりする。
人によってまったく違う、プレイヤーのゲームの遊び方が色濃く現れる部分。シナリオそっちのけで、レベルを上げるのに夢中になるか、マップを埋めるのに夢中になるか、はたまたアイテム集めに夢中になるか。……つまり、それら寄り道こそが、ロールプレイングゲームの醍醐味だと、俺は思うのだ。
……と、そんなことを十和田に向かって話したら、
「ふーん」
とだけ返された。
「……お前。お前が、どうしてこの森を進むのか説明しろって言ったんだろうが」
恨みの篭った目で睨んでも、十和田はそ知らぬ顔だ。
「だって、話が長いんだもの。それに例えもよくわからなかったし……わたしは、よく音声ガイド使うけど? 水槽に張ってある小さな説明だけじゃわからないことも、詳しく知ることができるもの。それに、同じ場所にずっと立ち続けていたら、ほかの人たちに迷惑でしょう」
そうかい。薄々どころじゃなく感じていたが、こいつとはつくづく反りが合わんらしい。
ちなみに、俺が遊ぶロールプレイングゲームというのはもっぱらJRPGというものであり、日本で生まれた超有名作から端を発したジャンルだ。もともとロールプレイングゲームとはテーブルトークRPG……ゲームマスターとプレイヤーの側にわかれて云々かんぬん、というものらしいのだが……そちらを俺は遊んだことがない。理由はまぁ、察してくれ。そこから派生してコンピュータRPGが生まれ、JRPGが生まれる以前にももちろんロールプレイングゲームというジャンルのゲームはあったのだが……そちらもやったことがない。世の中やりたいゲームが多すぎる。本当は学校に行っている暇などないのだ。
俺がロールプレイングゲームの歴史についての思考に耽って、黙り込んだのをどう思ったのか、十和田は腰に両こぶしを据えて、眉を吊り上げながらこちらを見た。
「だいたい、この世界の人たちは今この瞬間も魔王の恐ろしさに怯えているのよ? 少しでも早く魔王を倒して世界を救わないと、犠牲は増える一方じゃない。それなのに、寄り道がどうとか言っている場合じゃないでしょう。前にも言ったけど、ここはゲームの世界じゃないんだからね」
子供に説教をするかのような十和田の態度に、俺はうんざりする。何度も言われなくても、そんなことはわかってる。
だが、世の中急いだってどうしようもないこともある。それを教えてやらなければ。
「この寄り道こそが、世界を救うための大事な一歩でもあるんだよ」
「はぁ? 何言ってるの? いったい寄り道に、なんの意味があるっていうのよ」
「そりゃ、レベル上げだよ。どれだけ急いで魔王を倒そうと思っても、レベルが足りなきゃ返り討ちになるだけだ。女神だって、レベルを上げて魔王を倒せって言ってただろ? 寄り道をするってことはつまり、いろんなところを探索するってことだ。探索すれば当然、モンスターだって現れる。そいつを倒せば、経験値がたまってレベルが上がり、いずれは魔王を倒せるレベルまで到達できる。つまり寄り道こそが、魔王を倒すための第一歩ってことだ」
ロールプレイングゲームをやったことがあれば、あちこちを歩き回っているうちにレベルが上がっていて、ボスを簡単に倒せてしまった……なんて経験はよくあることだ。寄り道することはめぐりめぐって、ゲームを楽に攻略する方法にもなるわけだ。
しかし、ロールプレイングゲーム未経験者には、どうにもピンとこないらしい。
「レベル上げなら、女神様が教えてくれた草原でやればいいじゃない」
「あのなぁ……最初のマップの経験値なんてたかが知れてるだろ。あんなところ、ひとつかふたつレベルが上がったら次のマップに行くのが当然……」
と、ここでふと疑問が浮かんだ。
十和田は俺より先に、この異世界に来たらしい。それがどれくらい前かはわからないが、どうやらこいつは、いまだに最初の草原から外へは出たことがないようだ。
だとしたらこいつ……今までずっと最初の草原でレベル上げをしてたのか?
不審に思い、俺は十和田に尋ねる。
「なぁ、お前……この世界に来たのはいつごろだ? 昨日か一昨日くらいか」
平然とした顔で、十和田は答えた。
「一週間前くらいだけど……それがなによ」
「いっ……!」
一週間? 一週間って言ったかこいつ。
それだけの時間があれば、シナリオが短めのロールプレイングゲームを二週はクリアできるぞ!
「……一週間の間、なにやってたんだお前」
「? そりゃ、レベル上げよ。女神様にアドバイスされたもの」
「ずっとあそこの草原で?」
「草原で」
…………。
「バカか!」
「なっ……冴梨、あなたねえ! 人のことを何度もバカバカって……」
「何度でも言ってやる! バカかお前は! ロープレ初心者だからって、それはあまりにもバカすぎるだろう!」
一週間もの間、あのだだっ広い草原で何の目的もなしに雑魚を狩り続け、レベル上げだけに終始していたのか? それはもはや、バカを通り越して異常だ。
俺があまりにも言うからか、余裕のあった十和田の表情に若干の焦りが混じる。
「だ、だって女神様が最初のレベル上げは草原がオススメだって言ってたんだもの!」
「そんなもん、ひとつかふたつレベルが上がるまででいいんだよ! お前今レベルいくつだ!」
「11だけど……」
6つも上げてるのかよ! それだけあげれば、最初のボスくらいは軽く倒すことができるぞ……。少しでも早く魔王を倒さなきゃ、なんて言っていたのはどこの誰だ?
