トラップ
夕方。
蝉の鳴き声が聞こえ、蒸し暑さに汗が噴き出てくる。
ダンジョン内は少し寒いくらいだったのに、外に出るとやはり夏なのだと思い出させてくるようだった。
汗を拭い、ダンジョンから外に出ると組合が入っているプレハブ小屋の前は、列が出来ている。
この時間帯は、どうしても魔石の換金のために人が増える。
冒険者たちが笑い、成功を祝っているパーティーもいれば、肩を落として落ち込んでいるパーティーもあった。
一攫千金を狙える冒険者だが、命懸けである事には変わらない。
「……今日も無事に生き残った」
俺のそんな言葉に、千夏が背中を押す。
「いいから、早く換金するわよ。シャワーも浴びたいし、食事もしたいのよ」
冒険者はとにかく体を動かす。
一日で一キロや二キロは平気で体重が落ちてしまうし、それだけ失ったカロリーを体が求めよく食べる。
そのため、宿泊施設近くにある食堂のメニューはどれも大盛りではなく特盛りが普通になっている。
女子など、コンビニで買ったスィーツを山のように食べていた。俺がコンビニでどんなスィーツを買うか悩んでいたのが馬鹿らしくなってくる。
千夏に背中を押され、換金所に出向くと冒険者たちが並んでいて汗臭い。きっと、俺も汗臭いのだろう。
早く戻ってシャワーを浴び、飯を食べたら眠りたかった。
……そうだ、今日はコンビニで少し高価なアイスを買おう。
それくらいの贅沢は許されるはずだ。
色々と考えていると、賑やかな声が聞こえてくる。大学生くらいの男性たちは、今日の稼ぎに満足している様子だった。
「なぁ、このまま繁華街に行こうぜ」
「シャワーくらい浴びさせろよ」
「店で浴びればいいんだよ。行こうぜ」
……羨ましい限りだ。
今の俺は十六歳で学生という身分である。遊びたくとも、年齢的にアウトで遊べない。
そういうところは厳しい。
千夏が背中を軽く肘で突いてきた。
「太陽、あんた変な事を考えないでよね」
「変な事? 心外だな。男なら当然の欲望だ。むしろ、俺は自分が健全であると自負している。この年齢で興味もないとか枯れているに等しいぞ」
「馬鹿言ってないで話を聞きなさいよ」
千夏はダンジョン周辺にいる外国人たちに視線を向けていた。
朝方は荷物持ちを希望する人たちが多かったのに対して、夜が近付くと女性の方が増えてきている。
恰好も、夏だからと開放的すぎている気がした。
俺の視線に気が付くと笑顔で手を振っていた。
「変な病気を貰う程度ならマシだけど、たいした金額も持っていないのに殺しに来る奴もいるからね」
……世も末である。
「よし、ならちゃんとした場所であそ――」
千夏と冗談を言い合っていると、前の方から琉生たちのパーティーがやってくる。
周囲の冒険者たちがヒソヒソと話をしていた。
「大型ルーキーって奴か?」
「もう十二階まで進んだらしい。アレは本物だな」
「羨ましいね」
ここでも有名になりつつある琉生は、ダンジョンに入る前と比べ明らかにやる気というか覇気に満ちていた。
一回り成長したような感じがする。周りにいる取り巻きたちも、自信がついてきたのか堂々としていた。
まるで当然のように俺の姿を見つけると、こちらの方に歩いてきた。
「天野、随分と無茶をしているらしいな」
琉生が声をかけてくると、俺に視線が集まってきた。だが、周囲にも俺のジョブが戦士だと広まっているのか、琉生の反応とは逆だ。
「あいつが変わり者か?」
「馬鹿だよな。たまにいるよな。戦士にこだわって人生を無駄にする奴」
「いい女を連れているのは腹が立つけどな」
周囲の声を無視しつつ、俺は琉生に言い返す。
「許可は取っている。文句があるなら、お前を気に入っている学年主任に告げ口でもしろよ」
煽ってやると、目に見えて表情が変わった。
雰囲気を察したのか、千夏が俺と琉生の間に割り込んでくる。
「太陽、あんたも喧嘩なんか売るんじゃないわよ。それより、瀬戸だっけ? 絡むのを止めてくれない」
琉生は俺と千夏を交互に見てから、背中を向けて歩き出した。
そして、顔だけ振り返って。
「お前のために言ってやる。そいつとは離れた方がいい」
