太陽
千夏は宿泊施設の自室で鏡を見ていた。
頬に手を触れる。
「……顔が赤い」
病院から戻ってみれば、太陽とどう向き合えば良いのか少しだけ分からなくなっていた。
距離感が掴めない。
馬鹿でスケベだが、悪い奴ではない。
冒険者としては実力もあるだろう。
ジョブが戦士なので、肩書きという意味では変人だが……。
自分の柄ではないと分かりつつも、ダンジョン内での出来事を思い出すと意識せずにはいられなかった。
「アレは緊急処置。何もやましいことはしていないわ。落ち着け、落ち着くのよ、私」
自分に言い聞かせ、深呼吸をする。
ベッドに腰掛け、それからしばらくして横になる。
太陽が入院してしまい、どうにも手持ち無沙汰だ。
倉田のおかげで冒険者は続けられるし、これなら退学になったとしても体を売らずに生きていける。
長野に来てからは、既にある程度のまとまった金額を仕送り出来ていた。孤児院の園長先生が、泣いていたことには困ったが。
「……このままあいつと組むのかな?」
実力的に申し分ない。
それに、自分が見ていないと太陽は危うい。
色々と考えると、また顔が熱くなってきた。
「なんで私があいつの事で悩まないと行けないのよ」
急に太陽のことが腹立たしくなり、千夏はそのまま目を閉じて眠ろうとした。体は筋肉痛などの痛みや疲れも残っており、このまま今日は寝てしまおうと強引に眠ろうとする。
しかし、眠ることが出来ずに起き上がるとまた鏡を見るのだった。
退院した俺が向かった先は、銀行のATMだった。
ギルドカードを入れて残高を確認すれば、治療費が既に引き落とされている。
早期治療や、その他諸々のサービスのせいで支払金額は驚きの金額だ。
だが、おかげですぐに退院出来て肩の傷も綺麗に塞がり跡も残らなかった。
「ここから更に学園で借りた道具の弁償もあるのか」
気が重くなってしまう。
せっかく稼いだお金が湯水のごとくなくなっていくのも冒険者らしい。
命懸けで戦い、手に入れたお金はバンバン使う。
きっと経済は回りまくっているだろう。
倉田先生の話では、俺の刀も整備に出してくれていた。
ダンジョンも攻略されるだろうし、そちらは倉田先生が代金を支払ってくれている。珍しいというか、変わった刀なので整備も大変だろう。
「出来ればもう一回くらい稼いでおきたかったな」
残金を確認し、学生が持つには大きすぎる金額だと思うが……冒険者としてやっていくには、準備資金としては心許なかった。
残金を確認し、数万円を引き出して銀行を出た。
ファミレス。
千夏と共に俺の快気祝いという事で入った店は、客が多かった。
近くにダンジョン関係の施設があり、人も集まってくるので静かだった街はどこも人で一杯になっている。
ダンジョンが出来ると、地元の自治体が是非とも管理して欲しいと組合に頼み込むと聞いたが……人間、金になるならダンジョンくらい受け入れるようだ。
注文した大きなステーキを食べ終えると、俺は水を飲む。
「なんかようやく食べた、って気がするわ。病院食だと味気ないし」
千夏の方もステーキを食べ終え、俺の意見には同意してくる。
「退院してすぐにそれだけ食べられるなら大丈夫そうね。これなら、明日にでもダンジョンには入れるんじゃない?」
「最後に入りたかったけど、武器がないから無理」
今にして思えば、倉田先生が俺の刀を整備に出したのは休ませるためもあったのだろうと考えている。
真剣な表情になる千夏が、俺に今後の事を聞いてきた。
「――で、今後はどうするつもり?」
今後というのは、退学後の事だろう。
学園に戻れないのは悔しいが、いつまでも引きずるわけにはいかない。
「冒険者として生きていく。狙い目なのは鳥取とか長崎かな? そこで実力を付けたら東京」
千夏が少し驚く。
「随分まともじゃない。太陽のことだから、また突飛なことを言うと思ったのに」
この女、いったい俺を何だと思っているのだろう。
「まぁ、これからはゆっくり地力をつけるよ。千夏は?」
「聞くまでもないでしょ。私もこのまま続けるわよ。な、なんならあんたと――」
千夏の言葉を遮ったのは、お洒落な私服姿の琉生だった。
取り巻きを連れず、今日は一人で行動しているらしい。
「……天野、話がある」
お前……少しは空気を読めよ。
千夏が言葉を遮られて、困った顔をしているじゃないか。
俺と琉生を交互に見る千夏は、何やら不安そうな顔をしていた。
琉生に連れて行かれた場所は、寂れた公園だった。
錆び付いた遊具。
草木の手入れはしているが、花壇には花が植えられていない。
