第三章 第三十五話:想いを実現する魔物
ハンスは弓を構えた。
監視塔の上に立つアルフレッドを狙う。
こうして相対するのは初めてとはいえ、相手が強者であることは疑いようがない。
世間一般の感覚で言えば、そもそも監視塔の天辺に立っている時点でただ者ではないわけだ。
さらにはその格好。
全身を服と鎧で覆い、肌の露出は一切無い。
この時点で相手がスケルトンである可能性を疑うべきだろう。
(さっきの奴と同じか)
ハンスは先刻のロザリーとの戦いを思い起こしていた。
圧倒的な身体能力、剣技。
こちらの放った矢はことごとく叩き落とされ、致命打らしい致命打も出せない間に距離を詰められた。
あれと同等の戦力を持っているとすれば非常に厄介だ。
(戦わずには……、無理だな)
アルフレッドから向けられるその視線は、間違っても友好的なものではない。
ハンス個人に対して感情的な何かが込められているわけではないが、少なくとも仲良く手を取り合う気はなさそうだ。
(それなら……、先手必勝!)
バシュッ!
ハンスはアルフレッドに向けてまっすぐに矢を放つと同時に走り出した。
ここにはリリーがいる。
巻き添えにするわけにはいかない。
バンッ!
「え?」
足場にされた監視塔の頂点、そして空気が爆ぜてアルフレッドの姿が消えた。
ドンッ!
「――!」
直後にハンスを襲った衝撃。
視界の景色がいきなり切り替わった。
(攻撃されたのか?!)
自分が後方に吹き飛ばされたと気が付いたのは一瞬経ってからだ。
ドドンッ! ドドンッ! ドドンッ!
吹き飛ばされた体が背後の民家を貫通していく。
四つ……、五つ……、六つ目の中に入ったところでようやく止まることが出来た。
慌てて正面を見れば、先程までハンスがいた場所にアルフレッドが立っている。
(嘘だろ……)
客観的に徹して考えれば、彼はこの一瞬で監視塔の上からあの位置まで移動したということになる。
最低でも数百メイルはある距離を輪郭すら捉えきれない速度で移動し、さらに不可視の一撃を加える。
そしてその威力は家の壁をいくつも貫通するレベル。
……どこをどう考えても人間に実現できるような現象ではない。
ロザリーですらここまで速くはなかったし、力強くはなかった。
ハンスは全身の痛みを我慢しながら再び弓を構えようとして、それが真っ二つに折れていることに気が付いた。
「くそっ!」
長い間苦楽を共にしてきた武器のあっけない最後に舌打ちしつつ、それを静かに床に落とした。
代わりにベンから貰ったメイスを抜く。
(まさか本当にこれを使うことになるとはな……)
――だがやるしかない。
アルフレッドが立っているのはハンスが先程までいた場所だ。
ということは、つまり近くにはリリーがいるということだ。
一刻も早く戦場を移さなければ、もしかしたら彼女が巻き込まれるかもしれない。
ハンスは無人の民家の外に出ると、闇に紛れて襲う素振りを見せながらリリーの家から遠ざかる方向へと走った。
バンッ!
再び空気が爆ぜる。
アルフレッドも即座にハンスを迎え撃つ位置へと移動を開始した。
今の彼にとって、正面からの攻撃は脅威とはならない。
唯一警戒が必要なのは認識外からの攻撃だけだ。
つまりはハンスを視界に捉えてさえおけば負けはない。
シュッ!
移動直後の硬直を狙って、物陰から飛び出したハンスが仕掛けた。
右手のメイスがアルフレッドの頭部を狙う。
(入る!)
命中するまで残りの距離は指数本分。
「……」
バンッ! ドゴッ!
「――!」
ハンスの胴体を再び衝撃が襲い、再び視界が切り替わった。
右手に手応えはなく、代わりに先程同様に全身を民家の壁へと叩きつけられる。
いったい何が起こったのかすらわからない。
わかるのはカウンターを取られたということぐらいだ。
(今度は家一軒で済んだか……)
ハンスはいつの間にか一軒を貫通し、二件目の壁に埋まっていた。
ガラガラと音を立てながら体を起こす。
全身が不自然に軋んでいる気がした。
「キャアアアアア!」
「ひいぃいいいいい!」
ドシュ! ガシュ!
一軒目にはどうやら住人がいたらしいが、悲鳴を上げた直後にアルフレッドによって”処分”された。
「躊躇いも無しか……」
ついさっき自分が貫通してきた穴からその様子を見たハンスは確信した。
――こいつをリリーに会わせるわけにはいかない。
そんなことになれば彼女がどうなるかなど、議論の必要もないだろう。
どこで止める?
――ここで。
誰が止める?
――自分が。
どうやって止める?
――さあな。
ハンスは右手のメイスを握り直し、左手で腰の剣を抜いた。
弓に比べれば練度の面で心許ないが、今はそうも言っていられない
(やるしかない)
覚悟を決めたハンスは民家の中に飛び込んだ。
外に出てきたところに仕掛けるという選択肢も浮かんだが、狭い空間で相手の機動力を抑える方が勝率が高いと判断した。
先程自分が貫通してきた穴を抜けた直後、同じように穴を抜けようとしていた敵が視界に入る。
ハンスは躊躇いなくメイスを振った。
バンッ! ガシッ!
「――!」
アルフレッドは空気が爆ぜる音と共にあっさりハンスの腕を掴んだ。
「くそっ!」
振りほどこうとしてもびくともしない。
ハンスはすぐに諦めると、今度は左手の剣で斬りかかった。
ドン! ドガァン!