そんな言葉を残して歩き去って行く。
宿泊施設近くにある食堂。
シャワーを浴び、食事は済ませたが足りない俺と千夏は店に入った。
元は客の少ない店だったようだが、今は連日盛況とあってアルバイトの募集の紙を貼りだしている。
静かだった田舎に、突然ダンジョンが出現して活気づいていた。
注文した丼ものを食べていると、千夏が俺に聞いてくる。
「なんで瀬戸と仲が悪いのよ。太陽も瀬戸には刺々しいし」
「……あいつ、苦手なんだよ」
小学生からの付き合いだ。
昔は「僕」という一人称で、周りからは可愛らしい奴という評価だった。人気者で、あいつの周りには常に人がいたのを覚えている。
あいつが変わり始めたのは中学の後半だろうか? 「俺」と言いだし、付き合う連中も変わっていった。
「なんか私にあんたと離れろ、的な事を言っていたけど?」
「……気にしなくて良いよ。俺も気にしない」
まぁ、うん。
この話こそ、どうでもいい話だろう。
俺と琉生の関係など、それこそ千夏には関係ない。
それよりも、大事なのは今だ。
「それより、明日は休むけど、体が慣れて来たら明後日にはダンジョンに入りたい」
明日も酷い筋肉痛だと思うと気が滅入ってくる。
使命も、あの時の恐怖も覚えていなければ、それこそマイペースでノンビリと人生を歩んでいただろうに。
「あんまり無理をしない方が良いわよ。太陽、あんた私から見ても凄く無理をしているわ」
無理なのは分かっているが、ここを乗り越えなければ俺に待っているのは……。
あの時、不用意な発言をした自分を殴ってやりたい。
「確実に強くなっている。なら、俺は――俺たちはまだ先に進める。千夏だって、まだ稼ぎたいんだろ?」
手に入れた稼ぎのほとんどを、孤児院に仕送りしているのだ。千夏だってもっと稼ぎたい理由がある。
孤児院の借金の金額を聞いたが、今のままでは焼け石に水である。
「そうだけど……」
心配してくれているのだろう。ありがたいが、ここで頑張らなければ俺の心が折れてしまいそうだ。
そうすると、俺は消滅――はい、止め止め! こんな事を考えるくらいなら、もっと強くなる方法を考えよう。
それにしても……最近は、千夏とよく一緒に行動している。今日も一緒に外に出て、食事をしている。
この前はスーパーやコンビニで一緒に買い物もしていた。
ここに来る前は、想像も出来なかった。
地下十三階。
刀一本を持って踏み込んだ階層は、想像以上に厳しかった。
出てくるモンスターの強さが、明らかに違う。
地下十二階と、地下十三階では、モンスターの強さもダンジョンの険しさも違っていた。
まるで、ここからが本番というような感じだ。
迫り来るモンスターを斬り伏せる。
千夏が援護してくれなければ、危ない場面もあった。
「太陽、戻りましょう。これ以上先に進むのは危険よ」
「無茶でもやるんだ。ここで先に進まないと……俺は!」
千夏に頬を叩かれる。
「死んだら終わりなのよ! 今は戻って、準備をしてから挑めば良いじゃない!」
千夏の言葉にも一理ある。どうやら、気が急いていたようだ。
「……分かったよ。戻るよ」
そうして歩き出すと、全身白い毛皮に包まれた二足歩行の何かが通路奥から姿を現した。
白い毛には返り血がついている。
千夏が警戒していた。
「何? 猿?」
「イエティーみたいな奴だな。冒険者をやったのか?」
ここに挑む冒険者を倒したとなれば、厄介な敵だろう。雄叫びを上げて走ってくるモンスターに武器を構える。
「速い!」
巨体でありながら速く、鋭い牙と爪を持つモンスターは俺を殺すために長い腕を振るってきた。
組合の掲示板には、このモンスターの情報などなかったはずだ。
刀を振り、攻撃スキルを使用するとモンスターを斬る。
だが、モンスターは燃え上がらない。
「嘘だろ。タフすぎ――」
「太陽!」
モンスターに殴られ、吹き飛んだ俺は壁に激突する。
それでも刀を手放さなかったのは、自分で褒めてやりたい。
駆け寄ってくる千夏。
モンスターは目を細め、弓なりにすると笑っているように見えた。
「……調子に乗りやがって」
