理不尽
ダンジョン内。
中は寒かった。
吐く息は白いが、地元の冒険者たちからすればもっと寒い管理されたダンジョンがあるので、マシな部類らしい。
琉生の率いるバランスの取れたパーティーは、初めてのダンジョン内で戸惑いながらも先に進む。
先頭に立つのは、盾と剣を構えた琉生だった。
小鬼を率いた、鬼の面を付けた四本腕のモンスター。
手にはそれぞれ武器を持っているのだが、琉生は攻撃を盾で受け流すと右手に持った剣を鋭く頭部に突き刺す。
モンスターが叫び声を上げて燃えると、琉生は剣を一振りしてから鞘に戻した。
周囲を見れば、クラスメイトでもある仲間たちが小鬼を倒し終わっている。
第一校舎――桜花学園でも、優秀な人材を集めた校舎で、その中でも優秀な人材を集めたのが琉生のクラスだ。
この中から、将来的には一流になる人材が何人出ても不思議ではない。
「……よし、休憩だ。その後、地上に戻ろう」
そんな優秀な彼らでも、初めてのダンジョンは神経をすり減らしたのか疲れた顔をしている。
手頃な部屋を見つけ、モンスターがいない事を確認すると全員が休む。
琉生だけは、壁を背にして立っていた。
すぐに動けるようにするためだ。
女子たちは、そんな琉生を見て頬を赤らめている。
「琉生君、絵になるよね」
「うん! 他の男子たちとは全然違う。強くて優しくて、本当に王子様、って感じだよね」
「実家もお金持ちなんだよね? もう完璧だよね」
そんな女子に、男子が会話に混ざってきた。
「けどさ、そんな琉生がなんであの無能に興味を持つんだ? ほら、あのいつまでも戦士を付けている奴」
女子の一人が首を傾げていた。
「別に関係なくない? 実際、見ているとイライラするし。よく、戦士の可能性云々って試した人が昔は多かったらしいけど、みんな結果的に駄目だった、って聞いたよ」
髪を染めた男子が、話しに乗ってくる。
「実際、あいつ凄く弱いんだろ? 普通、小学校を卒業する前にジョブを変えるぜ。そうじゃない奴は大抵落ちこぼれだし」
次第に太陽の悪口で盛り上がってくると、琉生が時計を見て壁から離れる。
「時間だ。行くぞ」
全員が立ち上がり、ようやく外に戻れると安堵の表情をしていた。
その中で、一人の男子が言う。
「そう言えば、あの二人を見かけなかったけど……もう死んでいたりして」
集団が笑う中、笑っていない男子が一人。
「重すぎるんじゃぁぁぁ!」
両手に持った刀を振り下ろしつつ叫んだ俺は、四本の腕を持つモンスターを両断する。
手に持ったそれぞれの武器を交差させていたが、問答無用で両断した。
燃えて消えていくモンスターを見ながら、乱れた呼吸を整える。
後ろでは、魔石を拾い集める如月さんが、手に持ったナイフを投げつけてコウモリのモンスターを倒していた。
ナイフを手で拾い上げ、魔石の数を確認している。
「五つ。これで数だけなら全部で六十八ね。初日にしては割と頑張った方じゃない」
刀を鞘に戻し、俺は倒してきたモンスターたちを思い出す。
地下に進むタイプのダンジョンは珍しくない。ただ、どのダンジョンも共通して先に進むほどに強いモンスターが出てくる。
地下七階。
進めるところまで進んでは見たが、そろそろ戻らなければならない。
「……無茶苦茶きつい」
普段振り回している木刀と違い、手に持った刀は非常に重い。加えて、相手はモンスターだが生きている。動き回っているし、動きも種類によって違う。
ただ、自分が戦えているという実感はあった。
しかし、装備がボロボロだ。
傷が目立ってきている。
「ほら、行くよ」
如月さんが振り返ると、上着が破けた。ギリギリ大丈夫だった部分が裂けて、床に落ちてしまう。
そんな事はどうでも良い。
重要なのは、露わになった如月さんの恰好だ。
「な、なんだと……」
まるで体のラインを見せつけるかのような、首から下のラバーの前身スーツ。お尻の形から胸の形まで丸見えだった。
如月さんは、床に落ちた布を拾い上げて肩にかける。
「天野、あんた鼻血が出ているわよ」
「嘘! あ、本当だ」
ポタポタと流れているとは思ったが、まさか鼻血とは思わなかった。精神的には中身は枯れていてもおかしくないオッサンなのに、体は十代。
精神が肉体に引きずられているのでは?