どんな物事でも、初心者ってのは何をするかわからないから恐ろしい……。シナリオも追いかけずに、最序盤でただひたすらレベル上げに勤しむプレイヤーなど、普通はいない。俺の口から思わずため息が漏れる。
「……あのな。寄り道の先に、レアなアイテムが落ちてたりだってするんだよ。ロープレで重要なのは、レベルだけじゃない。探索して、強いアイテムを見つけることだって、冒険を進めるためには重要なんだ。それだってのに、何もない草原で時間をつぶしてたのか、お前は……」
「う……。でも女神様はそんなこと教えてくれなかったし……」
あの巨乳女神め、ロープレ初心者に向かってまともなアドバイスをしなかったらしいな……やっぱり役立たずじゃないか。まぁ、アドバイスされたことしかしなかった、こいつもこいつだが……。
「……とにかく、しばらくこの森を探索するぞ。最初の町から見える範囲にあるからそれほど敵も強くないだろうし、お前が無駄にレベルを上げたのもあって戦闘に苦労しなさそうだしな」
そう言うと、十和田はおとなしく後ろをついてきた。もったいない時間の使い方をしたことに気づき、だいぶ堪えたようだ。
まぁこういう気づきも、ロールプレイングゲームの醍醐味と言えるか。たしかにもったいない時間ではあったが、レベル自体はしっかり上がっているんだ。今後の戦闘が楽になるという意味では、決して無駄な時間ではないはずだ。
……いい経験をしたじゃないか。ロープレに慣れてしまった俺には、そんなプレイ方法はもはやできないからな……。
そんなわけで十和田を説得した俺は、森の探索を再開した。
「うわぁ……!」
俺の後ろを歩く十和田の口から、感極まった声が上がる。
まぁ、気持ちはわかる。俺も十和田がいなければ、あちらこちらを見るたびに、感動のあまり声を上げていただろう。
異世界の森の中は、不思議なものでいっぱいだ。足元に生えている花のひとつを見ても、見たことのないようなものばかり。そんな未知の植物が群生して、森を成しているのだ。これで好奇心を刺激されないわけがない。ファンタジーの世界に迷い込んだのだという事実を、否が応にも感じさせてくれる。それがたまらなく、俺の気持ちを昂ぶらせた。
上がったテンションに従うままに、ずんずんと森の中を進んでいく。と、先ほどまで森の中の風景に感激していたはずの十和田に、急に呼び止められた。
「ちょ、ちょっと。そんなにどんどん進んでいっていいわけ?」
「進まなきゃ探索にならないだろう」
「いや、そうじゃなくて……こんなに大きい森なのよ。もし迷子になったりしたらどうするの?」
なんだ、そんなことか。
「後ろを振り返ってみろ」
「? 何なのよいきなり……」
問いに答えず、ただ命令するだけの俺への不満が、しっかりと顔に出ていた十和田だったが、後ろを振り向いてようやく理解したらしい。
今まで歩いてきた場所、そして今現在歩いている場所も含めて……木々が密集する森の中で、なぜか綺麗に道になっているのだ。一見無秩序に生えているように見えて、森の中の植物は全て、一本の道を形作るように生息している。まるで森の奥へと誘っているかのように。
「なにこれ……? なんでこんな風になってるの?」
さあなあ。ただ、マップ内で進める道が制限されているなんて、ロープレじゃそう珍しくないからな。だからじゃないだろうか。
俺も初めは少し進んだだけで終わらせようと考えていたのだが、この道に気づいて考えを変えた。マッピングの必要がないのなら、できればガンガン進みたい。……多少の問題はあったとはいえ、待望の異世界での、初めての冒険には違いないのだ。
もちろん、道を外れて自由に進みたいという欲求はある。なんせここは現実であり、ゲームのようにシステム上の都合で入っていけない場所などない。だが、今日は初日……いわばゲームプレイ一日目だ。初めからあえて道を外れまくる必要もないだろう。自由に探索するのは、マップの全体を把握してからでも遅くはないはずだ。
「というわけだ。さっさと行くぞ」
「うぐ……わたしのほうが、勇者としては先輩のはずなのに……」
ほんの一週間だけ早くこちらに来た程度で先輩面しようとするほうがおかしい。それを言うなら、俺のほうが何度も世界の危機を救ったことのある大先輩だ。無論、ゲームでだけどな。
森の中に示された道に従い、俺と十和田は進む。
進む。
どんどん進む。
「…………」
……おかしい。俺の期待する展開がなかなか訪れてくれない。
この異世界にきて、もうそこそこ時間が経つ。それだというのに、いまだに一度も、俺の期待しているあの展開が始まらないとはどういうわけだ?
「あ、ちょうちょ。こっちの世界でも大きさとか形とか、あんまり変わらないのね……もし人間くらいの大きさだったりしたら……う、ごめん、やっぱ今のナシ」
焦れて苛立ちが募りだした俺の後ろでは、十和田がのんきに独り言をくっちゃべっている。……たしかに、人間大の大きさの蝶が現れたとしたら、かわいいだのと言った台詞は出てこないだろうが……。
何を言われても無視を敢行する俺の態度にもめげず、十和田は何かを見つけては、わざわざ俺に向かって話しかけてくる。もしかしたらこいつは、会話を続けなければ生きていけない病気にかかっているのかもしれない。学校でも休み時間のたびに、ひっきりなしにあらゆる生徒と会話を繰り広げていたしな。いったい何をそんなに話すことがあるのだろうか……。
そんな俺のくだらない予想を裏付けるかのように、今度は森の奥のほうを指差しながら、十和田が再び声を張り上げた。
「あっ、見て見て! ウサギがいる!」
俺は十和田が指差したほうへと視線を向ける。
目を凝らして見てみると、木陰で白いものがもぞもぞと動いているのが見えた。
二つの赤い瞳、ひくひくと動く鼻、丸く小さな尻尾に、長く伸びた耳……なるほど、たしかにそれはウサギの形をしていた。あんな遠くにいるのに、よく見つけたもんだ。
「かわいい……。わたし、動物は大抵好きだけど、ウサギは特に好きなの。丸っこい体型とか、ぴょこぴょこ動く仕草とか……かわいさを具現化したような動物よね……」
うっとりとした顔で、聞いてもいないことをぺらぺらと喋りだした。ふむ、こんな顔もするんだな……俺がこいつの顔を見るときは大概、眉間にしわを寄せていたはずだが。まぁ、それほどまでに好きだと言うのなら邪険にするのもなんだな……少しは話に乗ってやろう。
「知ってるか? ウサギってのは動物界で最も性欲が」
突然、ヒザ裏を誰かに思い切り蹴られたかのような激痛が走り、俺は悶絶して言葉を失った。いやあ、せっかくウサギ豆知識を開陳してやろうと思ったのに、残念だ……ちくしょう、本気で蹴りやがって……。
「呼びかけたらこっちに来てくれたりしないかな……。おーい、こっちおいでー?」
悶絶する俺をよそに、十和田は子供を相手にするようにかがみこみ、手をパンパンと叩いてウサギを呼んでいる。
そんなもんで来たりするかい……と言いたいところだったが、
「えっ、ウソ! ほんとにこっち来たー!」
なんと、ウサギはこちらに気づいたと合図するかのように耳をピンと立てると、一目散にこちら向かって駆けて来た。なんとまぁ、不思議なこともあるものだ。ぴょこぴょこと地面を跳ね飛びながら、どんどん近づいてくる。
近づいてくるうちに、次第にウサギの容貌がはっきりとわかるようになってきた。どうやら、俺たちの世界のウサギよりも、一回り大きいサイズのようだ。柴犬より少し小さいくらいだろうか? 蝶は大きくなると可愛くなくなるだろうが、ウサギであれば少しくらい大きくともあまり印象は変わらなかった。外見もやはり、それほど変わったところは見られない。瞳は赤く、鼻は小さく、尻尾は丸く、耳は長い。
ただ、額に禍々しいツノが一本生えていた。
「オラァーッ!」
俺は腰から抜き放った剣で、近づいてきたウサギを一刀両断した。
「ギャアアアアーッ! なな何すんのよこの人でなし!」
「あが、くる、くるしい……首を絞めるな! 何をするはこっちの台詞だ!」
鬼の形相をしながら俺の首をがっしりと掴んで離さない十和田の両手の指を、俺は一本ずつなんとか剥がしていく。……ゲホッ、本気で締めてきやがって。しかもなんて怪力だ……レベル差があるからか?
