第二章 第八話:亡者の帰還
小川で剣と鎧の血を拭いた後、俺は再び故郷に向かって全力疾走を再開した。
このペースなら2日後には村に辿り着けるはずだ。
(5年、か・・・)
愛する息子トニーの事を考える。
俺が出発したときにはまだ1歳にもなっていなかった。
どんな風に成長しているだろう?
自分のことを父親だと理解できるだろうか?
普通の体でもあやしいというのに、ましてやこんな体だ。
父親だと名乗っても信じてもらえないかもしれない。
(弱気になるなっ!)
ブンブンと首を振って弱気な気持ちを振り払う。
考えても仕方がない。
時間を掛ければわかってもらえる。
そう自分に言い聞かせた。
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翌日。
俺はグラトンの街の近くを走っていた。
故郷の村はグラトンから3日の距離にある。
今の俺なら1日で十分だ。
(最初になんて言おうか。ただいま、か?)
5年も帰らなかった夫がいきなり帰った。
そんなシチュエーションでなんと言えばいいのか。
いい言葉が思いつかなかった。
(そうだ、土産がいるな)
今まで思いつかなかった。
5年ぶりに帰るのだ、土産の一つもなければ格好がつかないだろう。
俺は進路をグラトンの街に向けた。
狙うは甘味だ。
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俺は門を通って街の中に入る。
門番に詮索されたらどうしようかと思ったが、杞憂に終わった。
門番がいい加減なのは5年経っても変わらないようだ。
街並みも自分の知っているものと変わらない。
5年経っているというのが嘘のように思える。
(あいつら俺をからかったんじゃないだろうな?)
そんな期待を入口にある像が打ち砕いた。
(像が・・・、変わってる)
ここの噴水には鷹の像がおいてあったはずだ。
それが女神像に変わっていた。
「なあ、ちょっといいか?」
「ん?なんだい?」
俺は思わず通行人の男に声を掛けた。
「ここには鷹の像が置いてあったと思ったんだが、いつの間に変わったんだ?」
「鷹?ああ、それなら2年前の嵐で壊れたんだ。変わったのはその時だな」
(2年前・・・)
「そうか、ありがとう」
「いいってことよ」
男に礼を言った後、再び女神の像を見る。
2年前の嵐、そんなもの自分は知らない。
これで少なくとも2年以上は経っていることが確定した。
マルティが年数を誤魔化すとも思えない。
実際に5年経っているのだろう。
周囲の様子を伺う。
何も変わらないように思える。
それでも。
なぜか自分だけが取り残されているような気がした。
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俺は手頃な甘味を探して市場に足を運んだ。
(干した果物辺りがいいな)
妻のマーガレットには気に入ってもらえるはずだ。
トニーもそういうのを欲しがる年頃のはず。
我ながらいい選択だ。
「おっ」
ちょうど思っていた通りの甘味を見つけてつい声を上げる。
「これとこれ、いくらだ?」
「こっちはひとつ小銅貨5枚、こっちは3枚だ」
「2つずつくれ」
「まいどっ」
干した桃といちじくを手に入れた。
これなら2人とも喜んでくれるはずだ。
腰の袋に大事に入れておく。
(土産の調達完了だ)
俺は家族の反応を想像しながらグラトンを後にした。
ちなみに、出るときも門番は相変わらずだった。
流石にもう少し仕事をした方がいい気がする。
グラトンから少し離れたところで俺は再び全力で走り始めた。
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その日の深夜。
俺はついに自分の村に到着した。
時間が時間だ。もうみんな寝静まっている。
村には明かり一つない。
お世辞にも裕福な村とは言えないので村の入口には明かりはないし、門番がいるわけでもないのだ。
(どうするかな)
5年ぶりの再開とはいえ、こんな時間に叩き起こすのは流石にデリカシーというものがないだろう。
俺は村の外で日の出を待つことにした。
何、あと少しの辛抱だ。
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日が昇った。
村に人の動く気配が感じられる。
(もう、いいよな?)
まだ早朝と呼ぶべき時間だが、正直もう我慢できなかった。
俺は逸る気持ちを抑えて自分の家に向かう。
朝なのでうるさくならないように注意しながら扉をノックした。
トントントン
トントントン
(・・・でないな)
まだ寝ているのだろうか?
確かにまだ早い時間だ寝ていても不思議じゃない。
(どうしよう・・・)
とはいえここまで来たのだ、今さら引き返す気も無かった。
ここは自分の家なのだから。
トントントン
トントントン
(・・・でない)
家の中で人が動く気配すらない。
「その家に何か用かい?」
背後から声を掛けられる。
声の主はすぐにわかった、近所のルーミアばあさんだ。
「なんだルーミアばあさんか」
「なんだい、私のこと知ってるのかい?」
「俺だ、トムだよ」
「・・・なんだって?バカ言うんじゃないよ。トムなら5年前に死んじまったよ」
「いや、おれ死んでないぞ?」
「何言ってんだい、だったらその兜脱いで顔見せて見な」
見せられるわけがない、兜の下は包帯と骨だけだ。
俺はトーマスの助言を聞き入れることにした。
「いや、ドラゴンのブレスで全身大火傷したんだ。とても見せられないんだよ」
「だったら信じられないね」
相変わらず頑固なばあさんだ。
「そういうなよ、一緒にトニーの名前を考えた仲だろ?」
そう言った瞬間、ルーミアばあさんの目が見開かれた。
「あんた・・・、なんでそれを知ってるんだい。そりゃあ私達しか・・・」
そういってルーミアばあさんが思考停止する。
「おい、ばあさん。どうした?ショックでぽっくり逝っちまったか?」
俺はばあさんの顔の前で手を振る。
反応が無い。本当に逝ったのか?
「本当に・・・、トム、なのかい?」
(お、生きてた)
ばあさんが恐る恐る俺に手を触れる。
「ああ、いつもスイカを盗み食いしてた悪ガキのトムさ」
「トム、ああトム、よく帰ってきたね・・・」
俺はばあさんに抱き着かれて戸惑う。
予想していた展開とは大きく違ったが、こうして俺は自分の故郷に帰還した。