奇跡とは起こるのではなく
病室。
倉田先生が出て行くと、俺は一人静かにベッドに横になっていた。
体のどこにも異常は見られない。
瀕死だったというのに、まるで怪我一つない……むしろ、清々しい気持ちで健康的な体になる訳だから、凄すぎるぞエリクサーとしか言いようがなかった。
ただ、横になっても考えるのは千夏のことだ。
「……十年か」
千夏に残された時間は少ない。
肉体的に、冒険者として活動出来る時間はもっと短いかも知れない。
窓を開けているのでカーテンが揺れて風が入ってくる。
夏休みも終わろうとしているが、そんな事よりも千夏だった。
「このまま千夏を連れ回すより、学園を無事に卒業して貰う方が良いのかな」
千夏に残されている時間は少ないと知った俺は、一緒に冒険者をやることが正しいとは思えなくなっていた。
千夏には、千夏個人の時間が必要なのではないか?
俺に付き合わせて、時間を無駄にするのは駄目ではないか?
思考がまとまらないでいると、ノック音がする。「はい」と返事をすると、入院患者が着ている服を身に纏った千夏が、ドアを開けた。
「太陽、元気そうね」
明るい笑顔はとても眩しい。
「いや~、本当に今回は駄目かと思ったけど、太陽がいてくれて良かったわ。あ、ごめん。財宝の中にはエリクサーもあったんだけど、あんたが怪我をしているから使わせて貰ったわよ」
借金から解放、無事に生還した事を千夏は喜んでいた。
だが、明るく振る舞っている姿が痛々しい。どうしてこんなに人のために頑張れるのか。
「……倉田先生から話は聞いた」
ただ、俺の一言で笑みは少し悲しい物になった。
「そっか。聞いたのね。先生もお喋りよね」
ベッド脇にある椅子に座る千夏は、どこか安堵しているようにも見えた。
確かに、高校生離れをした体をしていると思った。
それが投薬の結果と知ると、千夏がどれだけ酷い場所にいたのか分かるというものだ。
「言い出せなかったわ。自分でも、幸せすぎて忘れていたのよ。……忘れたかったのに」
泣きそうな顔をしている千夏に、俺は疑問を投げかける。
「どうして自分にエリクサーを使わなかったんだ?」
千夏の答えは実にアッサリしていた。
「手に入れたときから、自分で使おうとは思わなかったわね。精々、あんたを見殺しにしてエリクサーを売り払おうとしたくらい?」
「酷いな。色んな意味で酷いぞ。俺に対しても、自分に対してもその答えはどうなんだ?」
千夏は笑っていたが、最後に小さく「ごめん」と呟いた。
「だって、アレは太陽のものだし。本当は、財宝も太陽と話をしてから取り分を決めようと思ったんだけど、倉田先生が貰っておけって」
俺に持たせるよりも、千夏に持たせた方が安心とか……倉田先生が俺を悪い意味で信用しているのが分かる話だ。
「貰っておけよ。二人の成果だ。俺一人だと、そもそもダンジョンボスの部屋まで到着出来なかったし」
千夏が随分と優しい笑顔を向けてくる。
「やっぱり、あんた優しいよね」
「優しい? 残念だったな、下心満載だ。どうやって千夏を抱こうか常に考えている」
また呆れるか、それとも怒るのか。
反応を待っていると千夏が笑っていた。
「口を開くと本当に残念な男だよね。まぁ、あんたの場合は口より行動が恰好いいんだろうけど」
……褒められると思っていなかったので、どう反応して良いのか分からない。顔が赤くなったので、千夏から顔を逸らす。
すると、千夏が――。
「なんなら抱いてみる? 別に良いよ」
「マジですか!」
千夏も驚く勢いで視線を顔に戻した。
俺を見て千夏が照れながら視線を泳がせている。
「わ、悪い奴じゃないし、今回のお礼の意味合いもあるし。まぁ、薬物でこんな体になっているのが気持ち悪くなければ、だけどね」
千夏の自嘲気味の笑いに、俺はベッドに横になる。
「太陽?」
「気が変わった。今は抱かない」
「やっぱり、気持ち悪い? だよね。私、気持ち悪いよね」
そうではない。
今すぐにでも抱きつきたい。
今にも下半身が暴走しそうだ。
だが、今は嫌だ。
「恩とか、そんな感情で妥協した感じが嫌だ。自分から俺を誘うくらいになったら考えてやる」
千夏が今度こそ呆れていた。
「馬鹿ね。そんな見栄を張っていたら、その内に私の方が死んじゃうわよ。まったく……童貞は変にプライドが高いんだから」
「五月蝿いぞ、処女! お前も未経験だろうが!」
「処女って言うな!」
二人で顔を見合わせ、普段と変わらないやり取りに笑った。
そして笑い終えると、俺は千夏に言う。
「……俺は今後もダンジョンを攻略する」
「そう。私もついていこうか?」
俺は首を横に振った。
「いや、いい。お前は普通に生活しろよ。俺はその間に、必ずお前を治療するアイテムを見つけてやる。それまで待っていろ」
別に同情からではない。
目の前に美女がいるのなら、助けて惚れさせるのが王道だろう。
例え、俺が主人公のような器ではなくとも、一度くらい奇跡を起こしてもいいはずだ。これだけ頑張ったのだから、一度とは言わずに二度、三度と起こしてみせる。
……そうだ、それだけの話しだ。