十和田は血走った目に涙を浮かべながら叫ぶ。
「なんの罪もないウサちゃんを残酷に殺しておいて、よくもそんなこと言えるわね! ロクなやつじゃないとは思っていたけど、動物虐待の趣味があったなんて! そこまで非道ではないと信じてたのに! その目つきの悪さは伊達じゃなかったってこと!?」
「やかましい、目つきが悪いのは生まれつきだ! だいたい、何が動物虐待だ! どう見てもモンスターだっただろ!」
俺が望んでやまなかったのはもちろん、敵モンスターとの戦闘。もともと経験値稼ぎを目的としてこの森に来たのだから、モンスターが現れたのなら倒すのが当たり前だ。
それがなぜ、首を絞められなければならないんだ!
「はぁ? あんなかわいい動物のどこがモンスターだって言うのよ!」
「あからさまに額からツノが生えてただろうが! アルミラージってやつだよ、知らんのか!」
「そんなの知るわけないでしょう!」
そこそこ有名なモンスターだと思うんだが……ゲームをあまり遊んだことのない人間にはマイナーな存在なのか? それならば、見た目ウサギのモンスターが目の前で惨殺されてショックを受けるのも仕方ないかもしれないが……。かといって、ここで引くわけにはいくまい。正義は俺にあるんだからな。
「知らないんなら教えてやる。さっきも言ったがあれはアルミラージといって、見た目はウサギだが間違いなくモンスターの一種だ。今思えば、お前が呼んだあとにやつがこちらへ向かってきたのも、俺たちを敵だと認識したからだろうよ。あのままだったら、ツノに貫かれて大怪我してたかもしれないんだぞ」
丁寧に教えてやったというのに、命の恩人でもある俺に対して、十和田は批判の態度を崩さない。
「ふん、そんなのわからないじゃない。本当にわたしが呼んだから、人懐っこく来てくれた可能性だってあるわ。だいたい、モンスターだっていうのも疑わしいものね。あんなにかわいいのに」
可愛ければモンスターじゃない、なんて理屈が通用するか! 世界中で人気の電気ネズミだって、一応モンスターなんだぞ。
十和田は目にたまった涙をぬぐいながら、俺に切り捨てられて真っ二つになったツノウサギの亡骸へと振り返る。
「ああ、かわいそうに。この人でなしに、こんな無残な姿にされて……」
振り返った十和田の表情が、びきりと固まった。いったい何事かと、俺もそちらに目を向ける。
「…………」
そこに、ツノウサギの亡骸はなかった。
かわりに、地面に硬貨が一枚落ちていた。
「……おい」
「…………」
「こいつは、なんだ?」
「……この世界の貨幣」
「なんでここに落ちてる」
「……モンスターを倒すと、モンスターの亡骸は消えて、アイテムとお金が落ちるようになってるの」
ほう。ドロップで獲得するお金やアイテムを、ギルドからの報酬などで違和感なく説明している異世界モノも多いというのに……。どうやらこの世界はゲームシステムそのままに、その場でお金に変換される仕組みらしい。いったいどういう原理なのやら。
まぁ、それはともかくとして。
俺は十和田の肩をぽんと叩き、言った。
「どんなモンスターがいるかわからないし、気を引き締めていこうな?」
「……ええ。そうね……」
俺の忠告に、十和田は素直に頷く。
ちらりと見えた十和田の表情は、切なさと空しさが入り混じった、なんとも酷い顔だった。
いわゆるクソゲーというものが、世の中にはある。
難易度が異常に高い、あまりにも操作性が悪い、単純に面白くない……理由は数多くあるが、大多数の人間がつまらない、と感じたゲームは総じてクソゲーと呼ばれる。
とはいえ、面白さの感覚っていうのは人によって違う。ゲームに限っていえば、自分に合ったジャンルでなければ、それだけで面白く感じないなんてこともあるだろう。かく言う俺もパズルゲームは苦手で、プレイしても何が面白いのか分からない……。
だが、あれに熱狂的なファンがいることは知ってる。俺にとってパズルゲームは総じて、面白さが理解不能なクソゲーだが、ファンにとっては何百時間でも遊べる神ゲーなわけだ。
ジャンルをロールプレイングゲームに絞っても、同じようなことが言える。レビューサイトで高得点を叩き出している期待の新作をプレイしたけどしっくりこなかったり、逆に、暇つぶしにとそれほど期待せずに買った中古のゲームにドはまりしたり……そういうことは往々にしてある。ようするに、そのゲームがクソゲーかどうかってのは、遊ぶ人間次第だと俺は思うのだ。
まあ、何が言いたいのかというと。
「……クソゲーつかまされたッ!」
このゲームは俺にとって、かなりのクソゲーだということだ……!
