第三章 第二十二話:想定以上
―ー崩れた時計塔付近。
ハンスとロザリーは睨みあっていた。
崩れた時計塔の上に陣取るロザリー。
すぐに身を隠せるように民家の近くに立つハンス。
狩場や戦場に身を置かない者達にとっては二人の距離は十分に遠いと言っていい。
だがもちろん当人たちにとっては違う。
弓を主たる武器とするハンスにとっては完全に攻撃圏。
ダガーを使うロザリーにとってもどうやって自分の攻撃圏に持ち込むかを考える距離、――準攻撃圏とでも言っておこうか。
周囲にいた人々は既にかなり遠くまで逃げてしまっている。
ロザリーにとっては望ましいことに、そしてハンスにとっては残念なことに邪魔者はいない。
(さて・・・、どうしたもんか)
ハンスはこの膠着状態の間に敵を観察していた。
両手のダガーを主武装とする軽戦士。
その割には肌の露出が全くないのは不自然だが、飛び道具はおそらく持っていない。
隠し玉として持っていたとしても、牽制に使うぐらいでそれほど強力な物ではないだろう。
だが・・・。
(相当速いな。)
これまでハンスが見てきた中でも間違いなくトップクラス。
おまけに易々と矢を叩き落とす技量。
人間よりも素早い獣を狩っていた経験のおかげでここまで対応はできているものの、その獣達よりも遥かに手強い相手であるのは明らかだった。
―ー静寂。
遠くでは金属同士が激しくぶつかり合う音が響いている。
(・・・)
(・・・)
バシュシュ!
痺れを切らして先に動いたのはハンスだ。
牽制として二本の矢を放つと同時に民家の中に向かって走り出した。
二本の矢はロザリーの頭部と心臓に向かってそれぞれ飛んでいく。
並みの射手の本命よりも鋭く正確だ。
よほどの手練でなければこれが牽制だとは思わないだろう。
(・・・ん?)
飛んでくる矢を余裕を持って躱しながら、ロザリーも改めてハンスに違和感を覚えた。
(ゲリラ屋? ・・・それにしてはおかしな動きだね)
ロザリーは一瞬だけハンスが遊撃や奇襲を得意とするタイプかと思ったが、すぐに考えを撤回した。
盾にできる障害物に隠れようとするのならともかく、ハンスは民家の中に入ろうとしている。
これでは長射程という弓の利点がほとんど殺されてしまうだろう。
彼女にはハンスの行動が悪手に見えた。
(まさか・・・、戦う気がないのかい?)
女の感、というよりは彼女の戦士としての蓄積と言うべきだが、ロザリーは相手が何か自分達にとって不都合な目的を達成したがっていると推測した。
そのために自分との戦闘を避けようとしている、と。
ダンッ!
民家に姿を隠そうとしている射手、つまりはハンスを慌てて追う。
足場にされた時計塔の残骸が後方に吹き飛んだ。
勢いで言えば一歩。
体勢の変更まで含めれば二歩でハンスが入った民家の前まで飛ぶ。
さらに次の三歩目でハンスを背後から強襲しようとロザリーは空中でダガーを構えた。
(何を企んでるのか知らないけど、ここでさっさと――!)
ロザリーは目を見開いた。
民家の奥、彼女がこれから三歩目で踏み込もうとしている空間の先ではハンスが既にこちらに向けて弓を構えている。
射線は彼女の頭部を完璧に捉えていた。
ロザリーは自分の失策を悟る。
(――誘いこまれた!?)
頭部を射線から外そうと空中で慌てて体を捻る。
だが・・・。
(斜線から・・・、外れていない?!)
体を捻ってから再びハンスの射線を確認したロザリーは驚いた。
矢の先端は未だ彼女の頭部にまっすぐ向けられている。
ハンスはロザリーの頭部の動きを正確にトレースしていた。
素早い獣を狩ることの多かった彼にとって、ある程度動きが読めている相手の頭部をピンポイントで狙うのはさほど難しくはない。
「ちっ」
ロザリーは舌の無い体で舌打ちをしながらダガーを自分の頭部と矢の射線の間に滑り込ませる。
躱せないのなら弾くか叩き落とすしかない。
このまま矢を弾きながら距離を詰めて一気に決めようと三歩目を踏み込む準備をする。
(あと少し!)
シュッ!
ロザリーの着地に合わせてハンスが矢を放った。
方向転換のために減速して速度がほぼゼロになる一瞬のタイミングに合わせて矢が迫る。
(ええぃ!)
加速した勢いで矢を弾こうとしていたロザリーは自分の目論見を外されたことに苛立つ。
同時に彼女の中でハンスの評価が上方修正された。
もちろん攻撃対象として。
「舐めるんじゃないよっ!」
ダンッ!バキッ!
三歩目で前進する代わりにその場で体全体をスピンさせてダガーで矢を叩き落とした。
ハンスは既に彼女に対して直角に、窓に向けて走り出している。
(速い速い速い! なんだあいつ、本当に人間なのか?!)
ハンスはロザリーの移動速度を目の当たりにして慌てていた。
それがスケルトンの体に起因しているのだという話を直後に思い出す。
だがそれにしても・・・。
(まさかここまでとは思わなかったぞ・・・)
幾らなんでも動きが速すぎる。
ロザリーの動きはハンスの想像していた範疇を大幅に上回っていた。
自分が現実感のある夢でも見ているのかと錯覚してしまいそうになるほどだ。
(そもそも生物にあんな加速が可能なのか?)
そんな疑問を持ちながら民家の窓から外へと飛び出す。
入れ替わりにロザリーが飛び込んで来た。
そして苛立つようにハンスの飛び出した窓の方向を睨む。
(何かある前に・・・、始末しておいた方が良さそうだね)




