転生
あの日。
交通事故に巻き込まれた前世の俺は、気が付くと知らない場所に立っていた。
スーツ姿で黒い鞄を持っていた。
不安になり、黒い鞄を抱きしめると周囲を見渡す。
どこまでも白い空間は、狭いのか広いのかも分からない。ただ、立っているのだから床はあるのだろう。
下を向いて足場を確認していると、声がかかった。
自分の正面からだ。
『いつまでそうしているつもりだ』
顔を上げると、俺は目を細めた。
目を擦り、何度も見ようとする。
だが、そこに誰かいるのは分かっているのに、まったく見えない。いくら見ようとしても見えず、目が悪いのかと自分の手を見ればそうではなかった。
目の前にいる存在は俺の反応に興味もないのか、話だけを続けるのだった。
『本来ならば、お前の魂は輪廻転生をする事になる。だが、ある事情によってこうして話を聞くことになった』
顔を汗が伝う。
思い出す光景は、急に吹き飛んで転がり体が動かなくなった事故当時の記憶だ。
嘘だと思いたい。
夢だと思いたい。
だが、自分が死んだのを俺はどこかで理解し、納得していた。
本来なら、目の前の存在に面会することなく、俺は転生していたらしい。
そこで頭に浮んだのは――。
「も、もしかして俺が死んだのは何かの手違いで、そのお詫び――ひっ!」
俺は言葉が続けられなくなった。
目の前の存在は黙っているのだが、怒っているのが分かる。俺に優れた能力などなかったが、本能か、それとも魂が危機を知らせてきた。
怒らせたら、死よりも怖い何かが待っている、と。
『手違い? 詫び? お前は土下座でもして欲しいのか? なんと愚かなのだろうな』
愚かと言われてしまった。
俺の口から出た言葉は――。
「す、すみません」
――なんとも情けない謝罪の言葉だった。
目の前の存在は俺に呆れつつも話を続けた。
『事情と言うのは、お前の交通事故を知り悲しんだお前の家族。特に母親の強い願いが原因だ。もしも死後の世界に行くなら天国へ。生まれ変わるのなら次は幸せな人生を――強く。それは本当に強く願い続けている』
涙が出てくる。
「……お袋」
『だからこうしてお前の前に出て来た訳だが……希望があるなら言え』
「叶えてくれるんですか! なら、俺は剣と魔法のファンタジー世界で、無双したいです! こう、異世界でチートでハーレムな――ひぃぃぃ! ごめんなさい!」
希望を伝えたら、目の前の存在がまた怒りを抱いているのが分かった。俺の希望に怒っているのだろう。
希望があるなら言え、って言ったのに。
しばらく間が開くと、目の前の存在は言う。
『お前よりも、お前の死に悲しむ母親の方が憐れに思えてくる。純粋にお前の幸せを願っているというのに、息子は異世界でチート? ハーレム? 恥ずかしくないのか?』
俺は視線を泳がせ、そして答えた。
「……冷静に考えると物凄く恥ずかしいです。穴があったら入りたいです」
目の前の存在は、俺に対して冷たくなりつつあった。
『魂としての質が低い。自分がいかに恵まれているのかも知らず、どれだけ守られてきたのかも知らずに自分の欲望だけを追い求めている。お前はもっと知るべきだ。知って成長しなければ、次の段階へ進む事は出来ない』
何を言っているのか理解出来ない。
だが、機嫌を損ねてしまったのは事実だろう。
頭を下げる。
「すみませんでした!」
そんな俺の態度、というか心の奥底を見抜いているかのようで、目の前の存在は俺の謝罪など興味も示さなかった。
『上辺の謝罪など無意味だ。……そうだ、お前は言ったな? 剣と魔法のファンタジー世界に転生したい、と。その願いは叶えてやろう。流石に異世界は無理だが』
顔を上げた俺は首を傾げた。
「え、それは異世界じゃ――」
『同じ世界だ。私が管理している同じ世界に属している。お前が理解出来るように言うのなら、異世界を希望すると言うことは――他の管理者がいる世界に移籍したいという意味なのだよ』
……よく分からないが、目の前の存在は管理者らしい。そして、俺はそこで管理されている魂。
異世界に行きたいというのは「お前の管理されている世界より、他の世界が良い」という意味合いだったようだ。
いや、そんな事情は知らないし、認識のズレではないだろうか?
「いや、俺の言う異世界というのは地球ではないと言う事でして……」
『そこに怒ったとでも? お前のためを思って悲しむ存在がいる世界を捨てて、自分だけが幸せになろうとするだけはある』
どうやら、怒っているポイントが違ったらしい。
確かに、言われてみると俺の方が悪い。
抱きしめていた鞄を、更に強く抱きしめ後悔した。
『お前を地球の過酷な土地に転生させてもいい。だが、お前の母親の強い願いは、お前の幸せだ。それを叶えつつ、貴様には使命を与えてやる』
使命?