不満点はいろいろある……挙げだすとキリがないほどに。だが、それでもあえて挙げていこう。
まずひとつ、ジャンル詐欺。
俺は一人用ロールプレイングゲームの世界だと思っていたのに、実際は複数プレイヤー制のMMORPGだったこと。とはいえ、これは俺が異世界に行ける展開に舞い上がり、パッケージをよく確認しなかった……もとい、女神の説明をちゃんと聞いていなかったせいでもある。なので、ここは目をつぶろうじゃないか。腹は立つけどな。
ふたつめ。
俺は異世界に来てすぐに装備を整え、真っ先に目指した森を十和田とともに延々と探索しているわけだが、
「……敵とエンカウントしねえぞ!」
エンカウント率が、非常に低い。
初めての戦闘となったツノウサギ以降、モンスターがなかなか出現しないのだ。具体的には、三十分から一時間ほど探索して、ようやく一体出現する、という感じ。レベルを上げるためにここに来たというのに、敵と遭遇しないのでは話にならない。
「演歌……なに?」
聞きなれない言葉に首をかしげていた十和田にエンカウントという言葉の意味を教え、その確率が極端に低いのではないかということを尋ねたのだが、
「別に、こんなものでしょ?」
どうやら、草原でのエンカウント率も非常に低いものだったらしい。
たしかに現実的なことを考えれば、数歩歩くたびに敵と出会うというのはなかなか混沌としていて、それはそれで嫌な気がする。しかし、ゲームの世界に現実感を求めても仕方がない。レベルを上げなければ魔王は倒せないし、そもそも勇者の特権は無限にレベルアップできることだったはずだ。一体どれだけレベル上げに時間を費やさせるつもりなんだ? その間に、世界は魔王に支配されるのではないだろうか。
みっつめ。実は、ふたつめとは相反する点なのだが。
俺は普段、あまり運動しない。学校へはだらだらと徒歩で通学しているし、体育の授業は適当に流し、運動系の部活には参加していない(文化系にももちろん参加していないが)。休みの日は一日中家でゲームか、アニメか、漫画か……まぁようするに、インドア派なわけだ。
そんな家の中大好きな俺が、歩き慣れないファンタジー世界の森のなかを、数時間歩き続ければ当然、
「ちょっと、どうしたの? 遅れてるわよ」
……体力が尽きてくる。
どうやらこの異世界、スタミナ管理の要素があるアクションRPGでもあるようだ。歩けば足は痛くなるし、戦闘があれば全身が痛くなる。コマンドを選べば自動的にアクションをしてくれる、オーソドックスなロールプレイングゲームの戦闘要素は、これっぽっちもなかった。
この点に関しては、ちょっと悔しいがエンカウントが少なくて良かったと感じてしまう。ちょっと歩くたびに戦闘をこなさなければならなかったとしたら、俺は一時間ほどで体力が完全に尽きていただろう。しかし俺は騙されない……もう少しユーザーフレンドリーであれば、そこそこのエンカウントがあった上で、スタミナ要素など廃止されているはずなんだからな。
「動けば疲れるなんて、当たり前じゃない。というか冴梨、あなたちょっと貧弱すぎない?」
俺が肩で息をしているというのに、十和田は涼しい顔だ。俺のレベルを上げるために、こいつ自身はあまり戦闘に参加していないとはいえ、ずいぶんと余裕がありそうだ。
……そういえば、こいつは運動も得意なんだった。たしか初期ステータスは現実世界での力を参照するとか、あの女神が言っていた気がする。つまり、おそらくは初期値の段階で、こいつと俺のステータスには大きな差があるわけだ。これもクソ要素だな……。
そういうわけで、俺はへとへとになりながら、なかなか遭遇しない敵を探しつつ、十和田と共に森の中を探索し続けた。初めは一本道だった森のルートが途中で二手に分かれ、行き止まりに遭遇したり、再び二手に分かれたルートに行き着いたりしたころ。
「ねえ、そろそろ引き返さないと、暗くなっちゃうんじゃない?」
木々の隙間から覗く空の色を見上げながら、十和田が言った。
俺も空を見上げる。たしかに、真っ青だった空の色に、ほんの少し赤がさしているように見える。
「……クソッ」
時間経過によって環境が変わる。現実では至極当然のことではあるが、ゲームとして見ればクソゲー要素だ。まぁ、ある意味画期的なゲームかもしれないけどな。
町で買った旅支度の中に、たいまつなどといった照明道具は無い。太陽が落ちてしまえば鬱蒼とした森の中だ、何も見えないほど暗くなってしまうだろう。そうなればもはや冒険どころじゃない……俺はあたりを明るく照らす道具を用意しなかった自分のミスに、思わず歯噛みした。
「……仕方が無い、いったん帰ろう。はぁ、結局1レベルも上げられなかったのか……」
俺の愚痴が聞こえたのか、十和田は不思議そうな顔を浮かべた。
「何言ってるの? 何度かモンスターと戦ったじゃない、1レベルも上がってないなんてことはないはずだけど」
「いや、しかし……」
言いかけて、気づいた。というか、こんな基本的なことも確認していなかったなんてどうかしてる。十和田といるせいか、どうも調子が狂っている気がする。
「レベルアップしたかどうかなんて、どうやって確認するんだ?」
思えば、自分のステータスの確認すら、俺はしていない。十和田によれば武器を装備したときに確認できるとのことだったが、実際に剣を装備してみたところ、剣と俺の体がぼんやりと光っただけだった。
「よかった……とりあえず、剣はあなたの得意武器だったみたいね」
俺の体が光ったのを見て、十和田はずいぶんと安心した様子だったが、あれじゃ単に武器との相性しかわかっていない。実際にパラメータを参照することはできないのだろうか。自身のステータスを数字で確認できないなんて、そんなロープレはそうそう無いぞ。
来た道を引き返しながら、十和田は俺の疑問への答えを返した。
「宿で休めば……セーブをすればすぐに分かるわよ。さ、遅くなる前に帰りましょ。こっちの世界は、本当に暗くなるのが早いんだから」
はっきりとしない答えに釈然としつつも、俺は十和田の背中についていった。
名残惜しいが、一日目の冒険はここまでだ。
