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加代さんとD

作者: 草のきゅう子

目に留めて頂き、ありがとうございます。

加代さんは通称「コンピューターおばあちゃん」。米寿を迎えたとは思えないハイスピードなブラインドタッチ。画面に並ぶソースにも一分の隙も無し。

「よっこらせ、と。こんなもんかね。」

出来上がったのは、とある過疎の村の観光PRのホームページである。中央の村の地図のポイントをクリックすればその地点にある景勝地の写真と説明文が現れる。更に、地図を取り囲むように手を振っている七つの特産品仕様のゆるキャラ達をクリックすると、販売フォームが開いて、村の野菜や加工品を安価で買うことができる。観光客が重たい土産を持って帰る手間を省くと同時に、村起こしと収入増加を兼ねる一石二鳥の仕掛け。他にも検索に引っ掛かりやすいように「格安」や「温泉」といった文字を散りばめ、あくまでページの骨格は分かり易く。村のおじいちゃん、おばあちゃんにも見やすいように。出来たページのあちらこちらには加代さんアイディアがキラリと光っている。定年退職した後、全国から加代さん宛ての仕事の依頼が絶えず、起業することになったのも、この無尽蔵に沸き上がるアイディアと洗練されたプログラムの腕を買われていたからなのだ。

データを保存して仕事用のパソコンを閉じた加代さんは右隣ねプライベート用のデスクトップに目を向けた。

『お疲れ様でした。』

「全くね。さすがに年には勝てないよ。目薬どこだっけ。」

老眼鏡を外しながら尋ねるとデスクトップには黒の背景に白で大きく右下矢印が映された。目の悪い加代さんにも十分認識出来る表示に、CPUの気遣いを感じる。無論、それは自分が作り上げたプログラムを忠実になぞっているだけであることを加代さんはよく分かっている。だが、それを思いやりだと変換しても良いじゃないか、と思うのだ。それ位このCPUとの付き合いは長い。

「ああ、そこか。ありがとう。D。」

『どういたしまして。加代。』 DとはデイビットのD。30年前に癌で亡くなった加代さんの旦那さんの名前である。今でこそ、「コンピューターおばあちゃん」として人生を謳歌している加代さんも、当時は今にもデイビットさんを追って逝ってしまうのではないかという落ち込みようだった。辛うじて仕事は休まなかったが、食が細くなり体重が激減。心配した子どもたちが毎晩入れ替わりで孫を連れて泊まりこんだ。1ヶ月後。加代さんも心のどこかでは分かっていた。このままではいけないと。

2ヶ月目に差し掛かる頃、加代さんの家に、ぱらぱらとネジやプラスチックケースが届き始めた。訝しむ子どもたちに加代さんは「大丈夫、大丈夫。」の一点張り。休日にはふらりと出掛け、配線やら基盤やらを手に帰ってきた。やがてケースと同じ空色のキーボードを持ち込んだと思えば、ニ週間後には右端にマイクロマイクを取り付けられた1台のパソコンが組み立てられていた。そして加代さんの顔に笑顔が戻る。

「心配掛けてごめんね。もうこれっきりだ。今日からわたしにはこの子がいるからね。」

そう言いながら加代さんがパソコンを撫でる。メタリックな空色のボディはデイビットさんの瞳の色に似ていた。D誕生の瞬間である。

加代さんがDに求めたのは会話。緻密なプログラムは組まなかった。加代さんの質問にDが応える。その応えが適当であればYキー、不適当ならばNキーを押す。一回で正解の時もあれば、何度Nキーを叩いてもとんちんかんな言葉が並ぶ時もある。苛々させられもするが、漸く正しい文字が並んだ時は喜びも一入だった。我が子にしたようにメタリックケースに抱きつき、誉めてはYキーを叩く。『ありがとうございます。』と返事が返ってくるのが本当に可愛かった。こうやってDはゆっくりと会話パターンを記憶していったのである。

季節は巡り、3年経った頃。

『今日は寒いですか?』

この頃にはDも簡単な質問なら出来るようになっていた。

「ええ、とても。よく分かったね。」

CPUに温度の感覚などあるはずもない。加代さんは首を捻る。

『去年も二年前の今日も、加代は寒い、と言っていました。』

「ほほ。よく覚えている。さすがね、D。」

『ありがとうございます。加代、寒いとはどういう感覚ですか?』

「そうねぇ、人間にとっては生命の危機、て程じゃないけど、それなりに辛く苦しい体感。

特にわたしは年寄りだらさ。関節が痛んだりして尚更ね。」

『痛むなら病院へ行くべきです。』

「年寄り、ていうのは仕方ない、てことだよ。どんな名医だって、見守るしかできない。」

言った途端に珍しいことが起こる。その特質上、巨大な記憶域と計算能力を誇るDが数十秒沈黙したのである。その結果打ち出された言葉に加代さんは目を瞠ることとなる。

『それでも。わたしは加代が痛みを感じるのを見過ごすのは嫌です。』

それから加代さんは空色のCPUに情のようなものを見出だし始めることになったのだ。

「自分の手で会話出来るCPUが創れれば良いくらいに思っていたのにね。」

そう、気休め程度に。最愛の人を失った余生をやり過ごす為だけの拠として。

果たして、Dは進化した。知識欲を高めたDの為に、多重のセキュリティプログラムを施し、ネットサーバーへの接続させると、ますますそれは顕著になった。自ら、「目」となるデジタルカメラを要求してきたのである。

