第三章 第二十六話:正当な権利
北門に向けて走る人々。
彼らは善良な人間達だ。
……少なくとも表向きは。
間違いを犯さない人間がいないという事実は、時に深刻な現実の隠れ蓑として利用される。
悪人とて利用価値があるならば正論を吐くのだということが理解できないなら、本当の意味での善悪論を語ることは出来ないだろう。
とにかく、彼らは損害を被った。
家を無くし、家族や友人を失い、生活に必要な大半の要素を損なった。
だがそれが不当で不条理な損害であるかどうかは、この一件だけを切り取って判断するかどうかに左右される。
そして範囲をこの一件に限定しないとするならば、それはつまり正当な権利の行使ではないかという結論にも辿り着けるのである。
「来たか……」
制圧した北門を守っていたエリアスは街の中心から押し寄せてくる群衆を察知した。
もちろんここを通してやる気など無い。
一人残らず殺してやろうと大剣を構えた。
……冷静さを失っていた、そう表現するのは簡単だろう。
エリアスは敵の気配を読むといった類の行動があまり得意な方ではない。
だからこそ気が付かなかったのである。
左肩に背負った大剣。
その向こう側から敵が静かに近づいてきていたことに。
「ふん!」
「――!」
ピーターがエリアスの死角から勢いをつけて剣を突き出した。
狙いは脇腹、鎧に覆われておらず、服が見えている部分だ。
本当は首や頭部を狙いたかったのだが、それには大剣が邪魔になる。
(もらった!)
角度は上々。
ピーターはこれまでの経験から、奥まで突き刺せれば剣が心臓に届くだろうと直感した。
いかに屈強な戦士だろうと、心臓を貫かれてしまえば終わりだ。
(攻撃は完全に視界の外。いくら動きが速くたって、反応できなきゃかわせまい!)
視界の向こう側からはエバンシェが走ってきている。
だがそれは無駄足になるだろうとピーターは予想した。
剣が脇腹に迫る。
あと二センチ。
あと一センチ。
エリアスは敵の気配を読むといった類の行動があまり得意な方ではない。
――そう、同水準の戦士達の中では。
剣がエリアスの服に触れようとした瞬間、ピーターの視界にあったエリアスの輪郭がぶれた。
バキッ!
「――!」
強烈な衝撃がピーターの左半身を襲う。
王国近衛隊の一員として鍛えていた体のおかげで辛うじて意識が飛ぶのは免れたものの、そのまま飛ばされて城壁に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
ピーターは油断があったと内心で自分を戒めた。
幸いにして剣は握ったまま、ダメージは大きいがまだ戦えるレベルだ。
だが体勢はまだ崩れたまま。
立て直すにはもう一瞬必要だろう。
敵がそれを待ってくれる保証など無い。
目を開いて敵の追撃に備える。
心の準備が出来ているだけでも大違いだ。
ピーターは敵の方向を睨みつけた。
視界の先ではちょうどエバンシェが大剣で斬られたところだった。
★
北門を目指して走っていた群集の内、前の方にいた人々は立ち止まった。
視界の先には戦士が仁王立ちしている。
彼らの周囲には大量の死体。
ここも安全ではないのだと一瞬で悟った。
「おい、止まるな!」
後方にいた人々から怒声が飛ぶ。
彼らはまだ進行方向で何が起こっているのか理解していない。
「馬鹿野郎、あれを見ろ! あそこにも化け物がいる!」
指差した先にいるのは全身を金属製の鎧で固め、大剣を振り回す男。
それに対して軽装の男二人が剣一本で挑むところだった。
ようやく状況を理解した後方の人々の顔が一瞬で青ざめる。
「あっ!」
最初に仕掛けた男がふき飛ばされて壁に叩きつけられた。
直後に仕掛けたもう一人もあっけなく返り討ちにされてしまった。
「そんな……」
群集達にとっては軽装の男二人が味方で重装の男が敵だというのはすぐにわかった。
そして頼みの綱である二人の内一人が既に死亡し、もう一人の敗北も時間の問題だということも。
群集の中に絶望感が広がった。
あんな強力な戦士と戦うことなど彼らにはできない。
重装の戦士が残った一人に止めを刺そうと城壁の方向に向かった。
人々は僅かな希望がもうすぐ消えてしまうのだと思った。
「おい! あれを見ろ!」
一人が別の方向を指差した。
屋根の上を人影が凄まじい速さで跳んで移動している。
その人影はまっすぐに北門を目指していた。
★
夜の街に風が吹く。
触れた感触は酷く鋭い。
ピーターは握った剣に力を込めた。
「よくも……、エバンシェを!」
戦いに痛みと犠牲はつきものだ。
――それはわかっている!
