第一章 第三話:逃げちゃいけない戦い
ふんふんふーん♪
カーバンクルの群れを見送ってから小一時間。
俺は再び山を下っていた。
はっきり言おう。
俺はこの時浮かれまくっていた。
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(お、川だ。)
俺の視界に小さな河原が入り込んできた。
(ちょっと休んでいこうかな)
体はまだ疲れていなかったが、先は長いので無理は禁物だ。
疲れが溜まる前に休むことにした。
「よっこいせ。」
大きめの岩に腰を下ろす。
そういえば、よっこいしょって言うのは年寄りくさい、って笑われたことがある。
もちろん愛しのエリーゼにだ。
そうは言っても、気を抜くとついつい出てしまうものだ。
(のどかだ。)
戦友たちにとっても、死に場所がこういうところでよかっただろう。
安らかに眠ってほしいものだ。
そんなことを考えつつ鎧を見る。
(くたびれてんな。)
ドラゴンゾンビと戦ったせいかボロボロだ。
おまけに金属は結構さび付いている。
きっとあの光を浴びたからだろう。
どっすどっす
ちょっとセンチメンタルな気分に浸っていたら足音が聞こえてきた。
ばっ!
岩から立ち上がりながら、慌てて後ろを振り向く。
もちろん剣を抜く準備も同時だ。
足音からするとかなりの重量級なのは間違いない。
手ごわい猛獣かもしれない、そう思って音のした方を注視した。
うん。いた。
すごいやつが。
すんごい『かわいい』やつがいた。
「クマー」
俺は存在しないはずの頬が緩むのを感じた。
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図鑑で見たことがある。
身長1メートルぐらい、つぶらな瞳にくびれのない真ん丸ボディ、もっちもちでもっふもふ。
世界中のモフリスト達が憧れて止まない超A級生物。
そう、モフモフグマだ。
どっすどっすと音を立てて、跳ねるようにこちらに向かってくる。
(ら、らぶりぃぃいいいいいいい!)
その愛らしい振る舞いはまるで魅了の魔法を常時振りまいているかのようだ。
クマはこちらに気が付いた様子もなく川に向かう。
(抱きつきてぇー。まじモフモフしてぇー。)
どっぱーん!
クマが勢いよく川に飛び込んだ。
体をフリフリして気持ちよさそうにしている。
どうやら水浴びをしに来たらしい。
(かわうぅーーい!超かわうぅーい!)
俺のテンションはもう振り切れまくっていた。
「・・・クマ?」
クマが熱い視線を向けている俺に気が付いたようだ。
「エリーゼ、わかってくれ。男には逃げちゃいけない戦いというものがあるんだ。」
俺は決意を固めた。
絶対にコイツをモフモフしてみせると。
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(さてどうしようか。)
よし、まずは敵ではないことをアピールしよう。
川の水に浸かって頭に疑問符をつけているクマを前に、俺はわざとらしく手袋を外す。
そのまま川の水で手を洗って見せる。
水が冷たくて気持ちいい。
「クマー」
いかにも得心がいった、という表情になったクマは水浴びを再開した。
敵ではないと思ってくれたらしい。
尻尾と短い足をバタバタさせて泳いでいる。
野生の割にはやけに警戒心が薄い。
図鑑の記述を思い出す。
アホの子ほどかわいく見える理論の大家であるケント=ボラー氏によれば、
この理論によるモフモフグマのかわいさ増幅率は2倍を超えるのだという。
(アホの子・・・)
それがこいつのかわいさの源泉だと言うのなら否定はするわけにはいくまい。
ドッシュ!ドッシュ!
「お」
クマが水浴びを終えた様だ。ずぶ濡れで川から出てきた。
ブルブルブルブルッ!
体を振って水を飛ばす姿も大変かわうい。
そう思いながら俺は腰の小袋に手を伸ばした。
さっき取った木の実が何個か入っている。
運動の後で小腹が空いているはずだ、これで気を引こう。
(食べるかな?)
手の平に木の実を一つ乗せてゆっくりと差し出す。
「クマ?」
「いるかい?あげるぜ?」
「・・・?」
疑問が見えてきそうな顔で差し出された手を見ている。
「!クマー!」
手の平に乗っているのが木の実だとわかると喜んで近づいてきた。
俺の目の前までくると、つぶらな瞳で木の実と俺を交互に見比べる。
かわうい。
「いいぜ?食べていいぜ?あげちゃうぜ?」
「クマー!」
木の実をもらえるのだと理解したらしい。
手に取って嬉しそうにかじり始めた。
もぐもぐ
もぐもぐ
もぐもぐ
口をもぐもぐさせるクマと見つめあう。
(幸せだ・・・。)
もう一個あるよ、そう言って木の実を差し出そうとしたとき、
ドスン!ドスン!
別の足音が聞こえてきた。
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新しい足音も重量級、もう一匹クマか?
そう思って期待して振り向く。
視界の先にいたのはクマじゃあ無かった。
特大のトカゲだ。
全長何メートルあるのかわからないが、頭のサイズが人間よりでかい。
(なーんだ)
俺は心底がっかり。
「クッ、クマ・・・」
クマは怯えている。
まあ無理もない。あんなでかいトカゲは俺も初めてみた。
川を背にして腰の剣に手を添える。
あのトカゲの目的はわからないが、もしかするとクマを食う気なのかもしれない。
だとすれば何としても阻止せねば。
「エリーゼ、わかってくれ。男には逃げちゃいけない戦いというものがあるんだ。」
再び女神に同じ言い訳をする。
3者の視線が交錯した。静寂が辺りを包み込む。
ドドドドッ!
最初に動いたのはトカゲだ。
クマに向かって突撃を敢行する。
間違いない、エサにする気だ。
俺は勢いよく剣を抜く。
「クマー!」
ダッ!
それに反応して、クマも走り出した。
トカゲとは反対側、川の方に。
「え?」
俺は一瞬あっけに取られる。
バシャーン!
「え?」
クマはそのまま川に飛び込んだ。
「クマー」
唖然とする俺とトカゲに見送られて、クマはどんぶらこっこと川を流れていってしまった。
河原には俺とトカゲだけが残されてしまった。