などと自分の心の中で言い訳をしつつ、俺はティッシュを探す。鼻に詰めておく。
如月さんはわざとらしく胸を寄せて俺に近付いた。
「そんなに触りたい? なんなら、今回の報酬……分け前を七対三にしてくれるなら揉んでも――」
「マジで! 揉みます!」
考えるまでもない。俺は気が付けば即答していた。
俺が刀を置いて、両手で胸を揉むようなポーズを取ると、如月さんが一歩――というか、跳び退いて距離を取った。
一歩の距離が長い。オッパイが遠くに行ってしまった。
「冗談よ! もっと顔を赤くするとか、初心な反応なら考えてやったのに……あんた、結構遊んでいるんじゃない?」
まぁ、清く正しく聖人君主のように生きられたら苦労はしない。
様々な誘惑に抗えないのが人間である。
「ケチ」
「ケチじゃない。ほら、さっさと戻るわよ」
そう言って歩き出す如月さんに、俺は上着を脱いで手渡した。
「何よ?」
「流石にその恰好はちょっと……」
俺がそう言うと、上着を受け取りつつ顔を赤くして言い訳を始めた。
俺が少し優しい目をしていたからかも知れない。人の趣味に文句を言っても仕方がないだろう。
「身軽な方がいいからこの恰好なの! 趣味とかじゃないから!」
「うん、そうだね。でも、探査者の人たちはもっと普通な恰好を――あ、ごめんね。動きやすい方が良いよね」
まぁ、人の趣味だ。俺には理解出来ないからと、突き放すような態度は良くない。
刀を拾い、如月さんの前を歩く。
「待ちなさいよ。あんた本当に分かっているの?」
「うん、分かったから。大丈夫、俺は人に言いふらしたりしないよ」
言いふらせる友人も恋人もいないからな。
あいつは……駄目だ。話せない。
そうして地上に戻ると、待っていた倉田先生に怪我をしたのかと心配され医者に診察して貰った。
言えなかった。
如月さんの姿を見て鼻血が出たなどと、口が裂けても言えなかった。
ただ、それとは別に――地上に戻る途中にも増えた魔石は八十個を超えていた。その魔石は数こそ多いが質がどれも低いと言われ、三万円の価値にも届かない。
一人、一万円と少し。
そして、施設の使用料で二千円を取られ、一万円を切る金額しか残らなかった。
俺にしてみれば大金だが、お金を受け取った如月さんが思い詰めた顔をしていたのが気になって仕方がない。
次の日。
朝から体が痛む。
起きようとすると、体が全身筋肉痛になっており言うことを聞かない。
「おい、ふざけるな。なんで急に……あ、痛い」
起き上がろうともがいていると、ノック音が聞こえてきた。薄いドアの向こうからは、倉田先生の声がする。
「は、はい」
ドアが開くと、倉田先生は俺の状態を見てニヤニヤしていた。
「なんだ、やっぱりこうなったか」
「こうなった?」
倉田先生が説明してくれるには、ダンジョンで初日に無理をすると全身筋肉痛になるらしい。それが成長している証でもあるが、無理をした結果……数日はこの状態になるのだとか。
「数日!?」
「若いから二日か? 昼までには起き上がれるようになるだろうが、トイレに行きたいなら肩を貸すぞ」
「二日もダンジョンには入れないなんて」
倉田先生は俺を見て呆れていた。
「馬鹿。だから無理をするなと言っただろうが。他の連中も筋肉痛で顔色も悪いが、お前と如月が特に酷いな」
どうやら、俺たちは随分と無理をしたらしい。
「……如月さんは?」
「お前よりマシだが、体が動かないから休ませている。あいつも色々と事情があるから、随分と悔しそうな顔をしていたけどな。とにかく、お前ら二人は二日休め」
倉田先生に言われ。
朝飯だと栄養食品を置いていく先生は、そのまま部屋を出ていく。
完全栄養食の飲み物は、冒険者にとってダンジョン内の食事で必須だった。
ドロドロした液体を飲み、朝食代わりにする。
ベッドに横になったままというのは、行儀が悪い。しかし、体が動かないのでは仕方がなかった。
「……きつい」
しかし、考えようによっては悪くない。
実際にダンジョンに来て、他よりも稼いで見せた。他の生徒たちは平均して五千円程度を稼いでおり、稼ぎとしては二倍。
冒険者としてやっていけると示したことになる。
「はぁ……取りあえず寝よう」
俺は眠ることにした。
次の日。
体は筋肉痛で辛いが、起き上がれるようになったので食堂へと向かった。
トレーを手にとって列に並ぶと、慌てて倉田先生が食堂にやってきた。
「天野はいるか!」
振り返ると首が痛い。
「いますけど。先生、出来れば食事の後で――」
「いいから来い!」
倉田先生に腕を引かれて向かった先は、会議室の様になっているプレハブ小屋であった。
そこには朝から装備を着用した如月さんが座っており、その前にはニヤニヤと嫌らしい目をした教師がいた。