千夏が「……うん」と頷きながら、涙を手で拭っていた。
気まずいので話を変える。
「そう言えば、なんで入院したんだ?」
「あぁ、これ? 倉田先生が、一回精密検査を受けておけ、って。ここ、設備も良いからね。組合の本部が私の状態を見ておきたいんじゃない」
そう言えば、千夏もダンジョン攻略者である。
本部が目を付けて、状態を確認したいのは当然か。
「結果は?」
「まだ。あんたが数日眠っている間に、もう嫌って程に検査をしたけどね。結果が出るのはもう少ししてからじゃない?」
数日で検査結果が出るのか? その辺は専門外だから分からないが、魔法のあるようなファンタジー世界だ。きっと凄い魔法があるに違いない。
そして、検査の間、俺たちはしばらく病院で待機になるらしい。
「まぁ、新学期までには帰れるらしいけど」
ならば、残り数日は病院でノンビリしておこう。
「それより、俺の刀は?」
「先に学園に届けられたみたいよ。なんか、職人系のジョブを持つ組合の幹部が、大急ぎで確認したい、って」
……俺の刀、戻ってくるよね?
翌日。
千夏は太陽とは違う病室で目を覚ました。
今日は精密検査の結果が出る日だ。
太陽には強がっていたが、正直な気持ちは怖かった。
普段は、どうせ短い命。お世話になった園長先生や、孤児院の子供たちのために頑張ろうと思っていた。
男を喜ばせるための体には嫌悪を抱いていたが、こんな体のおかげで太陽と出会えたと思えば悪くもない。
「狡いよね。期待しちゃうじゃない」
太陽ならば、もしかしたら奇跡を起こせるのではないか?
千夏は小さな希望が芽生えていた。
そうして、生きる希望が手にはいると思ったのは――。
「……一緒にいられたら良いのに。あいつ、馬鹿でスケベだから誰かが見ていないと」
――太陽と一緒にいたいという気持ちだった。
「死にたくない。死にたくないよ」
諦めていたのに、生に対して強く憧れを持つと辛くなる。
ただ、ノック音が聞こえてきたので千夏は涙を拭った。
「は、はい」
「失礼します! 如月さん、すぐに来てください。検査結果で確認したい事があります!」
部屋に看護師が跳び込んできて、そのまま千夏を連れて医師の下に連れて行く。
酷い結果でも出たのかと思って怖くなったが、待っていた医師の言葉に千夏は驚きを隠せなかった。
結果から言えば、千夏の体は正常に戻っていたのだ。
薬漬け、強い薬を使った影響などが綺麗に消えていた。
「驚きました。以前のカルテを確認しましたが、こんな劇的に改善されるなど聞いたことがありません。何か変わったことはありましたか?」
「か、変わったこと?」
自分の体が健康――つまり、このまま生きていられると知った千夏は、驚きすぎて頭が回らない。
ただ、一つだけ思い出したのは……。
「そ、そう言えば」
「そう言えば!」
医師が強い興味を持っているのか、上半身が前のめりになっていた。
「そ、その……仲間が意識を失っていて。エリクサーを飲ませるときに口移しで……そ、その時に少しだけ飲んじゃった」
あの時、エリクサーを少しだけ千夏は摂取してしまっていた。
医師は話を聞いて納得する。
「それで……確かに、それならこの結果も有り得るのか? いや、しかし……」
医師が考え込んでしまっていたが、千夏の前だと思い出して話を再開した。
「如月さん、落ち着いて聞いてくださいね」
「は、はい」
「万能の霊薬と言われているエリクサーですが、実はほとんど未知の薬なんです。あまりにも貴重で、そして今の科学では調べる事も出来ません。なので、少量でもこれだけの効果があると分かったのは素晴らしい発見ですよ」
希少価値が高く、それでいて効果は劇的。
ただ、使用例が少なく、実際にどれだけの効果があるのか把握されてはいなかった。
そんなエリクサーを少しだけ飲んだ千夏の体は健康になっていたのは、ある意味で大きな発見である。少量でも効果があるのだから。
「……よ、喜んで良いんですよね?」
「もちろんです。まだ詳しく調べていますが、健康そのものですよ」
医師の言葉に、千夏は安堵した。安堵すると、この事を太陽に伝えたかった。
だが、医師の言葉が気に掛かる。
「ただ、如月さんでこの状態ですと……天野さんが心配です。ここまで劇的に変化があると、効果が強すぎれば危険かも知れません。詳しく調べてみないとなんとも言えませんが……大丈夫だとは思うんですけどね」
医師も断言出来ない状態だった。
千夏が慌てて席から立ち上がったのは、太陽を心配したためだ。
病室内。
俺は窓を閉め、ドアを閉め、そしてブツを確認していた。
「ふむ、病院内で手に入るのはこれくらいか」
週刊誌のグラビア。
箱ティッシュ。
人が来たときにもすぐに対処出来るよう、準備も済ませている。
「どうにもムラムラする。ここは、早めに処理をしておかなければ」
後で換気、そして消臭スプレーの用意もバッチリだ。
トイレに行くか悩んだが、人の出入りが多かったので諦めた。それに、少し長く入っていると看護師がやってくる。
便利すぎるのも問題ではなかろうか?