『これからお前が向かう世界は、地球と同じ環境だ。何しろ、地球から枝分かれして間もない世界だ』
平行世界という事だろうか?
俺からすれば、地球でも生まれる場所が違えば地獄である。生まれ変われるのなら……また日本人が良い。
『ただ、ある事情によってその世界にはモンスターが出現する』
「……それ、もう地球じゃないのでは?」
素で反論してしまった。
『いや、地球だ。枝分かれさせた平行世界の地球で、お前が生きていた現代社会の地球とよく似ている。そこでお前にはやって貰う事がある。これが使命だ。お前は平行世界の地球で“冒険者”となり、モンスターを倒し、ダンジョンを攻略せよ』
……え? 現代社会なのに冒険者とか、いるの? 普通に探検する冒険者ではなく、モンスターと戦うようなファンタジー世界の冒険者?
「え、あの、それって……」
『お前の望み通りに、戦える世界だ。人間同士で戦うよりも実に有意義だ。世界のためにもなるからな。安心しろ、モンスターはいわゆる世界の敵だ。意思の疎通も友好もない。ただ、純粋に世界を侵略しようとしているのが奴らだ』
なんとも思っていない方向に話が進んだ。
どうやら俺の希望は叶えられるらしい。
想像していたのは中世のヨーロッパ風の世界観だったが、現代なら文化の違いで困った事にもならないだろう。
「マジですか! なら、チートを貰って無双出来るんですね!」
『あぁ、好きなだけ暴れるといい。お前が望んだ環境だ。敵は尽きぬし、敵を倒せば世界の利益になる物も手に入る。お前たち人類が喉から手が出るほどに欲しい物が山のように、それこそ尽きることなく手にはいる世界だ。お前が戦えば戦うほどに、富も名声も集まってくる』
おぉぉぉ! なんだか凄く俺が望んだ世界だ。
「そ、それで、使命というのは……具体的な目標みたいなのはあるのでしょうか?」
俺は、気になる使命についてたずねてみた。
『最低でも十を超えるダンジョンを攻略し、万を超えるモンスターを倒す事だ。もし、失敗したら……お前の魂は消滅する』
最後の言葉は酷く冷たかった。
そして、俺はまるで背筋が氷るような感覚を覚える。
自分の体が崩れていく。いや、壊されていく。
何もかも失っていくような感覚に、俺は絶叫してしまう。いつもでも続く恐怖、絶望、消えていく感覚に頭がおかしくなりそうだった。
だが、気が付けばその場に四つん這いになっていた。酷く汗をかき、いったいどれだけの時間が流れたのか分からない。
「はぁ……はぁ……う、うぁ……」
声は出ても言葉にならない。
涙と鼻水まみれの顔。
俺は、今までにない恐怖を体験して理解した。アレが魂の消滅する感覚なのだ、と。
『言葉より正確に理解出来ただろう? お前は私の出した使命を果たさなければ消滅する。途中で使命を放棄した場合も同様だ。好きなだけ戦うといい。好きなだけ欲望のままに求めるといい。それが、お前の望んだ世界だ』
俺はまるで土下座をしたような形になっていた。顔を上げ、明指揮出来ない目の前の存在に問う。
「ま、待って……な、何か力を……」
力を、能力を、道具を……そんな俺の言葉は、目の前の存在に届かない。
『あぁ、くれてやる。今日、この日の出来事を忘れないように、お前の記憶は残してやろう。そしてその世界の事実を教えてやる』
服の袖で顔を拭い、事実というのを聞いた。
『一つはジョブについてだ。これは必ず一人一つは持っている。希に二つ三つ持っている者もいるが、基本は一つだ。そして、その中でもっとも強いのは戦士という誰もが持って生まれるジョブだ』
「せ、戦士?」
最初に持っていたジョブが一番強いというのは、ゲームなどでもある設定だ。俺の転生する世界は、どうやらゲームのような設定が盛り込まれているらしい。
『そうだ。必要があったから与えた。喜べ、ダンジョンを攻略すればお前たちが想像しうるどんな財宝も手にはいる。そういう世界だ』
戦士というジョブについて、目の前の存在は話をしてくれた。
『戦士というジョブは、お前に理解できる言葉を選べば“成長に特化した”ジョブだ。たった一つの攻撃スキルしか持たないが、極めればそれ一つで足りる。何か恩恵を与えるわけではないが、鍛えるほどに、戦いモンスターを倒すほどに強くなる』
「そ、そうですか。あ、あの、俺はジョブを二つとか三つ持てるとか、そういうのは――」
『ない。そして、戦士というジョブもそうだが、一度外してしまうと二度と手にはいらないから注意しろ。さぁ、二つ目だ――二つ目は、そんな戦士の武器を作る素材について話をしてやろう』
その平行世界の地球では、モンスターを倒すと手にはいる【魔石】をエネルギー資源としている。だが、魔石を使って金属を鍛えれば、更に質の良い金属が出来上がるらしい。
その他、色々と魔石は利用されているのだとか。
『そんな魔石を使用した金属だが、希にとても重い金属が出来上がる。失敗作と見向きもされないが、アレこそ戦士の持つ武器を作るのに相応しい素材だ』
俺は二つの情報を聞きながら思った。
あれ? 具体的にジョブを複数持てる訳でもなければ、特別なジョブを与えられる訳でもない。
強い武器を貰えないとなると――。
「あ、あの、もしかして凄い道具や能力を――」
『道具? 能力? 欲しければダンジョンを攻略しろ。あそこは全てが手にはいるように出来ている。万能の霊薬であるエリクサー。あらゆる病を治療する薬。若返りの秘薬から、性別すら変える薬もある。もしも能力が欲しいのなら、強いモンスターを倒す事で得られるだろう。戦い続ければ全てが手にはいる』
本当に色々とあるのは分かったが、気になる事があった。
「……あの、俺は何も貰っていないのですが?」
確かに情報を教えられたが、俺自身には何か形として貰っていない。
普通、チート級の武器とか、能力とか――凄い魔法とか貰えるのでは?