倉田先生が俺を座らせると、嫌味な教師がわざとらしく咳をして話を始める。
「この子が今朝、早くからダンジョンに入ろうとしていてね。倉田先生に今日まで休むように言われていただろうに。しかも一人で、だ。入口で止められなかったら、そのまま中に入っていただろうね」
俺は隣に座った如月さんを見る。
「なんでそんな事を……」
如月さんは答えず、俯いているだけだった。
ただ、嫌味な教師は俺にも矛先を向ける。
どうやら俺が本当に気に入らないらしい。
「それはそうと、同じパーティーなら連帯責任でしょう。倉田先生、私はこの二人をこのまま退学処分にして良いと思いますよ」
俺が声を出す前に、倉田先生が嫌味な教師に反論する。
「いくらなんでも酷すぎませんか? そもそも、二人とも十分に冒険者としてやっていく事を示したじゃないですか」
俺も頷く。
「そうですよ。俺たち二人でそれなりに――」
だが、嫌味な教師は下卑た笑みを浮かべている。
「それなりに? 二人でたった一万と少ししか稼げませんでしたよね。君たちには大金かも知れませんが、そんなのはお金の内に入らないんですよ」
如月さんが顔を上げた。
「別に私は退学でも良いよ。けど、天野は何も知らなかったから……」
倉田先生が何か言おうとしたら、嫌味な教師が手を組んで告げた。
「麗しい仲間愛ですね。……反吐が出ます」
俺は嫌味な教師を信じられないという顔で見る。しかし、相手は本気で言っている様子だった。
「この程度の頑張りなど無意味です。そもそも、退学は最初から決まっているんですからね」
倉田先生がドスの利いた声を出す。
「聞いていませんよ。そもそも、この子たちにはそれぞれ事情がある。しっかりやる気を示したんだから、別に良いじゃないですか。俺はちゃんと証言しますよ。二人はこの先もやっていける、ってね」
倉田先生を見て、嫌味な教師は馬鹿にした笑みを浮かべていた。
「倉田先生は冒険者生活が長かったらしいですね。まぁ、同情する気持ちも分かりますが……底辺なんて代わりはいくらでもいるんですよ。この程度で退学を取り消すなんて有り得ません。ただの平教師と学年主任の言葉をどちらが信用すると思っています?」
倉田先生が歯を噛みしめ、拳を震わせていた。
俺は嫌味な教師に聞く。
「一方的すぎますね。なら、どこまでやれば退学を取り消してくれるんですか?」
嫌味な教師はわざとらしく考える振りをして、そしてもったいぶって口にする。
「そうですね……ダンジョンくらい攻略してくれれば、流石に考え直してあげてもいいですよ。そこまで行けば、役に立つ底辺でしょうし」
ふざけるな! なんでこんな奴が教師なんかやっているんだ。
今すぐ訴えて――。
嫌味な教師は立ち上がると、俺や倉田先生の抗議を無視して如月さんの肩に手を置いた。
「そうでした。今回の件、ギルドに報告して君の冒険者資格を剥奪しようと思うんです。何しろ、犯罪者を冒険者に出来ませんからね」
顔を上げ、嫌味な教師を睨み付ける如月さんに酷い言葉は続く。
「その無駄に大きな体で稼いだらどうかな? 君の孤児院のために、お金がいるんだろう?」
その言葉に、如月さんは顔を俯かせる。
笑いながら出て行く嫌味な教師の背中を見送り、俺はその場に苛立ちながら椅子に座る。目の前にいる倉田先生も手で額を押さえていた。
「先生、あの人は流石にどうかと思います」
俺の素直な感想に、倉田先生も同意していた。してはいたが、どうやらこの世界では珍しくもないらしい。
「俺だって殴り飛ばしてやりたいが、あの人は冒険者に一度も登録していない人だからな。手を出せば、問答無用でこちらが悪い事になる。あの手の人は増えているからな」
すると、如月さんがゆっくりと立ち上がった。
「どこに行くんだ、如月?」
倉田先生が呼び止めると、如月さんは振り返った。力のない笑みを浮かべている。
「どうせ退学でしょ。資格も剥奪されるみたいだし、このままここで稼げるだけ稼いで、そしたら風俗にでも行くよ。見た目がコレだから、年齢なんて気にしないだろうし」
背が高く、確かに大人びて見える。
だが、目の方は輝きがなく、口元は少しだけ震えていた。
「馬鹿、お前はもう少し考えろ。俺の方で知り合いに話をしてみる。お前たち二人は、とにかく少し落ち着け。いいか、今はここにいろ」
出て行く倉田先生は、スマホを取り出すと外に出て電話をかけていた。ドアを閉め、俺たちが逃げ出さないように見張っている。
如月さんは、椅子にではなくその場に座って壁を背にしていた。
膝を抱え座り込み、最初に出会った時の堂々とした態度ではない。
そんな彼女が、一言。
「……やっぱり、私みたいなのは堂々とお天道様の下を歩いたら駄目だね。あははは、こうなるのがお似合いだったんだ」
笑いながら、如月さんが泣いていた。