セーブをする前に、ひと悶着が起きた。
「……部屋がひとつしか取れない!?」
宿屋の店主に向かって、十和田が驚愕の声を上げる。
太陽が沈みきる前に町へと帰ってきた俺と十和田は、一目散に宿屋へと向かった。宿屋の位置は、調べるまでも無く十和田が教えてくれたから分かる。本当は、町の探索ものんびりやりたかったんだがな……。
俺が来るまでの一週間、ずっとこの宿を利用していたらしい十和田が、手馴れた様子で宿の店主に一泊を申し込む。
当然、二部屋だ。男と女で、それほど仲がいいわけでもない。ついでに言えば俺は誰かと相部屋なんて落ち着かなくて仕方が無いので、俺も文句は言わなかった。しかし……、
「すみません、パーティを組んでいる方々には、大部屋をひとつ貸すのが決まりでして……」
宿屋の店主は申し訳なさそうな顔を浮かべながらも、きっぱりとそう言った。
「で、でも、わたしたち男と女で」
「しかしお二人は、パーティを組んでいらっしゃいますよね?」
「まだ空き部屋あるでしょ? それをひとつずつじゃだめなの……?」
「お二人は、パーティを組んでいらっしゃいますから」
「……そうだけど。でもわたしたち、今日が初日で……」
「パーティを組んだのですよね?」
選択肢の無限ループ……というわけでもないだろうが、店主の対応は頑なだった。
「申し訳ございませんが、それが決まりでございますから」
「あう……」
そして優等生の生徒会長様は、ルールだとか決まりごとには弱いらしい。結局押し切られ、俺と十和田はひとつの部屋に宿泊することになった。
案内された部屋の扉を開くと、なるほど、確かに大部屋と呼ぶにふさわしい立派な部屋だった。どうも四人部屋らしく、大きなベッドが4つも部屋に設置されている。小さな町の宿屋にこんな大きな部屋があっていいのかと疑問に思ったが、大部屋はこのひとつしかないから問題ないのだと店主が教えてくれた。
「冒険者の方々はどこにでも行きますから。いつでも望んだ部屋をお貸しできるようにすることは、宿屋としては当然のつとめです。小部屋も大部屋も、きちんとご用意させていただいておりますよ」
だったらこちらの望みどおり、一人部屋を二つ貸してくれよ……と言いたかったが、すでに支払いも済んでいるのにグダグダ言っても仕方がない。店主から鍵を預かり、俺と十和田は部屋へと入った。
「……言っとくけど、変なことしたら許さないから」
十和田が俺から距離を取って、こちらを睨みながらそんなことを言ってきた。
「安心しろ、お前には大して興味が無い」
「なっ……」
なぜか心外そうな顔を浮かべる十和田を放っておいて、俺は部屋の中を見回してみる。
たかが宿屋の一室の中にだって、世界観を作り上げるオブジェがいくつもある。壁にかかっている絵画に描かれている風景は、この世界のどこに存在するのだろう? 4つあるずいぶん立派なベッドは、一体どこで、どのような技術で作られたものなのだろうか? ……おっと、備え付けの本棚がある。もしかしたら、この世界の成り立ちや、魔王に関するヒントなどが書かれている本があるかもしれない。あとでいくつか見てみようか……。
この異世界には、まだまだ俺の好奇心を刺激するものが、たくさんある。
ただ同じ部屋に泊まっているだけの女に、興味を示している暇なんてない!
「……あっそう。じゃあ、とりあえず一番離れているベッドに寝てよね」
言われなくとも、そのつもりだったさ。
その後、眠気が訪れるまでの間、俺と十和田は装備の汚れを落としたり、風呂に入って体の汚れを落としたり、持ち物やお金の確認をしたり……各々の時間を過ごした。
十和田は、こちらの様子をしきりに伺っては何事かをブツブツと呟いたり、俺が並んでいる本を読んでみようとベッドから立ち上がると、びくりと反応して身構えたりしていた。いったい何がしたいのやら……学校での凛々しい姿はどこへ行った?
俺は常日頃の学校生活で、周囲の人間を居ないものとする術を身に着けていたため、情緒不安定な十和田のことは気にすることなく、リラックスして過ごした。
「あ、あのさ」
俺がベッドに寝そべりながら本を読みふけっていると、十和田がおずおずと話しかけてきた。十和田もベッドに座り、枕を胸元で抱きしめている。
本には魔王のことなどは何も書かれていなかったが、異世界で書かれたものだというだけでそれなりに面白かった。テンポ良く読み進めていたところを邪魔されれば、当然不機嫌にもなる。
「……なんだよ?」
脅すつもりはなかったが、思いのほか機嫌が顔に出てたらしく、十和田は怯えたように肩をすくめる。それでもこちらから目をそらしたりはせず、口を開いた。
「もう結構遅いけど……まだ寝ないの?」
俺は壁にかかっていた時計に目を向ける。俺たちの世界と変わらない形をしている時計は、その針で夜中の11時を指し示していた。
そういえば、この世界に来る前に俺が自分の部屋のベッドに入ったのも11時ごろだったか。その後異世界に降り立ったときの時刻は朝方だったので、本当に丸一日、異世界を堪能したわけだ。
自分が活動していた時間を振り返ると、なんだか急に疲れがどっと体に押し寄せてきた気がする。読書に夢中になっていたため忘れかけていたが、日中ずっと歩き続けていたのだ。インドア派の俺の体には、相当な疲れが溜まっていることだろう。
「そうだな……そろそろ寝るか」
眠ってしまえば、また現実世界に逆戻り。そう思うと名残惜しくてまだ眠りにつきたくないが、一度自覚した疲れは眠気に姿を変えて、俺を襲ってきた。俺は本を閉じ、枕元に置く。
妙にほっとした様子の十和田はベッドから起き上がり、部屋の明かりを消した。……そういえば、この部屋の明かりは電気で点いているんだろうか? また気になることが増えてしまったな……。
「それじゃ、おやすみ」
「ああ」
俺はベッドに横になり、毛布を被って目を瞑る。
「セーブ後に、また会いましょう」
明かりが消えた真っ暗な部屋に、十和田の声が響いた。
……そういえば、レベルアップはセーブをすれば分かると言っていた。いったいどうなるのだろう?