……さて、それでは神聖な儀式を始めよう。
俺が儀式の時間に入ろうとしていると、いきなり無粋なノック音が聞こえてきた。
「……はい」
空気を読めない奴がいるらしい。
男が賢者になろうとしている時間を邪魔しようとは……。
少々、怒気を孕んだ声になったのも仕方がない。
ドアの方を見れば、開けて入ってくるのは派手なスーツを着た男性――借金取りだった。
「失礼するぜ……どうやら邪魔だったみたいだな」
ベッドの上の配置を見て、これから何をするつもりなのか分かったのだろう。
「……そういう時は黙っているのが大人の優しさですよ。というか、借金の返済は組合の本部が話をすると言っていましたよ」
「そっちは片付いた。別に筋を通した奴をどうこうするつもりもない。まぁ、あの園長の婆さんは少し世間を疑った方が良いだろうけどな」
部屋に入ってきて座った男性と向かい合う。
どうして俺に会いに来たのか。
「随分と組合の本部はお前たちを庇うな」
「……それが何か?」
早速、厄介ごとが舞い込んできたのかと構えると、借金取りは真顔になる。
「そう怒るなよ。言っただろ。借金を返済した奴にどうこうするつもりはない、って。俺が嫌いなのは、借金をして逃げる奴だ」
借金取りは、溜息交じりに語り出した。
「しかし、あのお嬢ちゃんも物好きだな。命の危険がある冒険者なんかより、冒険者を相手にする商売の方が安全に稼げるって言うのによ」
……冒険者にしても、目の前の男性の店で働いても、どちらも辛い道だ。
「まぁ、ちゃんと返済して稼いでいるなら文句は言わないが。さて、本題だ。あのお嬢ちゃんの情報を俺に売った男がいる」
嫌味な教師である。学年主任という立場で、俺を見下していた。
あいつは絶対に許さない。
「あんたら二人について組合の本部が色々と調べていてね。おかげで俺たちも目を付けられたんだが……あの野郎、自分は騙されたと言い始めてね」
話を聞くと、どうやらあの嫌味な教師……目の前の男から金を借りていたらしい。返済が滞り、千夏の情報を売るなどしてお金まで得ていたらしい。
「返済をしない、筋の通らない奴が嫌いでね。どうだ、坊主……あいつを追い落としたいと思うか?」
一つ気になった。
「どうして俺に? 自分で報告すればどうです?」
「俺が言うのと、お前が報告するのとでは組合本部も動きが違うからだ。組合の本部がお前たちを特別視しているのは、借金の返済で分かったからな。で、どうする?」
証拠の品を見せてくる借金取りに、俺は冷静に対応する。
「復讐しろとでも?」
「興味なしか? それもいいけどよ。邪魔したな」
確かに復讐は何も生み出さない。空しいだけだろう。
「いえ、受け取りますよ。筋は通して貰わないとね」
俺は復讐は良くないとか、善人のような意見を言えるほどに真人間ではない。腹の立つ奴がいれば腹が立つし、心の中ではこの野郎! とか思っている。
ただ、復讐を行なう事で自分にデメリットがあるのも嫌だ。
「自分のしでかした事の責任は取って貰わないと……これは復讐ではなく、あの教師の身から出た錆ですからね」
「違いない! 坊主――いや、兄ちゃんも話が分かるね」
そもそも、あの教師には問題があった。その責任は取って貰うのが当たり前である。
これは復讐ではない。だが、俺の気分は最高だ。
借金取りの男が、封筒を俺の部屋に置いていく。
そこには、あの嫌味な教師が借金取りとどんなやり取りをしたのかという書類やら証拠が入っていた。
これを俺が組合の本部に渡せばどうなるのか?