随分使われていない様子だった。
「……で、何? 俺も忙しいんだけど」
千夏と良い雰囲気……ではないが、距離を縮める機会だったのに。あれ、絶対俺をパーティーに誘ってくれる流れだった。
このお邪魔虫野郎。
スラリとした長身。
バランスの良い体付き。
背中を向けていた琉生が振り返ると、泣きそうな顔になっていた。
それは、どこか出会った時を思い出す顔だった。
「サンちゃん、もうこんな事は止めよう。大怪我までして、なんで戦士ジョブにこだわるんだよ!」
「サンちゃんと呼ぶな! 俺はそのあだ名、認めてないからな!」
太陽だから【サン】という安直なあだ名である。まぁ、子供が付けるあだ名など、この程度のものだ。
このイケメン、実は小学校の頃は俺の後ろをついて回っていた友達である。
琉生が俯いて苦しそうに本音を語った。
「もうジョブを変更しよう。サンちゃんが馬鹿にされるのは耐えられないよ。サンちゃん、どうして苦労ばかり背負い込むんだよ」
こいつ、勘違いをしている。
「俺がいつ苦労したよ。勝手に可哀想とか思っているだけだろ」
琉生が叫ぶ。本当に俺の事を心配してくれているのだろうが……こいつ男なんだよ。野郎はお呼びじゃない。
「昔からだよ! 家族には見放されて……なのに、周りに優しくして。いつも努力をしているのに周りは認めなくて!」
家族の件に関しては、俺の方が負い目を持っている。
むしろ、中学卒業まで俺を育ててくれた家族には恩を感じている。
「あのね、俺は別に可哀想でも、不幸でもないんだよ。お前も、もっと自分の周りを大事にしろよ。……俺を助けるために無理をして、教師まで殴ったんだろ? お前の方こそ馬鹿だよ」
倉田先生に聞いたのだが、琉生の奴は俺たちが死ねば良いと言った教師を公衆の面前で殴り飛ばしたらしい。
嫌味な教師は色々と叫んでいたが、周囲が冒険者だらけの中、俺たちを「底辺」だの「死んで良い屑」など言っていたので拍手喝采だったようだ。
SNSなどで晒され、その対応で学園に呼び戻されているらしい。
ただ、俺を助けるために一人でダンジョンに入ったらしく、取り巻きと距離が出来ているのかも知れない。
「……俺、サンちゃんに憧れていたんだ。強くて優しく、いつも頼りになって。サンちゃんみたいになりたい、って」
まぁ、転生者だからね。
少しは大人びた態度を取るさ。
「知っているか? 憧れは理解から一番遠い感情だって」
こいつ、本当に俺の事を何か特別な存在だと思っている。俺よりも、こいつの方が特別な存在だろう。
何しろ、こいつ――ジョブを三つも持てる。
いわゆる選ばれた存在だ。
世が世なら、勇者として崇められているような奴である。
そんな奴が戦士ジョブである俺を尊敬? 周りだって黙っていない。だから、お前のためなんだと嘘を吐いて距離を取っていたというのに……。
「……サンちゃん、考え直してくれ。このままだと、サンちゃんは死ぬよ」
「だから戦士ジョブを外せと? 嫌だね」
俺にとって戦士ジョブは――最後の希望だ。
何が良くて、何が悪いのか――そんなのは分からない。だが、確実に最強だと分かっている戦士ジョブを捨てるなど有り得ない。
琉生が俺の胸倉を掴んでくる。
「どうして! いつもそうやって!」
「離せ、この野郎!」
ぶん投げると、琉生の奴は受け身を取ってすぐに立ち上がる。無駄にハイスペックで本当に嫌になってくる。
子供の頃、転生者として勉強やスポーツで頑張ってきたのは、常にこいつが俺の後ろにいたからだ。
転生者の俺より頭良く、鍛えていた俺よりもスポーツが出来ていた。
ジョブもすぐに変更出来て、騎士という将来有望なジョブを中学で手に入れた男だ。
琉生がタックルをしてくるので、投げ飛ばそうとすると逆に投げられた。地面は芝生である程度柔らかいが、それでも痛い。
馬乗りになられ掴まれると、拳を振り上げる琉生の姿が見えた。
泣いているのだが、泣きたいのはこちらだ。
「この分からず屋!」
数発殴られ、そのまま無理やり立ち上がった。
ダンジョンに入るようになって、力がついてきているらしい。だが、目の前の天才は俺と同等かそれ以上に力を付けている。
「殴ったな? その顔をボコボコにしてやるから覚悟しろ」
琉生が拳を構える。
「いつまでも泣き虫だった“僕”とは違う! サンちゃん、今日こそは僕の話を聞いて貰うからな!」
そのまま琉生と殴り合った。
転生者、オマケに最強ジョブ、ついでに無茶をして鍛えているのに、目の前の美形と互角……俺強ぇが出来ていない!