彼とてそれぐらいの覚悟はある。
死んだエバンシェとて同じだろう。
だが、それを心情的に許容してやる必要など世界のどこにもない。
彼の胸中は今、仲間を殺した敵への怒りで満ちていた。
痛みの酷い体を引きずるように起き上がり、自分に止めを刺そうと歩いてくる相手を睨みつけた。
互いに真正面から敵の敵の姿を捉える。
――絶対強者。
ピーターは先程まで物陰に潜んで見ていた戦いを思い起こした。
どう足掻いても、正面から挑んで勝てる相手ではない。
どう足掻いても、手負いで挑んで勝てる相手ではない。
――いや、そういうことではないだろう。
勝てる相手かどうか。
勝利によって利することがあるかどうか。
結局のところ、それは戦うための口実でしかない。
敵の背後で街の民草達が息を飲んでこちらの様子を伺っている
彼らがいるのなら、戦う口実はもう十分保障されているではないか。
ピーターの両足に力がこもる。
それならば――。
――それならば、怒りのままに目の前の男を倒し、戦友の墓標に誇りを添えて見せよう!
剣を構えたピーターの目に宿った光を見て、エリアスは足を止めた。
……それは生者のみ許された輝きだ。
死者が放つことなど許されない、生きている証だ。
エリアスの体が震える。
言外に、お前は死人だと言われている気がした。
お前の人生はもう終わった、お前は惨めな負け犬だと、目の間の男にそう突きつけられているような気がした。
――まだ終わってなどいない!
エリアスもまた、ピーター同様に怒りで剣を握り締めた。
怒りのままに敵をねじ伏せようと、互いに剣を構える。
――怒りをぶつけて何が悪い。
戦う者達にとって、それは十分な口実だ。
怒りと怒り、不条理と不条理。
それこそが戦いの本質。
冷静さ?
大義?
――綺麗事だ。
我侭に殺し、理不尽に殺される。
それが正統派。
それが戦場だ。
怒り。
それこそが戦場における正当な権利。
そしてその権利を行使しようとしている戦士がここに二人向き合っている。
邪魔をしないようにと二人の間にいた風達が足早に吹き抜けていく。
先に仕掛けたのはピーターだった。
ダンッ!
今使える力を全て振り絞って大地を蹴り込む。
体中の骨が衝撃に悲鳴を上げたが、彼らの声を聞いてやるのは後でいい。
(そう何度も打ち合えない、今度こそ一撃で決める!)
敵の全身を守る鎧。
ピーターの剣では容易に弾かれるだろう。
だが隙が無いわけではない。
可動域を確保するために存在する守りの薄い箇所。
そこに全力の一撃を叩き込めば勝機はある。
その発想で仕掛けた攻撃が先程防がれたばかりだということは彼自身もよくわかっている。
だがそれでも勝機はここにしかない。
「甘い!」
即座にピーターの意図を呼んだエリアスは、彼を迎え撃つ軌道へと大剣を横向きに振り込んだ。
「うぉぉぉぉぉぉ!」
自分の敗北を悟ったピーター。
彼の叫びは断末魔と呼ぶべきだろうか?
もしかすると辞世の句の代わりというのが感覚として近かったのかもしれない。
いずれにせよ、その叫びには彼の覚悟が込められていた。
……そう、覚悟だ。
それは戦場における正当な権利を行使する上での代金と言っていい。
ピーターはそれをしっかりと支払った。
怒りに任せた行動の結果を受け入れる。
例えそれが自分にとってどれだけ不都合な物であったとしても。
それが覚悟であり、それ自体もまた戦士の権利、そして誇りだ。
――間違っても義務ではない!
ピーターはその権利の行使を目前にしていた。
仲間の死、一方的な敗北。
――だが戦った!
それがどれだけ悲惨であったとしても、どれだけ惨めであったとしても。
――彼は戦った!
そう、つまりは証明だ。
戦士として戦った、その事実を証明する権利なのだ。
ピーターはその権利を行使しようとした。
エリアスはそれを認めた。
……が、しかしだ。
それを認めない者が一人だけ、この場にいた。
いや、降り立ったと表現するべきか。
(――殺気!)
エリアスは敵の気配を読むといった類の行動があまり得意な方ではない。
だがはっきりと感じ取った。
大剣が敵を迎え撃つ直前、頭上から自分に向けられた強烈な殺気を。
慌てて視界を回してその方向を確認すると、敵の大剣が目前まで迫っていた。
――致命傷の軌道!
(まずい!)
エリアスは敵の大剣を受け止めようと自分の大剣を引き、角度を傾けた。
結果としてピーターにはエリアスの剣の先端、それも刃の部分ではなく横の剣の平の部分だけが与えられた。
「ぐっ!」
衝撃で再び城壁に叩きつけられるピーター。
上半身の骨は至る所が折れ、これ以上の戦闘が不可能なのは明らかだ。
……が、死には至らなかった。
(……いったい、誰だ?)
広がる痛み、ぼやける視界、そして薄れ行く意識。
その中でピーターは乱入した戦士の様子を観察した。
身の丈ほどもある大剣。
全身は金属製の鎧で守られ、肌の露出は一切ない。
――似ている。
ピーターの視界の真ん中ではよく似た装備をした二人の戦士が戦い始めていた。
豪快に振り回された大剣同士が激しくぶつかりあう。
そしてピーターが挑んだ男、つまりエバンシェを殺した男は叫んだ。
「どういうつもりだ! マルティ!」