『魔法が欲しいのか? ならば学べば良い。戦士であろうと魔法は使えるぞ。いっそ戦士でなくても、他のジョブを選んでも良いだろう。お前が戦い続け、使命を果たすのならば何の問題もない。その心が、折れるか途中で死んでしまうまでは自由だ』
……これはアレじゃないか?
俺、もしかして騙されているのではないだろうか?
「あの、出来れば戦う力が欲しいのですが」
『いくつもの事実を教えてやった。それらは不確かな情報の中で生きるよりも、間違いなくお前の戦う力となるだろう』
……嘘だろ。
本当にこのまま転生させるつもりだ。
「ま、待ってください。なら、もっと知識を――その世界について情報を!」
『……ここまで優遇してやったのは、お前の母や家族の強い願いに応えただけだ。お前の願いは、使命を果たしたときにでも聞くとしよう。では、終わりなき戦いの世界で生きると良い』
自分の体が薄くなっていく。
段々と意識が遠のいて、声も出なくなってきた。
「ま、まだ――」
『次に会うときを楽しみにしている。もっとも、私とお前は常に――』
桜花学園の廊下。
終業式が終わり、窓の外を見ればとても綺麗に青空に白い雲が見えた。
外の強い光により、校舎内の影はより強くなっている。
薄暗い廊下で、俺はあの日のことを振り返っていた。
俺が生まれる前。
今生の母親は、お腹の中に強い光が宿るのを夢見た。そのため「まるで太陽が宿ったようだ」と言って、俺に太陽という名前をつけた。
確かに使命を帯びた魂が宿ったのだ。
そう思って期待していた今生の両親だが、俺は前世の記憶を持っていた。二人からすればとても気味が悪かったことだろう。
小学校に上がる頃には、すっかり後に生まれた弟妹たちを可愛がっていた。俺と家族との間には大きな壁が出来ている。
気持ちも分かるし、申し訳ない気持ちで一杯だ。
事実を知ったら、どれだけ悩むことだろう。
だから、俺は中学を卒業と同時に親に頼ることを止めた。
廊下を歩く俺は、蝉の鳴き声を聞きながら溜息を吐く。
「ここを追い出されたら、それこそ大変な事になる。退学だけは勘弁して欲しい」
別に退学になったとしても冒険者にはなれるだろう。
だが、使命を果たせない。いや、果たす確率が極端に下がってしまう。
転生して色々と調べてきたが、この世界で一流と呼ばれる冒険者たち――ダンジョンを攻略した数は、多くても七つだった。
子供の頃から他より際立っている天才たちが集まり、冒険者として活躍して現役を長く続けて七つだ。
……ダンジョンを十も攻略するなど、普通の方法では先ず無理である。
それに、学園を追い出された場合、俺は働きながらお金を貯めつつ自分を鍛える必要がある。ダンジョンに入るにしても、その準備段階で何百万も必要になるからだ。
働きながら頑張る?
サラリーマンとして働いた事がある俺から言わせて貰えれば、並大抵の苦労ではない。
ここにいれば、生活費も出してくれる。
設備だってほとんど自由に使わせてくれる。
こんな環境を手放すなど有り得ない。
「卒業してお金を借りて、そこから数年は準備で……一年に一個ずつ攻略すれば、四十代で引退出来る。そうだ、やるしかないんだ」
そうしなければ、本当に消滅させられてしまう。
一度経験したが、アレは駄目だ。
本当に、思い出すだけで恐怖がこみ上げてくる。
「ちくしょう……戦士は最強なのに、なんでここまで世間に認められないんだよ。理不尽だろうが」
俺はこの世界で成功したい。
いや、成功しなければならないのだ。