そのまま、どれだけ殴り合っただろう?
最終的に芝生の上に倒れ、二人して大の字になって横になる。
琉生の奴が泣いていた。
「……泣くなよ。泣きたいのはこっちだ」
「……だって、サンちゃん」
呼吸を整えながら、空を見上げると夕方から夜になっていた。
「お前、もしかしてわざわざ長野に来たのは――」
「サンちゃんが心配だったから」
……こいつ、どこまで過保護なんだ?
「お前、馬鹿だろ? 俺なんか尊敬して……」
「……昔、泣いている僕を助けてくれたのはサンちゃんだ。僕はサンちゃんに追いつきたくて、頑張ってきたんだ」
もう余裕で追い越していると思うけどね!
上半身を起こす。
「憧れるのも尊敬するのも止めろ、気持ち悪い」
「……ごめん」
ただ、転生してから、ここまで俺を心配してくれるのもこいつだけだ。
「……ただの友達で良いだろうが。俺はそっちの方がいい」
琉生が起き上がり、驚いた顔をしていた。だが、どこか嬉しそうだった。
どうにも照れてしまう。
「俺は退学して冒険者になるけど、お前は頑張れよ」
「う、うん」
琉生が俯いた。立ち上がり、手を貸して立たせてやる。
そう言えば、教師を殴ったこいつは謹慎とかあるのだろうか? いや、周りがフォローしてくれるだろう。何しろ、こいつの実家はお金持ちだ。
……こいつ、もしかして完璧超人ではなかろうか?
「俺はもうここでは活動出来ないだろうし、多分戻るけどお前は?」
「僕は……いや、俺は残るよ。探しているものもあるし」
探している? 何か欲しい宝でもあるのだろうか?
まぁ、ダンジョン内には宝箱があり、色々と手に入る。
「そっか。なら、残り数日でお別れかな」
「……また、会えるよね?」
俺は汚れた服を手で払いながら笑う。
「当然。俺、死ぬつもりとかないし」
なんだか、殴ったらスッキリした。とても重い拳を何発も貰ったが、心は晴れやかである。
ただ、怪我をして戻ったら千夏に呆れられた。
宿泊施設の自室。
俺は、千夏に手当を受けて顔や体にシップやら薬が塗られた。
大勢の女子が琉生を心配し、俺を睨み付けていたが構わない。俺を心配してくれる千夏がいるだけで戦える。
……千夏本人は、俺に呆れていたけどね。
「それにしても、こんな事になるとは思わなかった」
俺は昔を思い出す。
琉生との出会いは公園だった。
転校してきた琉生は、可愛らしく金髪で緑色の瞳――まるで女の子のようだった。
髪も少し長く、着ている服の色も可愛らしい色だったのだ。
クラスは違うし、後から聞いたら服に関しては両親の趣味だったらしい。
いじめを受けていた琉生を見つけ、俺は将来美人になるだろうと思って助けた。
美人の幼馴染みをゲット! そんな事を考えていた訳だ。
確かに美人だったね。
男だったけど。
まぁ、男だと知ったのはそれから数週間後だったが。
つまり、俺が下心満載で助けた美少女だと思っていた琉生は、美少年だったわけだ。
「……くそ、普通逆だろうが」
いつもサンちゃん、サンちゃんと俺の後をついてくる琉生を突き放すことを出来なかったのも問題だ。
もっと早くに突き放しておくべきだった。
あいつと一緒にいたおかげで、俺は常にあいつの引き立て役。
離れてからも、戦士ジョブと言うことで回りに見下されていた。
「美少女の幼馴染みを作る計画が失敗するとは……」
今でも凄く後悔しているし、反省もしている。
「アレだな。転生者だからって人生上手く行かないな……もう寝よう」
俺はそのまま横になる。