新たな疑問を胸に抱きつつも、襲いくる眠気には勝つことができず、俺の意識はまどろみの中へと消えていった。
「たららら、たったったー! おめでとうございます! リョーマ様のレベルが2、上がりました! 次のレベルまでは、たぶんあともうちょっとです! 初日はいかがでしたか? これからも慢心することなく鍛錬を重ね、いつか魔王を倒せる日まで全力で」
俺は反射的に、腰にある剣の柄に手を伸ばした。
「ギャアア! 凶器に手を伸ばしましたよこの人! 神殺しです! 神殺しを狙っています! やーい中二病!」
「ちょ、ちょっと! 女神様に向かって何しようとしてるの!?」
十和田が、女神をかばうように俺の前に立ちはだかる。ええい、どくのだ。多少キツめにやらなければ理解できないやつも、この世にはいる。
「……ってちょっと待て。なんでお前がここにいる?」
「なんで、って……」
十和田があきれたようにため息をつく。
「言ったじゃない、セーブ後にまた会いましょうって」
「確かに、最後に言っていたが……。……もしかして、寝るたびにここに来るのか?」
女神が、十和田の背中から顔を覗かせる。人間を盾にするその情けなさに泣きそうになる……。ちなみに、俺の腰に剣はささっていなかった。眠るときに外したからな。つまりこの女神は、ありもしない凶器に怯えて大騒ぎをしていたわけだ……。
その情けない女神は、先ほどまでのテンションはどこへやら、にこやかに笑いながら答える。
「いえ、毎回じゃありませんよ。なにかお知らせがあるときにはこちらへお呼びすることがあるだけです。例えば、何かイベント発生条件が達成されたときとか。まぁ、一番多いのはレベルアップしたときですかねー」
嫌な予感がして、俺は顔をしかめる。
「……もしかして、一度眠らないと経験値が入らないシステムなのか? そういうのはめんどくさいから好きじゃないんだけどな……」
「いえ、経験値自体はちゃんと入ってるし、レベルも上がってますよ。ただ、ステータスは確認できないでしょう。それを……」
女神は胸元から、何か書類のようなものを取り出した。
「わたくし女神から、勇者の皆さんにお知らせするのです! こちらは皆さんのステータスが自動的に更新される魔法のスクロール。これを見れば、皆さんがどれだけ努力を積み重ねているか、パーティ内ではどういった役目を務めればいいのか、一目瞭然なのです!」
……単に書類を読み上げるだけじゃないか。そんなもの女神でなくてもできるだろう。
「……それにしたって、さっきのお知らせはないだろう。レベルが2上がったって、ステータスはどこが成長したんだ? それと、次のレベルまで……なんだって?」
「たぶんあともうちょっとです」
「なんだその適当な言い方は! 具体的な数値を言え、数値を!」
「ええー……? わたし数字はあんまり得意じゃないんですけど……」
「……だったら、その書類をちょっと見せてくれ」
イライラをなんとか堪えながら言うと、女神は得意げに「ちょっとだけですからねー?」などと言いながら、二人分の書類を渡してきた。腹の立つ笑顔をしてからに……最初に会ったときの神々しい感じはいったいどこへ。
俺は受け取った書類を広げ、十和田と自分のステータスを見比べる。なになに……たしかに俺の現在のレベルは7、ちゃんとレベルアップしてるな。……ぐ、やはり大抵のステータスが初期値の時点で十和田に負けている……。唯一、ちからとぼうぎょだけは、レベル差があっても並びそうな勢いか。
俺がじっくりと書類を見ていると、
「ちょ、ちょっと。人のステータスをそんなにじろじろ見ないでよ」
十和田が恥ずかしそうに顔を赤くして、横から割り込んできた。別に身長や体重が書かれてるわけでもないんだし、いいだろう……。そう思いつつも、一応十和田にも見えるよう、俺は体を動かす。
「えっと……うん、全部勝ってるわね」
「……レベル差があるんだから当たり前だろう」
「拗ねないの。……ん? この魔力ってのはどういうステータスなの?」
目の前にこの世界の女神がいるんだからそっちに聞けよ……と思ったが、一応答える。
「魔法を使うためのパラメータだろ。これが高ければ高いほど、すごい魔法が使えるようになるんじゃないのか」
「魔法……? 魔法が使えるの、わたし!?」
十和田のパラメータを見ると、たしかに魔力の値に数字が刻まれていた。じゃあ俺のほうはといえば、
「……あ?」
思わず目をこする。しかしどれだけ強くこすっても、書かれている数字に変化は無い。
「……おい、そこの女神」
「はい、女神ですよ」
「この数字は、一体どういうこった?」
俺の魔力パラメータに書かれていた数字は……0。
初めてこの女神に出会ったとき、俺はなにか特別なスキルはないのか、もしくはステータスが優れていないのかを聞いた。結局ステータスは平凡だったわけだが、俺の記憶が確かならば、魔力の数値も平均的であり、成長率も並である……という話だったはずだ。
だが、書かれている数字は無を意味するもの。これのどこが平均的だ?
ところが女神は、何を当たり前のことをとでも言うように、あっけらかんと答える。
「だって、あなたたちの世界には魔法なんて無いじゃないですか。だから、魔力は無いのが普通なんですよ。ほんの少し魔力があるだけでも、充分すごいことなんですから!」
……おいおい。
俺は剣と魔法のファンタジー世界に来たはずなのに、自ら魔法を使うことすらできないのか? もしこのままの調子で成長するのであれば、俺の戦い方は力任せに武器で攻撃するだけになってしまう。たたかうコマンドしか選べない勇者なんて、誰も望んでねーよ……。
「……ほ、ほら。もしかしたら、もっとレベルアップしたら魔力も上がるかもしれないじゃない。それまで頑張りましょうよ……ね? ね?」
俺はよほど失望した顔をしていたのだろう、隣で十和田が固い笑顔で俺を元気付けようとしている。
勉強のできない子供を励ますようなうら寂しい言葉が、俺の耳にむなしく響いた……。
そんなこんなで、一週間の時が過ぎた。
一週間というのは元の世界……つまり俺や十和田が学生をやっている世界での期間であり、眠るたびに異世界に来ては同じように一日を過ごしているため、俺は普通のやつらより倍の時間を生きていたことになる。
頭がこんがらがりそうな話だが、そこらへんの帳尻あわせはどうもあの女神があれこれ手を加えているらしく、俺の生活になにか支障が出たりはしていない。異世界で朝から晩まで冒険を繰り広げているからって、寝不足になるようなこともない……それどころか、むしろ異世界に来る前の自堕落な生活をしてたときのほうが、よっぽど寝不足ぎみだった。
寝ている間だけ異世界に行っている……という認識だったのだが、どうもこれは間違いだったようだ。深夜零時に眠りにつき、異世界で朝から晩まで冒険を繰り広げても、元の世界で目覚めたのは朝の7時だった。そういう時間の矛盾に関しても、神様の裁量とやらでなんとかしているらしかった。
というわけで、俺は元の世界での生活を気にすることなく、思う存分異世界を探索した。
「……と言っても、まだ最初の森だけどな」
一週間という期間で、森の中はほとんど探索し終えたと言えた。レアそうなアイテムもいくつか見つけたし、レベルアップを重ねたことで、ツノウサギや七色鳥、でかこうもりと言った生息するモンスターも楽に討伐できるようになった。……ちなみに、モンスターの名前は俺と十和田が勝手に呼んでいる名称であり、正式名称ではない。モンスター図鑑といったシステムがないため、正式名称の知りようがなかったのだ。
レベルが上がってステータスが上がったからか、初日のような息切れはあまりしなくなっていた。雑魚モンスターとの戦闘だって少し息が乱れる程度だし、一日で探索できる距離も大幅に増えていた。
そして、探索していない場所は、あとほんの一部。
「ついに、最深部ね……!」
十和田が、目をきらめかせながら言う。……こいつもこの一週間で、だいぶ印象が変わった気がする。なんというか、ゲーム慣れしてきたというべきか。もともとスペックが高いだけあり、戦闘に関しては完全に俺より上手い。そして、探索する楽しさというのも、理解してきたらしい。
「……最初は寄り道なんて、と思っていたけど。新しい何かを自分の手で発見するって、こんなに楽しいものだったのね……」
なにやら感慨深げにつぶやいている。……そんなのは異世界も何も関係ない、当たり前のことだと思うがなぁ。
まぁ、いい。こいつのテンションに水を差すつもりはないし、何より俺自身もテンションが上がっているのだ。異世界に来て初めての冒険、その先には一体何が待ち構えているのか……? 今から楽しみで仕方が無い……!
