第三章 第十話:好きな人の前では冷静になんてなれない。
(どうしよう・・・)
リリーが水やりをするのをこっそりと眺めながら、俺はどうしようかと戸惑っていた。
・・・だって仕方がないだろう?
まさかリリー本人がいるなんて思って無かったんだから。
正直、彼女が嫁にいくパターンしか考えてなかった。
だが、よくよく考えて見れば相手の方が婿に来ることだってありうる。
リリーの家は仕立て屋なんだから跡取りは欲しいはずだ。
(・・・)
もうリリーの居場所を確認する必要は無くなった。
彼女が今も無事に生活していることを確認できた、元々の予定から言えばもうやることは無い。
後は帰るだけだ。
ただ・・・。
(どんなやつと結婚したんだろう・・・?)
すぐそこにリリーがいると思うと、彼女が今どんな生活をしているのかが気になって仕方が無い。
子供もいるんだろうか?
(・・・いるよなそりゃあ)
何人だ?男の子?女の子?リリー似か?それとも父親似か?
我ながら彼女への未練全開だと自覚しながらも、そんなことばかりが頭の中をぐるぐる巡る。
ガチャ。
(・・・!)
ドアを開く音で俺は我に返った。
リリーが水やりを終えて家の中に戻ろうとしている。
(待ってくれ!リリー!)
リリーの姿が見えなくなる、そう思った俺は焦って飛び出した。
ドアの奥に消えようとしている彼女の姿を追いかける。
心のどこかでそれがまずい行動だとわかってはいたが止まらない、止まれない。
そして、リリーが閉じようとするドアの取ってを掴んだ。
リリーが閉じようとしたドアが閉まる直前で止まる。
「あら?」
リリーが何事かと声上げる。
ドアの外の様子を確かめようと、彼女は隙間からひょっこりと顔だけを出した。
近い距離で俺とリリーの目が合った。
(リリー・・・)
リリーが再び目の前にいる。
俺の主観では数か月ぶりのリリーが目の前にいる。
そう意識した瞬間、存在しないはずの俺の心臓が大きな鼓動を刻み始めた。
この距離で見るとかなり年を取ったのがわかる。
疲れた感じでお世辞も若々しいとは言えない。
(でも・・・)
それでも胸の鼓動が止まらない。
惚れた女は5割増しで美人に見える。
いや10割増し、いやいや10倍いい女に見える。
「えーっと、どちら様でしょう?もしかしてお客様・・・かな?」
「あ、いや・・・」
リリーの声で俺は再び我に返った。
自分が早まった行動に出たことを半分後悔する。
・・・半分だけだ。
「失礼、驚かせてしまった。私は日人探し屋のオリバと申します。こちらにリリーさんという方はいらっしゃるだろうか?」
俺は当初の予定通り人探し屋の振りをして切り抜けることにした。
目の前にいるのがリリーであることは当然知らない振りをする。
ちなみに誰を探していることにするのかって?
もちろん俺自身さ。
「探し屋さん・・・ですか?リリーは私ですけど・・・、誰を探してるんです?」
そう言いながらリリーがドアを開ける。
俺は予定通り自分の名前を答えた。
「ハンス=アーバン」
その言葉を聞いた瞬間、開き始めたドアが再び止まった。
「え・・・?」
リリーが目を見開いて俺を見る。
だがすぐにうつむいてしまった。
「ハンスは・・・もうずっと前に・・・死にました・・・」
リリーが辛そうな声で答えた。顔はうつむいたままだ。
俺は罪悪感を覚えつつも、彼女の中に自分の居場所がまだ残っていることを知って少し嬉しくなった。
(やっぱり死んだことになってるのか・・・)
「死んだ?どういうことです?」
俺は内心を悟られないように知らない振りをする。
今の俺はハンスじゃない、ただの人探し屋オリバだ。
そう自分に言い聞かせる。
「・・・中へどうぞ、お茶でも出します」
そう言ってリリーが俺を家の中入ってすぐ、仕事場の横にある応接スペースへと促した。
「失礼します」
俺はリリーの後ろ姿に続いて中へ入る。
このまま後ろから彼女をを抱きしめたい衝動に狩られるが、なんとか抑え込む。
リリーにはもう今の生活がある。
俺にはもうリリーを幸せにできないから。
だからせめて、それだけは守らないといけない。
それが、俺がリリーにできる精一杯だ。
俺は案内されるがままに椅子に座る。
リリーがすぐにお茶を入れ始めた。
きっと水やりを終えたらお茶にするつもりだったのだろう、お湯は既に沸いていた。
「粗茶ですが」
彼女の手でお茶が差し出される。
「すみません、ここが飲み屋なら一杯ぐらい注文するんですが」
「いえ、気にしないでください」
俺は差し出されたお茶に手を出そうとして辞めた。
・・・自分がもうそれを飲めないことを思い出したからだ。
(リリーが入れてくれたのに・・・)
彼女が入れてくれたお茶を眺める。
俺はこの体になったことを初めて恨んだ。
「仕立て屋・・・ですか」
「ええ、女手一つで細々と」
お茶に手を付けないことを怪しまれないように目線を仕事場の方に向けながら、俺は世間話を切り出した。
「ご主人は外へ?」
「ふふっ、私みたいな女を貰ってくれる人なんていませんよ」
「え?」
予想外の返答に俺は戸惑った。
「両親も随分前に亡くなってしまって、今は寂しい独り暮らしです」
リリーが悲壮感のない笑顔で微笑む。
「ははは、ご冗談を。あなた見たいな人なら男はこぞって貰いたがるでしょうに」
「ふふふ、お世辞でもそう言ってもらえると嬉しいです」
リリーと話しながら、俺は家の中の気配を探る。
確かに家の中には他に人の気配がない。
(そうか、本当に死んじまったのか・・・)
俺たちの結婚を快く祝福してくれた人たちだ。
親無しの俺のことを息子が出来て嬉しいと言ってくれた。
一抹の寂しさが胸に湧き上がる。
リリーの両親が死んだは本当、リリーが独身というのは冗談だと俺は判断した。
逆だったらいいのに、と内心で呟く。
果たしてその声が届いたのだろうか?