後は「あいつちょっと問題が多いと思うんですよ~」と言ってやれば良い。本部さんの誠意を見せて貰おうではないか。
借金取りが出て行くと、俺は書類などを大事にしまって儀式に取りかかるため動き出す。
しばらくすると、またノック音が聞こえてきた。
またか。またなのか? どうして俺の儀式の邪魔をする!
控え目なノック音。
千夏かと思ったが、どうやら違う。看護師さんだろうか?
「開いていますよ」
さっさと対応して、俺は一人になりたかった。
だが、ドアを開けたのは金髪のセミロング――ふわりとした髪を持つ女性だった。
緑色の瞳。
背は高い。百七十前後だろう。
着ているのは白のワンピースで、可愛らしい感じだ。
雰囲気はゆるふわと言えばいいのだろうか? お姉さんという感じで、その大きな胸と同じように包容力を感じる。
先程の面倒そうな声を潜め、俺は笑顔で対応した。声も明るくなる。
「どちらさまでしょう? あ、俺は天野太陽と言います、綺麗なお嬢さん」
ちょっと言い過ぎてしまったが、相手は目に涙を浮かべ……え、涙?
「サンちゃん!」
サンちゃん? どういう事だ? 俺のあだ名を知っているという事は、もしかして小学生時代の知り合いか? しかし、こんな美少女が俺の近くにいただろうか?
駆け寄ってくる美少女が、俺に抱きつく。
大きな胸の感触と、甘い匂い。
力強く抱きしめられ、俺の下半身が心配になってくる。落ち着け、俺の俺。
「え、えっと……どこかでお会いしましたか?」
俺の胸で泣いている美少女は、顔を上げると涙を流していた。
まさか、ついに俺にもモテ期到来? 一瞬、ハニートラップという言葉が頭をかすめるが、そんな言葉はすぐに消え去った。
騙されても良いじゃない。そう思える程に美少女だった。
「俺――僕だよ、サンちゃん」
僕っ子? 見た目ボーイッシュではないが、これはこれでいい!
潤んだ瞳で見上げてくる美少女は、顔を赤くしている。瑞々しい唇にはリップが塗ってあるのか、目が吸い寄せられる。
も、もしかして、このままファーストキスを失ってしまうのか? 少し考えてみたが、目の前の女性が相手なら何の問題もないな!
ただ、ドアが勢いよく開く。
そこには千夏の姿があった。
「太陽、あんたすぐに検査を――」
そして、抱き合っている現場を見られてしまった。
「ち、違うんだ! これには深い訳が――」
深い訳などないが、取りあえず言い訳をしようと考える。千夏の驚いた顔が、これから怒気に染まると思うと怖くなる。
俺は悪くないのに、まるで浮気現場を見られたような――はうっ!
金髪の女子が、俺を強く抱きしめて大きな胸ばかりか体を密着させる。これでは千夏に誤解されてしまうが、体が離れない。
鍛えた俺の体が、金髪女子の拘束から逃げてくれない。
振りほどこうと思えば出来るのに、まるで力が入らない。
そして、千夏がわなわなと震え、俺の方を指差していた。
この流れは知っている。きっと、千夏が怒って俺が叩かれるパターンだ。
いったいどうしてこんな事に!
だが、事態は俺の斜め上に突き抜けた。
「あんた、何をしているのよ――瀬戸!」
千夏が発した名前に、俺は「へ!?」と反応して金髪女子を見た。
千夏が近付き、俺から金髪女子の瀬戸さん? を引き離す。
「え? え!?」
俺は事態が飲込めずにいると、千夏が俺と瀬戸さんとの間に入った。
「太陽、しっかりしてよ。この子は瀬戸――琉生よ」
俺は金髪女子の姿を見た。
照れて顔を赤くし、先程流した涙を指で拭っている。
「ご、ごめんね、分からないよね。僕だよ、サンちゃん。あ、今は私って言わないといけなかったんだ」
可愛らしい笑顔でそんな言葉を口にする金髪女子の瀬戸さんは、どうやら俺の数少ない友人だったらしい。
言われてみると確かに雰囲気が……って!
「どういう事だよぉぉぉ!」
両手で頭を抱える俺は、その場で絶叫してしまった。
病院内で叫び声を上げてしまい、騒ぎになったが……俺は悪くない。