俺と十和田は、どちらが先ともわからず、最深部へと一歩踏み出す。そこに待っていたのは、
「……あ!」
十和田が喜色溢れる声を上げる。
そこにあったのは、宝箱だった。ゲームではおなじみの、鉄と木で出来た頑丈そうな宝箱。この森の中でもいくつか見つけ、その中にはもれなく嬉しいアイテムが入っていた。
しかし、この宝箱はそれらとは少し違う。なんというか、装丁が豪華なのだ。鉄の部分には細工が施され、宝石のようなものすら埋め込まれている。木材もつやつやとしていて、なんだか高級そうな雰囲気を漂わせている。
箱が豪華ならば、その中身は……? 何が入っているか想像するだけで、ワクワクが止まらない。
「すごいすごい! 最後まで頑張った人へのご褒美ってことね!」
十和田が満面の笑みを浮かべながら、小さく跳ねている。学校での生徒会長姿とはまったく違う……まるで子供みたいな十和田のリアクションに俺は驚き、しばし呆然とその姿を眺めていた。
すると、十和田は一直線に宝箱へと駆け出した。
「……ッ! ば、ちょっと待て!」
呆然としていたおかげで、注意するのが少し遅れてしまった。そのほんのわずかな間に、十和田はもうずいぶんと前に進んでしまっている……!
子供のように無邪気にはしゃぎながら、十和田は首だけをこちらに向ける。
「何よ? 大丈夫、早いもの勝ちなんて言わないから! だって二人で見つけたんだものね! 中身が何かは開けて見てのお楽しみだけど、ちゃんと二人で……」
「そうじゃない! 止まれ!」
モンスターの生息する森の、最深部。
そこに鎮座する、ほかより一際豪華な宝箱。
そんな場所で、何も起こらないわけがない!
「えっ……?」
走る十和田が、急に後ろへ背中を反らした。
いや、違う。地面が急激に盛り上がっているのだ。十和田の足元から、まるで生きているかのように動き出した地面は、十和田を上に乗せたまま高く、高く膨らんでいく。
膨張した地面に足を取られてバランスを崩し、十和田は後ろ向きに倒れそうになっていた。
「きゃ……!」
「クソッ!」
地面はもう、俺の身長の倍近く高く盛り上がっている。こんな高さから落ちて、もし頭でも打ったりしたら、大怪我ではすまない……! 俺の脚は自然と、前へ進んでいた。
「きゃあああっ!」
十和田の両足が、高くせり上がった地面から離れる。そのまま放り出されるように、俺のほうへと倒れこんできた。間に合えっ……!
「このッ……!」
人生で初めて、俺はスライディングというものを経験することになった。足から前へつっこみ、上から落ちてくる十和田の体を、両腕と身体全体を使って受け止める。ずしりとした重さが、俺の両腕に襲い掛かる。
「おもッ……てえなクソ!」
「なっ!? よ、鎧の重さだから!」
十和田は顔を真っ赤にしながら、俺の発言に抗議してきた。その元気さを見るに、どうやら怪我はしていないみたいだな。そりゃよかった、この重いのをかついで町まで帰るなんて、俺はごめんだ。
「いったいなんなの……?」
十和田は俺の身体から離れると、盛り上がる地面から距離をとりながら呟く。俺も同様に、後ろへと後ずさった。
まぁ、予想はなんとなくつく。宝箱を守る番人、土からできた怪物……そうなれば、もうひとつしかないだろう。
「ゴーレム……!」
土くれでできた、巨大な身体。創造主の命令を忠実に遂行する、感情の無い魔物。
森の地面から這い上がり、雑草のこびりついた身体を重々しく動かすその姿は……俺が様々なゲームで何度も目にした、ゴーレムの姿そのものだった。
ゴーレムの大きさはやはり、俺の身長の倍はあった。頭にあたる場所に感情の伺えない瞳がふたつ、光っている。両腕・両脚はどちらも太く大きい。対して、関節にあたる部分は妙に細くなっている。その物理法則を無視したような姿は実に不気味で、見るものに恐怖を与えるには充分だ。
「ゴーレム? ゴーレムって何?」
十和田が聞いてくるが、説明している暇は無い。正直言って、この状況はかなりマズイ。
「おい、逃げるぞ」
「はぁ!? どうしてよ、宝箱が目の前にあるのよ? モンスターならいつもみたいに、二人で一気に……」
「バカ! いいからさっさと行くぞ! あいつが敵意を示す前に……?」
俺は自分の目を疑った。
十和田がゴーレムに向かって、剣を振りかざしながら突っ込んでいったからだ。
「ば、なにして……!」
止めようとする俺の言葉を抑えるように、十和田は叫び返してくる。
「いつもいつも、人をバカバカ言うんじゃないの! 戦ってみる前から諦めてどうするのよ!」
十和田は細身の剣を構え、一直線にゴーレムへと駆ける。目の前の巨躯にも物怖じせず、勇敢に立ち向かっていく姿はまさに勇者のようで、悔しいがカッコいいと思ってしまった。
だが……勇敢なだけでは、どうにもならないこともある。
「……ゴーレムには、物理攻撃が効かないんだよ!」
十和田はすばやくゴーレムの懐にもぐりこみ、その土の巨体に向かって一息に剣を突き刺した。
「え……」
だが、なにも起こらない。ゴーレムに苦しむ様子は、一切無い。
土の身体を剣でいくら斬ろうが、突き刺そうが……ダメージなど入るわけがない。