呼応するかのようにリリーが視線を下に落とした。
同時にリリーの顔に悲しみの色が浮かびだす。
「昔・・・、あの人は・・・、ハンスは本気で貰ってくれようとしたんですけどね」
「・・・」
リリーの突然の独白に、俺は一瞬言葉を失った。
「私みたいな女のこと、本気で愛してるって言ってくれて・・・。でもその後すぐに竜の討伐に参加することになって、帰ったら結婚しようって言ってくれたのに・・・。でも、全然戻ってこなくて、半年後に死んだっていう知らせが・・・」
リリーの気持ちを代弁するかのように、彼女の目から涙が溢れ出した。
彼女の口から途切れ途切れに言葉が漏れる。
「縁談のお話もあったんですけど・・・。私、どうしてもあの人のことが忘れられなくて、ずっとあの人の妻でいたくて・・・。でも両親も死んでしまって、生活するだけで手一杯で、探す余裕もなくて・・・」
(おいおい・・・、嘘だろう?)
自分が取り乱していることに気がついたのか、リリーが顔を上げて涙を拭う。
いったいどれだけ1人で悩み、溜め込んでいたのか。
彼女の涙は止まらない。
俺はその姿を呆然と見ていた。
(本当に独身・・・なのか?ずっと待ってたのか?俺を?20年も1人で?)
「ごめんなさい、初めて会った方にいきなり。本当はわかってるんです。あの人はもういないんだって。でも私、ずっと受け入れられなくて・・・。20年経った今でも、あの人がどこかで生きてて、もしかしたら、そのうち会いに来てくれるんじゃないかって・・・」
「・・・俺だよ」
「・・・え?」
俺は咄嗟に答えていた。
それが良くない行動だと感覚で理解は出来たけれども、それでもそうせずにはいられなかった。
「俺だ、俺がハンスだ」
「あの・・・、え?何を・・・。急にどうしたんですか?」
リリーが戸惑った声を上げる。
まさか俺だとは思っていないのだろう、訳が分からないといった様子で俺を見た。
先ほどまで悲しみに覆われていた表情は苦笑いに変わっている。
「死にきれずに戻ってきたんだ。こんな体になったけど、それでも君を忘れられずに戻ってきた」
「え・・・、嘘・・・」
「本当さ。プロポーズしようしたけど中々言えなくて、君を連れて朝から晩まで街中を歩き回った男さ」
「なんでそれを・・・」
リリーが呆然と立ち上がる。
ゆっくりと俺の方へ近づいてきた。
「・・・本当に?本当にハンスなの?ねえ、本当に?」
「ああ」
せがむ様に繰り返し確認するリリーに、俺は一度だけ答えた。
リリーが震えた手を俺に伸ばす。
「本当にハンス、なんだよね?見せて、顔・・・」
リリーが俺の顔を確認しようと兜のフェイスに手を伸ばす。
・・・俺は気が付くのが遅れた。
後になってみれば、すぐにその手を拒むべきだったのかもしれないと思える。
だが、この時の俺はそこまで頭が回らなかった。
気が付いたのはリリーが俺の兜のフェイスを上げた直後。
つまり、今の俺の顔を見たリリーの目が再び見開かれるのを見た時だ。
(しまった!)
「きゃぁああああああ!」
骨だけになった俺の顔を見たリリーの顔が恐怖に歪む。
叫び声と共に後ろに1歩下がってそのまま腰を抜かした。
「待て、違うんだ、リリー!」
「ぃ、いやっ!来ないで!」
立ち上がってリリーに近づこうとする俺、距離を取ろうとするリリー。
リリーに拒否されて俺は足を止める。
『おい、なんだ今のは!』
『誰かの叫び声みたいだったぞ!』
『こっちか?』
『リリーさんの声じゃなかったか?』
リリーの叫び声を聞いて、近所の住人が集まってきた。
外が徐々に騒がしくなっていく。
「・・・くそ!」
俺はリリーの手で上げられたフェイスを再び下げてから出口のドアに手を掛ける。
リリーに一瞥、外に出た。
集まり始めた住人たちの間を走り抜ける。
『なんだ、強盗か?』
『おい、リリーさん!大丈夫か!しっかりしろ!』
『あの男を捕まえろ!』
背後の声を振り切って、俺はそのまま街の外まで逃げ出した。