こんなところで立ち止まっていられない。
立ち上がり、前にいる千夏を後ろに下がらせると柄を強く握りしめた。
深く踏み込むと、モンスターが俺に噛みついてくる。
肩に深く牙が刺さるが、俺の刀は敵の体を大きく斬り裂いた。
燃え上がるモンスター。
右手に刀を持ち、左手で肩を押さえる。
「洒落にならないくらい痛い」
「馬鹿言ってないで見せて! ……傷が深い」
千夏の表情が曇るが、持っていた薬などを使用して傷口を拭き取り消毒する。その痛みに声にならない声が出る。
奥歯を噛みしめ治療に耐えた。
包帯を巻かれ、千夏に肩を借りて立ち上がると俺は左手に刀を持つ。
「それ、凄く重いんだけど」
「悪いけど、こいつを手放すのは勘弁してくれ。こいつ一本しかないからさ」
「……無事に戻れたら、私に奢りなさいよ」
肩を借り、歩き出した俺たち。
肩が痛むので痛み止めを飲み、しばらく歩いていると通路奥から雄叫びが聞こえてきた。先程のモンスターがまた出現したのだろう。
「太陽、部屋に入って少し休みましょう。隠れてやり過ごすわ」
このままでは追いつかれてしまう。
俺も動ける状態ではないので、近くにある部屋に入った。モンスターは存在していないので、入るとドローンの光を消して隠れる……のだが。
千夏が目を見開く。
「――しまっ!」
最後まで言葉を続ける事なく、千夏が振り返ると入口に鉄格子が降りてきた。閉じ込められた俺たち。
壁からは、モンスターたちが姿を現す。
「……太陽、ごめん。私のミスだ」
モンスターハウスという奴だろうか? こんなものまで存在しているとは聞いていなかったが、確かに俺は調子に乗っていたらしい。
千夏から離れると、右手が震えているので鞘を床に落として左手に刀を持つ。
「……問題ない。俺が不用意に先に進んだせいだ。責任は取る」
片腕で持った刀は酷く重かった。
血を流したせいで体に力が入らず、頭の方も意識がフワフワしている感じだった。
左手は利き腕ではない。
だが、今使えるのは左腕だけだった。
「そうだよ。いつも調子に乗って失敗するんだ。でも、今回だけは――」
後ろには千夏もいる。
何より、こんなところで死んでなどいられない。
ならばどうするか?
簡単だ――全部斬り伏せれば良い。
実にシンプルだ。
次々に襲いかかってくるモンスターを刀で斬る。
動かない体を無理やり動かし、最低限の動きしか出来ない中でも体は動いてくれた。
肩に深い傷を負い、血を流しているのに動けるこの体はまさしくチートだろう。
「あれ? そう言えば、攻撃スキルを使っていないような?」
後ろから千夏の援護を受けているのだが、意識が朦朧としているせいなのか動きが分かった。
まるで手に取るように分かる。
「太陽、後ろ!」
振り返り様に後ろから襲いかかってきたモンスターを斬り上げ、そのまま反対側にいたモンスターに振り下ろした。
黒い刃についた血が、消えていく前に次々斬り伏せていく。
それでも、次々にモンスターが壁から出現してくる。
段々と思考が単純になって来た。
「……あぁ、こっちの方が斬りやすいや」
刀の先まで体の一部のように、ただ刀を振るう。
攻撃スキルは使ったり、使わなかったり……そのまま忘れて振り回していたら、使いどころが分かってきた。
天井から巨大な蜘蛛が出現し、尻を向けて俺に糸を吹き付けてくる。
ベタベタとした糸に絡まれるのは、周囲のモンスターたちも同じだった。
後ろで援護してくれている千夏の声が聞こえなくなってくると、左手に持った刀で糸を切る。
動けなくなったモンスターたちを斬っていき、巨大な蜘蛛が床に落下してくると八本の脚を動かしこちらに迫ってきた。
転がるように前転し、巨大な蜘蛛の下を通り抜けると蜘蛛が燃え上がる。
そのまま何十体?
それとも百は超えただろうか?
気が付けば、辺りにモンスターの気配がない。
千夏が目の前にいて、俺の頬を叩いて呼びかけていた。
「……悪い、凄く眠いや」
そのまま千夏の大きな胸に顔を埋め、俺は目を閉じる。
柔らかい感触を楽しむ余裕もなかった。
ただ、倒れるように意識を失ったのだ。