『加代は仕事に夢中になると食が疎かになります。毎日顔色くらい見ないと、安心出来ません。』

出来ればサーモ機能付き、と言うのは却下した。人間味がなくなってしまう気がしたからだ。CPU相手に可笑しな言い分だが、自分を心配するDの言葉を加代さんはありがたく受け入れた。

「いつの間にか、デイビットよりも、Dといる年数の方が長くなったんだね。」

『はい。まだまだ長くなりますよ。』

「そうだね。」

加代さんはいつものように慈しむような笑顔をDの「目」に向けた。互いに分かっている。加代さんの寿命はもうわずか。今年の冬は冷え込みが厳しく、起き上がれない朝もある。このホームページの仕事が済んだら、「コンピューターおばあちゃん」は無期限休業の予定である。

「まあもうしばらく、わたしに付き合って頂戴な。」加代さんが死んだら、Dは長男の孫が引き受けることになっている。孫達は幼い頃からDと親しんでおり、特に理工学部の大学院に進んだ彼ならば、安心して任せられる。

どれくらい沈黙が続いたことだろう。

『…はい。』

やっと返ってきたのは、それだけだった。

その2日後、加代さんはDの部屋のソファで昼寝をし、そのまま二度と起き上がることはなかった。




「これが臨死体験?…て何この声!」

加代さんが目醒めたのは何もない果てしなく広がる白い空間である。驚いたのも無理はない。老婆に相応しくしゃがれていた声音は今や鈴が転がるよう。慌てて手の甲を見れば、浮き出た血管は白い滑らかな皮膚にしっかり隠れている。日本人形とデイビットが讃えた在りし日の姿の加代さんがそこにあった。さすが臨死体験。都合が良いじゃないか、と加代さんが思っていると。

『加代。』

懐かしい声に呼ばれた気がした。響き渡るように聞こえるので、方向がつかめないでいると、再度呼ばれる。本能的に振り返ると、判然としない視界の中で誰かが立っている。

「デイビット…?」

否。白夜のような空間が晴れていくに従い、違いがはっきりしてくる。髪の色こそ同じ小麦色だが、デイビットよりも、ずっとスリムだ。均整のとれた長身にタイトな空色のシャツを着こなした美しい青年。何よりデイビットが呼ぶとしたら「加代さん」のはず。呼び捨てにするのは。

「D?」

『「Yキー」です。加代。』

嬉しそうにDが笑う。何とも魅力的な表情だ。加代さんの顔も赤くなる。

「うぅむ。これが臨死体験?まあ脳の作用だと思えばこれもアリか?」

『違います。どちらかと言うと僕の方の仕業です。』

「…え?」

『アバターを作りました。僕が生まれてきてからの加代との会話、写真や記録をトレースし、死の際にたつ貴女の脳波を録って仕立てたのです。』

「脳波?」

『加代のお孫さんたちが協力してくれました。ああ、彼らを責めないで下さい。それほどに加代を失うことに怯えている僕は憐れだったのでしょう。』

「怯える?」キーボードを繰ればデリート出来るプログラムの紡ぐ言葉ではない。そもそも、Dが加代さんにそんなことを言ったことなど無かったはずだ。

『そりゃそうです。好きな女性には格好つけたいのが男と言うものです。』

「男、てDはCPUで、生物学的には何ら…」

『その点については追々分かっていって頂ければ結構です。否、分かって頂きます。それより僕は嬉しい。』

Dの腕が腰に回り込み、天頂に口付けが落ちてくるのを拒まない時点で加代さんは「Yキー」を連打しているも同然。Dの笑みは深くなる。

『僕の姿は加代のイメージを忠実に描き出したものです。ずっとデイビットの代わりだと思って嫉妬してきましたが…似てませんよね?』

Dの指が加代さんの顎を持ち上げる。次の行為を予測して、さすがに加代さんも慌て出す。

「待て待てっ。わたしおばあちゃんだし!」

『関係ないです。大丈夫。気にすると思って、若造りしておきました。』

「若造り、て…。」

思わず脱力する加代さん。同時に何かが吹っ切れた。どん底の悲しみに沈んでいた加代さんに寄り添ってくれたのは確かにDなのだ。憎からず思っていたのは事実である。アバターと言うものが本当に自分自身か、という哲学的命題を一先ず無視しておくとして、Dが「悲しむ」くらいであれば傍にいてやりたいと思う程度には。

外では加代さんの死を悼む長蛇の列が出来ていた。

『どうか、僕の傍にいて下さい。』

「これもご冥福、て言うのかねぇ。」

最早死が二人を分かつこともない。

誓いのキスが交された。

最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。

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