十和田がゲーム慣れし始め、そのスペックによって戦闘も上達してきていたおかげで、俺もすっかり忘れていた。……こいつが、ロールプレイングゲーム初心者だということを。
敵によって、有利な攻撃と不利な攻撃があるという、いわばロールプレイングゲームの常識とも言える知識すら、十和田は持ち合わせてはいないのだ。加えて、十和田が今まで戦ってきた敵は全て、物理攻撃が有効な敵ばかり。モンスターは剣で斬っていれば倒せる、と十和田が思い込んでも不思議ではなかった。
「……逃げろ! 今すぐだ!」
俺は叫んだ。ゴーレムは動きが緩慢だ、すぐに逃げ出せばまだ間に合う。
だが十和田はなかなか動かない。何をしているのかと見てみれば、ゴーレムの体に突き刺した剣を、引っ張り抜こうとしている。
「ぬ、抜けない……なんで!」
予想外の展開に軽いパニックを起こしているのか、十和田の耳に俺の声は届かない。
「諦めろ! ……ああ、クソッ」
ゴーレムの目が、赤く光った。間違いなく、俺たちを敵と認識している。
俺は腰から剣を抜いた。こうなれば、一度戦闘するしかない。覚悟を決めて、すくむ足に活を入れ、俺は前へと走った。
俺も十和田も、攻撃方法は物理攻撃しかない。おそらく勝つことは不可能だ。それならば勝利を諦め、なんとか戦闘から離脱する方法を考えるしかない。とはいえ、考える時間もないため、俺は頭に浮かんだ作戦をそのまま実行に移した。
「こっちだ! こっちを攻撃しろ!」
俺はゴーレムから少し離れた位置で、剣をぶんぶんと振り回した。攻撃する意思を示すことで、ゴーレムの注意がこちらへ向くように仕向けたのだ。
俺の作戦は単純だった。ゴーレムの動きは緩慢である……これしか、俺がゴーレムに付け入る隙は無い。それならば一度わざと攻撃させ、その攻撃動作が終わった後、次の攻撃が来るまでに十和田をつれて、脱兎の如く逃げる。それだけだった。
唯一問題があるとすれば……要するにこれは俺が囮になるという作戦だということだ。なんだって俺が、十和田を助けるために囮にならなければいけないんだ……! ったく、マルチプレイってのはこれだから!
心の中で悪態をつきながら剣を振り回し続けていると、ゴーレムの視線がこちらへ向いた。どうやら作戦の第一段階は成功したらしい。
さて、問題は次だ……。俺は、ゴーレムの攻撃を避けなければならない。そしてその足で十和田のいるゴーレムの懐まで飛び込み、十和田をつれて再び逃げ出さなければならない。
……できるのか? この震える足で……!
ゴーレムが腕を振り上げた。ゆっくりと、まるで水の中にいるかのような動き。大丈夫、ちゃんと見えている。動きをしっかり捉えていれば、避けられないということはないはず……!
「…………ッ!」
風がうなりを上げた。ゴーレムが、その巨大な腕を、俺を叩き潰さんと振り下ろしたのだ。
結果から言えば、俺はゴーレムの攻撃をかわす事に成功した。ただ、その動きは俺のイメージしていたものとはかけ離れた、格好悪いものだった。俺はいつかやったアクションゲームのように、華麗にローリングをして避けるつもりだったが、実際の俺は前につんのめりながらみっともなく転がり、頭を打ちながらなんとかかわすことができていた。
だが、成功したのには変わりない。俺は震える脚を無理やり動かし、十和田の元へと駆け寄る。そしてそのまま何も言わずに十和田のわき腹を両腕で掴み、持ち上げて一気にその場から逃げ出した。
「あっ、えっ? ちょ、ちょっと! 何してるの!?」
「何してる、じゃねえ! 逃げるんだよ!」
「ま、待ってよ! わたしの剣が……!」
「装備なんざいつでも買える! いのちをだいじに、だ! 武器のために死ぬ気か!」
後ろからゴーレムの動く音が聞こえる。気になるが、振り返っている余裕は無い。俺はとにかく、しゃかりきに脚を動かして、森の最深部から逃げ出した。どこまで逃げれば逃げ切れるのかがわからなかったため、とにかく遠くまで走ろうと足を動かした。
「ねえ、ちょっと! 冴梨! もういいわよ、追ってきてない!」
俺の背中をバシバシと叩いて叫ぶ十和田に気づいて、俺はようやく足を止める。
息を切らしながら後ろを振り返ると、確かにありがたいことに、ゴーレムはこちらを追ってきてはいなかった。
そこでようやく、俺は十和田をずっと抱きかかえたままだということに気がついた。だが、恥ずかしいだとかの甘酸っぱい感情は欠片も浮かばない。あるのは安堵と疲労感、そして悔しさだけだ。
俺と十和田は無傷のまま、ボロボロになって森から逃げ出した。
「なんで……。あとちょっと……あとちょっとだったのに……!」
町へと戻る道中……十和田は何度もそう繰り返しながら、悔しそうに拳を握り締めていた。
不思議なもので、隣で悔しそうな顔をしている十和田を見ると、俺の頭はすうっと冷静さを取り戻していた。先ほどまでとは違う感情が、俺の心にわき上がって来る。
十和田よ……まぁ、そう悔しがるな。敗走なんて、これから何度も経験するだろうさ。
なんせロープレの勇者ってのは、幾度もの逃走を経て強くなるものだからな……。