「――!」
三度目の衝撃。
ハンスは再び後方へと吹き飛ばされた。
二軒、三軒、今度は四軒目の最初の壁で止まった。
「ぐっ……」
スケルトンの体だからこそ助かっているものの、これが普通の人間の体だったなら最初の一回目で死んでいてもおかしくはない。
腹部に伝わる不自然な感触。
瓦礫から身を起こしながら左手で触ってみると、肋骨がもう何本も無くなっていた。
(これだけやられれば当たり前か……)
この体のおかげなのか、痛みはあっても動くことはできそうだ。
バンッ!
ハンスの耳に再び破裂音が届いた。
これはつまりアルフレッドが移動したことを意味する。
(来るか?!)
反射的に武器を構えた。
壁を背にしているので攻撃の来る方向はある程度限られる。
(前?! 右?! それとも左か?!)
ドンッ!
「――!」
次にハンスが敵の姿を確認したのは、構えた剣ごと自分の左腕を切り落とされた直後だった。
「くそっ!」
巻き込まれた勢いに乗せて闇雲に右手のメイスを突き出す。
ガァン!
だがそれはあっけなく相手の腕に弾かれた。
お返しとばかりに掌底が視界に迫る。
ドンッ!
音速を超える掌底を頭部に叩き込まれ、兜が割れた。
背後の壁によって衝撃が増幅される。
いかにスケルトンの体といえども、これはもう耐えきれるようなダメージではない。
薄れゆく意識、ぼやける視界。
もう体に力が入らない。
――完敗だ。
ハンスはもうすぐ自分に訪れるであろう死を予感した。
(リリー……)
――ハンス。
彼女の声が聞こえた気がする。
それでいい気がした。
ここで死ぬのであれば、最後に彼女との思い出に浸るのも悪くはない。
それぐらいの贅沢は許されるはずだ。
――ハンス。
(リリー。俺はやっぱりお前のことが……)
「ハンス!」
ハンスは自分を呼ぶリリーの声で混濁した意識から立ち直った。
慌てて声のした方向を見れば、そこには包丁とフライパンを持った彼女が立っている。
ハンスの妄想でもなければ幻覚でもない、本物のリリーだ。
「リリー……、なんで……?」
「ハ、ハンスから離れて!」
リリーが上ずった声で叫ぶ。
その視線はアルフレッドに注がれている。
距離が少し離れているとはいえ、彼女の足が震えていることはハンスにも容易にわかった。
「……」
ガラ……。
瓦礫が地面に落ちる。
アルフレッドはハンスから離れると、リリーの方向に体を向けた。
「お……、おい……」
――何をする気だ?
――お前は何をしようとしている?!
リリーは自分が標的になったことを理解して思わず一歩下がった。
ハンスの脳裏についさっき殺された民家の住人達の最後がよぎる。
「まさか……」
アルフレッドは再び大地を踏み込もうと、剣を構えて体を落とした。
――待て……、待て……、待て!!!!!!
「やめろぉぉぉぉぉぉ!」
バンッ!!
ハンスの叫びを踏みにじるかのようにアルフレッドの姿が消え、空気が爆ぜる。
その体は一直線にリリーへと向かった。
ハンスの本能がそれに追いすがる。
――動け。
――動け。
――動け!!!!
数瞬後に訪れる悪夢を否定しようと、全身にありったけの力を注ぎこむ。
ミシミシと体中の骨が悲鳴を上げる。
――そんなことはどうでもいい!
リリーとの思い出が脳裏を駆け抜ける。
――そんなものに浸っている場合じゃない!
ここで動かなければ、全てが失われる。
ここで動かなければ、一番大事なものが失われる。
――そう、ここで動かなければ!
スケルトン。
食事も睡眠も必要なく、呼吸や疲労とも無縁。
まさに戦士に最適な能力だ。
が、それはあくまでも副産物でしかない。
願いを実現する。
この体は本来そういうものだ。
不可能を可能に。
如何なる理も越えて、その想いに応える。
この体は本来そういうものだ。
ハンスは願った、彼女を守りたいと。
ハンスは祈った、彼女に幸せになってほしいと。
そしてハンスは誓った、彼女を守ると!
全身の骨が崩壊の予兆を伝えてくる。
――構わない! それで守れるのなら!
ハンスは全力で地面を蹴りこんだ。
――ダンッッッッッ!!!!!!!!!!!!
この世界において、この世界の歴史上において、一度たりとも実現したことのない、強力な加速がハンスを押し出す。
かつてヒルダを守ろうとしたアルフレッドが到達した領域。
トムがアルバンとの戦いの最中にようやく一歩踏み込んだ領域。
この瞬間、ハンスもまたその領域の住人となった。
音速を超えてリリーに迫るアルフレッド。
それをさらに上回る速さでハンスが迫る。
崩壊していく体、その右手でメイスを握りしめる。
そして愛する女に剣を突き刺そうとしている敵の頭部目掛けて、それを振り下ろした。
加速、加速、そして加速。
もう次はない。
人生を掛けて。
自分の全てを込めて。
これが自分の人生の終わり。
――それでいい、彼女を守れるのならば。
「うおおおおおおおおおおお!!!!」
「――!」
――ドンッッッッ!!!!!!!
アルフレッドの頭部に叩き込まれたメイスは彼の意識を即座に奪い、その進路を変えた。
二人のスケルトンがリリーの横を高速ですり抜ける。
その先にあるのは街を横断する大きな川だ。
メイスによって頭部を破壊されたアルフレッドはもちろん、文字通り死力を尽くしたハンスもそれ以上体を動かす余裕はなかった。
(リリー……、よかった……)
愛する人を守り切れたことへの安堵がハンスの胸を満たす。
勢いのついたまま崖から飛び出した二人は、そのまま大きな川に落ちていった。




